魔王と聖書
魔王様の仲間になる宣言に魔王城はパニックです。
彼の要求は予期せぬものだった。魔王軍の給仕係も驚きのあまり、皿を割ってしまっている。四天王なんて目を白黒させている。魔王自らが職務を放棄して長旅に出かけるというのだから魔族達が動揺しないわけがなかった。
「この世界にも飽きてきたところだし、張り合ってきた勇者も最近見なくなったし。ここいらでこの世界とオサラバするのもいいかもしれねぇ」
「むむむ、無理ですよ! 魔王同伴なんて! ねぇ、メーティスさん」
「いえ、いいでしょう。マギタジアの魔王が味方になれば、大きな戦力になります」
何とメーティスは魔王参入に好意的だった。魔王が仲間とは冗談ではない。寝首をかかれなくても落ち着いて就寝できる自信はなかった。魔王という言葉をトレスケア風に言いかえればヤクザやマフィアの親分と行動を共にするということだ。
(ど、どうにかして魔王様に諦めてもらわなければ……)
彼女は説得できそうにないため、護は魔王側に参入を諦めてもらうことにした。
「魔王軍はどうするんですか? こんな大所帯は連れていけませんよ。あなたは彼らの長として城に残るべきでは?」
「う~ん、でも俺様も成り行きで魔王になっただけだしなぁ。よし! 伝令係! 魔王軍配下を中庭に集めろ」
「はいっ! 畏まりましたぁ!」
伝令係は困惑しながらも命に従った。
中庭と呼ぶには広すぎる空間を埋め尽くすほどの大軍勢が集まった。その中には先程顔を合わせた四天王の三人もいた。魔王シューベルトは部下達を見渡すと、声高に叫んだ。
「お前ら、魔王軍は今日をもって解散だ!」
「「えぇ―――っ!?」」
当然魔王軍は大混乱である。今日まで王座についていた男がいきなり辞任を表明したのだから困惑するのは当然だった。中でも魔王側近の四天王達の動揺は筆舌に尽くしがたいものだった。
「そんな、それはないっすよ! 魔王様! ここまで領土が拡大してんですよ?」
「俺達はどうしたらいいんスカ!? シューベルト様が天下を取ると思って俺達尽くしてきたんすよ!」
「そうです。今更玉座を降りるとは無責任ですよ。貴方の背中には魔族の未来が掛かっているというのに!」
「うるせーよ。ウラド、ドクロ、イヴァン。テメェらが勝手に俺様を祭り上げただけじゃねーか。それに知ってんだぞ。テメェら四天王はよぉ、優秀な若手潰してきただろ。十年経っても四天王の末席が埋まらねーのはテメェらが出世争いでライバル失脚させてるからだって報告が上がってんだぜ?」
「どこのどいつですか!? 密告しやがった奴は!? ……あっ」
口を押えるが時すでに遅しである。ジト目で睨み付ける魔王。
「俺様はもう疲れたんだよ。アホなことやってた罰としてテメェらが魔王軍仕切れよ」
四天王はしばらくプルプル震えていたが、やがて逆切れして、魔王シューベルトに敵意を向けた。
「ええい! 最早これまで!」
「魔王様とて容赦はせぬ!」
「魔王様がかようなことをおっしゃるはずがないっ! 魔王様の名を騙る偽物めっ!」
どこかの悪代官のような台詞を吐く四天王達だがシューベルトは冷ややかな視線を返すだけだった。焦った四天王達は各々が最も得意とする系統の技を一気に畳み掛けてきた。
「地獄の火炎!」「死神の手!」「暗黒の雷!」
炎の津波と死神のような黒い手、紫色の稲妻が魔桜に迫りくる。
だが魔王シューベルトは涼しい顔で笑って、ドス黒い魔力を込める。
「魔王の凱旋!」
シューベルトは右手から大きな衝撃波を発して三人の攻撃を消し飛ばした。そのまま流れ弾で四天王に直撃した。
「「「うわぁあああああ――――!」」」
綺麗な爆炎の中に絶叫する四天王が呑まれた。
「馬鹿が。俺様は魔王だぜ? てめーらが束になっても勝てるわけねーだろ? 四人目がいれば分からなかったが……」
地面に這いつくばった四天王達は不貞腐れていた。そして巨漢のウラドが骸骨の男を詰り始めた。
「……髑髏将軍、アンタが新人潰しするから」
「私だけのせいとでもっ! 元々貴様の不出来な息子をコネで就職させたのを新人に咎められたからややこしくなったのだ。それに貴様も出張と称してエルフパブに通ってたろ!」
ウラドと髑髏が醜い言い争いを始めてしまう。溜息をついたもう一人の四天王イヴァンが仲裁に入った。
「よしたまえ。四天王の品位が下がる」
「「粉飾決算してた奴は黙ってろ!」」
四天王は組織内で随分アクドイことをしていたようだ。彼らはその場で責任の押し付け合いを始めてしまった。シューベルトは四天王の態度にうんざりして兵卒達の元に行った。そして何やらねぎらいの言葉と土産を置いてきてから護達の元に戻った。
「行こうぜ。俺様がいない方があのアホ共は上の苦労を少しは理解するだろ」
魔王シューベルトは玉座を後に託すと、名残惜しささえ感じさせずに城から出て行く。護とメーティスも彼の後を追った。
ガチャガチャと金属音を立てながら歩くシューベルトに護は委縮してしまう。
魔王城からだいぶ離れた所でようやくシューベルトに話しかける決心がついた。
「シューベルトさんって、この世界では有名人なんですよね?」
「そりゃあ魔王だからな。この世界ではあらゆる種族、ガキでも知ってるぜ?」
「あの……」
「あ? 言いたいことがあるなら言えよ?」
魔王に凄まれると余計に委縮してしまう。護が言い辛そうにしていると、その懸念を察したメーティスが護の言いたいことを代弁してくれた。
「シューベルト、貴方は目立つので姿を変えてください」
「そうか。マモルもそれくらいビビらずに直接言えよ」
「魔王相手に無理な話ですよ。彼がいた世界は貴方のように一人で国を落とせるような戦士がいない世界でしたから……」
「成程。《アルトリアの書》に書かれてたっけ。〝相手が委縮しないよう取り計らうべし〟と。よーし分かった。マモルがビビらねーようにしつつ、世間から俺様の正体が分からねーようにする方法があるぜ」
首を傾げる護にシューベルトは大魔法を発動した。
『我、世の理を覆す。剛は柔に、天は地に。――我が生命よ、形を変えよ!』
呪文と共に、魔法陣が描かれ、その上に立つシューベルトの体が光に包まれる。そして、魔法陣が徐々に上へと上昇し、彼の体を書き換えていく。
「よし、こんなもんか」
魔法陣が消えると、そこには美麗な女性が立っていた。頭の山羊角は健在だが、小さく目立たなくなっている。布を被れば完全に隠せるだろう。そして女性らしい丸みを帯びた体月になっていた。
「流石は魔王、ただの変身魔法じゃありませんね。生命の在り方を書き換えるとは……」
「ああ。俺様の固有魔法逆理の応用だ。すげーだろ? 理を逆転させる。マァ、字面程万能じゃねーがな。これで俺様にビビることもねーだろ? マモル!」
豊かな胸に抱かれて思わず赤面する護。確かに強面の魔王よりは親しみやすいが、彼女の容姿と体系のせいで別の意味でドキドキしてしまうだろう。今だってその豊満な胸の中に埋もれているのだ。
「ちょ、シューベルトさん、自嘲してください」
「せっかく姿を変えたのに名前が一緒じゃ意味ねーわな。俺様のことはベルベットと呼べ」
「分かりましたから! ベルさん、離れてください」
「ベルさんか。悪くねぇなぁ」
やっと解放された護は息も絶え絶えである。
「この世界にはまだもう一冊の世界図書が残されている。早急に回収しなければ……」
「そう……でしたね」
「まぁどんな奴が持っていても、この俺様が味方についてんだから楽に回収できるさ」
――同じ頃、マギタジア某所。
一人の魔法剣士が分厚い魔導書に記された魔術をいくつも習得していた。魔導書に載っている魔術を指でなぞり、感動に撃ち震えながら喜びをかみしめる。
「すごい。すごいぞ。……この魔導書があれば、魔王シューベルトを倒せる!」
シューベルトは女魔王ベルベットになりました。
これで世界図書収集も楽になると思いきや
魔王シューベルトを倒そうとする誰かが世界図書を手に入れており不穏の気配です。