後日談③
後日談完結です。
お付き合い有難うございました。
「君の元義姉だが、結婚が決まったようだよ」
就寝前に、二人でゆったりとワインを飲んでいると、シージンがマヤに告げた。
「まあ、そうなのですね」
野心家のサラーリエは誰に嫁ぐのだろう。元家族の事など普段忘れているから、マヤは久しぶりに彼女たちの顔を思い出した。
元義姉は高位貴族の令息に拘っていたが……。多少の興味を抱いた。
「四十代の平民で隣国の豪商の後妻だよ。まあ、自国じゃ望む結婚は無理だし、贅沢な生活をしたいから妥協したんだろうね」
意外である。平民相手は無いと思っていた。確かにあれだけ周囲に「若くて美しい高位爵位持ちの金持ち」と結婚相手の条件をあげていれば、子爵家や男爵家の男性で妥協すれば社交界で笑われる。周りの令嬢たちを見下していた彼女にとって耐え難い屈辱だろう。
(思えばシージン様はお義姉様の希望条件に沿ってるわ……!)
だからわざわざ辺境伯家のタウンハウスにまで乗り込んで来た。厚顔無恥な行動も、義姉と義母の中では勝算があったのだ。
(良かったー! シージン様が靡かなくて!!)
シージンが聞けば「心外だ!」と怒ると思う。だがマヤは一抹の不安があったのだ。なんせ義姉は男性に好まれる表情や仕草を心得ていて、シージンに対してもそのスキルを遺憾なく発揮していたから。
外見に惑わされる夫ではないと冷静な心では思うのに、十年間、義姉に比べて劣ると言われ続けたせいで、自信の無さが拭いきれないのは自分の弱さだ。
「金策に苦心している子爵家の娘だと社交界で笑われるくらいなら、外国の金持ちを選んだんだろう」
「義姉はプライド高いですからね。でもどこで知り合ったんでしょう」
「王都では貴族向けの商品展示会が時々行われているだろ。それに参加していた商人に狙いを定めて、見事縁談まで持ち込んだのさ」
展示会は身元のはっきりした、外国の商会も含む商人たちが一堂に介して、直接貴族に売り込める見本市のようなものだ。お得意様や有力貴族に招待状を送り、それが無いと会場にも入れない、しっかりとした商人組合の催し物である。
新規顧客を得られる機会だし、馴染みの貴族たちが張り合って高級品を買ってくれる事も多く、商会側の参加するメリットが大きい。
そう言えば、貴婦人向けのそんな見本市をサラーリエは毎回男性と訪れ購入を強請り、後日、子爵家に装飾品や美しい布や工芸品が送られてきていたのをマヤは思い出した。送り主は一人や二人ではなく、義姉は貢がせるのが得意だった。
義父は骨董品や美術品収集が好きで、そうした展示会にはよく足を運んでいたようだ。購入したものをあまり配置も考えずに飾っていたため、屋敷の中はごちゃごちゃした印象だった。
エントランスなんか「どうだ、金がかかってるだろう!」と誇示するように高値の物を置いている。統一感がないのは気にならないようだった。
そんな義父の骨董品の真贋を見極める能力は信用できない。偽物も掴まされているのではないかとマヤはずっと考えていた。
「お義姉さんに貢がれた宝石や衣装や小物まで売り払って、なんとか子爵家の破産を食い止めている状況だ。当主の骨董品は、売って損した物も多いそうだ」
マヤは「やっぱり……」の感想以外浮かばない。
シージンにアルジョヴィ家を潰すつもりはない。ランスの心配は杞憂である。
妻の生家だ。もっと切羽詰まって爵位を売る羽目になったら、真っ先に名乗りを上げるつもりだった。
遊び人の義兄が、家財や美術品を出来るだけ高く買い取ってもらえるよう奮闘したお陰で、借金まみれの最悪状況は脱した。意外にも彼の交友関係の広さの賜物である。
「だからこそ、これ以上妹を養えないと骨身に沁みたんだろう」
外国の商人が多く出店している市の招待状を手に入れたランスが、「寄生先を見つけて来い!」とひどい言葉で招待状を渡し、父親と妹を追い出した。
そこでちゃっかりと、見目の良い異国の男を堕としたのだから、サラーリエの手腕にシージンも感心するばかりである。引っかかった商人は、お気の毒様か?
隣国のその商人は五年前に妻を亡くしていた。その妻に自社ブランドの新作衣装を着せて広告塔にしていたので、サラーリエにも同じ事を望むだろう。
流行の最先端になれるから、注目を浴びたいサラーリエにとっても喜ばしい。
息子が二人いるけれど、もう成人しているので一緒に暮らしていないという条件も良かったのだろう。
だがさっさと子供を作らないと、夫が急逝でもしたら彼女にはほとんど遺産はいかない。先妻の子が二人いるのだ。隣国の法律上、子供に大半の相続の権利がある。まあそんな事は知らないだろう、あの親娘は。
(……それに、あの女の思ったような贅沢は出来ないだろうな)
あの商人は倹約家で、富裕層のくせに質素な生活を好んでいる。金はあるのに思うような派手な生活が出来なくて、あの女は苛立ちそうだ。
マヤは毎日楽しそうに過ごしている。シージンがマヤを見ると、穏やかな笑顔の彼女と目が合った。その様子にこちらも和んでしまう。
「異国で暮らすのは、あの社交的なお義姉様でも、なかなか大変でしょうね」
「そうだね。すぐ慣れそうな気もするけど」
「こちらに関わってこないなら、元家族がどうなろうと気にしない事にします」
「それでいい。君の人生と分たれた人たちだ」
結局、幸せかどうかは本人の心持ち次第である。
*****
「うーっ、緊張しますー」
今日はマヤが待ちに待ったワイバーンデビューの日である。
リーズが張り切って騎乗用の服を作ってくれた。乗馬も訓練したので、乗馬服も兼ねている。赤色がベースなのは「遠目にもよく見えるから」だそうだ。
飛竜の区別は上空だと余計に分からない。
「赤い服がマヤちゃんってすぐ分かるわ!」
ロザカンド軍の隊服は国防色で、飛竜騎士団は紺色である。シージンだけは正式な場では黒を纏う。これはワイバーンの王が黒いので、敬意を込めて当主の色とされているらしい。
「よろしくね、ララさん」
『はい、頑張ります!』
ララの右足には真新しい金環が輝いている。ロザカンド飛竜騎士団所属の証だ。
『ララ、練習の時みたいに僕に続くんだよー』
アルトはいつもと同じ、いい具合にマイペースだ。
シージンはララの鞍を念入りに点検している。ようやく「よし!」と納得し、マヤに手を差し伸べる。
「さあ、おいで」
夫の手を借りてララに乗り、ベルトを嵌めていく。じっとマヤの手順を確認したシージンは頷いてから、自分も軽やかにアルトに乗る。
「行くぞ!!」
シージンの声で二匹はゆっくりと飛び立つ。哨戒中の飛竜が遠くで旋回をしているのが見えた。
地面のワイバーンたちが賑やかなのは、きっと声援を送ってくれているのだ。
結婚式の時にお披露目騎乗をした時より風圧がすごい。あれはゆっくり飛んでいたしシージンが上手く風除けになってくれていたからと知る。優しい。
「私の旦那様、強くて優しくて最高よ!!」
マヤが惚気る。どうせ風を切っているから聞こえやしない。
『アルトも強くて優しいんですよ!!』
まさかのララが惚気に参戦してきた。
「お互い素敵な旦那様で幸せねー」
女子トークでリラックスして、上下左右、旋回と、手綱で操る。が、
「右に行って! ここで急旋回!」
マヤの場合、直接指示する方が合理的だった。
アルトが地上に戻ると、それに倣ってララも着地する。
「特に問題なかったかい?」
「ええ、快適でした。ララさんが癖のない飛び方をしてくれたので」
「良かった。じゃあ明日から高度を上げるぞ」
「はい!!」
そして数日後__。
『ユーレリカアンヌさまー!!』
ワイバーンの女王は、慣れた声に居住まいを正す。
アルトとララだけではない。人の気配がする。
「初めまして、ユーレリカアンヌ様。マヤ・ロザカンドと申します」
『無事にやってこれました。女王様』
マヤとララが頭を下げる。
現当主と、そのツガイがやってきた。ツガイは以前に見た、飛竜に乗って剣を振るっていたヒトのメスに比べたら細くて小さい。
『ああ、よく来てくれたね。人と話すのは初めてで楽しみにしていたんだよ』
ユーレリカアンヌの言葉にマヤはにこにこしているだけである。
『……?』
女王が訝しげな顔をしたのでアルトも不思議がったが、『あっ』と気がついてマヤに頭をなすりつけた。
『マヤは触れないと言葉が交わせないんだよ! マヤ、女王様に触れて』
『そうなのか。触って良いぞ』
ユーレリカアンヌは少し前に身体をずらしてマヤに近づいた。そっとマヤは首に触れる。
『初代、エリック・ロザカンドは近距離にいれば言葉が通じた。だからみんなそうだと思っていた』
「まあ、そうだったんですか。私よりエリック様の方が優秀だったんですね」
『初代ユーレリカアンヌの記憶を継いでいるから知っているだけで、私自身はヒトと話すのは君が初めてだ。比較するものでもない』
「アルトさんからも聞きましたが、記憶を継ぐって、膨大な知識を詰め込む事になって、代々大変じゃありませんか?」
『ああ、忖度して伝えるから全てじゃない』
そして女王は『先代の記憶を次代に送らないと決める事もある。自分勝手だろ?』と笑った。
「俺は今日はツガイのただの付き添いだ。おやつを持ってきた。食べてくれ」
シージンは話の区切りを待って話しかけ、麻袋の中から根菜や果物をどっさりと洞窟内に出した。
『これはありがたい。マヤ殿、また遊びに来てくれ』
「はい、ぜひ」
『当主に伝えてくれ。君は初代ロザカンド当主のエリック殿によく似ていると。私にヒトの美醜は分からぬが、初代女王は、エリック殿を“男前”と言っていたから、貴殿もそうなのだろうとな』
茶目っ気を見せるワイバーンの女王に、マヤは声を立てて笑った。
若いメスだなと、マヤを観察していたユーレリカアンヌが『ん?』と目を細める。
『マヤ殿、君はしばらく飛竜に乗るな』
「えっ!? 大丈夫ですよ! 飛竜酔いもなかったですし!」
『……いや、君の中に小さな命の芽生えを感じる』
『それって!』
『本当ですか、女王様!』
絶句するマヤの側でアルトとララが湧き立つ。
興奮する二匹に戸惑うシージンが「一体どうした」と宥める。
「マヤ、なんだって?」
困ってマヤに尋ねると、彼女はポッと頬を赤らめた。
「……私に、赤ちゃんが、出来たみたいです」
「えっ!」
シージンは一瞬の驚愕のあと、顔を喜色に染め、それから青褪める。
「大変だ! 早く帰らなくては! ララ、ゆっくり静かに帰るぞ! あ、ベルトで腹を締めたらやばいのでは!?」
『まだそこまで育っとらんから落ち着け』
主に当主が大騒ぎして、賑やかに一行は女王の元を去った。
『ふふふ、私は何代見守れるかのう』
四代目ユーレリカアンヌは楽しげに笑った。
そしてロザカンド邸では、当主が夫人を横抱きにして帰ったものだから、怪我でもしたかと騒然となる。
「普通に歩けるから降ろしてください!」
「駄目だ! 転んで流産したらどうする!」
シージンの言葉で事情が分かった邸内も沸いた。
ちっとも妊娠の自覚のないマヤは恐縮して「まだ本当の初期だから、みなさん落ち着いてください!」と言い募り、邸内が平静を取り戻すのにしばらく時間がかかったのだった。