08 誘いの踊り
「事故ではないか、玲」
多々良がそう言った瞬間。
それまでの幸せそうな笑顔が一転した。
感情のない、ひんやりとした目が多々良をとらえた。底冷えのするその眼差しに、多々良はゾクリと震え、たじろいだ。
「ど、どうしたのだ、玲……」
「ねえ、多々良」
多々良の呼びかけをさえぎるように、口を開く。
「な、なんだ?」
「踊りを習ったの。遠い、異国の踊り。館の主にお見せする前に、仕上がりを見てくれない?」
「踊り?」
唐突な申し出に多々良が戸惑っていると。
ドン。
力強く足を踏みしめ、玲が――女が、踊り出した。
激しくて情熱的な踊りだった。円を描くような、艶かしく蠱惑的な腰の動きは、多々良を誘いその情欲を掻き立ててくる。
これまでに見た舞とは、まるで別物。清らかで厳かな舞ではなく、女としての魅力を見せつけるような官能的な踊り。
多々良は、息を呑む。
踊りに煽られて、体が熱くなっていく。このまま見続けていたら、多々良はどうにかなってしまいそうだった。
「お、おい……」
玲、と名を呼ぶ直前。
身を焦がすような熱を宿す、潤んだ瞳が多々良を捕らえた。その瞳に射抜かれて、多々良の心は掻き乱された。
多々良に向かって、手が伸ばされる。
手を取って私を抱き締めてと、誘ってくる。
好きよ。
愛してる。
お願い、きて。
そんな想いがほとばしってくる。そのすべてが、多々良一人に向けられている。
ここまであからさまに示されては、さすがの多々良も誤解しようがない。
ごくり、と息を呑み。
多々良がその手を伸ばしかけた、その時。
――だめじゃ!
かすかに、声が聞こえた。
その声に、一瞬だけ多々良は我に返る。今の声、目の前で踊る女の声ではない。
「……玲?」
「あん!」
踊っていた女が、何かにつまづいてよろけた。
いかん、と慌てて手を伸ばし、多々良がその体を抱きとめると――そのまま胸に飛び込まれた。
――多々良!
「……多々良」
二つの声が重なる。だが、遠くから聞こえてくる声は、胸元で発せられる、甘い吐息を含んだ声にかき消されてしまう。
「ごめん、つまづいちゃった」
「あ、ああ……」
「ふふ、私が倒れかかったぐらいじゃ、びくともしないのね」
うっすらと頬を染め、女が多々良を見上げた。
手を離そうとして、離せない。立ち上る女の甘い香りに、多々良の頭がクラクラし始めた。
「ねえ、多々良」
上目遣いに、甘い声で名を呼ばれた。
「宴の前に、話しておきたいことがあるの」
「なんだ?」
「あなたが寝ているときに、館の主が来られてね。お願い事をされたの」
我が家にいる巫女見習いに、修行をつけてほしい。
館の主は、そう頼んだという。
「巫女見習い?」
「十歳ぐらいの童よ。会わなかった?」
「ああ」
風呂の世話や衣装の用意などをしてくれた、あの童のことらしい。
「なにやら不思議な感じがする童だと思っていたが、巫女見習いだったのか」
「ええ」
あの童、本当であればこの夏にも社に預けられ、修行を始めるはずだった。
だが、社の近くで戦が始まり、行くことができなかった。冬が近づきいったん戦は落ち着いたものの、火種はまだくすぶっており、春になれば戦が再開しそうだという。
戦が再開すれば、巻き込まれるかもしれず、そんなところには行かせたくない。
だが、ここにいてはいつまでも巫女の修行ができない。
どうしたものかと悩んでいるときに、多々良と玲が現れた。
「これぞ天の配剤と思ったそうよ。ねえ多々良、この冬は、この館で過ごさない?」
「ここで?」
この冬、玲は多々良の故郷で過ごす予定だった。
だが、どうしても帰らねばならぬわけではない。無事に冬が越せるのなら、どこでも構わなかった。
「ふむ。それは別に構わないんだが……」
「何か気になる?」
「いや、な。巫女の修行というのは、一冬でどうにかなるものなのか?」
「いいえ。何年もかかるわ」
「では、どうするのだ?」
多々良の問いに返ってきたのは、熱く潤んだ瞳だった。
「多々良。館の主には、こうも言われてるの。あの童が巫女として一人前になったら、その役目ごと譲って、ここで暮らしてはどうか、て」
「え?」
館の主は、すでに七十歳を超える身。近年体調を崩すことが多く、先は長くないという。
子はおらず、血縁の者もない。死ねばこの館は主が不在となる。
「多々良に、ここの主になってほしいそうよ。そして私は、童を一人前の巫女に育てたら……その、あなたの妻として……」
「い、いや、待て。ちょっと待ってくれ」
傭兵でしかない多々良が、この立派な館の主になる?
玲が、巫女としての役目を他に譲り、多々良の妻としてここで暮らす?
「ちと、唐突過ぎないか?」
「……私と夫婦になるのは、いや?」
「い、いや、そうではなくてだな」
悲しげな顔を見せられて、多々良は慌てた。
「ただ、あまりにも突然で……」
多々良の首に、柔らかな細腕が絡みついた。
ぐい、と。
渾身の力で引き寄せられ、多々良は体勢を崩す。常ならばびくともせぬ多々良だが、さすがに動揺していた。
そのまま、真っ赤に咲く花の中に倒れこんだ。
柔らかな体に覆いかぶさる形となった多々良。いかん、と慌てて体を起こそうとしたが、絡みついた細腕に抱き寄せられ――唇を重ねられた。
「……多々良。私、あなたを愛してるの」
口づけの後、甘く蕩けた声で告白された。
「い、いきなりだな」
「巫女の役目があったから。でもそれを他に譲り、一人の女として暮らす……そう考えたら、あなたの顔しか思い浮かばなかった」
多々良の頭が、柔らかなふたつの膨らみへと導かれ、その間に埋められた。
薄い布越しに伝わってくる温もりに、さすがの多々良もどぎまぎした。
「あなたを愛してるんだ、て気づいたの」
「巫女の使命と、役目は……いいのか?」
「神様よりも、あなたがいいの」
きっぱりとした答えとともに、強く抱き締められた。
「私は、あなたと共にいたい。あなたを心から愛してる。ねえ多々良、夫婦になってここで静かに暮らしましょ」
多々良以外の、何もかもを捨てるから。
だからどうか、私のそばにいて。
甘く切なく愛を訴える声に、多々良の心が蕩けていった。