メイド云々の話は無関係と言えなくはないかもしれない
夕刻、山の端が朱に染まり始めます。
僅かに珈琲のダマの残ったカップが目に入り、つい手間に洗い物でもしようと立ち上がります。目前のカップからか、すぐ下にある『極楽鳥』のものか、珈琲の匂いが鼻をくすぐります。
常連のお客様型が来る時間帯ですし、下拵えをしていらっしゃるのでしょう。
ご馳走もとい晩餐が準備し終わりました。
が、探偵様のご帰宅する気配が今ところ全く無しです。
また蝋梅様のお手伝いに行きましょうか。ですがそれでは料理が冷めてしまいますし……もう少しだけ待ってみましょうかね。
カップを流し台に置いてすぐ、扉の開く音が聞こえました。
人の気配には敏感な方ですが、全く感じられませんでした。驚きもありつつも出迎えなければ、です。体を探偵様に向け、両手を重ね、お腹あたりに添えて丁寧にお辞儀をします。深すぎず、浅すぎずです。
「お帰りなさいませ、探偵様」
「わざわざお出迎えかい?関心関心、メイドみたいだね。まるで昔を思い出すよ」
ご帰宅早々失礼な方です。私は主様の元メイドですから当然です。
ですが、昔ですか。
探偵様の過去にメイドがいたということになりますよね。その身なりと性格から予測していましたが、探偵様は良い所の出なのでしょうかね。
「おやおやどうしたのかい、リーレ。なにか言いたそうな顔をしてるじゃないか」
心を読まれました。
読心術ですか?というか顔にはあまり出してないつもりでしたが………失態です。ポーカーフェイスが得意というのも変に口外することができなくなってきてます。
抑水様や木蓮様も改めて、要注意して接しなければなりません。
気を引き締めては行かなくては。
「その言い回しですと、探偵様の過去にメイドさんがいたような言振ですから。そこが気になりました」
「確かにいたね」
あっさり認めるのですね、珍しいです。探偵様なら皮肉を聞かせるかほのめかせるかと思いましたが……
存外捻くれ屋と言うわけではないのですね。
「ただ君の言う主様と違って僕には十数人のメイドがいた」
「そこは張り合うところですか?」
というかやはり出自は高貴なようです。
特殊な赤紅のドレスはかなり高価なもののはずです。シルクのような肌触りの良い、汚れを一切受け付けない反発性と伸縮性は和洋折衷です。
その上真偽は不明ですけどモノクルや帽子、ブローチに宝石が装飾されますからね。
「十数人……そこまでメイドばかりですと女子のいざこざもありそうですし……言葉は悪いですけど邪魔ではないのですか?」
「ん?もしや君は誤解していないかい?」
「……?言葉の通り、メイドとは家事労働を行う女性の使用人を指すのでしょう?そこまでの数の使用人では誰か一人くらいは手が開くのではと思っただけですよ?」
因みに男性の場合はフットマン、ボーイと呼称します。
探偵様のおっしゃった誤解しやすいとは執事のことです。執事はその女性男性使用人を束ねる役を担っているんです。ちょっとした豆知識ですね。
そんなこんなで、私のこの発言に対して探偵様は、浅く感慨深いように頷きます。
「僕のメイドの定義はメイド服を着た人間のことを言うんだ」
「そうなん、ですか。それがどうして誤解に……」
私が唱えたメイドの意味、探偵様の定義との違いは世話係と人間の性別ですか……。
正直見当がつきません。
「はぁ、仕方がないね。もう一つの大ヒントだよ」
何故飽きられないといけないのでしょうか。
多少の不満がありながらも深く考えてみます。珍しく熟考してしまう謎です。探偵様は隣で優雅にお茶を飲んでいるというのに。
「僕への面会等は老若男女関係なくメイド服を着ろと常に言っていたよ」
「……………………え、それは男性であってもですよね?」
「二言はないよ、リーレ。僕は老若男女と言っただろう?」
質問を質問でかえさないでください。
えと、つまりは。
「探偵様のメイドの定義は、男女も老若も関係なく、執事もフットマンも、侍女もメイドもメイド服を着ていること。
故に探偵様のメイドの無数のメイドというこは世間体に言う女裝やパワハラに該当するといえことですか」
「もちろん僕は身内に差別なんかしない。親しき仲にも礼儀あり、だからね。僕はメイド服はあらゆる面においても役に立つ万能な正装だと認識しているよ!」
自信満々に言い張りました。
待ってましたと言わんばかりに流暢です。
「あ、君今、少年メイドは萌えても老人メイドは萌えない、なんて今思ったたろ?」等とまだツラツラと主張します。顔はいつもどおりでも会話が濃密です。
熱があります。
どれだけこだわりがあるんですか。
「私の思考を過激妄想、加飾するのはやめてください。この話題自体が不愉快に思ってきました」
「これがね、老人メイドもなかなかなのだよ。ババアはババアなりの良さってものがあってね、ジジイはジジイなりになんていうんだろうね……恥じらいなく着るところがいいよ」
「共感を求めないでください……」
それにババアとジジイと呼称される割には、嫌悪よりは敬意が大きいように感じます。失礼なんでしょうけど、悪意は無い感じられません。
悪意無くして罵っています。
余計に質が悪いですね。
「だが一つ誤解をとかねばだ。パワハラじゃない、とね。存外皆楽しんでくれてたんだよ。鏡の前でくるりとターンをして決め顔決めていた執事メイドとか懐かしいなぁ」
それはそれで恐怖現象です。
赤信号、みんなで渡れば、怖くないってやつですかね。手を繋いで渡るどころか、変な扉を開いてしまっているではありませんか。蝋梅様の言う様に、過去より探偵様は他人の人生を掻き乱しています。
そしてここで、閑話休題。
「こうしてくだらない上にしょうもない雑談を挟んでの話題転換……妙なテンションになるね」
「始めたのは探偵様ですよ」
自分でくだらないとしょうもないとおっしゃる時点で確信します。薄々察していましたが、探偵様はかなり常人よりずれているようです。
定義の話も、エゴの話も。
妙にそれを自慢するように、本題の前。
毎度のこと雑談と称して行っていますね。こちらが疲れるので程々にしてもらいたい所です。
では、冷めないうちに食事にしましょう。
私のその一言で探偵様もそうだねと縦に首を振られます。私はそれを確認し、探偵様の向かいの椅子に座ります。
「頂きます」
「いただきます」
今日のメニューは豪華です。
過去の宣言通り、ご馳走を振る舞いました。
シェパーズパイに白ワインのスティルワインを一瓶のみです。ワインは元々探偵様へのお土産として持ってきていましたのでそれを出しました。
来日以降、多忙な日々で、すっかり忘れていましたが、都合によれば機は良かったです。それに謝罪の必要も込めて代わりに食後の簡単なお菓子と高めの茶葉を用意しています。
主様の好んだ茶葉です。
私にとっては次に誰であろうと注ぐことはないと思っていましたが……、お世話になっている見ですし、いたわるのが礼儀というものですから。
「美味しいね。これは……スナイパーズパイだろ?」
「ズとパイしか合っていません。シェパーズパイです」
蜘蛛が群がるパイなんて食べたくありません。味以前に見栄えもよくありませんし。
ですが、美味しいなら良かったです。
「この茶葉……無垢が好きそうだ」
この発言には意外でした。意外、というか納得もしました。腐れ縁と言う割には探偵様は主様との話を避けているような気かしていましたから。
確かにこの茶葉は主様の好んだものです。
それを理解してくださる時点で、嫌悪で決別したわけではなく単に腐れ縁という言い回しをするのにも少しは分かりました。
素直でないのですね、探偵様は。
「主様の好んだ茶葉です」
「へぇ、なんていう茶葉だい?」
「【サーガタナス】です」
主様に使えた初期の頃からすでに宅内にあったものです。他の茶葉が入った瓶よりも減りが早く、そのパッケージが綺麗だったことが印象的でした。
かすみ草を背景に英語表記で記された文字。
砂糖や塩に間違えそうになるくらいに雪のような白の茶葉でした。
主様に注ぐたびにとても嬉しそうに微笑んでいられました。
その茶葉の元手を辿ると、とある有名な茶葉屋ということが分かったのです。しかも主様特注のものらしく毎月郵送されているものだとも分かりました。
主様の好みで最も印象に残っている一つです。
「無垢もこれを美味しいと?」
「…………?はい。そうですけど何か?」
二度も聞いて野暮な方です、探偵様は。
腐れ縁基主様への話をスルーし続けてきた探偵様でも興味があるようです。もっと主様のことを話して差し上げませんと。
主様関連の言葉ならスラスラと出てきます。
どんな言葉をかければいいのか、どう話せばいいのか等とごちゃごちゃ考えなくても良いのですから。鼓動が高鳴ります。
「主様は」
「ストッープ。リーレ、食事に戻ろう」
「……」
止められました。せっかく主様のお茶に関するエピソードを披露しようと思いましたのに。腑に落ちません。
不満、です……。
「(私は今頬を膨らませています)」
「……ノーコメントだよ、僕は」
「(私は今頬を膨らませています)」
「やっぱり君は料理上手だね。さすが僕のじょ」
「(私は今頬を膨らませています)」
「…………」
「(私は!頬を膨らませています)」
「エクスクラメーションマークをビックリマークと読むんじゃない。僕はそれだけは許さない」
そこでしたか、というか妙なところに突っかかりますね。
食いついてほしいのはそこではありませんのに。釣り糸を垂らして餌を残し、針だけ食われた気分です。この調子では私の思惑通りには。
一生探偵様は釣れなさそうです。
最もツレナイのは探偵様の態度ですけど。
「君の主様の話は長いんだよ。初対面にも言ったように今後は手短に、と」
「主様の魅力は手短にとは話せません」
「そういうと思ったよ。だから僕は君の主様話は聞きたくないんだ」
これはすでにNG、今後は探偵様に主様のお話はできないのですね。
学園でも事務所でも駄目となれば、溢れ続けるこの思いはどこに収めればよいのでしょう。私の縁の狭さでは残るは蝋梅様しかいません。
蝋梅様は私がよくお手伝いする、学園帰宅後にゆっくりと雑談しつつ準備をします。
その際にもなんでも私の話を聞いてくださる蝋梅様といったら親のようです。祖父のほうが近いかもしれません。
家族とは、そういうものだと主様はいらっしゃっていました。
一緒にいると暖かくて愛おしいものだと。
愛おしい、とまではまだ感じませんが主様の隣とは別の安堵感を感じます。その点、蝋梅様は家族とは違うかもしれませんが主様の言うそれに親しいイメージを持っています。
「それじゃあ景気付けに僕の武勇譚でも」
「遠慮します」
「食い気味だね。そんなに聞きたいのかい?僕の武勇譚」
「逆ですよ、探偵様。探偵様のお話も大概に少々長いかと思う所存です。なので断ります」
「ははー、ブーメランを食らったね。自爆自爆」
「失敬失敬ではないのですね」
探偵様はツッコミ待ちだったのか、毒多めに話してみましたが怒った様子は見られません。むしろ嬉しそうです。
単なるM、ではなく単に返答が来るのが楽しいだけのように感じます。
それにしても景気付け、ですか。