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飛竜王との顔合わせと初仕事を終え、シージンは地上に舞い戻ってきた。
リーズもアテルも心配で訓練場で待っていた。もちろんマヤもだ。
シージンが無事に着地するのを見届けると、飛竜騎士たちも一様にほっとしていた。
「飛竜の王は黒っぽくて随分大きいのですね」
孫の感想に「ああ、大きさで決まるのだろうな」と前任のアテルが答えた。
『それだけじゃないよ! 強くて賢くないとみんなに選ばれない』
「ああ、そうなのですね」
アルトの言葉を伝えるとアテルはぽかんとした。「ああ、言っていなかったな」とシージンは苦笑する。
「マヤは<伝達者>のようです。ワイバーンと会話ができる」
「触れないと言葉は流れてこないんですけど」
マヤは草の上に伏せたアルトの羽を労うように撫でていた。アルトは気持ちよさそうに目を細めて身を委ねている。マヤを完全に信頼しきっており、ワイバーンはまず相棒以外にそんな姿を見せない。
「なんと!!」
アテルが大声を出した。
「これほど得難い花嫁はいないぞ!!」
全く以て祖父に同意である。シージンは満足げに頷いた。
「マヤちゃん、それはご実家にいた時から分かっていたの?」
状況を把握したリーズが確認する。
「いいえ、屋敷にほぼ軟禁状態でしたので、高位魔獣を見かけた事すらありません」
マヤはワイバーンだの、フェンリルだの、図鑑でしか知らない。正直に答えた。
『えーとね、シージンに伝えて欲しいんだけど、今度から王を名前で呼んであげて。固有名は特別の証だから、僕たちにとって誉れなんだよ』
マヤは寝そべったアルトの頭を撫でながら、彼と目を合わせて声を聞く。
「ルーリク山の飛竜の王はロザカンド初代当主がつけた“ユーレリカアンヌ”の名を代々継いでいるから、次からは名前を呼んであげてほしいそうです」
「ユーレリカアンヌ? 合ってるか? それは南の国の伝説の戦乙女の名前じゃないのか」
シージンが聞き直す。
『そうそう、初代当主の出身地の戦士女王の名前だって』
「女の子の名前をつけたんですか?」
マヤが不思議そうに尋ねると、『だってワイバーンの群れはメスが治めるんだよ!』と意外な事実が判明した。
「あの黒くて威厳のある王がメスだったとは」
アテルも驚愕している。
「王が“ユーレリカアンヌ”ならおまえも“シュバルティアルト”でよかったんじゃないか……」
シージンは幼い日の名付けに未練がありそうだった。
『やだよ、短い方が聞き取りやすい!』
アルトに却下された。
「ちょっと……。シージン、マヤちゃん、正式に婚約した方がいいと思うわ」
リーズが真剣な顔で提案した。
「万が一、マヤちゃんが<伝達者>だと中央の耳にでも入ったら、マヤちゃんが取り上げられる可能性がある。王命で王家の身内の誰かに嫁がされるかもしれない。最悪王族の誰かの愛妾に召し上げられるかも」
「まさか……」
シージンは絶句する。
「いや、有り得るぞ。現在マヤ嬢は誰とも婚約していない状態だ」
アテルも同意見である。権力者が<伝達者>を欲するのは当たり前だ。アルジョヴィ子爵家の娘程度ならすぐに囲えるのだ。
「……でもマヤちゃんが王族に認められたいのなら、ロザカンド辺境伯家の名前で王に謁見を申し込んであげるわよ?」
「母さん!!」
シージンが非難の声を上げた。
「ここに来たのもマヤちゃんの意思じゃないのよ? 望むなら力になってあげるべきじゃなくて?」
リーズの言葉にマヤは首を横に振る。
「私はシージン様と結婚したいです。リーズ様をお母様と呼ばせてください」
「マヤちゃん!!」
感極まったリーズが少女を抱きしめる。が、すぐさま息子に奪われた。
がっちりとマヤを抱き込んだシージンは、「母さん、婚約の手続きを急ぎましょう」と告げた。
貴族の結婚は婚姻誓約書に御璽が押されて成立する。
婚姻誓約書を法務省に送って王の公印で済ませる方法もあるが、これは主に再婚や格式に拘らない家柄の次男以下がとる簡易手段だ。
辺境伯ともなれば婚約者と共に王に拝謁するのが習わしである。
婚約証明書は特に必要ないけれど、「万全を期す!」と気合の入ったシージンが即行、役所で発行してもらった。
正式な婚約者の証明で、これがあれば、まず横槍が入る事なく婚姻誓約書が受理される。
「へえ、これが婚約証明書なのねえ。初めて見たわ」
「これに署名は要らないからな。息子が記念に発行してもらっていたから、どこかにあると思うぞ」
「まあ! 探さなくちゃ!」
リーズは思わぬ情報に目を輝かせた。
ロザカンド家の紋章が刷られた書式に、婚約する両名の名前が記され領主公印が押されている。
ロザカンド領の公式文書を、領主が自分に発行するなんて自作自演みたいで面白いなとマヤは思った。
夕食は本邸にてアテル、リーズも一緒に頂く事になった。
「今度、陛下の在位二十年の式典があるだろう? その日の夜会で陛下に話をして、翌日にでも謁見の時間を取ってもらおうと思う。御璽をもらうだけで、大して時間は食わんから大丈夫だろう」
「お義父様、そんなに急にお会いできますかしら」
「前ロザカンド辺境伯の申し込みだ。それなりに付き合いもあるから無下にはされん」
アテルはリーズに豪快に笑ってみせた。
(王様のお祝い事に便乗するなんていいのかしら?)
叔父はルブリアン侯爵の補佐官の一人で、ミュンヘルト領を預かり治める平凡な子爵だ。マヤの父からそっくり引き継いでいる。考えると、辺境伯とは身分が違いすぎる。
……よく勝手に姪を送りつけたものだ。その無謀さに、マヤは呆れを通り越して感心すらしてしまった。
「記念式典まで二ヶ月もないわ! いいことシージン! あなたも自分たちの婚約式くらいのつもりで、衣装も宝石も準備するわよ! ああ、マヤちゃんはマナーの特訓よ!」
「母さん、頼みます。辺境伯夫人になる娘をアルジョヴィ子爵に会わせないとね」
母と息子は思惑も息もぴったりだ。
「おいおい、翌日の祝賀イベントを忘れるなよ。スプロス飛竜騎士団の祝典飛行があるんだ。ロザカンド当主としてその後に飛行しなければならんのだぞ。浮かれるな」
「分かっていますよ、お祖父様。都の連中に本物の飛竜使いの姿を見せてやります」
シージンは自信たっぷりである。