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「お初にお目にかかります。マヤ・アルジョヴィと申します」
辺境にやって来た少女は、綺麗な所作で挨拶をした。
マヤは自分を出迎えてくれた使用人たちをぐるりと見渡す。歓迎してもいないが嫌がられもしない、至って普通の空気である。上出来だ。
「ようこそお越しくださいました。家令のシュノートンと申します」
壮年の男性が名乗り、「こちらへ」と屋敷の中へ招かれる。応接室に案内されると、白の軍服を着た立派な青年と、その部下らしき男性が待っていた。マヤは彼らにも淑女の礼をして名乗る。
「辺境伯様はいらっしゃらないのですか」
顔合わせと思っていたマヤは小首を傾げる。
「あー、その事なんだが」
マヤは話しかけてきた軍服の青年を見た。金髪で緑の目の美丈夫で、マヤが事前に聞かされた辺境伯の色合いと同じだ。身内、おそらく年齢的に孫であろうと見当をつけた。祖父が孫より若い嫁を娶るのだ。困惑した表情の彼に、文句を言われるのだろうと覚悟する。
「辺境伯が花嫁を望んだという話自体が、そもそも誤解なんだ」
マヤは意外な話にびっくりしたが「そして、現当主は俺だ」と告げられ、更に驚かされた。
「ごく最近当主が代わった。前当主が君の父親と会話したのが発端で、君の父親が、俺の祖父が花嫁を募集していると勘違いしたらしい。まずは改めまして。俺はシージン・ロザカンドだ」
「閣下、どういう事でしょうか」
動揺する少女に青年はソファに座るように勧めた。腰を落ち着けたマヤは、供された茶も菓子にも手をつけず早速説明を求める。
シージンが祖父の事情を話すとマヤは、「はあ、酔って世間話の流れの末の、曖昧な口約束だったんですね」と呆れた。そして不安そうな顔をシージンに向ける。
「……もしかして私、帰されるんでしょうか。困ります。戻るなと言われているんです」
「子爵は本気で君に祖父の子を生まそうと考えているのかい? 援助の約束でもあれば金目当てかと納得できるんだけど、それもない。縁づきたいだけなら祖父じゃなくてもいいよな。後継者だった俺が独身なのは調べたらすぐ分かる。正式な手順も踏まずに手紙を寄越しただけで、身ひとつで娘を送り出すなんて、まるで……」
シージンは言い淀む。トランク三つしかない荷物に従者も侍女も連れていない。“そちらの生活に慣れるようにこちらの者はつけません”なんて手紙にはあったが、あまりに非常識で娘が不憫である。嫁入りの扱いではない。
「お察しの通り、厄介払いです。そしてもしこれがシージン様との縁談であれば、流れていたでしょう」
「どうして? むしろ君なら俺じゃなくても、好条件での縁談もあるだろうに」
「いいえ、全く。評判の悪い娘なので。私は養女で前子爵の娘なのです。現子爵は叔父です」
「じゃあ君は子爵の姪か。……それにしても解せない。君は有意義な政略結婚の駒としても使えるだろう?」
「三つ上の義姉、正確には従姉ですが、彼女と義母は私がいい思いをするのを昔から嫌っていますから」
義兄のエスコートで社交界デビューはしたものの、口を利くなと命令され、マヤは他の令嬢や令息と話す事すら叶わなかった。言い付けを破れば食事を抜かれたり、掃除やら庭仕事を増やされたりとの嫌がらせが必至なので従った。
男性がマヤを世辞で褒めると義姉は機嫌が悪くなった。義姉や義母は社交辞令も許さないのだ。
社交界デビュー帰宅後数日間、案の定、下級使用人の仕事をへとへとになるまでやらされた。食事も一日二回、使用人たちのものより酷い内容だった。使用人たちはマヤの存在を無視するよう言われているので、声すら掛けない。
「あの子は人と接するのが嫌いで癇癪持ちの偏屈者なんです」と家族が言い回り、マヤを世間から遠ざけ、家から出してもらえなかった。とにかく“前子爵の娘”が目立つ事を許さなかった。
「……不本意な結婚だろうから、君をアルジョヴィ家に帰そうと思っていたが……」
「子爵家を捨てる覚悟で来たのです! お願いです! メイドとしてでも置いてください!」
「しっかりと意見を言えるいいお嬢さんじゃないですか」
言葉を添えたのは、そばで控えていた赤毛の青年である。彼は辺境伯執務補佐官のエドモンド・ラークだと名乗った。
「本当に聖魔術師の花嫁をお望みではないのですね?」
マヤは言いにくそうに念押し確認をする。
「ああ、結婚話自体がないからな」
「本当に申し訳ありません。回復術が使えるなら辺境軍でお手伝いもできますのに、役立たずで」
「回復術が使える人間が珍しいんだ。それに当主に従っただけの令嬢が謝る必要はない」
シージンはしょんぼりしている少女を観察していたが、やがて「うん」と頷いて決心した。
シージンはマヤの右手を持ち上げる。貴族令嬢の手ではない。荒れている彼女の手の甲に唇を寄せた。
「アルジョヴィ子爵令嬢、俺と結婚しよう」
「えっ、閣下と、ですか?」
「君は見知らぬ爺さん相手でも納得していたんだろう?」
「ええ勿論です。家族は嫌がらせのつもりでしょうが、辺境伯夫人となる私の方が身分が高くなるでしょう? 彼らがそれを失念しているのが可笑しくて。嫁ぐ自分をそうやって納得させました」
マヤは強かに笑う。意外と勝気で打算的だ。その分かりやすさは、女性との駆け引きに慣れないシージンにとって有り難い。
「閣下こそよろしいのですか? 勝手に押し付けられた女が相手で」
「ああ、せっかくの縁だしな。祖父の不手際でもある。俺も見合い話にはうんざりしているから助かる。君は子爵家から送られた辺境伯の花嫁だ。これは俺に申し込まれている縁談だ。問題ない」
高飛車な令嬢を多く知っているシージンは、この時点でもうマヤを好ましく思っていた。
「エドモンド、彼女を部屋に案内するようヨバスに伝えろ」
「有り難うございます」
(こんな優しくて素敵な方に嫁げるなんて夢みたい……)
マヤは最大限の謝意を込めて礼をすると、「夫婦になるのに恩義など要らん」とシージンは照れ隠しにそっぽを向いた。
「どうぞ、こちらです」
マヤが案内された客室は、実家で使っている部屋の何倍もの広さがあった。
ヨバスは「しばらくのご勘弁を。支度でき次第、辺境伯夫人の部屋に移っていただきます」と続けた。
「その……閣下には利のない結婚です。同情結婚のようなものなのに、気を遣っていただき有難うございます」
マヤが気まずそうに礼を述べると、驚いたヨバスは丁寧に頭を下げた。
「マヤ様は旦那様に選ばれた女主人なのです。我々に敬語はおやめください」
それから専属侍女を紹介される。マヤよりひとつ年上のジョアンナは一門の男爵家の三女だそうだ。
「何なりとお申し付けください。よろしくお願いします!」
快活な少女らしく元気に挨拶する。
「こちらこそよろしくね」
「ご不自由ないようにと仰せつかっておりますので、遠慮なさらないでくださいね」
侍女長のアリアも挨拶に来た。
本来なら招かれざる客であるマヤを大切にもてなしてくれる。シージンの厚意あってこその待遇だ。
「令嬢の様子はどうだ?」
応接間に戻ってきたエドモンドに聞けば、「部屋が広いと大層喜んでいたそうです。今はリーズ様にご挨拶したいと、アリアと別館に行かれています」と報告した。
「母上は喜びそうだ」
「リーズ様が好みそうなお嬢様ですもんね」
エドモンドも肯定した。可愛らしくしっかりした感じのマヤを、一番嫁に欲しいのは、当主の母親かもしれない。
「ところで、アルジョヴィ家についてだが……令嬢は結婚道具も持たされていない」
ロザカンド家が支度金を送っていないからかもしれないが。そもそもこちらの意向も何もかもすっ飛ばして、勝手に令嬢を送り出しているのだ。しかもマヤは出戻りは許さないと言われている。
「令嬢として手入れされていないし、痩せすぎだ……。エドモンド、子爵家を調べてくれ」