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さてと。
前置きがずいぶん長くなったが、そろそろ本題に入るか。
わざわざこんな手紙を書いている理由。
どうしても、これだけは残しておきたかったんだ。
オレも、正直、どうなるか分からないからな。
せめて言葉にして、紙に書いておきたかった。
いつか、どこかの誰かから、人伝にでも。
お前にこのことを伝えられたらいいんだけど。
あのとき。
お前は、あの場には、いなかったから。
だけど、お前には、誰より、知る権利があることだ。
本当は、お前に直接話すほうが、いいと思った。
だけど、お前の胎の中には、大事な宝物がいる。
万にひとつ、胎の仔に触るような羽目になったら?
そう考えると、どうしても、話せなかったんだ。
あのお方を失ってしばらくお前は幽霊のようだった。
ずっと、飲まず食わずで、夜も眠らなくて。
無理やり食わせても吐いてしまうし。
逆さ井戸の水のおかげで、なんとか命は繋いでいたけど。
あの井戸水はつくづく、霊験あらたかな有難い水だな。
伝説じゃ、花守様もあの水に命を救われたんだったな。
郷の状況もただごっちゃなかった。
山吹は枯れてしまうし。
仲間たちの心もバラバラだった。
お前はふらふらになりながらも、働いていたっけ。
誰より、お前自身が病狐だったのに。
だけど、胎のなかに仔がいるって分かった途端。
お前の変わりようはすごかった。
というか、まるきり、何もなかったように。
けろっと立ち直ってた。
あれには、周りもひどく驚いたもんだぜ。
喜んでいいのか悲しんでいいのか、よく分からないけど。
それでも、お前はもう、幽霊みたいじゃなくなった。
単純に、そのことにはほっとした。
花守様には、つくづく感謝だった。
お前に、生きる力を、遺してくれたことを。
だけどお前は、花守様のことは一切、口にしなくなった。
まるで最初から存在すらなかったことにしたようだった。
恨み事でも、泣き言でも、オレは聞くつもりだった。
惚気話でも、思い出話でも、付き合うつもりだった。
だけど、お前は、何も話さなくなった。
それどころか。
花守様のことを、もうまったく忘れてしまったようだった。
そんなお前に、こっちからは切り出せなかった。
お前が花守様のこと、忘れたはずない。
忘れようったって、忘れられるはずもない。
だけど。もしかして。
忘れたい、って思ってるのだとしたら。
それを邪魔するわけには、いかない。
お前を苦しめるようなことだけは、したくなかったから。
お前は、花守様と婚姻式を挙げたばっかりだった。
幸せの絶頂にいたはずだった。
花守様とふたり、郷に戻って、幸せに暮らすはずだった。
それ全部、砕けて散った。
まるで、夢みたいに、儚く消えた。
オレだって、こんなに辛いのに。
お前が辛くないはずないもんな。
あのときも。
花守様は、本当に、いつものように。
なんでもない顔をして、お前に、いってきます、って告げた。
笑いながら、明るく手を振っていた。
まさか、あのまま会えなくなるなんて。
いったい誰が、想像できるっていうんだ。
否。
本当は、花守様は、分かっていたんだ。
知っていたんだよ。
もう、自分が帰ってこられない、って。
あのとき。
怪物の棲む海へと進む舟のなかで。
花守様がオレに話してくれたことを。
オレは、自分ひとりの心にしまうことなんかできない。
これは、お前にこそ、伝えられるべき言葉なんだ。
いや、お前の他にも、もうひとりだけ。
お前の大事な胎の仔狐。
そいつにも、伝えるべき言葉なんだ。
無事に仔狐が生まれて、お前ももう少し落ち着いたら。
オレは、この話しをしようと思っていた。
けど。
ごめん。オレにはもう、その時間はなくなってしまった。
それについては申し訳ないと思っている。
自分で志願したことだ。
後悔なんかはないけど。
ただ、ごめんな?
もしかしたら、オレ、やっぱり。
これを聞いたときのお前の反応が怖かったのかもしれない。
お前の反応を見ながら、話すことが怖かったのかも。
だから、こんなことしているのかも。
あれこれ並べたのは、ただの言い訳で。
本当は、自分が怖くてできないってだけなのかもしれない。
だとしたら、本当にごめん。
オレ、意気地なしで。
卑怯だ、ずるい、って、恨んでくれてもいいよ。
だけど、何を言われても。
オレには、お前の傷つく姿にだけは、耐えられないんだ。