15
目を覚ますと、花守様はいなかった。
用足しにでも行ったか?
と思ってから、はっとした。
いや、この狭い岩場だ。
ちょっと見回すだけで、端から端まで見えている。
夜はすっかり明けていた。
こんな時間まで一度も目を覚まさなかったなんて、驚きだ。
いや、多分、それは、きっと。
花守様に、術をかけられていたんだと思う。
昨日の疲れはまったく残っていなかった。
結界のなかには、食料も水もたっぷりあった。
けれど、あの琴は、どこにも見当たらなかった。
結界から出ようとしたけれど、オレには解呪できなかった。
こんな強力な結界、見たこともない。
花守様は、オレをここに完全に足止めしていた。
いや、多分、これも、オレを護るためにしてくれたんだろう。
オレはどうすることもできずに、ただ、辺りを見回した。
海の中の森は昨日よりもさらに生き生きして見える。
いや、これは見間違いじゃない。
なずの木の森は、明らかに昨日より大きくなっていた。
海へ、行ったか。
それしか考えられない。
おそらくは、禁術を使って。
昨夜、あんなふうに語ってくれたのは。
遠まわしにこれを伝えていたのか。
どうしたって、行かなくちゃならないんだ、と。
それは、禁術を犯すほどにも重いんだ、と。
狐は義理堅い。受けた恩は忘れない。
オレたちはいつもそう言うけど。
ずっと、自分のことを、花守様は、狐じゃないと思ってた。
やっと堂々と、狐は義理堅い、と言えるようになった。
そう言った花守様は、とてもとても、嬉しそうだった。
結界の外には出られないまま、オレは花守様を待った。
戻ってきたら、きっと、解呪してくださるだろう。
しかし、待っても待っても、花守様は戻らなかった。
水も食料もあったから、困ることはなかった。
怪物の襲ってくることもなかった。
ただ、ぼんやりと、小さな岩礁で、オレは時を過ごした。
どうして花守様はオレをここへ置いていったんだろう。
ひとりきり、オレはそんなことを考えていた。
けれど、考えはぐるぐると同じところを回るばかりだった。
そして、オレは次第に落ち込んでいった。
オレのこと、邪魔だったのかな。
確かに、ろくに役に立ってなかったもんな。
ぐるぐる回る思考は、オレを底へ底へと引きずり込んだ。
渦に巻かれて、自信も矜持も、少しずつ剥がれて落ちた。
これはいけない、と思った。
オレはいったい何を考えているんだ。
花守様だぞ?
あの。花守様だぞ?
邪魔だの、役立たずだの、誰かに対して思うものか。
ずっと傍で見てきた方なのに。
オレが恐れているのは、オレ自身の作った影だ。
本物の花守様じゃない。
分からないなら、直接聞けばいい。
あの方なら、おやまあ、と目を丸くするだろう。
それから、にこっと笑って、まさか、って言うんだ。
この状況で、考えていても、ろくなことは思い付かない。
それに気づいて、オレは考えることも放棄した。
岩場に寝転がってみた。
そういえば、もうずっと、こんなふうに休むこともなかった。
休んでいる場合じゃなかったからな。
だけど、今はそれ以外にできることもないから。
有難く休もうと思った。
そうして、丸一日、経ったころだったか。
突然、霧が晴れた。
はっとした。
花守様は、怪物の封印に成功したのか。
眩しい金色の夕日が、島のほうから差していた。
これで帰れる。
いそいそと立ち上がり、荷物をまとめて帰り支度をする。
島に戻れば、また、忙しい日々の始まりだ。
まずは、全員を連れて、海を渡らなければ。
しかし、夜になっても、花守様は戻らなかった。
オレは不安を押し殺しながら、結界の中で過ごした。
寝転んだ目の前に、降るような星が見えた。
眩しい朝日に目を覚ましたとき。
そこに、花守様がいた。




