02 ここはどこ? 私は誰?
ジュンが目を開けると、青い世界がその目に映った。
果てしない大空と、広大な海。
海水に濡れた砂の上に、ジュンは寝そべっていた。
ジュンは、何故目の前に海があるのか理解できなかった。
家の近くの道路、黒い歪み、広大な海。
何がどうなって今に至るのか、ジュンにはまるで分からなかった。
正体不明の、謎の黒い歪み。それに吸い込まれて、不幸にも命を落とした。
そのため今いるのは天界で、真っ白い部屋に自分と天使だけがいる。もしくは、ここは死後の世界で、永遠の楽園が広がっている。
そう考えるのが、妥当なところだろうか。
しかし、ジュンの身体には何の異変もなく、間違いようもなく生きていた。
そう、生きているのだ。
辺りを見渡してみても、周囲の音を聞いても、空気の匂いまでもが海辺のそれであった。
燦々と輝く太陽と、それを反射して輝く砂、鼓動するかのように繰り返す波の音、海辺特有の塩を含んだような香り。
先ほどまで歩いていた雨天の帰宅路ではなく、ここは炎天下の海岸線。
あの黒い歪みは、地球のどこか別の場所へ行くための転移門だったのだろうか?
ジュンは仰向けになり、しばらく漠然と空を眺めていた。
白い雲のゆっくりとした動きを、ぼんやりと目で追っていた。
波の音を聞きながら、一人寝転がっていた。
ただジュンは、混乱していた。
不安もあったけれど、それよりも困惑の方が大きかった。
もしくは、不測の事態に脳が思考を放棄してしまっていたのかもしれない。
とにかくジュンは、泣くことも喚くことも、しようとは思わなかった。
しばらくして、ジュンの足元に冷たいものが当たった。
それが合図となったかのように、おもむろに立ち上がった。
ようやくジュンは、ここがどこであるかを把握しようと思い至った。
制服のズボンの右ポケットに手を突っ込み、スマートフォンを取り出そうと試みた。
しかしそこには何も入っていなかった。
反対側のポケットからは、薄っぺらい小銭入れが入っているだけだった。
それでも幸いなことに、お金があることが分かったので、バスや電車などで家に帰ることができそうだと、ひと安心した。
スマートフォンがないので不便ではあるが、交通機関に乗ることができれば、あとはどうにでもなるだろうと考え、後ろを振り返った。
砂浜には、足跡のようなものは無かった。
黄土色の砂は、天から浴びた光を乱反射するだけだった。
砂浜はだんだんと草原へと変わっていき、緑で覆われた山へと続いていた。
土砂崩れの跡のような、山肌が丸見えの部分もあった。
そして、どこを見渡しても、アスファルトで舗装された道は見つからなかった。
炊事場やトイレのようなキャンプ施設も、もちろん見つからない。
そこにあったのは、人為的な物が全く存在しない、自然の景色だった。
それに気づくとともに、ジュンの心は一気に不安に染まった。
一体ジュンは地球のどこに転移させられたのだろうか?
とにかく、電車もバスもタクシーも、家に帰る手段が全く無い状況にジュンは呆然としていた。
当然ジュンは、このような場所など今までで一度も見たことが無かった。
実際にこのような場所に行った事も、テレビの特集で見たことさえもなかった。
まるで、未踏の秘境に、ある日突然放り込まれたかのような。
まるで、自然と共存していた原始人の世界のような。
まるで、世界で人間が自分だけになったような。
渦のように湧き上がる不安をどうにか押し殺すようにして、ジュンは小さく呟いた。
「ここは、どこだ……?」
★ ☆
しばらく海岸に沿って歩いてみたが、結局めぼしいものは見つからなかった。
海岸には砂浜と岩場があり、網や海藻が打ち上げられていただけで、ここから脱出するために使えそうな道具など無かった。
ずっと歩いても、やはり人が住んでいた証拠となるようなものは無く、どこまで行っても自然の産物で、人の気配さえもしなかった。
ただ、分かったこともある。
近くの森にはコンピューターゲームを彷彿とさせるような、ゴブリンやオークのような動物がいた。
さらに、漂着物の中にプラスチックごみのようなものは無く、網や海藻や、ごく稀に木造の船が難破したであろう瓦礫が見つかるだけであった。
空の色も、見慣れた色より少しシアンが混ざった色のように見え、太陽の色も心なしか赤が強めの橙色に見えた。
ここでジュンは、一つの仮説を立てた。
ここは、ジュンが先ほどまでいた日本ではなく、地球ですらなく、異世界なのではないか、と。
現代日本、いや現代地球として考えるのには、少々無理があるのではないかと思い始めていた。
まず、先程も挙げた通り、地球と生態系が違う。
地面に生えている植物をよく見てみると、テレビや図鑑でさえ見たことのないようなものが数多く見つかる。
そして次に、服がほとんど汚れていないということである。
学校帰りに黒い歪みと遭遇し、そのままここに連れてこられたため、ジュンは学校の制服を着ている。
そうして、気づいた時には砂浜に寝転がっていたはずなのだが、どういうわけか制服に砂が一粒も付いていないのだ。
さらに、草原を歩いているときに一度だけ転んでしまったのだが、普通なら草の色素の緑色がついてもおかしくないのに、制服には土がちょっと付いただけで、その土も気づいた時には消え去っていた。
極めつけは、魔法である。
ジュンは異世界モノのゲームやラノベに興味があったので、ある程度「空想上の異世界」というものの知識があったのだが、その「異世界」の多くで魔法が存在していたことを思い出していた。
試しにジュンが「ライト!」と口に出してみたところ、右手の掌の上で何かがぼんやりと光ったのだ。
蛍一匹が発する光に満たないくらいの小さな光源ではあったが、何度繰り返しても同じ現象が起こるため、ジュンは確信した。
ここは、異世界である。
それが分かると、おのずと目標も見えてくる。
あまりに現実離れした現状に呆然としてしまいそうだが、やるべきことは一つだけだ。
まずはこの地で自給自足しながら元の世界に戻るための手段を探す。
あいにくサバイバル知識のようなものはほとんど無いけれど、どうにか頑張って生き残らなければならない。
とは言っても、地球との生態系が違いすぎて地球でのサバイバル知識が役に立つとは思えないが。
しばらく歩いても誰にも会わなかったので、おそらくここには誰もいないのだろう。
それはつまり、一人で、どうにかして生き残らなければならない、ということだ。
自分の置かれた境遇に呆然としている暇はない。
もう既に、異世界生活は始まっている。
まずは、今日を生きて過ごすために食べ物の確保をしなければならないのだ。
そう考え、今度は森の中へ行こうと考え、足を動かしたときだった。
「……い!! ………………すか!!!」
声が、聞こえた。
僅かな音量ではあるが、確かに人間の、女性の声だ。
逸る気持ちを抑え、声が聞こえた方へと目を凝らすと、砂浜の遠くの方に二人の人間が手を振っているように見えた。