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それは夢の話



時期外れの転校生の話題は、一気に学校中を駆け巡った。それもそのはずだ。「近年稀に見る美少年」という噂のような真実が追い風となったらしい。連日のように7組には他クラスの生徒が用もないのにやって来ては、廊下の窓から教室の扉から様子を窺っている姿が確認出来た。

「四季もこんな感じだったの?」

「あぁ。しばらくは続くだろうな」

自分のことでもないのに四季は大袈裟に溜め息を吐いた。経験者は語る、というものだろう。実際自分も四季が転校して来た際に友人に連れられ、物見遊山で彼のことを見に行った記憶がある。彼らに共通することと言えば、時期外れで容姿が整っているということか。だからこそ連日この賑わいなのだろう。

「星名はこのクラスにいないタイプだよな」

「ね。人当たりは良さそう。静かだけど」

そう分析するのは和真と春香の二人だった。廊下側に近い一番後ろの席で本を読んでいる水唯を見る。転校初日から今日まで、彼は一貫して己のスタイルを変えない。周りがどれだけざわついていようと、一人大人しく席について黙々と本を読むか勉強をするかのどちらかだ。かと言って全く話さないというわけではない。話しかけられれば応じる。だが会話は至って端的だった。殊、美都以外には。

「ほーら言った通りだったでしょ。で、凛は大丈夫なの?」

「初日にちゃんと言ったよ」

そうしなければならない理由があったからだ。水唯は美都たちの隣の部屋に越して来たのだ。早々に同居がバレてしまったため、一応凛にも知らせておいた方が良いと判断した。概要を説明すると「なんで⁉︎」と蒼い顔をしていたが。

数日、水唯のことを見てきたが学校生活は不自由なく過ごしているように見える。校舎案内をした際に、念の為「お節介だと思ったら言ってね」と伝えたところ、「そんなことない。ありがとう」と優しく笑みを返してくれた。彼の名前の通り、水のように澄んだ笑顔だ。普段は感情を表に出す方ではないのだろう。だが素敵なのだからもっと周りと話をすればいいのにと少し欲深く考えてしまう。

(! そうだ)

「ねぇ、水唯──……!」

ふっと自席を立って美都が水唯の元へ駆け寄って行った。そのまま何やら会話を続けている。時折互いに笑顔を見せながら。

その様を少し離れた席で見ていた和真らは一様にやはりなと頷いた。和真は隣に立つ四季に疑問を投げかける。

「あれはいいのか?」

「まぁあいつの性分なんだから俺が口を挟むことでもないだろ」

「おー余裕じゃん。美都が気移りする可能性もあるんだぜ?」

和真の言葉を受けて四季ははたと目を瞬かせたがすぐに正気に戻り彼の言葉を否定した。

「いや、ないな。そんな器用じゃないだろ」

「違ぇねえな」

可能性を示唆した張本人が、四季の返しに納得したように頷いた。そうだ、彼女はいつも目の前のことに一直線だ。だから複数のことを抱えると途端に混乱してしまうようだった。最近だと自分のこと以外にキツネ面の少女との確執をどうにかしようと奮闘していたが、前回対峙したときにあっさり一蹴された姿を目の当たりにしている。

自分と美都は考え方がそもそも違う。だが解らないわけではない。違うからこそ解りたいとも思う。彼女は決して自分に持っていないものを持っているから。守護者としては丁度いいバランスなのかもしれないなとさえ思う。

四季は美都の横顔をじっと見つめる。やはり彼女は不思議だ。いつの間にかこんなにも自分の中に入り込んでいるのだから。ころころと変わる表情に目が離せなくなる。そう言えば先日、家で見せた照れた姿も良かったなと思い出して顔が緩みそうになったところ、慌てて口元に手を当て目線を逸らす。

「うわーむっつり」

「──……言うな」

すかさず和真からツッコミが入る。彼の言葉を否定出来ず四季は頭を抱えた。仕方ないだろう。どこを切り取っても可愛いと思うのだから。惚れた弱みだなと思い小さく息を吐いた。





「えーと。それじゃあ今日は、合唱コンクールで歌う曲を決めたいと思います」

美都が珍しく進行役としてクラスメイトたちの前に立つことには理由があった。第一中学は例年8月の下旬に全校をあげて合唱コンクールが行われる。なぜ夏休み中なのかという疑問の声も多いのだが、美都たち3年生にとっては最後の合唱コンクールである上に部活動を引退すれば毎日のように補講があるので登校することに拒否反応を示す者は少ない。もちろん練習もその際に行うのだ。つまり全体的なアドバンテージは3年生にある。

この日は音楽係である美都ともう一人の生徒を先導に、音楽の授業中に曲決めが行われることとなっていた。

「高階先生、他のクラスってどれくらい決まってるんですか?」

ピアノ椅子に座っていつも通り優しく微笑んでいる高階におもむろに質問する。高階は譜面台の横に置いたファイルを手に取ると該当のページを開いて口を開いた。

「そうですね。1組が『時の旅人』、3組が『Tomorrow』、4組が『信じる』──とまだ3クラスだけですね。他の学年とは被っても構いませんので選択肢は多いと思いますよ」

「──だそうです。ひとまず候補の曲をかけていくので、どれがいいか考えてみてください」

高階に続いて美都が係としての仕事を引き継ぐ。もう一人の生徒は候補曲のリストを見ながらプレイヤーにCDをセットしてくれていた。

曲名を読み上げて、その曲を流していく単純な作業だ。前段階で候補の曲は5曲まで絞ってある。『心の瞳』、『空駆ける天馬』、『モルダウ』、『BELIEVE』、そして最後の一曲に差し掛かる。

(やっぱり──この曲好きだな)

美都はプレイヤーから流れてくる曲に、無意識に口角を上げた。初めて聴いたときに温かい曲だなと心地よく感じたのだ。彼女が見せる表情をクラスメイトたちは見逃さなかった。

「顔が緩んでるぞー」

と、どこからともなく野次が飛ぶ。ハッとして顔の表情筋を戻すと恥ずかしさを隠すために口元を手の甲で覆った。クスクスという笑い声が耳に届く。

最後の曲を聴き終えると生徒たちは近い席に座る者同士で口々に意見を言い合い始めた。その光景を見てひとまず無関心ではなさそうだと安心する。

「まず2つに絞りたいです。気になったもの2つに手を挙げてください」

一人当たり2曲に挙手することが出来るシステムを採用した。そうすれば偏ることもないだろうと。だが美都の予想は大きく外れることになる。1曲目から再度曲名を読み上げていくが手が挙がったのはパラパラと数名だけであった。あれ? と美都は思わず首を傾げる。4曲目までその事象が進みいよいよ最後の曲名を読み上げる番だ。

「じゃあ最後の曲、──……⁉︎」

曲名を言う前に一斉に手が上がる。その光景に美都は目を瞬かせた。ほぼクラス全員が挙げているのではないだろうかというほど満場一致だ。もう一人の音楽係の生徒も驚いていた。

「えぇっと……じゃあこの曲で決定でいいですか?」

「まあ月代さんが歌いたそうにしてるしなー」

「ち……!」

男子生徒──恐らく声から判断するに和真だろう──からの声に反射的に否定の言葉の頭文字を口にする。しかしここで嘘はつけない。候補の段階からこの曲だったら良いなと思っていたからだ。一瞬反芻したのち観念したように先程の言葉を続けた。

「──違わない……です……」

まるで自分の意志が中心で決まったようなものだなと思い反省と恥ずかしさで語尾が消えかかる。心なしか顔も紅潮しているようで目線を逸らしながら下を向いた。今度は笑い声とともに、賛同する拍手が同時に響く。紛れもなくこの曲で異論は無いという意味だと取れるだろう。

美都は高階に目配せを送る。それまで静観していた彼も頷いて椅子から立ち上がった。

「それでは7組はこの曲で決定にしますね。楽譜が用意でき次第配布してもらいますので次回の授業までに目を通しておいてください」

高階がそう言うと「はーい」という間延びした生徒たちの声が音楽室内に響いた。無事に決まってよかったなと思いながら美都は自分の席へ戻る。何と言っても旋律が美しい。歌うのが楽しみだと彼女は一人再び笑みを浮かべた。



終業のチャイムが鳴り4限目の音楽の授業が終わる。だが美都にはまだ係の仕事が残っていた。続々と教室へ戻っていくクラスメイトに混じって四季が一人美都の元へ歩み寄る。

「待ってるか?」

「ううん大丈夫。先に行ってて」

四季がそう声をかけてくるのは珍しいなと思う。互いに学校では過度な干渉は避けている。生活圏があるからだ。だが声をかけてきた理由もなんとなく推測は出来た。いつもこの時間は高階との会話が盛り上がるため教室へ戻るのが遅くなる。そのせいで以前、彼が様子を見に来てくれたことがあった。なるべく心配をかけないように、とは心掛けているが話に夢中になるとつい時間を忘れてしまう。悪い癖だなと反省しなければ。

四季は美都の言葉に頷くとおもむろに高階の方を見た。

「どうしたの?」

「なんでもない。じゃあ早くな」

ちょうど高階がもう一人の係の生徒と話を終えたようで彼もこちらの動向に気付いた。四季が軽く会釈をすると高階もそれに応じるようにいつも通りの笑みを向け、会釈を返す。女子生徒に続いて四季が音楽室を去る様子を見送ったのち、美都は高階の元へ歩いた。

「仲良しですね」

ふふ、と高階が柔らかい笑みを零す。しっかり目撃されていたことに照れくさくなり美都は顔を赤らめた。

「すみません、つい微笑ましくて」

「もう、先生まで」

高階の言葉に力無く抗議する。周知の事実だということは既に理解しているものの、親しい人物にその話題を触れられるとやはり気恥ずかしさがある。特に彼には自分の感情がはっきりとしなかったときにだいぶ気を遣わせてしまった。後にその感情の名前がはっきりとしたのだが。

「合唱曲の楽譜は今日中に用意できそうです。午後にでも職員室に寄ってください」

「はい! ありがとうございます」

「月代さんはクラスの人から愛されてますね」

そう言うと再び彼はクスクスと笑った。先程の授業でのことだ。クラスメイトに茶化される姿を受けてそう言っているのだろう。

「あれは……! みんな面白がってるだけで──」

「月代さんの人柄所以ですよ」

大袈裟に手を横に振りながら否定する美都に、高階は冷静に優しい言葉をかける。彼にそう言われると妙に説得力があるが、自分のことだけに恥ずかしい。なんとか話題を逸らそうと、以前おすすめしてもらった曲について触れることにした。

「そう言えば、トロイメライを聴きました。すごく好きです、あの曲」

高階は美都の言葉に頷いた。やはり彼には自分の趣向がバレているようだ。

「曲名通り、夢見心地の気分になりますよね」

「確かに! 聴き惚れるってこういうことなのかなって思いました」

トロイメライの意味は「夢」だ。実際夢の中にいるように流れる旋律が耳に心地良かった。

「『夢』という曲名でいけば、ドビュッシーにも同名の曲があります。こちらも幻想的な曲ですよ」

「あ! 『愛の夢』にも夢がつきますね」

「あぁ、そうですね。確かにリストのこの曲も技巧的には似ているかもしれません」

まるで連想ゲームのように二人は次々と曲名を引っ張り出す。とは言え美都が知っているのはほんの一部だ。それに高階はやはり技巧的な面で見ていた。

高階と知り合ってクラシックのことはだいぶ詳しくなったが、技術的な面に関してはさっぱりだった。実は楽譜を読むことも苦手である。だからこそ楽器を弾ける人間はすごいなと尊敬する。高階は楽譜集を手に取りパラパラとページを捲っていた。そして該当のページを見つけ少し眺めた後、楽譜を譜面台に置きピアノと向かい合う。彼の細い指がおもむろに鍵盤を叩き始めた。

一気に音楽室が高階の音色で包まれる。トロイメライでも愛の夢でもない。となるとこれがドビュッシーの『夢』なのだろう。音の数は決して多くない。しかし印象的な曲だなと思った。高階の言う通り幻想的だ。心に沁み渡って、まるで深い夢の中にいるような──。

(……そうだ)

美都はあのとき見た夢を思い出した。果てのない暗闇の中、一人佇む自分。そこに響く声。

(──良くないものってなんなんだろう……)

その後に続いた「間違い」という単語の意味もわかっていない。これがもし守護者の力によるものであれば、近いうちに何かが起こるという暗示なのだろうか。ただの夢ということは本当にあり得ないのか。否、そうであったら良いと願う。迷っている間はきっと、初音と対峙することは出来ないから。

美都が難しい顔をして考えていると、あっという間に幻想的な曲が終わった。最後の一音を弾き終えると、高階は鍵盤からゆっくりと指を離す。その素晴らしい演奏に賛辞の拍手を送った。

「なんとか弾けました。ドビュッシーは印象派と言われるだけあって、やはり雰囲気が独特ですよね」

「印象派?」

「クラシックには、武道のように流派のようなものがあるんです。ベートーヴェンはロマン派、バッハはバロック音楽というように時代によって区分されてますね」

へぇ、と感嘆の息を漏らす。先ほど自分が抱いた印象的だという感想はあながち間違っていなかったようだ。

高階はピアノを片しながら話を続けた。

「月代さんが好きな『月の光』もドビュッシーですね。そう考えると彼の音楽は好みの傾向かもしれませんね」

「他にオススメの曲はありますか?」

「そうですね……『夜想曲』や『アラベスク』などはいかがでしょう? でしたら次はドビュッシーの作品を集めたCDをお持ちしますね」

「! ありがとうございます!」

美都はパァっと表情を明るくした。高階が勧めてくれる曲に間違いはない。それに『月の光』と同じ作曲家だと聞いて俄然興味が湧いた。楽しみが増えたなと思い顔を綻ばせる。

「途中まで一緒に戻りましょうか」

「はい!」

ピアノを片し終えた彼が、美都を扉へと促す。給食の時間帯なのであまり遅くなってはいけないと思いつつも、高階とのこの時間は楽しみでもあった。

音楽室を後にした二人は肩を並べて渡り廊下を歩く。

「先生は不思議な夢って見たことありますか?」

「不思議な夢──ですか?」

高階の演奏を聴きながら考えていたことを思い出し、美都はおもむろに高階に訊ねた。彼は目を瞬かせて美都の質問の答えを考え目線を上に向ける。

「そもそも僕は、あまり夢を見ないんですよね」

「そうなんですか?」

「えぇ。眠りが深いんでしょうね」

そう言って美都の方に顔を傾けながら高階は苦笑した。確かに夢は眠りが浅いときに見るものだと耳にしたことがある。

「お疲れなんですか……?」

夢を見ない程の深い眠りということは、日頃の疲れが溜まっているからだろうかと不意に心配になった。その声を察知したのか、彼はいつもの笑みを美都に向けた。

「いえいえ。昔からこうなんです。大丈夫ですよ」

「そう……ですか。あの、無理しないでくださいね」

そう高階に伝えると、彼は一瞬目を見開いたあとクスクスと顎に手を当てて笑いだした。その仕種に思わず首を傾げる。

「すみません。以前と立場が逆だなと思ってしまいました」

「あ……! その節は──えっと……」

「月代さんが元気になったのなら良かったです」

当時のことを思い出して顔を紅潮させる。居た堪れなくなって目線も外した。あのときは随分悩んだ。クラスメイトには上手く隠せたつもりだったのに、あろうことか週に数回しか顔を合わさない高階には見透かされてしまったのだ。

そう言えば、と思い出したように彼が口にする。

「新しく転校してきた──星名くん、でしたでしょうか。彼は大人しい子ですね」

「そうですね。まだ慣れてないっていうのもあるかもしれませんけど……あ、なんとなく高階先生と似てませんか?」

「僕とですか?」

美都の言葉にきょとんと目を丸くする。水唯と初めて会ったときにそう思ったのだ。確かに性格は違うかもしれないが醸し出す雰囲気が似ている気がする。

「って、わたしが勝手に思っているだけですけど」

「彼はどこか大人びた雰囲気がありますね。僕とは真逆のような気もしますが」

そうなのだ。水唯は年齢の割に大人びて見える。寡黙さがそう思わせるのかも知れないが、実質一つ年上の四季と並んでも遜色はない。逆に言えば高階はどこか無邪気な少年らしさがある。それゆえに中和反応が起こっているのかも知れない。

何気ない会話をして歩いているとあっという間に高階と別れる地点まで辿り着いた。互いに一度立ち止まって向かい合う。

「じゃあまた後で職員室に寄りますね」

「えぇ、お願いします。それでは」

会釈をした後、美都と高階は道を別にした。教室に着くまでに考えることは水唯と高階のことだ。自分で似ている、と思いながら本質は恐らく全く違うのではないかと思う。高階は誰にでも柔和な雰囲気で対応することに対して、水唯はあまり周りの人間とコミュニケーションを積極的に行わないようだ。それが彼のスタイルなのであれば無理強いすることは良くない。だが個人的にはせっかく隣の家で暮らしているのだからもっと仲を深めたいと思う。そんなことを言えばまた四季からお節介だと言われそうだが。






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