始まりの朝
朝。
右手に鞄、左手に傘を持つ少し禿げたサラリーマン。
傘を持たず、一か八かで駅まで自転車を飛ばす高校生。
車道を水飛沫を散らしながら横切る黒い猫のマークのトラックーーもういいか。
前述の必死の形相で自転車を漕ぐ高校生ーー田中月は、遅刻寸前の焦りと雨による妨害による苛立ちで、もう時間内の登校を諦めつつあった。
ーー30分前ーー
9月某日。
夏休みも明け、それなりに学生の身体が再びの学校生活に慣れ始めた頃、俺はスマホ片手にトーストをかじっていた。
高校生になればブラックコーヒーをゴクゴク飲めるくらいの大人になるんだ、と考えていたのはいつまでだったか。
高2になった今、砂糖多めミルク多めのコーヒーを啜っている俺の舌があと一年でそんな急成長を遂げるとは思えない。
「月ー、そろそろ時間やばいんじゃないの?」
と、キッチンから声をかけて来たのは、田中美由紀。
俺の母である。
長く伸ばした茶色がかった黒髪を揺らしながら心配そうにこちらを見ているが、いくらなんでも心配症がすぎるだろう。
いつもこの時間はまだ家にいる時間だろうに。
駅まで自転車で10分。まだまだ余裕がある。
ちなみに、月、というのは俺の名前である。
別に死神のノートは持っていない。
この名前は祖父が付けたものなのだが、酔っ払って付けたとか、神のお告げを聞いたとか、頓珍漢な答えが返ってくるので理由は不明だ。
昔はそのことで悩んだ時期もあったが、ちゃんと愛されて育てられたと自覚した今はもう何とも思っていない。
話が逸れたな。
気を取り直して俺は母さんに「まだ大丈夫だよ」と返そうとして、寸前で止まった。
ポツ、ポツ。
微かに聞こえたこの音を拾うためだ。
ーー雨音だった。
「やばい!雨降ったら自転車乗れない!学校遅れる!」
どうやらまだ夏休みボケが残っていたらしい。
「だから言ったのにー」
後ろから母さんの声が追いかけてくるが、俺はすでに制服のある自室へと走り出していた。
ーーーーー
「しっかし、急に大雨が降ってくるとはねぇ。ゲリラ豪雨かな?」
呑気なことを言う母には目もくれず、靴紐を結び、自転車の鍵を手に取る。
「行ってきます!」
「気をつけてねー」
「気をつけて」、か。
普段から出かける時に言われ慣れているせいで、もはや気にも留めなくなったこの言葉。
この言葉をちゃんと受け止めていれば、何かが変わったのだろうか。
それとも、もうこの後の運命は決まっていたのだろうか。
俺が死ぬという、運命は。
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