彼女は【天使】に救われた(2)
「主様はそんな方ではありません!」
「でも君を僕に預けた。そしてすぐに行方を眩ませた。
常識的に見るには難しいが、悪意的に見れば百それだろう?
料理店で言う食い逃げで、子育てで言う育児放棄だよ。何が違うっていうんだい?
自ら買った命を、“もの”を僕に擦り付けたんだ。ああ間違えた。命でも“もの”でもない、罪、だよね?」
「………………」
眼の前に座る彼女は目を据えて僕を映す。
鬼気迫るその視線は冷血ながらに轟々と燃える炎のようだ。今にも食い殺さんとする虎と対峙しているようだね。
まあ僕は、虎も猫も大差無いと思う人種なもので、恐怖も威圧も微塵もない。気にする必要もなく、もっと虐めてあげたいんだけど………少しまずいかな。これ以上は流石に本当に怒らせてしまいそうだ。
「………悪かった悪かった。僕もからかいが過ぎたよ」
僕は余裕ぶったまま場を茶化した。
「僕だって無垢がそんなやつじゃないってことは知ってる。君よりも長い付き合いの腐れ縁なわけだし」
「ならなぜ侮辱するような真似をされ」
「あーもう、うるさいなぁ。僕だって予想外の事態なんだ。腐れ縁のトラブルは久しぶりで胸がざわついているんだ。
僕の優秀な推理を期待したいなら僕の当て馬にももう少し付き合ってほしかったんだけど」
「……要は探偵様は主様のことが心配、ということですか?」
「断じて違う」
「……ですが主様に意のある行動ならば……許せます。いえ、大歓迎というべきです」
急に彼女から放たれた敵意丸出しのオーラが消えた。
むしろ敵意がまるっきり別のものに変わったように思える。信頼?にしては警戒心の緩急が激しすぎる。内心戸惑いと興味を惹かれながら、平然を装う。愛用のティーカップより紅茶を一口、切り替える。
このよくわからない彼女とちゃんと対面しようじゃないか。
大凡、先のやり取りで無垢との関係はしれた。何故、彼女を僕に預けたのかも予測がついた。確信に近づけるためにも、言葉を重ねて人を知ることにしよう。
まあいいか、それはそうと話を戻すよ。と切り出す。
「君の言う主様は、少なくとも僕の知る無垢ではない。この僕ーーー推晶綴の知る無垢はもっと豪胆なやつだ。僕とは一風違った強さを持って裏腹な儚さを持ち合わせた憎ったらしい奴だ」
僕が皮肉を言えば、褒め言葉を返すような奴だ。
意味がわからないだろう?
だが不思議と会話は成立するのだ。しがない世間話も微笑だったり豪快な笑いだったり、読めない奴でもあった。
あまりにも矛盾を孕み過ぎた。
不完全で不明瞭で不明確。
矛盾でありながらも、誰よりも正統かつ人間らしい。
正統でありながらも、表裏は一致せず天使であり解物でもあった。
それ故にだろう。
無垢は慕われやすく恐れられやすい。
丁度彼女がその一例。同時に例外としても認識できる。
彼女も無垢同様にその存在は、矛盾でありながらも共存している。僕のこの目に見抜けないものはないのだ。
「意外です。私の前ではいつも静かに微笑んで、優しさを与えてくれました」
彼女は胸に手を当てほぅと息をついた。彼女が驚くのも無理がない。僕が思うには、彼女に自分の本質を知られたくなかったのだと思う。
だって無垢は、無垢であって無垢では無いのだ。
天使のようだ、と慕われればそうであろうとする。
祈願や言動に適応し続ける、無垢なる存在。
僕はそんな無垢を酷く惨めであるとともに、尊敬しているのだ。だから敬意を込めてこの呼称を使っているのだ。
「要は、君は余程気に入られてたんだってことだ。えー、君の名前」
「……………リーレ=シャルラタンです」
「そう、リーレだ。すまないね、二度も」
「五度も、です」
「いいや六度目だ」
「……………………」
なんだか急に黙ってしまったようだ。なにか悪いことでもしたかな?
「まあともかく、えと……君の名前」
睨まれた。怖いな、最近の子。
「リーレ、話をしてくれてありがとう。今日はもう遅いし、ゆっくり休んでくれたまえ。ロンドンからの長旅、しかもこんな日本に秘密裏に来るのにも一苦労だっただろうしね」
カーテンの閉まっていない外を見れば、人目瞭然。
出ずっぱりだった目立ちたがり屋はとっくに落ち、闇が日本を飲み込んでいた。小一時間どころの話じゃなかったかな。
時間をかけてじっくりと対話しただけあり、(表面上、無表情だけれど)彼女にも疲労は見える。精神的に揺さぶったところもあり、信頼と疑いの半分半分ってところが対話の成果だね。
僕も大人気ないなかった、なんて見時も思わない。
罪悪感もない。
だけれど今日くらいは、甘やかしてあげるかな。
首を縦に振る彼女だが、その強く握る拳は隠せないようだし。
「人まずは安心して眠り給えよリーレ。
僕なりに無垢を心配だし、この依頼に興味もある。」
僕は【探偵】だ。
探偵が依頼を受けないで、事件を解決しないで、謎を探求しないで。なぜ探偵と名乗るのだい?探偵である、それ以上に依頼を受ける上での条件は十分だよ」
その言葉を聞いて彼女は心からの感謝を述べるように、口調は淡白に「ありがとうございます」のだけ答えた。
…………本当につまらないや。
僕にとってのいい子は、つまらない子だ。
だからこそほんの少しだけ、怖いとも思うね。彼女が向ける無垢への信仰とも呼べる敬意は、特例中の特例。常軌を逸しているのだ。
彼女の瞳の奥底には無垢しかいない。
一人ぼっちの世界に心酔する生意気な餓鬼は大の苦手なんだよ、僕。