いあ!温泉旅館!12
このまま、出来る事ならばこの風呂の中に住みたい。
そんな思いまで抱かせるほどの湯。
一歩間違えれば毒にもなりかねない甘い誘惑に、しかし真っ先に抗ったのはナコトだった。
「……ここの温泉、一番すごいのは露天風呂の岩湯なんだってねぇ」
「ほほう」
先程、警戒を一段階下げたナコトが気を取り直してと読みふけっていたガイドに書かれていたことを思い出したのだ。
温泉の効能はどこも同じだが、露天風呂の湯にはもう一つの効能、というよりは特殊な魔法がかけられている。
それは温度、大人から子供まで、どころか種族を超えて客を迎える湯楽では独自に魔法を開発してしまったのだ。
その名も【体感温度調整魔法】。
名の通り、入った者によって体感温度を変えてしまう魔法である。
実際の温度は少し温めの39度のお湯だが、熱い風呂が好きな者には熱く感じ、ぬるめの風呂が好みの者は温く、雪女のような種族のように冷水を好む者には氷水のように冷たく感じるのだ。
もっとも、あくまで体感なので普通の湯でこの魔法を用いれば雪女が実際に入れば温泉の熱で死にかけるのではという危惧もされていたが、湯の効能で癒されるため多少のぼせる程度で済む。
そういった細かな注意点もわずか数十秒で暗記したナコトは、頭の上にタオルを乗せながらニヤリと微笑んだ。
「と、いうわけで……他のお湯も堪能しようじゃないか!」
「「さんせーい」」
女子三人、ニコニコとまずは屋内の温泉から楽しみ始めた。
まず足を向けたのは別室に用意された檜風呂。
広々とした空間から、比較的ではあるがこじんまりとした部屋に入ると先程同様湯気の洗礼が待ち構えている。
同時に、もう一つ。
鼻腔に飛び込んできた、森林をほうふつとさせる樹の香り。
そしてそれがもたらすリラックス効果で湯につかる前から三人の表情がとろける。
正しく言うならば、2人は期待と興奮の入り混じった表情だがクリスはもはや恍惚としている。
「いい香り……たまらないですねぇ……」
「あー、クリスちゃんはエルフの血も入ってるんだったね」
「どうりで……こんな無防備なクリス初めて見たかもしれません」
そんな会話をしながらも待ちきれないと言った様子でパシャリとお湯を浴びて、湯船に入った三人は再び表情を溶かす。
特にクリスに至っては表情どころか全身が弛緩したように湯船の中を漂っている。
「この世の極楽じゃぁ……」
「あらまぁ、口調まで変わって」
クリスの変貌ぶりにルルイエは珍しく、純粋に可愛らしいと思いながら自らも温泉を堪能し、ナコトはといえばこの風呂で酒を飲めれば最高だと考えていた。
そして次の湯へ、という所で一つ問題が発生した。
「もうちょっとぉ……」
クリスが駄々をこねたのである。
普段からしゃんとした様子の彼女には珍しく、完全に気が抜けていた。
それほどに檜風呂が気に入ったという事なのだろうが、そこはナコトの説得というなの物理的運搬によって運び出されてしまった。
名残惜しそうに何度も檜風呂の間を振り返るクリスだったが、二泊三日だからあとで好きなだけくればいいというルルイエの言葉に納得したのかいつも通り、眼の奥に野望の炎を灯したような目つきに戻ったのは幸いである。
それから一行はサウナで我慢大会をしたり、水風呂で火照った体を冷やしたり、ジャグジーで全身のコリをほぐしたりと屋内の風呂を満喫した。
そうして30分ほどかかってから、露天へと繰り出したのだが……。
「……むぅ」
ナコトの機嫌が妙に悪くなったのである。
「ナコトさん、どうしました?」
「いや……うん、なんでもない。クリスちゃん、タオルで身体隠しておいて。あそこの影のところ開いてるからそこ行こ」
「はぁ……」
「ナコトさん実はこの中で一番歳とってますからねぇ、ばてちゃったすかいったぁ!」
パシーンと、余計なことを口走ったルルイエの尻が叩かれる。
綺麗な紅葉を尻に残したまま、そしてそれをさすりながらのルルイエを最後尾にナコトが指示した場所で湯船につかった三人だったが……。
「ほへぇ……」
「クリスちゃん、悪いけど権能使ってもらってもいい?」
「はい……はい?」
突然のナコトの申し出に岩風呂で惚けていたクリスが正気に戻る。
覗き込むようにその顔をうかがうと、遊びや冗談で使えと言っているわけではないと察することができたのだろう。




