5.夏:初夏
少し蒸し暑くなってきた夏の日、アダラートは季節にそぐわぬ燕尾服でハノの部屋の前に立っていた。
昨今の彼は前以上に勉学に打ち込むようになった。なんのきっかけがあったのかわからないが、学校に行かずとも学べる環境があることは少し羨ましくもある。
「失礼致します。少し休憩されてはいかがですか?」
「ああ君か。じゃあそうしよっかな。」
目も痛くなってきたし、とハノは開いていた本を閉じるとアダラートの持ってきたお菓子に手を伸ばす。
その間に彼の机の上を盗み見れば、魔術の歴史書だったことがわかった。
(この人は本当に魔法が好きなんだな)
以前も目を輝かせていたっけ。
人智を超えたものには人は好奇心を抑えることはできない。
かつてのアダラートもそのうちの1人だった。
「…魔術は面白いですか?」
「うん、知らないことばかりで面白いよ。」
「そうですか。」
それはなにより、といってアダラートは紅茶を注いでいく。
「君はいつも魔術を大したことはないと言うけれど、もっと自慢すればいいのに。使える人間は一握りだっていうのに。」
「私は大人なので、能力を誇示するわけにはいかないんですよ。」
「経験談か?」
「ええ。」
そう言うものか…とつまらなそうにハノは口を尖らせた。
そして、大人ね…とどこか神妙に口にすると、チラッとこちらを見る。
「…じゃあ女性へ贈り物をしたこととか、ある?」
「は?」
あまりに唐突な質問に、思わず敬語が外れるアダラートを気にも留めず、ハノは続けていく。
「あ、いや、別に母親へとかでも良いんだけど、女の人ってどんなものを喜ぶのかな〜って…」
「、、、、ああなるほど。アーベル様へですか。」
「誕生日なんだよ、、、、。」
少し恥ずかしそうに顔を背けるハノに、”若ぇな…”と内心微笑むも、彼の自尊心の低さを知っているアダラートはなるべく無表情に努めた。
「アーベル様は、ハノ様のお贈りする物でしたら、なんでも喜ぶのでは?」
「そんなの分かってる!だから困ってんだ!」
うわ〜!と頭を抱えるハノをよそにアダラートは惚気かよ…心配して損した、と呆れていた。
「多分あの子は僕が何を渡しても、世界一幸せかのように笑ってくれると思う。でも商人の息子として望んでいないものを贈るなんて言語道断だ!
だから、絶対に心から喜ばれるものを贈ってあげたいんだ…」
へぇ、とアダラートはハノから目を背ける。
それなら、俺に聞くより自分で考えたほうが確実だろうに。
”あの子に”と決まっているのなら、目の前にいる執事風情よりもいつもそばにいる自分の方が分かっているはずなのに。
(きっと本人にはそんな簡単なことさえ、怖いんだろうな)
この小さな子供は、常に何かに怯えている。
それでも、自分で渡したものを喜んで貰えるということに自信を持って言えるようになったのは、大きな変化だ。
…良かった、本当に。
"彼女"に傷つけられたままの人生を送らなくて本当に良かった。
「大丈夫ですよ。そんな風に考えて貰えるだけで、人は生きていて良かったと、生まれてきてよかったと思えるでしょうね。」
素直に何が欲しいか聞けば良いのでは?と言えば、そうするしかないのか…と諦めたようだった。
「ありがとう、アダラート。やっぱり君は僕の欲しい答えをくれる。」
「それは良かったです。私よりも旦那様の方が、博識だと思いますがねぇ…。」
「…………それでも、
あの傍若無人の母さんが愛したのはお前だっただろう。」
「え?」
何かおっしゃいましたか?と聞き返せば、なんでも無いよ、とハノは笑って返した。
「また相談に乗ってよ。魔術もまた見せて。」
「坊ちゃんの命なら喜んで。」
では失礼致します、とアダラートは頭を下げ、空いた食器を持って部屋を後にする。
残された部屋で一人、ハノは彼が出ていった扉をじっと眺めていた。
(知ってるよ、全部知ってる。)
お前が幼い頃からずっとこの家で母さんの従者をしていたことも、母さんのことが好きだったことも。
政略結婚の前に為す術なかったことも。
「だから、怖いんだよ…」
君みたいに優れた人間でさえ、権力の前には無力なんだろ?
苦しんでいる君を見て、誰が婚約を素直に受け入れられる?
今度は僕が、誰かを苦しませる立場になるかもしれない。
どうか、誰も、僕を嫌いにならないでくれ…
そんな子供が、内側で泣いていた。




