スフェーンの贖罪は果たされるのか?
●第四部 ヌル=エルの居所
複雑だ。
ぐちゃぐちゃだ。
ちゃんと決めたのに、封じておいたのに。
胸に留めたこの激情に、嫌悪を覚える。
あたしを支えてきた、守ってくれたのに。
今はとても、この激情を留めたいと思っている。
あたしの中で渦巻くのは自身でも理解する、今は譲ったあの激情。だからこんな混乱状態にもなっても変われない、適応できないのだから。
心臓をぐるぐるぐるぐると嫌なぐちゃぐちゃが在り続けている。
気持ち悪い。
何百年も前に捨てた感触だった。
あたし自身が嫌悪したこと、逃亡したものだった。
『あぁ、不気味ったらありゃしない!』
あたしの容姿は母親父親と似て非なるものだった。
『何も出来ないの?それじゃあ何の為に生まれてきたの!?わざわざ産んであげたっていうのにこんな気持ち悪いっ、無価値で無意味の!!何で産まれてきたの!?』
母親はあたしを奴隷として売る為に産み、育てた。
母親は身売りを生業とし、出会った男とあっては性行為をし、子を作り売るという行為を繰り返し、生活していた。
だからアルビノとして産まれたあたしに人形として、対象の望み通りにあることを望んだ。
そうでないと生きられなかった。
この時代のアルビノというのは病気のような扱いを受けていた為、迫害されるべきものだったからだ。
でも闇市、スラムは違う。
むしろアルビノを好む変人や変態がいた。
あたしはそんな人達に奉仕してきた。
『あんたは不気味だけど綺麗だからね。人形として、主人の鏡になってやりな。そうすればこんな世の中でも、お前のようなクズは生きていけるからね』
精一杯周囲に合わせ、望むままのあたしで在り続けた。そうして無感情に媚びを売り、感情と心がバラバラなあたしが生まれた。
そんな生き方しか知らなかった。
だから、転々と行き着いた箱庭での言葉は理解ができなかった。
『僕はあの人にはその態度はいいと思うよ。でもね、僕には絶対そんな最低な行為をするなよ。僕はもっと君を嫌いになる。君は君なんだから、もう少し自己中に生きないと死ぬよ?』
自己を貫く同年代の少女に言われた。
少女は気まぐれで我儘で、自由奔放で。あたしとは真逆だった。
あたしはその少女から。
初めて自我というもの覚えた。
『気持ち悪ぃ………取り繕ってばっかだと万人には好かれても、幾数人には嫌われるぜ。全員に好かれるなんて無理なことなんだ。表面上取り繕ってばっかのお前は特にな。所詮は表面だけ、中身がなけりゃ人間ってのは成り立たないものだぜ。だから予言してやるよ。お前は今のままだと必ず一人になる』
思うままに体も心も表現する少年。
少年は暴力的だが裏腹の優しさを持っていて。あたしとは真逆だった。
あたしはその少年から改めて。
他我というものを知った。
あの箱庭にいたあたしは自由だった。
以前の生き方に矛盾を感じ、終止符を打って。
あたしはここで生まれ変わったんだと思った。
錯覚かもしれない。
だけど、初めてのこの胸の愛おしさをあたしは鮮明に覚えている。
だからそうなのだ。
違いない、紛うことなき事実。
そこに愛や恋などというやましい感情はない。そんな感情、とっくに捨てたのだ。
あの日、あの時の家族のような親友と決別し、再会した日に。
『独りぼっちになるわけじゃない。
一緒に過ごせなくなるだけさ』
『隣は歩けねぇが同じ時を生きることはできるんだぜ。だからそう落ち込むなって』
疎遠になるわけじゃなくても、それは単なる悲しい別れだった。
別々の道を選択し、【不変者】として生きるために。
あたしの不変は大前提に誰かが隣にいることへと変わっていた。それをそう簡単に治すこともできず、その心を埋めるための慈善活動を始めた。
だからあたしは、あたしを純心に慕ってくれる彼女に後ろめたい気持ちで居た。
あたしの自己満足の為だけに、生きたくないとすら思うほどの苦痛を味わったこの世界に留まらせてしまったことを。
当の本人は笑顔で感謝を述べてはいたが、それは今の彼女だ。
苦しみの有頂天にいた彼女ならば、きっと殺してほしい等言うんだろう。
そんなことを思っていた。
だから、贖罪。
せめて彼女の望む姿であろうとした。
昔のように、対象に望まれるままのヌル=エルであることを縛った。
そして、これを【不変者】としての鉄則に定めた。
自己満足はあたしが過去のあたしを救うような行為の真似事であって、決して子供等の為だとか綺麗事なんて考えていない。それなのに慕われ、感謝され後ろめたい思いをする。
『感謝されて悪いことはないと思います。主様は立派なことをされているんです。誰が何と言おうともです。勿論それは主様ご自身が思っていても、私は思いません。自己満足でも、困っている人を助けることは素敵なことです』
『主様は天使のようなんです。だから自信を持ってください。私なんかに言われてもどうも思わないと思いますけど……そのような素晴らしく敬愛するに相応しい方がこうも悩んでおられるのならお力になりたいと思うのは当然です。だから………えと、なんでも言って…ください、ね?』
そんなあたしに何時も前向きな可憐な笑顔を魅せてくれた。
脳裏に浮かぶぼやに苦悩し、それに重ねた。愛しさというものを覚えたあの感覚だった。