13 朱火(あけび)
旅の巫女・朱火。
彼女がこの村にやってきたのは、三年前のことだった。
「峠に住まう神は、力が強い上に、気まぐれで残虐でした。神を宥めるべく村の乙女が幾人も犠牲になり、もう乙女はいなくなっておりました」
村長は、朱火に窮状を訴え、神へのとりなしを頼んだ。
始めは断った朱火だが、村人総出の頼みを断り切れず、峠へ赴き神への祈りを捧げた。
神は、久々に現れた巫女をいたく気に入った。荒ぶることが減り、これで穏やかな暮らしができると村人は喜んだ。
だが、半年ほど前に神は再び荒ぶるようになり。
朱火は、神を鎮めるため祈りに出向いたきり、帰ってこなかった。
◇ ◇ ◇
「そうか」
村長から聞いた話を伝えると、多々良はうなずき、ふーっと大きく息をついた。
峠を越えたところにあった村は、ひどい有様だった。
ほとんどの家が壊れ、雨風をしのぐのも難しい。神が荒ぶり続けたせいで漁に出られず、冬を越す準備はできていない。冬を前に村人の三割が亡くなっており、このままでは村が全滅しかねない状況だ。
船を出すから、冬の間、多々良の故郷で過ごせるよう計らってほしい。
村長の申し入れを多々良は受け入れた。やむを得ないとはいえ、安請け合いして大丈夫なのかと、玲の方が心配になった。
「おぬし、しばらく村に帰っておらぬのであろう? 説得できるのか?」
裕福な村であっても、冬を越すのは大変だ。蓄えも持たぬ数十人が押し寄せて、快く受け入れてくれるとは思えなかった。
「なんとかするさ。それに……」
できたばかりの墓を見て、多々良は寂しげに笑う。
「断れば、朱火の墓が作れなかった」
村に朱火の墓を作ることを、村長たちは渋った。神を鎮めに行った巫女が、骨となって帰ってきたのだ。神を怒らせたのだと考え、祟りを恐れたのだ。
冷たい、と責めることはできない。神の祟りを受ければ村は滅ぶ。それほどまでに神の力は恐ろしい。
(じゃが)
玲は峠に目を向けた。
そこにいるはずの、神の気配を感じない。怒りを鎮めたというより、神が去った――あるいは、消えたという感じだ。
(村人たちが祟られることは、もうないであろうな)
それは神の恵みが消えたことも意味する。
うかつに村人に告げるわけにはいかない。おそらく、玲と多々良が関わっているから。
(気を失っている間に、何があったのか……)
玲は瓢箪を見つめた。
これまでも何度かこういうことがあった。前後の状況から、どうやら身に危険が迫っていたようなのだが――記憶を探ろうとすると意識が遠のいてしまい、思い出せないのだ。
「なあ、玲」
静かな声に呼ばれ、玲は峠から多々良に視線を戻した。
「なんじゃ?」
「神とは、何なのだ」
朱火の墓を見つめたまま、多々良が問う。
「なぜ朱火は神に殺された。なぜこの村は神にこんな仕打ちを受けた」
落ち着いた声に怒りが秘められているのを感じ取り、玲は息を呑む。
「なぜ神は人を弄ぶ。なぜそんな神に人は従わねばならぬ」
「……巫女に、それを問うか」
「俺は神を知らぬ。ならば神をよく知る者に聞くしかあるまい」
「道理じゃが……な」
巫女は神の妻として神に仕える者。その身に神を降ろし、神託を伝えるのが務め。
ゆえに――なぜ人は神に従わねばならぬのか、そんな問いを持つことはないし、持ってはならない。
「勘弁してくれんか。その問いに、妾は答えられぬ」
「そうか……すまなかった、忘れてくれ」
海から、冷たい風が吹きつけてきた。
その風に玲は震えたが、多々良は墓を見つめたまま、微動だにしない。その寂しそうな背中に心がざわつき――玲は、聞かずもがなのことを問うた。
「愛しておったのか?」
「ああ、愛していた」
ためらうことなく答えた多々良。
わかり切っていた答えなのに――玲の心が、ちくりと痛んだ。
「こいつとなら一生を共にしてもよいとも思ったよ」
「なぜ……夫婦にならなかったのじゃ?」
重ねての問いに、ようやく多々良が動いた。
振り返り、寒さと寒さ以外の何かに震えている玲を見て、多々良は苦笑を浮かべた。
「お前にそんなことを聞かれるとはな」
「あ、いや……すまぬ、立ち入ったことを聞いてしもうたな」
「いいさ。朱火の弔いだ。思い出話を聞いてもらおうか」
ごう、と再び風が吹きつけてきた。
「長話をするには、ここはちと寒いな」
行こう、と多々良が歩き出す。
半歩遅れて、玲はついて行く。
「朱火のこと、正直に話すが……嫉妬してくれるなよ、玲」
「……なぜ妾が嫉妬せねばならぬのじゃ?」
「なんだ、俺に興味を持ってくれたのではないのか?」
「たわけ。妾は巫女ぞ? 一人の男に心奪われるなどあってはならぬし、許されぬ」
「そうは言っても」
多々良はニヤリと笑う。
「好ましいと思った男ぐらいいただろう。例えば俺とか」
「……おぬしのう」
玲があきれ半分で睨むと、多々良は声を上げて笑った。
軽口をたたき気持ちを切り替えようとしている――そんな空元気が見て取れ、文句を言う気は失せた。
「ま、玲の恋話はいずれ聞くとして」
「だから、そんなものはないと言うておろうが」
玲の抗議を笑い流し、多々良は空を見上げた。
その寂しげな横顔を見ていられず、玲も空を見上げた。
「夕星か」
暗くなり始めた空の西に、明るく輝く星。それを見て、多々良が静かに語り始める。
「俺と朱火が出会った日も、あれがよく見えていたよ」
夕星:宵の明星