エピローグ
完全変態の魔物、マーレイ・フーガには、不完全変態よりも高性能な自己修復能力が備わっている。ゆえに五日も経つとマリアに空けられた身体の穴は塞がれ、切られた左足も再生した。
身体が治るとマーレイは動き出す。
王都は更地となってしまっており、マリアの火の玉に巻き込まれた死体は大半が炭化して大地に吸い込まれてしまったが、収容区に落ちている死体はいくつか回収できた。
その中には、パープルもいた。地下水路の土砂を掘るとレッドの亡骸も見つかる。そこにはミリア人の母娘も眠っていた。フールやネオはバラバラになりすぎて回収ができなかった。
森の中ではスノウが、大木の根に頭をのせて横たわっていた。
回収してきたどの死体よりも、彼女の死に顔は安らかなものだった。
きっと死の最後まで大切に扱われたのだろう。
ミリア人、収容区のレベル憑き、ノアの繭の団員――彼らの死体をできるだけ多く集めると、森の中に掘った穴に埋葬した。レベル憑きも人間も関係なく、ここではみんな一緒だ。
大きな両手を合わせ、マーレイは彼らに祈りを捧げる。
鎮魂も埋葬も、不完全変態の魔物には見られない文化だ。
失われた記憶。レベル憑き(人間)だった頃の自分を思い出したマーレイにとって――人であり続けようとするマーレイにとって――それは、必要不可欠な義、であった。
マーレイは森林地帯から離れない。
森の奥に存在する大きな繭を守るためだ。
繭はデリケートなものだ。森の獣にも森に足を運んだ人間にも不用意に触らせてはならない。
さしずめ巣の中の卵を守る雌鶏のような心境であった。
母性のようなものすら芽生える。
こう見えてもマーレイは女なのだ。
季節はめぐる。
中西部にもやがて冬が訪れる。
厳冬の季節だ。世界は白銀に覆われた。
繭の中の二人が冷えないように、また、積もった雪の重みで繭自体が潰されないように、彼女はその巨体で繭に覆いかぶさり、監獄のかまくらを作って寒さと雪害から二人を守った。
豪雪地帯の長い冬が終わり、ようやく春がくる。
何もかもが吹き飛んだ王都――雪解けの地面から、ぽつぽつと、緑の命が芽吹いていた。
再びの、夏。
木々が生い茂り、野生の動物が駆け回り。降り注ぐ陽光の中にマーレイの姿はあった。
預かり物をしていたことを、マーレイは一年ぶりに思い出した。
それは、オリヴィアが預かり、マーレイに渡した物。
彼女の体内の三層フロア一角。そこはグレイという名の元レベル憑きの部屋。
監獄でできた室内。本棚の上には、かつて盲目の少女が使っていた翡翠の髪飾りが置いてあり、その横に、薄汚れた指ぬきの手袋が一対、隣り合わせで配されていた。
――グレイさんが起きたら、預かり物を返してあげてくださいな。
オリヴィアの頼みだ。断るわけにはいかない。
どくん。繭が動いた。心臓のように命の鼓動を刻む。
邂逅の時だ。
繭が割れた。
頭と右腕が半分くらい出てくる。
右腕には《彼女》に比して小さな、裸の《人間》が抱きかかえられていた。
《彼女》は、なんとか上体を押し出そうとするが、繭が邪魔をしてうまく抜け出せない。
仕方なく、マーレイは手伝いを始めた。
巨木のように大きな腕を伸ばし、手で繭を摘んで、粘着性の糸を慎重に引き剥がしていく。
全く。
これでは文字通り、殻を破る雛の手助けをする母鳥ではないか。
内心で自嘲しつつ、マーレイは積極的に手を動かす。
糸を剥がせば、それに応えるように《彼女》は一歩ずつ、確実に、繭から出てきてくれる。
産道のようなその繭を引き剥がす行為を続けていく内に、次第に彼女は楽しくなってくる。
頑張れ、と、内心でエールを送りながら。
彼女と彼の誕生を祝いながら。
マーレイは二人を縛る繭の糸を剥がし続けた。




