彼女の中の翡翠は淀みなく使命を果たす。
彼の名は竜胆果燐。
僕の腐れ縁二人目にして、つまりは同僚で幼馴染と言える立場。
目立つ真紅の髪に獣以上の鋭さを持つ黄の眼光に低身長に馬鹿力。
暴力癖、破壊衝動頻発な上に世話焼きと、
不安要素と矛盾要素を詰め込んだ人物。
以上、彼の端的で簡易な紹介でした。どうも傾聴ありがとう。
適当かと言われれば適当なんだけどまぁ、許してほしい。
この低脳くんの獣的面を見ていると何だか僕は心許なく、情けなく思ってしまう。用は謎を解く好奇心だとか、理解不能等の混乱の情とか全部全部がまっさらになって、嫌だなと思うってことだ。
嫌悪感を覚えざる得ない。
「今にも死にそうな顔してると思ったら次は嫌そうな顔かよ。折角っ!助けてやったのによっと!」
「君が来るのが遅いからだよ。ほらっ、僕のために動けよ!働けよ!」
「うるせぇっーなっ!!」
「…………」
果燐は僕を相変わらず小脇に抱えたまま、コイツの猛攻を受け流しては軽く反撃していた。
一度対決したとなれば手慣れたもののように映った。
脇に僕の腰を綺麗に挟めてバランスを取っていたのに、段々と僕の腰へと手が回り彼の健康的な腕へと体重を預け僕がバランスを取る形へと変化していった。
体格差があるもののそれは、空中では無意味となる。
ここ、裏路地とも言える場所は左右を何階建てもの建物に囲まれ閉鎖感ともに高さがある。その壁を蹴っては蹴ってはと、空中を利用している。
きっと彼女、リーレを気遣ってのことだろう。
重力に逆らいながらもその瞬間を靭やかに体をうねらせてはコイツの猛攻を避ける。
反撃というのもそれを利用する。
殴る蹴るという行為の後には絶対的な隙がある。
力を加える暴力上には筋肉が伴い、体を動かすごとに筋肉は収縮運動をする。その筋肉の緩んだ瞬間を狙い反撃をする。
不安定な空中、なんてハンデはコイツには妥当である。コイツにはそれぐらいが僕と果燐には丁度いい。
僕一人で最強なのに、果燐まで揃えば最最強。
最凶まである。
「暴力は禁ずるんじゃなかったのかよ、お前」
「禁じてるさ。だから人形みたいに君を動かして君の手足でちゃんと反撃してるじゃないか」
「これは自分の意志だっつーの!てか勝手にあばれんじゃねーよ!なんかこー、なんつーの?無性にむず痒いというかっ……気色悪いっ!」
「君の思うように動けるように僕が珍しく合わせてやっているからだろ?動きやすいだろう?」
「否定はできねぇ!!」
「素直だねぇー♪」
相変わらず無反応なコイツと比べて果燐はまぁまぁ観察し甲斐がある。
僕がこうして邪魔にならないように動いてやってるので、動きやすいし文句は言えまい。というか貸し作っているはずなのに貸しを作られているような複雑な念を抱く、怒るべきか苦い顔をしている。
それを見て愉悦に浸る僕に、急な浮遊感が襲った。
「ーーーーって、は?」
「というかお前が居ない方がもっと動きやすいぜと気づいちまった俺っ!ナイス判断だ」
「勝手に自己完結するなよ!てかっ、勝手になげるんじゃないよ!!!!」
その浮遊感の正体は明確。
果燐が僕を支えていた手を突如離したのだ。熟慮断行よりも軽挙妄動だったよ、彼は!!!
酷い話だ。
レディのエスコートを放棄するような行為と同等くらいにだ。男が廃るぞ、果燐。僕は君を一生恨みかねないよ!!
と、こうして叫んだり愚痴ったりしているが着地は安心して欲しい。
彼なりの配慮(苦肉ながらも助かったけど配慮ではない)なのか、割と低所でおろしてくれたようだ。下ろす、ではなく落とすだろうけど。
まぁ僕は運動神経が些か悪いがこのくらいーーー三メートル程なら着地くらいーーーへぶぅっ!
「はっ!転げてやがるぜ、だっせぇ(笑)!!!!!」
「………っ!煩い!」
クソぉ、こんな侮辱は僕が最も嫌悪することじゃないか。よりにもよって余裕ぶっこいてやがる馬鹿に見られた。
最悪だ。
今すぐ殴ってやりたいが、僕の優先順位を冷静に……冷静に……。
「そもそも君が僕をいきなり落とすからだろ!僕が怪我したら責任取れよ!ほらぁ、今すぐ謝れ!この僕に!!!この高飛車な鼻が潰れるところだったから!」
「そっちこそうるせぇよっ!こいつの相手は余裕だけどよぉ、お前を気遣えねぇ!同時に二つのことをするのは苦手なんだよ!以上弁明だ!合理的だろ!だから絶対謝んねぇ!」
「はーい、今。君の男が廃った!!!!」
はぁ、息切れする。一気に疲れが襲ってきた。
まぁ多少はこの怒りも叫んだおかげで収まったけど。
彼と違って僕は熟慮断行だよ。
よし、取り敢えず僕のやる事を定めよう。
彼女にはこんな醜態を晒さなくて良かった。取り乱して怒りを顕にするなんて探偵失格だからね。
ーーーそう、彼女。彼女だ。
リーレ、リーレは無事か?
無事なのは、無事だ。
まだ呟いてる。
黙々と淡々と俯き、嗚咽を零すように。
「おい馬鹿!僕は無垢の宝物の解剖するから、ソイツと戯れてな!!よろしく!この僕に暴虐な振舞いをしたんだから当然やってくれるよねぇ!!それじゃ!」
言僕は果燐の答えを待つことなく、彼女の元へと走り出した。全く僕を動かせるなよと言いたいがっ、疲れてるからね!
でも彼女の様子も目に見て分かる程に衰弱、異常であった。
「大丈夫かい?」
「ーーーー、ーーーー、ーーーー」
その背骨の浮き出る小さく縮こまった背中に手を添えた。
ん?音が、一つになってる?
否、二つの波長は確かに感じる。
一つが弱まってるだけか?
「何を、言って」
それに、少し目を離しただけなのに雰囲気がこう。違うというか。
「……主様じゃない。ちがう、ちがう」
「?」
主様ーーーヌル=エル、無垢じゃない。
言葉通りに受け取るなら、容易である。以前僕が語ったように、無垢は無垢であり無垢ではない。矛盾に矛盾を重ねた人物だ、と。
コイツ、ソイツ等と僕が呼称するのにも理由はあった。
アレは無垢なのだ。
無垢の、激情。
肉体は無垢なのだ。
ただ激情という部分は別人格と例えればわかりやすいか。無垢の激情には個体としての意志が確かにある。
だから彼女の言葉の意は正しい。
この事実に気づいて受け入れられないっていうのが今の彼女の心情なのかい?
そう単純でもない気もするけど、人まずは探るか。
「現実を受け止められないのは分かる。認めるんだよ、リーレ。アレは君が慕う無垢だ。主様だ」
僕にしては優しい声音が出た。声音や意図や意味が取れないと定評の僕でも自覚する程に。
それでも彼女は拒絶する。
「違うの、違うの」
「違わない」
「違うの…………違う」
頑なに認めない、否定に僕は首を傾げる。
掴めない、わからない。彼女が、理解できなくなってきた。何かが違う。そういう漠然とした違和感が喉に支えていた。そんな僕を置き、彼女は動く。
彼女は顔を上げた。
その蒼はアレを追っていた。
瞳孔を開き、焼き付けんばかりに。
「違わないよ。アレは無」
「違いますよ、探偵様」
弱々しくあったその声は、はっきりと芯のある声へとなっていた。
アレとは違うようで似た、妙な雰囲気を帯びていた。瞬間僕は思わず彼女の背中を擦る手を離し、後退りをしようとしたことをどうにか宥めた。
彼女の中の波長が、鼓動が、重なったのを明確に察知したのだ。ここで離したらいけないと僕の勘が告げる。
彼女はリーレ=シャルラタンではなく、別の物に成り代わったのだと。
僕らが一度体験したことのある不思議な雰囲気を帯びていて。
瞬きの刹那、瞳は蒼から翡翠に。
その翡翠はあの時と同じ、アレをーーー無垢ではない無垢を見据えて助けようとしていて。
決意と信念。
その翡翠は何処までも、無垢を救おうとする。
『後は任せて。いつまでも頼りっきりは嫉妬も、あの子も嫌だから』
脳裏に鮮明に言葉は反芻される。だからだろうか、あの時も僕は驚いて戸惑ってこの手をーーー緩めた。
彼女でない彼女は、果燐とアレの戦いの付近まで歩いていった。
「というか……果燐、大丈夫かね」
信用も信頼もしてるとはいえ、油断大敵と言うし、ともかく心配している訳じゃない。そう!彼の、そして僕の名誉の為にも失態をしちゃいけないからってことなのさ。
彼には彼の、そして僕には僕の役割に使命に、失態も失敗も許させない。
僕の役目はまだ、終えちゃわけじゃないけども。
取り敢えず一旦追いかけて見守るくらいはしよう。
その後が僕の役割だ。