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最後バタバタしましたが終わりました。お付き合いいただき有り難うございました。
昨日は色々あってとても多忙な一日だった。
「せっかくだから二、三日、王都でゆっくりして帰るか」
アテルの言葉でマヤたちはタウンハウスでゆったり時間を過ごしていた。
「明日は城下でデートしよう」
シージンに誘われてマヤは一も二もなく頷く。思えば今日まで忙しすぎて二人で出かけた事がない。
「シージン様は目立つから変装しないといけませんね」
「赤い騎士服じゃなければバレないだろう」
もし辺境伯だと分からなくても、この人目を引く容姿だ。女性の熱い視線にさらされるに違いない。
シージンにシンプルな格好をさせて自分が着飾っても、結局見劣りしてしまうんだろうなとマヤは考えてしまう。
どんな服を着ても夫は「可愛いよ」の一言な気がする。そしてリーズに「もっと気の利いた言葉は言えないの?」と詰られる未来が見える。
でもシージンが可愛いと思ってくれているのは疑っていない。だからいいのだ。
(私の旦那様なのよ! 腕組んで歩いてやるわ!)
謎の宣言は誰に対してのものなのかマヤ自身にも分からない。取り敢えず気合いを入れておく。
明日は何を着ようかとマヤがリーズに相談しているところに、家令が足早にやって来た。
「お客様がお越しになっております」
「え? 母さん、お祖父様、どなたかお招きしていますか?」
「いいえ?」
「私も知らんぞ」
「若奥様のご家族だとおっしゃってます」
シージン、アテル、リーズが同時に立ち上がった。マヤは「どうして?」と狼狽している。
この時の様子を家令は「御三方が戦闘態勢に入った。来客は<敵>と判明した」と、後日侍女長に語った。
寝そべっていた長椅子に立て掛けていた剣に手を伸ばしたアテルは、「脅して追い返すか」と血の気が多い。
シージンは「それも面倒です。門前払いでいいでしょう」と冷静だ。
リーズは「マヤちゃん、どうしたい?」と尋ねた。マヤはしばらく考えてから答える。
「はっきりと絶縁宣言していませんでした。用件が何か気になりますし、会います」
応接間に通されていたのは、アルジョヴィ子爵夫妻とサラーリエであった。
「辺境伯様、御母堂様、前辺境伯様、お招きいただき有り難うございます」
サラーリエは完璧な淑女の礼をした。マヤの事は無視する。サラーリエは得意の艶やかな笑みをシージンに向けた。これで大抵の男は好印象を抱いて笑顔を返してくれる。
しかし辺境伯は「招いてない。これは“押し掛け”と言わないか」と苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。
「アルジョヴィ家では人様の邸宅に入れたら“招待された”事になるのよ、きっと」
リーズが嘲笑する。マヤは叔父たちの非常識さが恥ずかしくて俯いたままだ。
あからさまな嫌味に、アルジョヴィ子爵は“帰りたい”と顔に出している。叔父は喚き立てる妻と娘に弱い。彼がふたりを大人しくさせるために、要望を叶えてやる姿をマヤはずっと見てきた。今回もそうなのだろう。
「いえ、本来招かれるのは私だったのですわ」
嫣然たるサラーリエは堂々と言い放つ。
「どういう意味ですか」
シージンはぴくりと片眉を上げた。
「本来は私が嫁ぐはずだったのです。父が間違えてしまい申し訳ありません」
「お義姉様は何を言ってるの!?」
「黙りなさい、マヤ。無能で世間知らずなあなたに、辺境伯夫人が務まるわけないでしょう。さっさとうちに帰らないから、こちらから正しに来たのよ」
義妹を一刀両断したあとは、再びシージンに媚びた視線を送る。だが彼は少しも顔を合わせようとしない。ずっと不機嫌なままだ。
夜会でマヤに向けていた優しい笑顔も、御前飛行後の観客に向けた爽やかな笑顔も、サラーリエは得られない。彼女には想定外である。辺境伯を簡単に魅了できる自信があったのに。“社交界の華”のどこが不満なのだ!
(身分も容姿も優れてお金持ち。こんな条件のいい男に相応しいのは私しかいないわ。辺境伯と結婚してみんなの羨望の的になるのよ!)
劣るマヤを蹴落とすのは造作もないと信じていた。しかし思い通りの反応にならないから更に訴える。
「私の回復術は、きっと戦いの多いシージン様のお役に立ちますわ」
「名を呼ぶ許可は出していない!」
鋭いシージンの切り込みに驚いたサラーリエは「え? あ、申し訳ありません」と急いで謝った。
(どうしてよ! 甘えた声で名前を呼んだら、みんな喜ぶのに!)
苛々しているシージンの手をマヤは握る。途端に落ち着いた表情に戻った彼は無意識に指を絡める握り方に変えた。サラーリエは忌々しげにマヤを睨んだが、マヤは絡んだ指を凝視していて気が付かなかった。
「アルジョヴィ子爵、貴殿は回復術を持たない娘を寄越すと言った。長女は聖魔術師ではないか」
酒の席ではない、素のアテルの迫力に子爵は小さくなって黙り込んだままだ。
すっかり戦意喪失している子爵と違い、妻と娘はふてぶてしい。
「ですから父の間違いだったのです。アルジョヴィの血を継いでいるのは私です」
「これはロザカンド辺境伯様と、アルジョヴィ子爵家の娘の婚姻です。姉妹が入れ替わるのも貴族の結婚ではたまにあるし問題ありませんわ」
ユリーナはどうしても実の娘を売り込みたい。
「まあ、政略結婚でも滅多にない話ですよ。マヤちゃんに非もないのに花嫁を代えろなんて、鉄面皮すぎますわ」
「もう茶番はいいでしょう」
シージンはマヤの手を引いて立ち上がる。
「俺たちは二日前に結婚した。改めて紹介しよう。マヤ・ロザカンド辺境伯夫人だ」
「え!? 結婚は半年後だって!」
「ユリーナ様、私は結婚式が半年後だと言いましたのよ」
「そんなっ! 嘘よ!」
サラーリエも叫ぶ。
「陛下が承認してくださったものに、異議申し立てがあると?」
シージンが凄めば「も、申し訳ありませんでした!!」これ以上妻子を好き放題させては本当にまずいと悟った子爵が、やっと反応した。青い顔で妻子にも辺境伯家に謝罪するよう促す。そんな彼らの目の前にマヤは立った。
「家を出されたあの日“ご機嫌よう”と告げたのが、あなたたちへの別れの言葉だったの。私があなたたちの家族だった事なんて一度もないでしょう? 今後もね。あなたたちが、ロザカンド辺境伯夫人の実家だと名乗る事は絶対に許さないわ」
子爵たちはこんな毅然としたマヤを見た事がないので驚く。性格が変わったのではない。言いなりになっていたのを止めただけだ。完全敗北したサラーリエはもう悪態もつけなかった。
背中を丸めて部屋を出る子爵に「そうそう、子爵」とシージンは明るく声をかける。
「結婚したから、前子爵の遺産は後見人のあんたからマヤ本人に戻る。うちの優秀な近侍が詳細を調べてるからな。これから手続きに入る」
ギョッとして振り返った子爵は笑顔のシージンを見ると、そそくさと先に追い出された妻と娘の後を追った。
「私に遺産があるんですか?」
マヤは知らなかった。
「叔父さんが継いだのは爵位とアルジョヴィ家の財産なんだよ。君の父親は投資で結構な個人資産があって、相続人は君なんだ。その金も使いたくて子爵は君を養女にしたんだ」
妻子は知らないだろうが派手好きなあの一家は、マヤの財産も使い込んでいる。あの遊び人の息子もちゃんと働かせろ! 贅沢品も処分すれば、爵位を売る羽目になったり路頭に迷ったりはしないだろう。
シージンはマヤの養育放棄に対しての慰謝料もぶん取るつもりだ。
(覚悟しとけ! 容赦しないからな!)
知らず悪どい笑みを浮かべる。いけない、こんな顔をマヤには見せられない。慌てて誤魔化すも、しっかり見られていた。しかし妻は(旦那様の悪巧みしてるみたいな顔も素敵)なんてときめいているのだから、新婚さんは実に平和で幸せなのだ。
*****
半年後、ロザカンド領の教会で領主夫妻の結婚式が行われた。
黒の儀礼軍服に飾緒、肩章を付けたシージンと、白に金糸を織り交ぜた花嫁衣装のマヤは、誰もがお似合いだと褒める美しさだった。
そしてマヤが大変楽しみにしていた領地遊覧飛行である。既に二人は夫妻で視察に回っているので顔は知られていた。今日の旋回も楽しみにしているとあちこちで声を掛けられていた。商店街や農園では五日前から結婚記念セールが行われている。
結婚式に合わせ、ロザカンド家が臨時に菓子職人を雇い、ロザカンド家専属料理人と大量の焼き菓子を作った。記念菓子は領地の端まで配られる。病院や孤児院にもたくさん届けられる。
(晴れてよかったわ)
マヤは晴天を感謝しながら夫を見る。
(シージン様が素敵すぎる)
シージンは陛下即位二十年式典飛行で着ていた例の赤い騎士服に着替えていた。「せっかくだから領地の皆様にお披露目しましょう!」とマヤの希望が通ったのである。
軍服もだが、妻がこの騎士服姿も気に入っていると知っているシージンが断るはずもない。
マヤは儀礼用に作られた特製鞍に、シージンの手を借りながら乗る。
『さあ、飛ぶよ』
ゆっくりとアルトが羽ばたく。鞍に付けられた飾り紐が風に靡く。花冠と、首には花輪をしてもらったアルトは上機嫌である。
「わあ、すごい、すごい!!」
『ちょっと、あんまり背中ではしゃがないで』
アルトは興奮して身を乗り出すマヤに注意する。落ちないか領民が不安そうだからだ。アルト騎乗歴約十五年のベテランが同乗しているから心配はしていない。
アルトに固定された網籠の中いっぱいに入れられた色とりどりの花。二人は手を振りながら上空からそれを撒く。
これは初めての試みである。御前飛行でシージンが割った風船の紙吹雪が喜ばれていたので、マヤが提案した。
「ロザカンド領主様、奥方様、ばんざーい!!」
「お幸せにー!!」
「また遊びに来てくださいねー!」
眼下に見える人々は舞い落ちる花に手を伸ばしている。みんなとても楽しそうだ。
若夫婦を乗せたアルトは、人々の歓声を聞きながら、できる限りゆっくりと領地をひと回りするのだった。