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守護者になった日



いつもより時間がかかったのは、やはり歩き慣れていないからだろう。四季は落ち着かない様子でしきりにこちらを見ながらいつもより格段に遅いペースで歩いてくれた。

浴衣姿を着る機会はワンシーズンでもそうそう多くは無い。実に昨年以来だ。

見慣れた道路を二人で歩いているとようやく目的地に辿り着いた。どうやら今日はピアノの音はしないらしい。

「なんか相反してるよね、この格好」

教会を目の前にして浴衣を着ている自分に違和感を覚える。洋風の教会に和装。ちぐはぐも良いところだ。

「いつもそんな感じだろ」

「まぁ……確かに」

四季がそういうのは守護者のときのことだ。装いにしてもそうだが、互いの武器はどちらもこの平和な国では滅多に手にしないものである。これが日本刀であれば話は別だが、巴の武器は西洋風だ。和洋折衷を果たしている。

重たい木製の扉を四季が押し開ける。ギィという鈍い音を耳にしながら「こんにちは」と控えめに挨拶をして教会内に入った。

しかし菫の姿は確認出来ない。どうやら生憎今日は会えない日らしい。初めて菫と会話したこの場所で彼女と会えたのはまだ数える程だ。訊きたかったことがあっただけに、彼女の姿が見えないことに美都は肩を落とした。

「しょうがないって」

「うん……」

美都の気持ちを察したように、四季が彼女の頭に手を乗せて優しく撫でた。ヘアカチューシャをしているせいかいつもと手触りが違う気がして、背の高い彼を見上げる。

(そう言えば……)

以前ここに一緒に訪れた日を思い出した。5月の大型連休。退魔をし終えたその足で二人でここへ来たのだ。その時は菫と話をすることができ、”人間に憑いた宿り魔”とどう戦っていけば良いかの教えを説いてもらった。あれから2ヶ月以上経過した。未だに鍵については解らないことが多い。本来なら今日はそれを訊くために訪問したのだ。

しかしこの2ヶ月で変わったこともあった。四季との関係だ。あの時はまだ恋人になる前だったから。

「どうした?」

「ううん。前に二人でここに来たときのこと思い出しちゃった」

「あぁ、あのときか」

四季もすぐに思い出したようだ。そもそも二人でこの教会を訪れたのは過去に一度しかない。思い出すことに時間はかからないだろう。

「俺はもうあのときには、お前のことが好きだったよ」

「! そ、そう……だったんだ。全然気付かなかった……」

「だろうな」

当時を思い出したのか、美都の返答に四季がふっと苦笑いを浮かべる。彼の気持ちなんて全く考えていなかったときだ。まだ互いに守護者同士という関係でしかなかった。程よい距離感で、干渉し過ぎない。同じ家で暮らすに当たってはそれで良かった。だが今は違う。良く考えれば変化したわけではない。付加されたのだ。守護者であることに変わりはないのだから。

つくづく不思議だなと思う。ここで指輪を拾わなければ、守護者になることもなかったのだ。守護者にならなければ四季とこうして話すこともなかっただろう。ふと一つの疑問が頭を過ぎった。

「四季は……どうして守護者になったの? なったって言うのもおかしいけど……」

自分で口にした疑問に矛盾を感じ、自ら訂正する。守護者は立候補してなるものではないからだ。指輪が守護者を選ぶのだと聞いた。単純に自分より先に守護者として戦っていた四季が、そうなるに至るまでの過程に興味があったのだ。

四季はその質問を受け、何かを考えるように顎に手を置いた。

「──今考えてみれば、確かに不思議だよな」

「……?」

確かに、という彼の言葉を耳にして思わず自分の考えが読まれたのかと一瞬驚いた。同じように不思議だと感じていたからだ。四季はポツリとそう言うと近くの木製の椅子の端にもたれる。

「端的に言えば、親が守護者について何か知ってたっぽいな。この街に来たのも親が言い出したからだし」

初めて耳にする情報に美都は目を瞬かせた。そしてやはり身内が噛んでいることが多いのかと半ば納得する。自分の場合は円佳だった。四季はそのまま言葉を続ける。

「両親は元々この街の出身なんだ。色々あって離れてたらしいけど、今年の頭に急に『戻る』って言い出して」

「そのとき理由は聞かなかったんだ?」

「まぁまたなんか仕事関係なんだなと思って言及はしなかった。でも逆に母親から『何があっても動じないように』って不穏なこと言われたな」

苦笑混じりに四季が思い出しながら話をする。と言うことは彼の母親が何かしら知っていたのかもしれない。だがここで一つ疑問が生じた。別の地で暮らしていたはずなのにわざわざ戻る必要があったのは、恐らく四季が守護者に選ばれる可能性を知ったからだろう。だがそれだとまるで。

「四季のお母さんも予知夢みたいなの見てたってことかな……? だって四季が守護者に選ばれたのは、この街に来てからでしょう?」

美都の言葉を受けて、四季が顎に手を置いて眉間にしわを寄せる。

「あの母親に限ってそんなことはないと思うけど……ふわふわしてるし」

「ふわふわ……」

ふわふわと言う単語を耳にして脳内に思い浮かべたのは和真の母である多加江だった。想像でしかないが男子の母親とは得てしてそう言うものなのだろうかと思ってしまう。

「守護者になったきっかけって?」

「たまたまここを通りがかった。ら、そのときに指輪が頭に落ちて来た」

「え⁉︎」

その説明にギョッと目を見開く。空から落ちてくるものなのか。しかし自分の時も教会の中央に落ちていたのだからあり得るのかもしれないと妙に納得もしてしまう。

「拾った直後に菫さんに会って、鍵と守護者の話を聞いて、割とトントンだったな」

「……抵抗はなかったの? 戦うこととか、全く違う生活を始めることとか」

四季は美都からの問いに、今度は腕を組んだ。

「正直、退屈から逃げられるなら何でも良かった。お前みたいに誰かを守りたい、みたいな強い想いもなかったし。最初に言ったろ? 戦えって言われたから戦ってるって」

彼の言葉を黙って聞いた。自分とは全く違ったからだ。守護者になることにも色々な理由があるのか。四季の言うように、自分は大切な人を守りたかったから。四季は退屈から逃れるために。

「宿り魔、怖くなかった……?」

「怖いよりも気味悪さが先行したな。俺の場合は銃だったし、その点じゃ近付かなくても攻撃出来たのが利点だな」

そう言って組んでいた片方の手を銃の形に示す。

「親元を離れるのにしても、向こうの方が妙に冷静だったし。母親にあんなこと言われてたもんだから『そう言うことか』って。まあ半信半疑だったけど」

「でもさ、最初は一人暮らしだったかもしれないけど後でもう一人来ること知ってたんでしょ? 嫌じゃなかったの?」

そのもう一人が自分なのだが。守護者の共同生活は、互いをサポートし合えるようにとの名目で行われている。これは拒否することも出来るのだと彼は言っていた。ならばなぜそうしなかったのか。

「単純に興味があった。自分のパートナーがどんなやつなのかって。あの化け物に立ち向かっていける女子が本当にいるのか、って思ったんだ」

「──幻滅しなかった?」

「何で? お前はちゃんと立ち向かって行ってただろ? 覚醒する前からそりゃ必死になって」

ふっと笑んで四季がもたれかかっていた椅子から背を離した。そして自分の前に立つと再び優しく頭に手を乗せた。

「守護者はお前じゃなきゃダメなんだろうなって納得したよ。優しくて、強くて」

四季が口にした単語に違和感を覚え、美都は思わず視線を落とす。そうだ。自分はまだ彼にそう言ってもらえるほどではない。そう思って手を握り締めた。

「……わたし、強くないよ」

強ければ今までの対象者たちを守れていたはずだ。凛も愛理も麻衣子も、みんな苦しい思いをせずに済んだのに。しかしいくら苛んだところで事実は変えられない。

「強さって言うのはただ戦うときの力だけじゃない。想いの強さ、意志の強さ。まとめて言えば精神力みたいなものかな。お前はそれが人一倍強いんだと思う」

彼の言葉を小さく復唱する。確かにこれまでの自分の行動を省みればそう言う評価になるかもしれない。しかしそれは無我夢中だったからだ。自分に与えられた力を精一杯使わなければと思った結果だ。だから彼の言葉の全てを肯定することは出来ない。

尚も苦い表情を浮かべていたところ、四季が頭に乗せた手でグイッと額を押し上げた。

「──!」

「俺だって強いわけじゃない。お前がいなかったら出来ないことばっかだし」

「そんなことない! 四季は強いよ」

「ったく、何でその評価が自分に対して出来ないんだか」

四季は美都の言葉に苦笑いを浮かべる。ふっと息を吐いて彼はポツリと呟いた。

「俺は今から怖いんだ。いざ所有者が判ったとき、本当に大丈夫なのかって」

「ちゃんと守れるかってこと……?」

「いや──もちろんそれもある。でも一番は……」

一度否定したものの四季はその続きを呑み込み、訂正した後肯定した。

そして言いながら頭に乗せたままだった手を、ゆっくりと頬まで下ろす。彼の赤茶色の瞳は真っ直ぐに美都を捉えた。一呼吸のち、四季が口を開く。

「────美都より守りたい奴なんていないから」

今度は美都の瞳が大きく開いた。息を呑んで目の前の少年を見つめている。

心音が大きく鳴った。彼の率直な言葉に顔が熱くなる。ただ一身に自分のことを想ってくれている言葉だったからだ。守護者としては喜んではいけない。なぜなら守るべきは所有者なのだから。だがそれを抜きにすれば、自分たちは恋人同士だ。少しくらい嬉しく思ってもバチは当たらないだろうか。

彼に言葉を返そうとした瞬間、木製の扉が鈍い音を立てて開いた。二人は向き合っていた体勢から互いに入り口の方を見る。

「あら、いらしていたんですね」

「菫さん……!」

扉を開けた人物の名を呼ぶと、女性はニコリと微笑んだ。菫はそのまま中央を歩き美都たちの元へゆっくりと足を運ぶ。

「まぁ……とても可愛らしいですね」

「あ、ありがとうございます」

「今日はお祭りですものね。古き良き日本文化です」

浴衣姿の美都のことを見て、菫は声のトーンを上げる。教会で浴衣というちぐはぐな状況には特に気にしていないようだ。続けざまに菫は二人の顔を交互に見る。その所作に首を傾げていると、彼女が美都の方に顔を向けて一層柔らかく微笑んだ。

「雰囲気が変わりましたね」

「! そう、でしょうか」

「えぇ。お二人の信頼関係が強くなったのですね」

そう菫に指摘され、思わず顔を赤らめる。さすがに彼女は鋭い。付き合っていることも見通されているのではないかと思う。

ひとまず菫に用向きを伝えると彼女は把握したように頷いた。一呼吸置いて美都が訊きたかったことの一つを口にする。

「不思議な夢を見ました」

「夢、ですか……。それはどんな?」

「男の人の声で『良くないものが近づいている』って注意喚起を促すような……守護者は予知夢のようなものを見ることが出来るんですか?」

美都からの問いに、珍しく難しい顔をして菫が口を閉ざす。

「具体的に何かありましたか?」

「それに該当するかはわからないんですけど、スポット内で不思議な影に捕らわれました。そのせいで退魔に時間が掛かって……」

菫は驚いたように目を開いたのち、その事実を反芻するかのようにゆっくりと目を閉じた。しばらくして納得したのか再び美都と視線を交わす。

「なるほど……新たな脅威というわけですね。まずは夢に関してですが──歴代の守護者でそういった方はおられませんでした」

「じゃあただの考えすぎなんでしょうか?」

「いえ、そうとも限りません。実際に事が起こっているのですから。そうなるとそれは美都さん自身の力なのかもしれませんね」

「わたしの……?」

思いがけない言葉に美都は目を瞬かせる。守護者になる以前にそういった夢は見た事がなかった。だからこそ不思議なのだ。自分の力だと言われてもいまいちピンと来ない。

「守護者の力が補助となっているのでしょう。私も詳しくはわかりませんが……」

申し訳なさそうに菫が肩を落とした。彼女でも知り得ないことなのか。守護者の力、という単語をキーワードに美都がもう一つの疑問を口にする。

「この間退魔のときに剣がいつもと違う輝きを見せたんです。力が増したような──」

当時のことを思い出す。あの時は一刻も早く退魔をしなければならなかった。麻衣子を試合に連れ戻すために一秒も無駄に出来なかったのだ。しかし影に気を取られ宿り魔の攻撃を受ける手前、間一髪のところで剣で防いだのだ。その直後だった。

「それは守護者としての新しい力ですね。強い想いに指輪が応えたのでしょう」

「! 剣以外にも力を貸してくれるんですか⁉︎」

美都が驚いて目を見開くと、菫は眉を下げて困ったように笑んだ。

「剣は退魔のために必要な道具です。しかしそれは必ずしも形があるものでなくても良いのです。今回は、指輪が更に剣に力を与えたのでしょう。その力を上手く使えるようになれば、以前仰っていた少女に剣を向けなくて良くなるかもしれません」

少し長い菫の説明を聞き、感嘆とする。一つ希望が持てた。この間感じた力で初音に剣を向けなくて良くなるのならばそれに越したことはない。

(そうだ──……)

これが以前菫が言っていた「力を如何に使うか」ということなのか。まだ一度きりしか発揮できていないため今後また同じように使えるかはわからない。だが力の使い方がようやく見えた。自分にとっては大きな進歩だ。

美都は己の手を見つめながら尚も考える。初音は鍵を欲している。そして守護者になった日にここへ訪れた時遭遇した、あの来訪者も。特に初音は鍵のためなら犠牲は厭わないというスタンスだ。わからないのはなぜそこまで鍵を欲しがるかだ。

「鍵は──……強い力を秘めているんですよね? その強い力は一体何なんですか? 手にしたらどうなるんでしょうか?」

瞬間、菫の顔が硬直する。彼らが鍵を欲しがるのはその強い力のせいだろう。だが鍵を手にしたところでその力を本当に我が物に出来るのかという疑問もある。

「それは俺も疑問に思ってました。守護者に力があって所有者にないのは何故です? それだけ大きな力を秘めている鍵を所有するのに、リスクが大きすぎると思うんですが」

それまで静観していた四季が鍵の話になった途端、口を挟んだ。

確かに彼の言うことも一理ある。鍵の所有者はそれだけで狙われる対象になる。だから守ってもらうために守護者がいるのだと言われればそれまでだが、まだ何かカラクリがあるように思えるのも事実だ。

やがて菫は降参したように俯き加減で静かに口を開いた。

「……お二人の仰る通りです。鍵のことをもう少し詳しく話さねばなりませんね」

一呼吸して菫が話を始めようとしたところだった。

「──っ!」

宿り魔の気配に、美都と四季はハッと息を飲んだ。直後二人で顔を見合わせる。その反応で菫も気付いたようだ。

「先に行く! お前はゆっくり来い!」

「っ! わかった……!」

四季は浴衣姿の美都を気遣い、彼女にそう伝えると慌ただしく菫に一礼して教会を後にした。自分も彼に続かねばと裾から覗く足を小さく動かそうと力を込める。

「美都さん……!」

いつもより俄かに大きな菫の声に驚いて彼女の方へ向く。彼女は不安げな表情を滲ませながら美都へ言葉をかけた。

「鍵のことですが、お早めにお伝えした方が良いと思うのです。……またいらしてください」

「──……わかりました!」

神妙な面持ちでそう言う菫に会釈をして、美都も宿り魔の気配を追うために駆け出した。

菫の話を最後まで聞けなかったのは残念だが、また機会はある。今は守護者として退魔へ駆けつける事が役目だ。動きづらい浴衣で小刻みに足を動かし、美都も教会から飛び出した。

一人残った菫は中央の通路で静かに佇む。しばらく会わないうちに二人の雰囲気が変わっていたことに驚いた。そしてやはり気にかかるのは美都の方だ。

彼女の内側にある不思議な力。守護者の力が補助している可能性はあるが、守護者の力というわけでは決してない。

事が大きく動く前に、彼らに鍵についてもう少し詳しく話すべきだろう。今までそれをして来なかったのは、まだ話すべきときではないと二の足を踏んでいたからだ。だがもう良いはずだ。彼らも鍵について疑問を抱き始めている。

その時、教会の外で一陣の風が草木を薙いだ。不穏な気配に菫は目を向ける。黄昏時か。宿り魔が出現したのも頷ける。

菫は扉の前で佇む、招かれざる来訪者を一瞥した。

「──いつまでこの遊びを続けるおつもりか」

「あなたこそ、いつまで無意味な行動をするつもりですか」

来訪者は低い声で、鋭く菫に言葉を投げる。彼女は怯む事なくその態度に応じた。

「無意味とはよく言ったものだな。本当にそう思っているのならそれは(じき)に崩れる」

菫は目を閉じ無言で首を横に振る。そして今度は先程よりも強い眼差しで来訪者を見つめ返した。

「有り得ません。あなたが鍵を手にすることは不可能です」

「はっ、また強く出たものだ。牽制のつもりか?」

鍵を求める者──菫は目の前の来訪者をそう見ている。この人物が鍵を手にして、如何使おうとしているのかも。しかし極めて厳しい言葉を使っているものの、彼女は気付いているのだ。自分の言葉では届かないことに。

「牽制などではありません。真実です。所有者は──必ず守護者が守ります」

その瞬間、ドンっと強く重い音が教会内に響いた。来訪者が扉を力一杯に叩いたのだ。苛立たしげに菫を見つめる。その瞳には憎悪の陰があった。

「──……っ、あなたがそれを言うのか!」

来訪者が声を荒げる。菫に投げる言葉の中には彼女に対する怒りが含まれていた。しかし菫は来訪者の態度に怯む事はない。むしろ一心にその人物の感情を受け止めている。

「絶対に守れはしない……! 守護者など無力だ!」

「いいえ。あなたの前にはいずれ守護者が立ち(はだ)かります。あなたの行いを止めるために」

真っ直ぐな菫の言葉に、来訪者はギリッと奥歯を噛み締める。そしてまた鋭く()め付けた。

「止められるものか。守護者ごときに」

吐き捨てるように言う来訪者の言動に、さしもの菫も苦い表情を浮かべる。守護者は指輪によって選ばれた正当な存在だ。彼らには所有者を守るために相応の力が授けられている。そこに偽りはない。

「あなたの思うようにはなりません!」

ピシャリと菫が言い放った。だが来訪者も引く様子は見せない。しばし互いの動向を見遣ったのち、膠着状態に飽きたのか来訪者が踵を返した。

「────悠長に構えていられるのも今のうちだ」

そう言い残し、黄昏時の空間に溶け込むように姿を消した。菫は来訪者の気配が完全に消えたのを確認すると、深い息を吐いた。目を細め来訪者の言葉を反芻する。

あの人物の言葉が、今になって刺さるようだ。菫は思わず胸の前で手を握り締めた。自分が出来る事は限られている。それ故にもどかしい思いをするのも確かだ。しかし自分には自分の役割がある。それに反する事は出来ない。

自分の言葉に偽りはない。所有者は必ず守護者が守る。あの少年少女にはそれが出来る。

『────菫さん!』

ふとあどけない少女の姿が思い出された。その姿がつい、昔の面影と重なる。同じように自分の名を呼ぶ彼女の姿に。

菫は目を閉じて首を横に振る。自分が感傷に浸る資格はない。自分はただ事実を見つめることしか出来ないのだから。

顔を上げ、正面の十字架を見つめる。今はただ祈るしかない。

これから先、災厄が降り注がれないよう。





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