14 鎮魂の舞
五年前、戦場の片隅で朱火と出会った。
巫女らしからぬ、あけっぴろげで陽気な女だった。傭兵として、なぜか負け戦ばかり戦い続けていた俺は、その陽気さに心が癒された。
朱火は、小ぶりの瓢箪を持っていた。
その頃、どこの戦場でも「瓢箪の巫女」の噂でもちきりだった。
名もなき兵士の慰霊のため、美酒が入った瓢箪を手に、戦場を渡る謎の巫女――本当にいるのかどうかはわからない。だが、それにあやかろうと旅の巫女の多くが瓢箪を手に旅をするようになっていた。
「私は違うよ」
初めて肌を重ねた夜、お前がそうなのかと尋ねたら、朱火は笑って首を振った。
「でも、その噂のおかげで旅の危険が減ったの。危害を加えた巫女が『瓢箪の巫女』だったら、祟られるかも知れないでしょ?」
「なるほど。だから巫女はみんな、瓢箪を持っているのか」
「そういうこと。ひょっとしたら、旅の巫女が身を守るために作り出した、ただの噂話かもね」
朱火の言葉に妙に納得し、そして失望した。
大戦の夜、宵闇に沈む戦場で出会った巫女。
彼女の舞いで鎮められた魂が、光となって空へ昇って行く光景。
あの夜、この世で最も美しい光景を生み出した巫女こそが「瓢箪の巫女」ではないか――そう考え、噂を追って戦場を渡り歩いてきた。だがそれは無駄骨だったようだ。
傷ついた体と心を癒すため、俺はしばらくその地にとどまることにした。
朱火も俺と共にとどまり、そのうち二人で暮らすようになった。
「愛してるわ、多々良」
あけっぴろげで陽気な朱火だが、存外情が深かった。この地に根を下ろし共に暮らさないかと言われ、その気になった。契りの証にと、蓄えのほとんどを費やして翡翠の勾玉を手に入れ、朱火に贈った。
「こんな無駄遣いして」
文句を言いつつも、朱火は嬉しそうに受け取ってくれた。
だが、俺は地に根を下ろすことができなかった。
忘れようとすればするほど、あの夜の光景が思い浮かぶ。ついには夢にまで見るようになり、俺は再び戦場へ赴くと決めた。
朱火は烈火のごとく怒り、泣きながら俺を責めたが――俺の心が変わらぬと悟り、別れを受け入れてくれた。
「死ぬまで、恨んであげるからね」
半年後、旅立つ俺に朱火はそう告げた。
好きなだけ恨んでくれ、と答えた俺に、朱火はくしゃりと顔を崩し「ばか」と涙をぬぐった。
「私を捨てて行くんだから……絶対に『瓢箪の巫女』を探し出しなさい!」
朱火は俺の尻を思いきり蹴飛ばすと、泣き笑いで送り出してくれた。
◇ ◇ ◇
寒さに震え、多々良は目が覚めた。
崩れかけた小屋の中、玲の姿はなかった。用を足しにでも行っているのかと思ったが、行李の傍に脱いだ着物が畳まれているのを見て、首をかしげた。
りん、と鈴の音が聞こえた。
多々良は小屋を出た。空はまだ暗く、冷たい海風が吹き付けてくる。
りん、りん、と風に乗って鈴の音が鳴り響く。
多々良は速足で鈴の音が聞こえてくる方へと向かい、やがて見えた光景に足を止めた。
村から海へと向かう道の両側に、墓が並ぶ。
その道の中央で、一人の巫女が扇を手に舞っていた。
(玲……か)
ゆるり、ふわりと、荒ぶるすべてを鎮める、優しい舞。
これはまさしく、鎮魂の舞。
秋祭りの時に見た寿ぎの舞とはまるで異なる、静かで儚い、美しい舞。
多々良に気づいたのか、玲がちらりと視線を送ってきた。
その顔に一瞬だけ迷いが浮かんだように見えたのは、多々良の気のせいだろうか。
はていったい、と多々良が首をかしげたとき。
玲がゆっくりと両腕を広げ、大きく鈴を鳴らした。
玲の舞が、ひとつ力を増した。
りん、と鈴が鳴る度に、その場の空気が変わっていく。怒りが、悲しみが、恨みが。何もかもが解きほぐされ、鎮められていく。
多々良の心を占めていた悲しみも、美しく優しい舞に癒されていく。
泣いておやり。
玲の舞は、多々良にそう告げていた。かつて愛した女の死を悼み、心からの涙を流してやれと。それに抗うことはできず、多々良はぼろぼろと涙をこぼした。
(朱火、すまなかった)
朱火に好意を寄せている男はたくさんいた。だから多々良と別れた後、その誰かと夫婦になり幸せに暮らしていると思っていた。
だがそれは、多々良の思い違い。
朱火の情の深さを見誤った、多々良の過ち。
一度は別れを受け入れた朱火だが、がまんできず、多々良を追って村を出たのだろう。そして戦場を渡り歩き、半年前にこの村にたどり着いたのだ。
そんなこととは思いもよらず、多々良は一人旅を続け――半年前に玲と出会った。
――ひどい。
――私を忘れたの? あんなに愛してくれたのに。
そんな声が聞こえてきたような気がした。
当然の恨み言だ。あんなに愛し合った朱火のことを、ここしばらく思い出しもしなかった。たとえ呪い殺されたとしても、多々良は文句を言えやしない。
(すまなかった……すまなかった、朱火)
多々良は泣き崩れ、膝をついた。流れるままに涙を流し、朱火に幾度も詫びた。
りぃーん、と涼やかに鈴が鳴る。
はっとして多々良が顔を上げると、並んだ墓から、一斉に光が舞い上がった。
(これは……)
どきり、と多々良の心が震えた。
まるで蛍の群舞。見ているだけで心が鎮められるような、美しい光景。
それはまさに、十年前に見たあの光景。まさか再び目の当たりにするとはと、多々良はただただ呆然とした。
「お行き」
玲が静かに扇を振ると、光は渦を巻き、海の彼方を目指して飛び始めた。
死者の国へ、行くべき場所へ。
様々な想いとともに、光の渦が黄泉を目指して飛んで行く。
だが。
光のひとつが渦からはぐれ、多々良の前でふわりと止まった。
「朱火……か?」
多々良の涙声に、光がくるりと回る。
多々良は涙をぬぐいもせず、両手で光を優しく包んだ。
――会えたのね。
どこからか、朱火の声が聞こえてきた。
――ちょっと腹立つけど。
――ううん、ものすごーく恨めしいけど。
――どうにかして、多々良を取り返したいけど。
明るい声で恨み言を述べると、光はするりと多々良の手から抜け出した。
――私、死んじゃったし。譲ってあげる。
りぃーん、と。
再び鳴り響いた鈴の音に乗って、朱火の魂は海へ向かって飛び始めた。
「朱火!」
思わず叫んだ多々良の声に、朱火の魂が止まった。
「すまなかった」
絞り出すような多々良の声に、光は小さく揺れる。朱火の返事が「許さない」であってもかまわないと思った多々良だが。
――さよなら、多々良。
朱火は別れだけを告げ、海の彼方へ去って行った。