ニコ 四
【レベルが71に上がりました
上昇ステータス
体力プラス 11
物理攻撃力プラス 5
素早さプラス 17
魔力攻撃プラス 9
魔力防御プラス 14
魔力移送プラス 10
知力プラス 2
獲得魔法なし
次のレベルまで残り327769です】
空気に声帯がついたような声がグレイの脳内に響き、彼のレベルが上がったことを知らせる。
《エーテルの声》と呼ばれるそれは生得的に備わったレベル憑きの特徴の一つ。
魔物を倒すと、この声が獲得経験値やレベルアップ時の上昇ステータス、習得魔法の名称等を勝手に脳みそへと流し込んでくれる。
グレイの右腕を這う刺青がまたひとつ、増えた。
彼の足元には魔物が二匹、無残なバラバラ死体となって転がっていたが、間もなく液状化してこの世から失せた。
――クロノ。ロックベル。悪いな。経験値は貰っておくぞ。
瞑目し、心の中で弔う。
浴びた魔物の返り血は、人と同じく赤かった。
『グレイさん! 応答なさい! 今すぐ!』
彼の耳を、声が叩いた。
聞き慣れた幼いソプラノボイスに彼は応じる。
「取り込み中だ。後にしろ、オリヴィア」
そいつの名を呼ぶ。
グレイの耳に届く声の主は、数十キロ離れた平原にいる。
念話という魔法を使って、オリヴィア・エアバッハは遠くのグレイとコンタクトを取ったのだ。
団内では彼女だけが持つ特殊魔法である。
『後にしろ、ではありませんわ! 待機命令を無視してどこをほっつき歩いてましたの!? 何度も念話をしましたのに! もう!』
村に着いた時から彼女のコンタクトは何十と来たが、その全てをグレイはシカトしていた。
「うまい飯が食いたかったんだ。いい加減、オートミールは見るのも嫌なんだよ」
それが待機命令を無視してまでグレイがこの村を訪れた理由だ。
三十人近くいる団員の食事事情はよろしくない。粗悪極まる。
安価で保存が効き大量に作れるものばかり提供される。
しかもここ最近は食い物の備蓄が底を尽きかけていたので、質どころか量まで減らされる始末だった。
『レーズン入りのオートミールもありますわよ?』
「クソ以下だな。焼け石に水というやつだ。遠出して外食をしたくもなるさ。好きでもない紅茶を毎日飲めるお前とは違う」
『わたくしがいつ、紅茶を嫌いだと言いまして?』
「あんなしかめっ面で紅茶を飲む女は、俺が知っている限り、お前くらいのものだ」
『……ま、まあいいですわ。それで、あなたは今どこにいらっしゃいますの?』
ノアの繭の団長、オリヴィア・エアバッハの質問にグレイは「ラクマ村」と答えた。
その村の名を聞いた瞬間、オリヴィアが息を呑む。
『状況をお伝えますわね……湿地帯に向かったクロノさんの一班が全滅しましたの。今回の依頼主はラクマ村の村長さんでしたが、彼が事前に教えてくれた魔物の数が間違っておりました。一班だけでは対処できず、結果は惨憺たるものでしたわ』
「数の間違い?」
『村長の話だと湿地帯の魔物は二匹。実際は百三匹でしたの』
「それは間違いではなく、ただの嘘なのでは?」
『わたくしのせいです。村長の報告の裏を取るべきでした。その百三の魔物の内、約半分が軍勢となってわたくしたちの《監獄》に向かってきましたわ』
「そして残り半分が、ラクマ村にお邪魔した、というわけか」
『ええ。こちらにきた魔物は団員総出で処理して、少し前にようやく片付きました。死者は五名。全員《変化》しましたが、迅速に処理させていただきましたわ』
隠しきれない苦味が声には混ざっていた。
『それと、先程、魔物の数は百三匹と申し上げましたが、正確には、百三プラス四でしたわね……団を襲った魔物の中に、ドミトリーさんとランさんがいましたの。ご安心を。彼らもこちらで、眠らせましたから』
魔物の増殖方法は謎だらけだ。
子を成すという状況すら、観察できた者は皆無。
魔物の増え方で判明しているのは二つ。
一つはどこからか仲間を呼ぶ。
もう一つは――レベル憑きを使う。
「そうか」
『ロックベルさんとクロノさんは、グレイさんのところに、いらっしゃいますか?』
「殺した」
『…………』
「両名とも俺が殺した。問題あるか?」
『いえ……正しい判断ですわ』
グレイの瞼の裏にニコの顔が浮かんだ。
「なあ、団長。村に一人、レベル憑きの子どもがいたんだ。そいつ、団員に加えてもいいか?」
『あら、勧誘ですか。相変わらず、あなたはレベル憑きにはお優しいんですのね』
「……俺もお前に勧誘されて入団した口だからな」
グレイの目の前を一人の子どもが走っている。
先程、料理店の勝手口でニコに石を投げつけた悪ガキのうちの一人、グレイの頭突きを食らったあのデブガキだった。
『構いませんわよ。グレイさんがお認めになったのですから、断る理由はありませんわ』
「話が早くて助かる」
『無論、勧誘した人間がお亡くなりになるのは論外です。今から監獄をラクマ村に走らせます』
「観光にでも来る気か? ここ、何もないぞ」
『あなたを助けに行くんですわ! 決まっておりますでしょう! 冗談は結構ですので、わたくしたちが到着するまで、死なないように足掻いてくださいな!』
デブガキは血相を変えて、後ろから迫る三メートルのA型魔物から逃げていた。
「だすげで!」
手を伸ばし、涙と鼻水だらけの顔でデブガキはグレイに助けを求める。
「ゆっくり来ればいいさ」
グレイは、それを無視して念話を続けた。
努力虚しくデブガキは追いつかれる。
魔物は彼に噛みつき、引きずり倒して馬乗りになった。
次いで、柔らかくて脂肪たっぷりの腹部に歯を立てて食らいつき肉をひっぺがす。
「お前らが着くまでに、村の魔物は俺が一匹残らず、殺しておいてやる」
ぐちゅ、ぶちゅ。
自分のモツが飛び散る音を耳で味わいながら、デブガキは絶命した。
デブガキが魔物に食われる様をどうでも良さそうに観察しつつ、グレイはオリヴィアとの念話を終える。
助けるチャンスは何度もあったが、助けるつもりは毛頭なかった。
「テスラ」
死体を貪るA型魔物に向けて雷撃魔法を発動。デブの亡骸ごと感電させ、焼き焦がし、黒いカスに変えた。
◇◆◇
少し歩くと、グレイはまた一人の村人とエンカウントした。
頭から血を流したそいつが、ぜぇぜぇと息を荒げながらグレイの肩を掴む。
「頼むゥ! 助けてくれろォ!」
耳元で叫ばれる。
興奮しているせいか、声が裏返っていた。
顔には覚えがある。あの料理店の店主だ。
そういえばこの場所は料理店の近くだったとグレイは気づく。
顔を左に向けると、店主のお店の周りをB型の魔物が包囲し、毛むくじゃらの猿の手で切妻屋根を引き剥がしていた。
「お、おれ、娘がふたりいんだ! んで、娘どもがまだあん中! 店ん中! お客さんさっきとんでもねえ力でバケモンを倒してたろ? あれ使ってよォ、オレの家族を助けてくれよォ!」
店主の店は二階が自宅となっており、ちょうど村の学校から娘たちが帰ってきたところで魔物の侵攻を受けた。
店主はかろうじて逃げ出せたが、彼女等は家に閉じ込められたままだった。
店主の必死の哀願に対し、
「嫌です」
グレイは、あえて敬語で答えた。
「い、いやってェ……お客さん、な、なにいってやがんのォ……」
「まず、俺はお前の客じゃない。お前に飯を出して貰った覚えがないからな。俺はあくまで、あの店にいた客の夫婦からピラフを買っただけだ」
「め、飯ならあとでいくらでもさァ! 後生だからァ、頼む! 頼むゥウウウウウ!」
店主がグレイの右手の手袋を力いっぱい引っ張った。
グレイは店主の腕を即座に引き剥がし、
「これに触るな」
手袋をかばいながら怒りをあらわに声を荒げる。
淡褐色の双眼には明白な敵意と憎悪が滲んでいた。
店主がその場で跪き、拝み屋のように両手を合わせて、救いを懇願する。
「俺たちを嫌うのは勝手だが、いざという時に助けてもらおうだなんて虫の良いことはほざくなよ、頼むから――と、あの時、俺はちゃんと伝えたはずだが?」
「あ、あんたをバカにしたことはごめんすっからァ! すまんこォ! この通りだァ!」
「謝罪対象はもう一人いるだろ? この村の人間どものせいで視力を奪われた子どもが」
「怖かったんだァ。あんたやあの娘っこがァ。呪われた子どもとか、魔物が産んだ子どもとかってみんながいうからァ。レベル憑きが何なのか、魔物が何なのかもよくわからずにィ、一緒になって、い、いじめちまったんだァ……許してくれ。ご、ごめんなさいィイイイ!」
「――魔物と呼称される生命体は三百年前、東方大陸に現れた」
「へ? あ、あんた、な、なに、いってんのォ……」
「突如として地上に姿を現した連中は――ひたすらにでかくてひたすらに凶暴でひたすらに数が多く、目につく生き物はだいたい食う。魔物が通った土地は文字通り《平ら》にされて何も残らない」
非礼を詫びるために土下座した店主の頭上から、グレイの講義が降ってきた。
「東方大陸は魔物出現から二百年程で、奴らに食い尽くされて完全に終わった。連中はそこだけじゃ飽き足らず、海を越え、北方と南方の二つの大陸にも勢力を伸ばした。抵抗した人間は例外なく殺された。人間は魔物には勝てない。人の作ったどんな武器を使ってもやつらは殺れないんだ。けどな――」
グレイがロングコートの袖をまくり、腕に刻まれた青い刺青をさらけ出す。
「俺たちレベル憑きなら、殺れる」
「そ、そんなことより家族、家族、早く家族助けてェ!」
「そんなこと? お前、レベル憑きや魔物が何なのかよくわかってないんだろ? だからこうやって教えてやっているんだ。ありがたく聞け」
二人の娘の悲鳴。
そして助けを呼ぶ声が店の中から聞こえてくる。
店主は、うわぁ、あうぁあ、と声にならない叫びを上げながら頭をかきむしった。
「魔物の出現と同時期にレベル憑きも誕生した。人種民族性別親の血縁は関係なく、毎年の出生数のうち約二%はレベル憑きとして生まれると言われている。右手の甲に数字の刺青を持つ俺たちは文字通りレベルという概念を持ち、魔物を倒せば倒すほどレベルが上がっていくんだ」
屋根をひっペがしたB型魔物が、突き出たギョロ目で店の二階を上から覗き込む。
「レベルが上がるとレベル憑きは魔法を覚える。お前が見た《とんでもねえ力》がそれだ。覚える魔法はレベル憑きによって様々だが、攻撃魔法はどれも魔物にとっては弱点。効果は抜群だ」
B型の魔物は熊が蜂の巣に手を入れて中のはちみつを舐めるように、二階の部屋の隅で震えていた長女と次女のうち、まずは次女の足を摘んで逆さに持ち上げた。
「魔法だけではない。レベル上昇に伴って身体的、魔力的ステータスも強化される」
珠のように可愛い次女の頭が胴体とお別れし、B型魔物の口の中に飲まれた。
続けて胴体も同じように食した。ごちそうさまは無かった。まだ料理は残っている。
次の料理に取り掛かるために魔物が長女を掴んだ。
店主の長女も次女に引けを取らない美貌を持っていた。
――痛い痛い痛い! いやああああ! おとうさん! おとうさああああん!
恐怖に歪み、悲痛な叫びを上げるその顔すらも美しかった。
「俺たちは強い。普通の人間よりな。そして魔物を倒す力を持っている。いいことづくめだ」
別の魔物が動いた。おれにも寄越せといわんばかりに、長女を掴んだ魔物に詰め寄り、そいつの手から長女を奪い取ろうとした。取り合いになった。引っ張りあいになった。片方が長女の上半身を、もう片方が下半身を持って――いやいやいや! 引っ張らないで! ブチ。長女は二つに千切れた。血と贓物の雨が局所的に振る。
亡霊のような雄叫びを店主は上げた。
次女と長女が食われる様を横目に、グレイの講義は続く。
「だが、レベル憑きに生まれてラッキーとはならない。今まで話してきたレベル憑きの利点を残らず帳消しにするような、最低最悪の欠点が俺たちにはあってな」
言うまでもないことだが、
店主はグレイの話など聞いていなかった。
「この人殺しクソヤロォオオオオオオオ!」
店主がグレイに飛びかかる。
レベル憑きの講義を邪魔されたグレイは内心でイラっとした。
「人聞きの悪いことを言うな。俺は殺してないぞ」
「おれの宝物が死んだァ! てめえのせェ! てめえがおれの家族を救わねえからァアア!」
首を締めてきた店主をグレイは蹴り飛ばす。店主はあおのけざまにひっくり返った。
「なあ、俺とニコは飯を食いたかっただけなんだよ。けど、お前、食わしてくれなかっただろ。注文を飛ばして俺とニコを餓死させようとしただろ。おおげさ? 違うな。飯を出さないってことは、つまるところ、レベル憑きなんて腹空かせて死ねという意思表示をしたということだ」
起伏のない、意図的に自己抑制した声でグレイは伝える。
「俺たちを嫌って餓死させようとしたクソとそのご家族を、なぜ俺は助けないといけない? 逆の立場だったらお前は助けるか? 助けないだろ? なあ? なあ? なあ?」
血の通っていないかのような冷たい目が、店主を射抜いた。
「助けたきゃ、自分でいけよ。宝物だったんだろ? お前の」
返答はなかった。
あるはずもない。
握りつぶされた人間はお喋りなどできない。
店主の背後に現れたB型魔物の腕が彼を――粘り気のあるひき肉のような何かに変えたのだ。
店主の死体を確認した後、グレイは先程のA型と同じく、テスラでB型を屠った。
――さて、残りの魔物も順次、潰すか。
歩き出そうとする彼の背中に、鈴のような声がかかる。
「グレイさん」
振り返った。
この村で唯一、グレイが救おうと決めた人間が、
彼の後ろに立っていた。