07 ごぶりん
まもなく暗闇から現れたのは、人間の子供くらいの大きさをした、二足歩行の生物。
色はよく見えないが、藁のパンツのようなものを履いており、手には真ん中に大きな穴の開いた斧のようなものを持っている。
「……これは、ゴブリンが自分の寝床の周囲に作る罠です。大きな音が鳴って、誰かが来たことを知らせるものなので、たぶん、あれはゴブリンです」
元の世界と魔物の習性が同じだと思って私が油断したせいで……、とユキは俯きながら呟く。
「どうする? 戦う? 逃げる?」
エリーナは突然のゴブリンの登場で、焦ったように周囲を見渡す。
しかし、入り口付近とはいえ夜の森に明かりはなく、遠くまでは視認することができない。
たかがゴブリン、と油断することは出来ない。
一対三と数では勝っているものの、相手は殺傷能力の高そうな武器を持ち、こちらは何も持っていない状況。周囲に転がっている毬栗を投げつけたところで、大したダメージにはならないだろう。
夜の暗さを活かして、見つからないところまで逃げるのが最善なのではないか、そうやってジュンが思った時だった。
「「え??」」
ジュンとエリーナが揃って疑問符を口にする。
それもそのはず、ゴブリンが、こちらに襲ってくるではなく来た道を引き返し始めたのだ。
数の不利を悟って、ゴブリンの方から逃げてくれたのか。
実は、素人が手ぶらで倒せるほどゴブリンは弱いものなのか。
確かに、ゴブリンが手に持っていた武器は、中央に大きな穴が開いた斧のようなものだった。
強度が落ちるのになぜ中央部に大きな穴があけたのか、それはゴブリンが非力であるために、重い武器を取り回せないからではないだろうか。
そんな甘い思考をしていたジュンは、ユキが難しい顔をしているのを見て思い直す。
例え相手がいくら弱いとしても、油断するのは禁物だ。
ましてや、底の知れない相手なら。
一度負けたらすべてが終わる。だからこそ、ジュンは気持ちを引き締め直した。
同時に、先ほどまで何かを考えこんでいたようだったユキが、指示を出す。
「……とりあえず、撤退しましょう」
さっきのゴブリンが戻ってくるかもしれない。さらに、仲間を引き連れてくるかもしれない。そう考えると、その考えは妥当のように思えた。
ジュンとエリーナもそれに頷いて、来た道を戻る。
大きな音をする罠を踏まないように、足元に気をつけながら。
周囲が暗い中、獣道を通り、枝や木の実を踏まないように気をつける。
外敵がいないかどうか、一定の時間置きに周囲を見渡し、問題ないことを確認しながら歩いて行く。
「そういえば、ユキってゴブリンと戦ったことってあるの?」
情報があるならば共有しておきたいと思い、ジュンはユキに問うた。
もし途中でゴブリンに遭遇したとしても、情報があるか無いかで大きく対処の仕方が変わってくるだろう。
そう思い、何気なく聞いたのだが。
「…………」
暗い顔をして、ユキが黙り込む。
これは、過去に何かがあったのかもしれないと思うも、あまり詮索してほしく無いのだろうと思いジュンはあえて問い質すことはしなかった。
ゴブリンに家族や大切な仲間を殺された、ゴブリンのせいで故郷が消えた、その他、諸々。
考えられることは多々あるが、とにかくゴブリンにいい思いを抱いていないことだけは確かなように見えた。
先ほどゴブリンが現れてユキが難しい顔をしていたのも、もしかすると何か嫌な思い出が蘇ってきたからなのかもしれない。
そんな中、誰も話を始めることなく時間だけが過ぎていく。
だんだんと森の出口に近づいているが、まだ砂浜は見えては来ない。
夜の森に、ただ足音だけが響いていた。
たまに風が吹き、枝と枝がこすれ合う音がする。
そして、ごく稀に遠くから魔物の鳴き声が響いてくる、夜の森。
しばらくしてから、意を決したようにユキが「あの……」と口を開く。
「こんな微妙な空気にしてしまって……すみません。ちょっと嫌なことを思い出してしまって、つい……」
その言葉を聞いて、エリーナは「全然大丈夫よ」と言わんばかりに首を横に振る。
「まあ、そういう過去は誰にでもあるものだし、気にしない方が良いわよ。ジュンもそういうトラウマみたいなことあるでしょ?」
「おいエリーナ。さりげなく俺に黒歴史の話させようとすんな。エリーナの方こそトラウマとか黒歴史とかいろいろ持っているんじゃないか?」
「うぐっ。そう言われたら確かに私にも黒歴史が……。でもあれは誰にも知られていないはず……」
「もしかして、服を前と後ろを逆にして着るのがかっこいいと思って一時期そうやって着ていたとか? あ、それ俺だったわ……」
「あの! エリーナさん、ジュン君! 気を遣ってくれているのは嬉しいですけど! さすがにちょっと注意が散漫になりすぎです!」
「「すみませんでした」」
ユキを励ますのに夢中で、つい注意が疎かになってしまっていた。
反省しなければ……。
ふとジュンがエリーナの方を見ると真剣な顔で足元と周囲を交互に警戒していた。
そうだ、今は生きて帰れるように警戒を怠らないようにしなければ。
命あっての物種だ。
そうして再び、三人の間には無言の間ができるのであった。
――しかし、そのまま無事に砂浜に戻れたわけではなく。
森の出口へ向かうにつれ、心なしか森の中がうるさくなってきたような感じがした。
三人以外の誰かの足音があるような、草木がこすれ合う音が増えたような。
かなり木と木の間隔が広くなってきて、遠くに海が見えるところまで来た。
あともう少しで森から抜けられる、そんなところで、エリーナの声が聞こえた。
「あ、ゴブリン……」
エリーナが指をさした先には、醜い外見の二足歩行の魔物、ゴブリンが武器を持って待ち構えていた。
「「あ……」」
ジュンとユキも、その現実に言葉を失い立ち止まる。
行く先に立ちはだかる、ゴブリン。どうやらジュンたちが気づかないうちに先回りをされてしまったらしい。
だんだんとユキの顔から血の気が引いていき、焦燥感のようなものが浮かんできているが、大丈夫だろうか。
「ユキ、大丈夫か?」
「……はい」
涙ぐんだ声で言われても大丈夫な気がしないが、残念ながら他にどうしようもない。
ユキを落ち着かせているうちにゴブリンに襲われたら元も子もないのだ。
ここはユキの言葉を信じるとして、目の前のゴブリンをどうにかするというのが喫緊の課題だ。
一旦落ち着いて、思考を整理する。
ゴブリンが行く手を阻んでいるが、どうすればいいだろうか。
その横を通り抜けようにも、手に持っている斧のようなもので攻撃されたら危ない。
だったら迂回しようか、そう思ってジュンが左に視線を動かすと、そこにはもう一匹のゴブリン。
さらに、左に視線を動かすと、やはりゴブリン。
「ゴブリンが一匹、ゴブリンが二匹、ゴブリンが三匹……」
「ごめんなさい! ごめんなさいぃぃ!」
ゴブリンが視界に増えていくごとにユキの顔色が悪くなっていき、ついに完全に取り乱してしまったような声が、すぐ後ろから聞こえてくる。
必死にゴブリンに謝っているが、言葉がゴブリンに伝わるはずもなく。
「落ち着け、ユキ」
「はい……」
気付けば、ゴブリンの群れに囲まれていた。




