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よろしくお願いします
「マヤ。あなた、結婚が決まったから。明後日に出立しなさい」
珍しく義母のユリーナに呼ばれたかと思えば、いきなり告げられて目を丸くした。
マヤ・アルジョヴィ子爵令嬢、十六歳。前子爵の一粒種である。
七歳の時に両親を事故で亡くし、父の弟が子爵を継いだ。そしてマヤは現子爵家に養女として引き取られた。
いずれはどこかに嫁がされると思っていたが、あまりにも突然である。
「お母様。二日ではさすがに準備が出来ないのでは?」
口を出したのは三つ年上の義姉、サラーリエ。母譲りの豊かなブロンドの髪と明るい空色の瞳の華やかな美人である。平凡な栗色の髪と琥珀色の目のマヤとは大違いだ。義兄も義姉と同じ系統でアルジョヴィ兄妹と言えば、社交界でも美形として知られていた。義姉と義母はいつもマヤを平凡な容姿だとこき下ろす。
彼らのイトコである末っ子のマヤは公の場に出ないから、顔を知っているのは昔馴染みの人や親戚たちくらいだ。
彼らが『気の毒に。愛らしい美人なのに兄姉と並べば霞んでしまう』と陰で言っているのを聞いて、マヤは自分がそこそこの容姿だと知った。だからそこまで姉たちに劣等感は持っていない。
「私を差し置いてマヤが嫁ぐのは何故です?」
(あなたは交友関係も派手で、本命を選ぶのが難しいなんて言ってるからでは?)
とマヤは思ったがすぐにその考えを否定した。良縁なら義姉に話がいくはずだ。そうでない相手だからマヤに押し付けられるのだ。
「だって、お相手は七十歳近いロザカンド辺境伯よ。まだまだお元気で回復持ちの子が欲しくて、後妻を探していたらしいわ。身ひとつで来ていいって太っ腹な方よ」
「まあ! そんなお爺ちゃんと閨を共にするなんて嫌だわ! ああマヤ、気の毒に! 魔獣退治に明け暮れている野蛮人って噂よね。きっと酷い目に遭わされるんだわ!」
サラーリエが自分で自分の腕を抱き、大袈裟に身震いした。
(白々しい。気の毒だなんてちっとも思っていないくせに)
どこの辺境伯も国境を守ってくれている。ロザカンドは魔獣の生息地である山脈を有している。だから魔獣退治に特化している領主を馬鹿にするなんて。ワイバーンを使役する王国飛竜騎士団の開祖だとも知らないのだろうか。
(……知らないのだろうな。義姉の興味は、王国飛竜騎士団員は貴族のエリートってだけだもの)
アルジョヴィ家は、たまに回復術が使える子供が生まれる聖魔術師の家系の一つだ。サラーリエも聖魔術師である。実力は低級程度だがちやほやされるので、優越感には浸れるらしい。
マヤは回復術を使えない。回復持ちの嫁が欲しいなら詐欺にならないか? 遺伝子に賭けるのか? ロザカンド家はサラーリエを望んでいるのではないのか。もしそうでもこんな縁談を義姉が受ける事はないけれど。
「すぐにぽっくり逝ってくれたら、追い出されて自由になれるわ。薬でも盛る?」
なんの薬だ。義姉は艶然と微笑みながら、こんな事を平気で言う女だ。
「サラーリエは美しいし相手を選り取り見取りよ」
(甘いわ、お義母様。高位貴族を狙うならまずは身辺整理をしないと。男遊びが派手すぎるもの、お義姉様は)
外出しないマヤでも知っているのは、使用人や出入りの業者がひそひそ言い合っているからである。
「マヤ、急いで身の回りの整理をしなさい。寡婦になってもうちに戻る事は許さないわ。すぐに後釜を見つけてあげるから安心しなさい」
(夫が死ぬ前から次の嫁ぎ先を探していそうね)
この屋敷も元々はマヤの実家だ。しかし叔父一家が越してきてからは随分と様変わりした。両親の形見があるので、マヤは家に執着はない。
だから義母に念を押されるまでもなく、帰って来る気はさらさら無かった。
「おじいちゃんかあ……。いずれは看取る事になるかな。優しい方ならいいなあ」
マヤは基本的に楽天家だった。
そして追い出される、もとい、嫁ぎに行く日、一応家族が見送る。
「お年もお年だから、結婚式も披露パーティもしないんでしょ? 良かったじゃない。世間の好奇の目に晒されなくて」
「あなたは初婚だから、頼めば式くらいは挙げてくれるんじゃない?」
義姉はマヤが出て行くと、もっと贅沢ができると思っているので清々した顔だ。持参金はおろかウエディングドレスも持たせない義父母は、金のかかる事は辺境伯任せだと言わんばかりだ。
「辺境伯と親戚になるんだ。アルジョヴィ家のために気に入られるんだぞ」
義父が言い含める。要らない娘で縁づけるつもりに、素直にハイと言うとでも思うのか。これで縁を切るつもりで嫁ぐのに。
「……年寄りにみすみす渡すのは勿体無いなあ」
義兄の言葉はどういう意味だ。言い草が気持ち悪い。こっちは仮にでも妹なのだ。
「今までお世話になりました。それではご機嫌よう」
素っ気ない最小限の挨拶をしてマヤは馬車に乗り、生まれ育った屋敷をあとにした。大した感慨も無かった。
侍女一人つけない気楽な旅。マヤは馬車の中で大きく伸びをして笑みを浮かべる。彼らは蔑ろにして言いなりだった小娘がもう今後、叔父一家に関わらないと決意したなんて思いもしないのだろう。
*****
その頃、ロザカンド家では一悶着起きていた。
「どういう事だ!? 俺に花嫁とは!?」
“約束通り娘を身ひとつで送り出します。結婚式も不要です。不束者ですが末長く可愛がってやってください”
要約すればそんな手紙が、アルジョヴィ子爵からロザカンド辺境伯に送られてきたのだ。
「そんな約束、全く覚えがないぞ!」
喚く当主から手紙を受け取った執事のヨバスが中を改める。
「シージン様」
「なんだ!?」
「これ、前辺境伯様宛です。シージン様が世襲した事は、中央貴族たちにはまだ周知されていないのでしょう」
「はあ!? あの爺さん、孫みたいな少女を娶る気か!? どんな色ボケだ!! 呼んでこい!」
「呼ばれるのですか?」
「嫌とは言わせない! この手紙を見せて釈明しにすぐ来いと言え!」
祖父の隠居に伴い、辺境伯に繰り上がったシージンは忙しいのだ。出向くつもりはない。
「ついでに別棟の母も呼んでこい。爺さんは息子の嫁に弱いからな」
苛々としている若き当主の機嫌がこれ以上悪くならないうちに、従者はすぐに屋敷を飛び出した。
「シージン、誤解だ! 話を聞け!! リーズさんもそんなに冷たい目で見ないでくれ……」
辺境伯として何十年も土地を守ってきたアテルも、身内には弱い。それでも孫には威厳を保とうとするが、息子の未亡人であるリーズには懇願口調である。
「あら、お義父様はお義母様が存命中から、女遊びが激しかったじゃありませんか。そうそう、私がシージンを身籠っていた時、お義父様の愛人と間違われて、別の愛人に刺されかけたりしましたねえ」
アテルは黙り込む。本当にあれはすまない事をした。激怒した息子に「うまく捌けないなら愛人を何人も作るな」と殴られ、反撃はできなかった。あれから愛人は一人にしている。しかし今そんな主張をしても余計怒られそうだ。
「王都のさる紳士クラブで会った子爵と話をした時……。ルブリアン侯爵家の傍流の中でもあそこは回復術が使える家系だろう? 社交辞令で羨ましいと世辞を言った覚えはある。そうしたら子爵が回復術は持たないけど血筋はいい娘はどうかと勧めてきて……」
話しながらアテルは怪訝そうな顔になる。
「聖魔術師の家系との子供なら辺境にも回復持ちが期待できますな、身一つで来てくれても歓迎しますぞ、なんて話が盛り上がったけど、誰が聞いても世間話の範疇だぞ。……当時私はまだ隠居するつもりもなかったから、私が嫁を望んだ話となったのだろうか……」
自信なさそうな祖父をシージンは睥睨した。
「お祖父様、やはり若い再婚相手をお探しでしたか?」
青筋を立てたシージンに、アテルは「まさか!」と慌てて首を振って否定する。
「私の今の恋人はジューディス元伯爵夫人だと知っているだろう? 彼女とさえ二十歳以上離れているのを気にしているのに、五十歳近く下の子供と結婚するはずなかろう!」
「生娘好きの好色爺とか普通にごろごろいますからね。なんとも」
孫が冷たい。
「シージン! 私はおまえの嫁を想定して話していた! 多分」
「多分?」
リーズが言葉尻を捉えた。
「酔っていたのだ! どうして嫁の話になったのか分からんのだ! でもうちの血筋に入れたいと考えたら、相手は未婚のシージンだろうが!」
頭を抱える祖父をシージンは一瞥する。
「まあそんなとこでしょうね。でもどうするんです。子爵令嬢、来ちゃいますよ」
「そのまま結婚したら? 祖父くらいの年齢の男性に嫁ぐ覚悟で来るなら、相手がシージンだと知れば安心するんじゃないかしら」
リーズは丁度いいのではないかと言う。それもそうだ。シージンは二十一歳だ。結婚するために家を出されたなら、そのままもらってしまっても何も問題ない。
「お二方とも。急に世代交代したところで、俺の嫁取りどころじゃないんですよ?」
「だから却っていいじゃない。勝手に先方から来てくれるんだから。いい子なら逃す手はないわ」
「うんうん、これも縁だ。仲良くできるといいな」
息子の嫁も前向きで、なんとか上手く纏まりそうだと、アテルはほっとした。
「子爵令嬢が来れば処遇の相談をします」
厄介な案件が増えたなと、シージンは深い溜息をつくのだった。