05 神域
りん、と鈴が鳴る。
幾度も幾度も鈴が鳴る。その音に引きずり上げられて、玲はようやく目を覚ました。
薄暗い部屋の中で、一人。
頭がぼんやりとする。どうしてここで眠っているのか、思い出せない。大切な瓢箪はその手になく、少し離れたところに転がされているのが見える。
「起きたか、巫女よ」
静かな、笑いを含む声をかけられた。
その声に、ぞくりと震える。童の声。だが、人ならざる者の声。
(くっ……)
尋常ではない力が全身を押さえつけてきた。あまりの強さに呼吸すらできなくなる。
死んだところで構わない。
声の主のそんな意思――いや、意思とすらいえない、意識のかけらを感じた。
りん、と鈴が鳴った。
全身にかかる力がやわらいだ。ぶはっ、と大きく息をつき、押さえつけてくる力に抗いながら体を起こした。
「ふむ。私の力を押し戻すか。なかなかにやるのう」
部屋の隅に転がる瓢箪を横目に、それが笑う。
十歳になるかならないか、きれいな顔立ちの童だった。少女か、あるいは少年か。いや、どちらであってもあまり意味のないことだ。
(神、か)
まずい、と思った。
この神、依り代たる巫女に降り、玲の前に現れたのではない。
玲をあちらに呼び寄せ、依り代の姿を取って見せている。
つまり、ここは神域。
この世ならざるところ。
ひとつ対応を間違えれば、その瞬間に玲は命を落とすだろう。
「ほう、ひれ伏さぬか」
居住まいを正し、神に相対した玲を見て、神が目を細めた。
神の気配が、玲を包み込む。いつでも押し潰せるぞと、玲の体をなぞり流れていく。
「不埒者と懲らしめるべきか、その度胸を褒めるべきか。さてさて、どちらにするかのう」
にやにやと笑う神。
押し包んでくる神気が強くなる。玲は負けじと、腹に力を入れて背を伸ばす。
「神よ、なにゆえ……」
「誰が口を開くことを許したか」
神の声が、一段低くなった。
つい、と神が指先で宙を切った。その瞬間、神気が刃となって玲に襲いかかり、身に纏う衣をズタズタに引き裂いた。
ばらばらと衣の残骸が落ちていく。
晒された肌には傷ひとつついていない。その肌を、傷がつかぬ程度の力で、刃となった神気が撫でていく。
(器用なことじゃな)
どうにか平静は保ったが、さすがに冷や汗が流れた。このままでは――今の玲では、この神に八つ裂きにされてしまうだろう。
「ほう、なかなかに美しい」
神気がうごめく。
玲の体を撫で回し、部屋の隅に転がる瓢箪を押し包む。
「惜しいのう。邪神に仕えておらねば、私の巫女としたものを」
神が、あざけるような笑みを浮かべる。
部屋の隅に転がる瓢箪へ、侮蔑の視線を送る。
「カカカ、己が巫女の危機だというのに、竦み上がって何もできぬか。しょせんは邪神よの」
そんな神の侮蔑に対し。
瓢箪の鈴が、りりん、と鳴った。
その音――玲にもわかった。侮蔑に、嘲笑を返したのだ。
「おのれ!」
たちまち神がまなじりを上げ、怒気を立ち上らせた。
バンッ、と弾けるような音がして、瓢箪が吹き飛ぶ。
そのまま粉々になってもおかしくない、そんな勢いで壁に叩きつけられ、ごとりと床に落ちた。
「邪神の分際で、私を笑うか!」
怒気を叩きつけるような神の一喝。
「私をそこらの神と同じと思うな! 貴様などいつでも縊り殺せるぞ!」
瓢箪の鈴は鳴らない。
神の怒りとその力にひるんだ――そう見えた。
「他愛のない」
怒りを収めた神が、再び玲を見据えた。
「さて巫女よ。直答を許すゆえに答えよ。何ゆえにここへ呼ばれたか、わかるな?」
「……相済みませぬが」
玲は一呼吸置き、神に答える。
「妾が何をしでかし、神の御心を騒がせたのか、思い至りませぬ」
「困った巫女よのう」
ぞわり、と神が動く。
四方八方から、神気が玲を押し包んでいく。
「思い出すまで、嬲ってもよいのだぞ?」
「そう申されましても」
「己が神の力を信じるか? だが見ての通り、おぬしの神は私に手も足も出ぬようだぞ?」
バンッ、と瓢箪が弾け飛ぶ。
右へ、左へ、まるで鞠でも転がすかのように、神が瓢箪を弄ぶ。
瓢箪は、沈黙したままだった。
「ふん」
散々に弄んだのち、神が瓢箪を手に取った。
瓢箪の口を開け中身を椀に注ぐと、一気に飲み干した。
「まずい酒じゃ」
椀を置き、神が笑う。
「神すら鎮める美酒と聞いておったが、この程度か。拍子抜けだ」
瓢箪は、沈黙したまま。
興味を失ったか、神は瓢箪を投げ捨て、玲へと視線を移した。
「さて巫女よ。呼ばれた理由、そろそろ思い出したか?」
「申し訳ございませぬが、やはり心当たりはございませぬ」
「とぼけるか。まあよい、では教えてやろう」
神から笑みが消えた。
「巫女よ。お前は神の妻たる身でありながら、神殺しに手を貸した。身に覚えがないとは言わさぬぞ?」
なるほどそれかと、玲の背に冷や汗が流れた。
半年前、多々良と出会い立ち寄った小さな村。その村は神に祟られていた。
玲と多々良は、襲ってきた神と戦い、これを滅した。そうせねばこちらが殺されていたのだが、神にしてみれば許しがたい反逆行為なのだろう。
(しかし……)
玲は目だけを動かし、周囲を探る。
ここに呼ばれたのは玲だけ。あの男――神殺しの張本人、多々良の姿はない。
神殺しの罪を問うというのなら、多々良こそ標的となるはず。なぜここにいないのか。もしや玲の手が届かぬ場所で、神の責め苦を受けているのではないだろうか。
そう思うと、玲の背中を冷たいものが流れた。
(無事でおってくれよ……多々良)