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自走する監獄  作者: 日下鉄男
本文
4/30

ニコ 二


 湿地帯は、ラクマ村から馬を走らせて四半刻程でたどり着く。


 クロノは第一班のメンバーを引き連れて、魔物が出るとの情報があったその場所を訪れていた。


 報告によれば敵は二匹。第一班はクロノも含めて四人。


 魔物はA型種の雑魚だ。勝つのは当然として、問題は誰にトドメを刺させるかだなと、クロノは考える。


 ランは三日前にレベルが二上昇していたから遠慮してもらうとして、ドミトリーは最近レベルが上がっていないな。ロックベルも魔物の討伐数がやや減少傾向にある。


 よし、最後の一撃はこの二人に任せよう、とクロノは結論を出した。二匹の魔物の経験値を均等に稼いでもらうのだ。


 クロノはこういう場合、仲間たちがどうすれば平等に経験値を稼げるかについて、常に計算し、最善の討伐策を導き出そうと思案する。まさに第一班の班長に相応しい存在であった。


 四名の団員たちは湿地帯に入り、膝まで浸かった状態で沼の上を歩く。


 女性団員のランにこの沼臭さは酷だろうが、我慢してもらうしかない。


 ――まあ、さっさと終わらせて帰ろう。うちの班は皆、レベル50超えの精鋭ばかり。そこらの魔物に負けるなんてありえない。たかが魔物二匹、赤子をひねるように、殺してやる。


 そう、クロノは思っていた。


 油断以外の何物でもなかった。


 魔物の出現位置にたどり着いた時、彼は自分の見通しがどれだけ甘かったのかをまざまざと思い知らされた。


 絶望の中、


 仲間が裂かれ、


 千切られ、


 食われ、


 変えられるさまを目撃した後。


 クロノ自身も、


 魔物の牙に捕らえられ、


 人としての生涯を終えた。



◇◆◇


 

「家はどこだ? 送ってやる」


 最初、ニコはその申し出を恐縮して断ったが、グレイとしても、さすがに盲目の少女を一人で帰らせるわけにはいかない。


 遠慮するな、と食い下がったら、遠慮しつつも自宅がある北西の方角を指さした。


 彼女に案内されながら、街の大通りを歩く。


 盲目といえどもそこは勝手知ったる場所。


 十年以上歩いている道は風の匂いと地面の感触で判別できるのか、ニコの足取りに迷いはない。


 目が見えずとも料理店の勝手口に一人でたどり着けたのは、この土地勘によるものだった。


 二人で歩いていると、途中、ニコは人のいない小道に入った。


 大通りを歩くと、村人にジロジロと見られてしまうからだ。


 グレイがいるせいもあるが、それだけではない。


 むしろ赤コートの異人であるグレイがいるおかげで、絡まれずに済んでいた。


 声の大きな酔客や村の子どもがそばを通るたび、ニコは警戒しなければならない。


 酔っぱらいと子どもは要注意だ。


 嫌がらせ率が高すぎる。


 ニコが一人で道を歩いていると、彼らはわざと彼女に足を引っ掛け、転ばし、唾を吐き、足蹴にする。


 止める人間は皆無だ。


 だから本能的に人の少ない場所に彼女は逃げ込む。


 小道に入り、グレイ以外からの視線を感じなくなると、ニコはほっと胸を撫で下ろした。


 心に余裕ができた彼女は、店にいた時から気になっていたことを尋ねた。


「グレイさんも……レベル憑きなのですか?」


「ああ。お前よりレベルは高いけどな」


「お、おいくつ?」


「70だ」


 ニコがあんぐりと口を開ける。


「わ、わたし……1です。すみません」


「見えないのに、わかるのか?」


「は、はい。昔は、その、見えていたんです。視力を失ったのは3年ほど前でして……」


 そう口にするニコの顔に悲壮感はない。


 楽しいのだ。


 グレイとお喋りできることが。


 グレイさんは、わたしを嫌わないでいてくれる。否定しないでいてくれる。そんな当たり前のことが、彼女には新鮮だった。


 ――失明の原因は、おそらく、ストレスだな。


 グレイは推測する。生まれた時から差別され続けた少女は心を病み、光を閉ざした。


「レベルってどうやったら上がるんでしょう?」


 レベル憑きにあるまじき質問。


 村には彼女以外レベル憑きはいない。


「母親から、何も教わらなかったのか?」


「す、すみません! お母さんは普通の人なので」


 怒られたと思ったのか、ニコの肩がびくりと跳ねた。


「すまん。詰問するつもりはなかった」


 フォローに入るグレイ。平素よりの口の悪さを彼の《仲間》は認めているが、出会ったばかりのニコはまだ慣れていない。


「お前の母親が普通の人間なのも当然だ。レベル憑きの親がレベル憑きであることは、ほとんどありえないからな」


「そ、そういうものなんですか?」


「そういうものだ」


 生まれた子どもがレベル憑きになるかどうかは完全なランダムで、血縁等には左右されない。


 子どもに憑き物の刺青があった場合、多くの親は我が子の遺棄や殺害を決意し、実際に決行する。


 が、ニコの母は、神を信じていた。


 ゆえに、我が子を手放すなど、できるはずもなかった。


 ――私の子は神様からの授けもの。だから、誰がなんと言おうとニコは私が育てる。


 ニコの顔に暗い影がさす。


「お母さんはわたしを大事にしてくれています。でも、わたしを生んだせいで、お母さん、村の人たちから嫌われちゃいました。お父さんも、お母さんを捨てて村を出てしまって……」


 愛する母に迷惑をかけているという強い罪悪感をニコは心の内に抱いていた。


「母親のことは好きか?」


 グレイの問いに、ニコは首を縦に振った。


 力強く。迷うことなく。


「なら、それでいい。それ以上のことは考えるな」


 早々にグレイは話を切り替え、先程のニコの質問に答えた。


「レベルの上げ方は簡単だ。魔物をぶっ殺して経験値を稼げばいい」



◇◆◇



 村の外れまで歩くと、ニコの家が見えてきた。


 安普請な家だ。


 村人からは《豚小屋》と揶揄されていた。


 近くにはアニア川という大河が流れているが、村人が生活用水として使っているのか、謎の悪臭が立ち込めている。


 ――いや、違う。


 グレイは気づく。


 ――この臭いの元は、川じゃない。


「部屋、入るぞ? いいな?」


 悪臭は明らかにこの家の中から漂ってきていた。


「ど、どうぞ、あ、でも、中に生ゴミの袋が残っていて。すみません。いつもはお母さんが捨ててくれているんですけど、まだみたいで……お部屋、ちょっと、臭いかもしれません」


 グレイは記憶の棚から、出会った時のニコの発言を引っ張り出し、要約する。


 ――もう三日も何も食べていない。母親は何日も前から声が聞こえない。


 グレイはニコを後ろに下がらせた。


 人様の家の扉に手をかけ、一気に開ける。


 悪臭の暴力がグレイの鼻を殴った。


 我、自由を得たり、と言わんばかりに、密集した黒い塊が開け放たれた扉から外に溢れる。


 蝿だった。


 部屋のベッドの上に臭いの発生源は、いた。


 皮膚は青黒く変色し、腹が膨張していた。鼻と耳の穴から悪い汁が垂れていた。全身に無数の蛆や蝿が湧いており、開いた口の中にも侵入している。


 死後七、八日ってところか、とグレイは推測した。


 死体の前髪には翡翠の髪飾りがあった。ニコのつけているのと同じものだ。


「お前の、その髪飾り、誰から貰ったものだ?」


「えと、お母さんです。おそろいなんです、これ。お母さんと、わたしのおきにいりです」


 物証が出た。


「あの、グレイさん、どうしたんですか? 声が、こ、怖いです」


 グレイは部屋の中に土足で入っていく。


 ニコも後からついてくる。


 死体のそばにいくと、魂の抜けた左手に何か持っていることにグレイは気づく。


 それは小瓶だった。中身は空っぽだが、残された数滴の液体の色味から、毒物だとわかる。


 振り返りニコを見る。光のない少女の双眸は何も捉えない。


 幸いだと言えよう。母親のこんな姿を見ずに済んでいるのだから。


「自殺だ」


「ふえ?」


 隠していても仕方がない。


 腐った死体は伝染病の温床だ。寄り添ってはいけない。


「死んでいる。お前の母親は、薬で、命を断った」


 遺書は残されていなかったが、死体の状況を見るに、自尽じじんなのは間違いない。


 ニコは、その場にへたり込んだ。


 魂が抜けたように、じっと俯き、口の中でブツブツと意味のない言葉を転がす。


 グレイは思った。


 ――こいつは薄々感づいていたのかもしれないな。


 ――母の死を。


 一分後。


 ようやくニコは立ち上がり、フラフラとした足取りで母親の眠るベッドへ向かう。


 その途中で床に落ちた蛆に足を滑らせる。


 転んだ先は母の身体だった。その肉体を領土にしていた蛆どもがニコの重みで潰された。ぶちゅ、という不快な音。


「いや、いや、いや、いやあああ!」


 怖気立ち、顔や服に付着した蛆の死体を払うと、ニコは勢い口を押さえ戸外に出た。


 せり上がったものを地面にぶちまける。うげ、おげ。


 グレイがニコに歩み寄り、彼女の背中をさすった。


「グレイさん。わたし、わたし。お母さんが、お母さんが!」


 少女は、その細腕に精一杯の力を込めて、グレイの服を掴み、彼の胸の中で絶叫した。



◇◆◇



 母親の死体はアニア川に流した。


 提案したのはニコだった。


 この村では死者は水葬で送る。


 流された死体は海に向かい、そこで分解されて魂は空に還る。


 村の民間信仰に基づくものだ。


 レベル憑きという呪われた子どもを産み、差別の対象になっていたニコの母親も、最後は他の村人の死体と同じく、家族によって平等に付された。


 その後は、部屋の掃除。ベッドは溶けた人間の体液で汚れて使い物にならないから、もう捨てるしかなかった。


 作業はグレイ一人で行った。


 ニコも手伝うと言ったがグレイは断った。


 傷心の彼女に母の悪臭で充満した家の清掃をやらせるのは、さすがに忍びない。


 一通りの清掃を完了させると、終わったぞ、と言ってグレイは外で待たせていたニコを呼ぶ。


「悪い。壁や床は腐敗臭が染み込んでしまっていてな。原状回復は無理だった」


「いえ……だいじょうぶです……ありがとう……ございます」


 全く大丈夫じゃなさそうなか細い声でニコは感謝を述べる。


 その後には、長い沈黙が続いた。


「……ねば……よかった……」


 伏し目がちに座っていたニコの口が、ぼそりと動く。


「生まれたときに自分で自分の首を絞めて……死ねばよかった……」


 彼女は左手を右手の甲に重ね、爪でガリガリと、青い刺青を掻きはじめた。


「わかっていたんです、はじめから。お母さんは、口には出さなかったけど、ぜったいに、わたしのことが負担になってたんです。がんじがらめで、どうしようもなくなっていたんです」


 自殺に追い込まれるほどに。


「お母さんはいつも謝っていました。村長さんや村の人たちに」


 ニコを村に置いてあげてください。ニコは悪くないんです。私がちゃんと産んであげられなかったから。この子がレベル憑きになってしまったのは、私のせいなんです――


 ガリガリ、ガリガリ。掻きむしられた右手の甲が、次第に赤黒くなっていく。


「こんな刺青があるせいで……お母さんは……わたしは……」


 グレイがニコの手首を握り、自傷を止めさせた。


 光のない目がグレイに向けられる。


「教えてください……わたしはなぜ、レベル憑きなんかに、生まれてしまったんですか?」


 答える代わりにグレイは自分の右腕の袖をまくった。


 彼はニコの手を、刺青が彫られた自分の腕に触れさせる。


 筋肉質な感触が少女の手のひらに吸い込まれた。


 おとこの人の腕だとニコは思った。


「この右腕全体が、青い刺青で埋まっている」


 と、目の見えないニコに、グレイは説明した。


「レベル憑きはな、レベルが上がるとこの刺青がどんどん増えていく。増えれば増えるほど強くなる。そして、レベルが上がれば《魔法》を使えるようになれるんだ」


「ま……ほう?」


「超常の力だ。レベル憑きだけが獲得できる。いいか。俺たちレベル憑きはな、最強なんだよ。魔法が使えるからな。俺たちを嫌っている人間は多いが、奴らは俺たちに勝てない。絶対にだ。弱いんだよ、あいつらの方が。どうして、俺たちより弱い連中が、俺たちを差別できる?」


 少しだけ、グレイは感情的になった。


「お前はもっと自分に自信をもっていい。レベルさえ上がれば、村の誰もお前に勝てなくなる。目が見えないなんて関係ない。それはハンデですらないんだ」


 我ながらどうかしている台詞を吐いているな。俺らしくもない、と内心でグレイは自嘲した。


 ――別に境遇が似ているとは思わん。レベル憑きの人生に差別はつきものだ。


 ――同情ではない。たんにむかついただけだ。この村に来て、残飯漁っているこいつの背中を見た時、嫌に胸が軋んだ。だから声をかけた。かけざるをえなかった。


 ニコの目から雫がこぼれた。


 ポタポタと右手に落ちて、青い刺青が宿った皮膚に染み込む。


「どうして、そんなに、やさしいんですか?」


 滂沱の涙で顔をくしゃくしゃに崩しながら、彼女は吐き出す。


「お、お母さん以外に……やさしいひとにあったことないんです。村のひとみんな怖くて何もいいことなんてなかったんです。だからこんなにやさしくされると、ど、どうしていいかわからなくて……ううっ」


 泣き止まないニコの頭に、グレイの大きな手がのった。


「一緒に来るか?」


「ふえ?」


「俺たちの団に、来るか?」


 グレイは言う。


 《ノアの繭》という傭兵団に俺は所属している、と。


「団員は全員レベル憑きだ。誰もお前を差別なんてしない」


 同じ属性を持った者同士、付かず離れずの関係を維持している。


「でかくて二本足がついてる乗り物があってな、俺たち傭兵団はそいつに乗って大陸中を巡っているんだ。一応、拠点と定めている国はあるがな。ミリア王国というんだ。豪雪地帯で一年の半分は雪に覆われている」


「雪!?」


 ――お母さんが読み聞かせてくれた絵本に書いてあった、白い綿のような結晶。存在するんだ本当に。


 オーロラ。滝。砂漠。大渓谷。霧の国。重工業の国。旅で見聞きした自然や国々の話をグレイは語り、ニコは食いつく。


 彼女の頭の中で空想の風景が広がり、世界地図が更新される。


「あの……にゅうだんしかくは?」


「魔物を倒せるかどうか、だな」


 グレイはあえて、倒す、というソフトな表現にとどめた。


「で、できるでしょうか、わたしに」


 魔物が何なのか、ニコは未だによくわかっていない。


 理解しているのは人類の敵。


 そして、レベル憑きも一般人からは魔物と同一視されていること。


「レベル1じゃ無理だ。魔法を覚えるのはレベル2以上だからな。だがまあ心配するな。最初に倒す魔物は団員の誰かがすでに弱らせたやつだ。反撃はしてこない」


 窓から差し込んだ陽光が彼女の顔を照らす。


 先程まで沈んでいたニコの顔に希望が宿った。


「お願いします。わたしを――」


 胸の前でニコはぎゅっと右手を握りしめる。


「その団に、いれてください。わたしをここから……つれだしてください」

 

 盲目の少女の力強い言葉にグレイは頷いた。

 



 三秒後、OGYA、が、きた。



 

 ニコが空から降ってきたその《声》に気づく。


「赤ちゃんの……泣き声?」


 ――違う。鳴き声だ。


 赤ん坊の鳴き声がどんどん大きくなっていく。


 ――まさか、失敗したのか?


「ニコ」


 感情を殺し、神経を尖らせながらグレイは声を上げた。


「頭を下げろ。俺から離れるな」


 そして彼は唱える。


 人類の敵に対抗できる唯一の力。


 レベル憑き(忌み子)の魔法を。


「穿つもの、削るもの、刺突し抉り砕くもの、この手に宿れ――幻影剣!」


 バチバチバチバチッ! 火花放電のような音と光が彼の左手に生まれ、刹那――


 影像の大剣が、この空間に形をなした。


 ニコの家が、巨大な黒い猿のような腕によって破壊されたのは、その直後だった。


*******************


【グレイ・メンデルスゾーン】


Lv70

体力:700

物理攻撃力:720

素早さ:760

魔力攻撃:690

魔力防御:647

魔力移送:680

知力:488


獲得済魔法:

・幻影剣 Rank4

・テスラ Rank4

・コード・ウォール Rank3

・グラビティ・エンジン Rank1

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