僕が恣意蝋梅に二つ名をつけるのなら『自愛』に限る。(2)
「何故店主様は探偵様に雇われたんですか?」
「朝もその話をしたけどあの答えでは不満でしたかネ?」
「いえ、そういったことではありません。ただ……私も似たような境遇で先程呈した主様に仕えていましたから。少し話を深く聞きたかっただけです」
「そうかイ」
店主様との話の中、さり気なく降ったこの話題。
私の抱える悩みにつながるもののヒントとして聞こうとしてました。暫く沈黙したあとにいたずらっぽく店主様は言われました。
「だったら店主様、なんて呼称をやめてもらえるかね。ワタクシは君に言われるような大した人間じゃないヨ」
ウィンクお上手です。
それにしても、『私ごときが』ですか。
自身の醜さを理解し、自虐する。弱さが染み渡った言葉なのです。店主様はそういうふうには見えませんですから。
その答えは話を聞けばわかると思い、改めて問い直しました。
「では、改めまして蝋梅様。探偵様は何故蝋梅様を雇用されたのか、改めて伺いたい所存でございます」
顔の皺をひしゃげて微笑んでくださりました。
少年のように若々しい無邪気さが僅かに残るほほえみでした。
「私は綴さんに拾われただけだヨ」
「それこそ捨てられた子猫のように?」
「虐待された犬が逃げ出したように、かナ」
この場合の虐待は自虐だと思いますけど、とカップを拭きなら言いました。
「恣維蝋梅こと私が綴さんに拾われたのは、ワタクシが死を選択し死に場を探していたときでしたネ」
「…………自殺願望、ですか」
「今は毛頭ないよ。そんな悲しい顔をしないでくれヨ」
顔にはあまり出てないつもりでしたが、俯き加減に呟いた私の頭を軽く撫でてくれました。
「ワタクシは、母や父からはあまり良くない仕打を受けていたんだヨ。それで妻に救われて、結婚した。
それで妻が死んで、綴さんに会ってーーー救われた。
それだけなんだよ。
救われてばかりだったヨ、ワタクシの人生は」
端的にまとめられた蝋梅様の言葉には一つ一つに重みがあるように思えました。
それに『救われてばかり』。
この言葉は蝋梅様の半分も生きていないような私の人生のすべてを表しているようでした。だから、か。膝の上の拳を自然と強く握ってしまいます。
「蝋梅様の奥様はどのような御方だったんですか?」
「強い人、だったヨ。
妻とは高校のときに同じクラスで、別嬪さんだったよ。ワタクシは家庭でのことを学校に引きずった節あってね、虐められてたんだヨ。
そんなワタクシのような虐げられるばかりで我慢することでしか生きられない、弱い人間に、迷いなく手を差し伸べることのできる人だったヨ」
重なります。
昔と、私と。主様と。
「ワタクシ、不詳ながら若気といえど過度に自虐する傾向にあったんダ。だから妻の差し伸べてくれた手を振り払ってしまったんだよ。
ワタクシは汚いから触らない方がいいってネ。
そしたら妻はなんと言ったと思うかイ?」
反射的に首をふるものの、自然の脳は理解していました。
理解して、懐古させ、重なります。
「『私は貴男が汚いだなんて思わない』」
ーーー『シャルは汚くなんかない』
今でも鮮明に思い出せました。
思い出す必要もないほどに、鮮烈に、焼き付いています。
主様は私を肯定します。
真っ直ぐに私を見つめて、優しく微笑まれるのです。
「それで救われた。恋に落ちた。
そんな簡単な話でもないんだけどネ。それでもワタクシは一人の人間として、妻を、愛して番となって、羨望して英雄視して、そして純粋にーーー尊敬したヨ」
「ですが、一緒じゃなくなったのでしょう?」
声が震えた気かしました。
だって事の顛末を知った上で話を聞いているので当然に理解している事実です。その事実があって蝋梅様は自殺志願をしたのでしょう?
「………そうだね、だから嫌になっタ。
人生を、命を捨てようとした。
でも、綴さんに会った」
私と目を合わせて話をしてくださっていた蝋梅様はその時のみ、遠い目をして伏せた。薄く微笑んでいた。
「……………探偵様はなんとお声をかけてくださったんですか?」
「それはーーーー」
と長い間の後に蝋梅様はウィンクをし、茶化されてしまいました。
「恥ずかしいから言えないナ」
珈琲の香りが相変わらず鼻をくすぐるだけ。
くすぐるだけでも、数分前より香りが濃く感じました。
それだけ、ですのに。不思議とツマリは消えているような気がしました。胸元に手を当てて俯いたまま首を傾げます。そうして視線を上げると、蝋梅様と目が合いました。
「ワタクシから言えることは綴さんは凄い人ってことだヨ。
綴さんは悪く言えば人を巻き込み空気を乱してしまう、けど良く言えば誰も思いつかないような新しいものを与えてくれる。
綴さんは無自覚だろうと思うがネ。だから私を救ってくださった恩人である綴さんをここで私は見守り続けているのサ」
話の論点が少しずれてしまったね、年寄の長話を聞かせて済まないね。
そう、会話は締められました。
それが何だというのでしょう。単に似た境遇でのお話をしただけですのに、なんだが胸の奥がゾワゾワします。鏡の前で立ち止まる私は、俯いたまま己の鼓動に耳を傾けます。
鼓動はちゃんとあります。
ちゃんと、答えへと近づいていると教えてくれます。
「……急がば回れ、走れば躓く、急げば事を仕損じるです」
取り敢えずは蝋梅様のお手伝いをしましょう。
それに一度気持ちをリフレッシュすることも大事ですし、違う観点を見つけるのもいいとも聞きますから。ほんの少し、寄り道を許してください主様。
それに他人に興味というものを少しだけ持てるようになってきました。これは変化への確かな一歩です。
私が変わらなければ、私は主様の隣にもっと相応しくなくなってしまいますから。
許してください。
元々相応しくなんてありませんでしたから。
せめて、少しだけでも主様の隣で生き続けたいのです。
その願いは本当で、絶対不変なんです。
普遍で不変なんです。
だから、だから。
「居なくならないでください主様」
嗚咽は落ちていく太陽に呑まれてました。