等価交換人
「ちょっと待ってください!」
飛び降り自殺をしようとした僕の前に一人の女性が現れた。
「まだ十歳じゃないですか、考え直しましょ!」
彼女は走って僕を抱きかかえる。
「止めないでよ」
泣きながら暴れる僕の体を強く抱きしめながら彼女は言った。
「わかります。今がとても辛いって。だけどね、人生における幸福と不幸の総量は誰でも一緒なんです。私が何を言いたいかわかりますか?」
「わかんないよ」
すると彼女は微笑んだ。
「今、この不幸を耐え抜けばあなたの人生はずっと幸せだってことです」
僕からそっと離れると彼女は僕の頭を撫でた。
「理不尽に虐められるのは辛いですよね。だけど、必ず耐えきってください。そうすればあなたの人生は幸せですから」
そう言って彼女は来たときと同じく不意に姿を消した。
私は車椅子に乗りながら呆然と息子を見つめていた。
酒気帯び運転をした顛末がこれなのか……?
たった数日前の自分を殴りたくなる。
いや、殺し尽くしたくなる。
いつものように愛妻と愛息子を連れて食事に行き、いけないと知りつつも少しお酒を飲んだ。
車を運転することに不安はなかった。
飲んだお酒は本当にごく少量だったから。
だが、結果として私は事故を起こして愛妻は即死、私は両足を失い、息子は下半身麻痺。
「ちくしょう……なんで、こんなめに……!」
そう泣いていると不意に見知らぬ女が現れて言った。
「人生における幸福と不幸の総量は一緒ですからね」
「誰だ!?」
「等価交換人と呼ばれています。まぁ、人じゃないんですけど」
女はそう言って私を射抜くような視線で見つめる。
「先にお話をしておきましょう。あなたはこの先の人生で幸福になることはありません」
「な!? いきなり出てきてなんだ貴様は!?」
私の怒りを無視して彼女は冷たく言い放った。
「仕方ないじゃないですか、あなたは今までの人生で自分の持っている幸福を使い切っちゃったんですよ。だからもう、残っているのは不幸だけなんです」
カッとなり彼女を殴ろうとした手が空を切る。
どうやら本当に人間ではないらしい。
「そんな理不尽なことを認めろというのか!?」
唾棄するような視線で彼女は答えた。
「あなたに理不尽に虐められた人達もおんなじ気持ちでしたよ。まぁ、彼らは不幸を耐えきったから、今は幸福に過ごされていますけれどね」
そこまで言うと彼女は踵を返して歩き出す。
「おい! まて! なら、俺の子はどうなんだ!? こんなに不幸な人生なのに、これから幸福にでもなるというのか!?」
車椅子を動かして追おうとしたが、使い慣れないが故に私は彼女を追うことが出来なかった。
「おい! 待て! おい! 待ってくれ!!」
病室で一人の少年がベッドで横になり泣いていた。
彼の父親が先日、自殺をしたのだ。
そして、母親は既に事故で失っていた。
つまり、彼はもう天涯孤独だった。
おまけに自分の下半身は事故の後遺症で動かないのだ。
「死にたい。死にたい。もう消えちゃいたい」
そう泣き続けているところに不意に女性が現れて、優しく少年の頬を撫でた。
「辛いですよね。とても」
急に現れた女性を見ても少年は大きな反応を見せなかった。
絶望し尽くしている状況ではどのようなことでも反応が鈍くなってしまうのだ。
「だけど、安心してください。人生において幸福と不幸の総量は決まっているんです」
そう言って彼女は少年の足に触れた。
「だから、今、不幸の真っ只中にいるあなたの……あなたの残りの人生は全部ずっと幸福です。」
女性は微笑むとそのまま姿を消した。
呆然としたままでいた少年が自分の体の違和感に気づいたのは翌日になってからだった。




