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自走する監獄  作者: 日下鉄男
本文
3/30

ニコ 一


 料理店の正面口。木製のスイングドアが開く。


 開閉音を受け、中の客たちは食事を止めて、来店者二名をマジマジと見つめた。


 視線の大半はニコに集中している。


 彼らの瞳に宿るは嫌忌。それ一色。


 きったねえレベル憑きが来やがった、と目で語る。


 赤コートの男――グレイは、ノロノロと面倒そうな足取りでやってきた給仕に、


「席」


 とだけ伝えた。


「…………」


 給仕が店内の隅の丸テーブルを無言で指さす。


 他の席から離されており、テーブル自体もやけに汚い。


 塗装は禿げ、椅子の足は今にも折れそうなほど危険な形に曲がっている。


「わからんな」


 グレイは呆れ返り、わざとらしく頭を振った。


「空いてる席はまだあるだろ。なぜわざわざあんな黴臭い隔離席に座らないといけない?」


「あそこがこのの指定席ですので」


 冷たく言い放つ給仕を前に、ニコがグレイの袖を引っ張る。


「す、すみません。わたしはぜんぜん大丈夫です。通してくれるだけ、ありがたいです」


「だがな……」


「ほ、ほんとうに大丈夫ですから! わたしあの指定席好きですので!」


「……わかった」


 ニコの手前、グレイもこれ以上の文句は止める。


 ネズミが齧り尽くしたようなボロ席に二人は着座した。


 目の見えないニコはいったん手でテーブルと椅子を一通り触り、感触を確かめてから座った。


「視覚障碍者用の杖は? 持ってないのか?」


「な、なくしまして……すみません」


「なぜお前が謝るのか」


 グレイが店員に声をかけ、ラクマピラフを二人分注文した。


 羊のお肉を具に用いたピラフらしいです、とニコが言った。


 らしいというのは、母親から聞いただけで本人はまだ食べたことがないのだ。


 生まれた時からずっと村に住んでいるにもかかわらず。


「こちらから誘っておいて何だが、警戒しないのか?」


「けいかい、ですか?」


「俺が善人とは限らない。目の見えないお前を騙して攫うクズかもしれない」


 ニコはしばし考えた後、グレイの問いに答えた。


「お母さんがいってました。その人が、いい人か悪い人かは、その人の声を聞けばわかるって」 


「なら、俺は合格か?」


「ぐ、グレイさんは、ちょ、ちょっと棘がありますが、でも……とても優しい声をしています」


 自分の声を優しいと評価されたのは初めてのことだったので、グレイはしばし面食らった。

 

「なので……信じられます、グレイさんのこと。あ、なんか、上から目線で、す、すみません」


 その後。


 四十分経っても料理はこなかった。


 水すら出なかった。


 後から来た客が同じものを頼んだら、さきに彼らのところに熱々のピラフが運ばれた。


 一組目、二組目、三組目、客はどんどん入ってくる。


 繁盛しているのは結構だ。しかし、どうして俺とこいつの分の飯は出ないんだ、とグレイは至極当然の疑問を抱く。


 一時間経過。


 グレイとニコのテーブルは空のまま。


「飛ばされてるな」


「す、すみません……」


「だから、どうしてお前が謝るんだ」


 ニコはこの状況を半ば予想していた。


 彼女の額から冷や汗が流れ落ちる。膝の上に置いた手を握りしめ、項垂れた。


 ――わたしのせいだ。わたしと一緒にいるから、グレイさんまで……。


 ニコの曇った表情を横目で見て、客も店員もニヤニヤと蔑んだ笑いを漏らす。


 それは村の負の遊びだった。


 カーストの最も低い呪われた少女を観察しているだけで、自分はそれよりもマシな存在であると、自らの人的価値を高めることができると、皆、思い込んでいた。


 本気で思い込んでいた。


 グレイは給仕を呼んだ。


「これはクレームではないんだが……飯、まだか?」


「作っている最中です」


 淡々と、給仕は告げる。グレイの目を見ずに。


「他の客のところにはすぐに運んでいるようだが?」


「作っている最中です」


「水もまだ出てこないが?」


「作っている最中です」


「おしぼりもないんだが?」


「作っている最中です」


「おい、店主を呼べ」


 立派なクレーマーになってやろうじゃないかとグレイは決意した。


 店主が現れる。


 コックコートを身にまとった浅黒の中年男だ。


 見ねえ顔だなぁ、よそもんかぁ、と訝しげに言って店主はグレイの顔を覗き込む。頭の天辺から足の爪先まで。


「よそ者だと何か不都合があるのか? よそ者に飯は出せないとでも言うつもりか?」


「この村にはこの村なりのルールがあんだよォ」


 ふんと鼻を鳴らして、店主はニコを指さす。


「お前さんの分のメシは出してやらァ。けど、こいつはだめ。このガキは入店できねェ決まりなんだァ。わりぃが追い出してくんろ。んで、あんたひとりだけ、店に残ってくんろ」


 酷い言われようなのに、当事者のニコはほっと胸をなでおろした。


 良かった。これでグレイさんはご飯を食べることができる、と思ったから。


「断る」


 グレイは考える素振りすら見せず、即、返答した。


「ルールなんだァ、お客さん」


「断る」


「ルールは守んねェとだめだァ」


「なら、俺のルールを教えてやる。いいか、俺はな、飯は食いたいやつと食うんだ。どんな同席者と何を食うかを決めるのは客の俺だ。村のルールじゃない」


 その時、テーブルにのったグレイの手を見て、店主の目に警戒の色が宿った。


 グレイの両手には、手袋がはめられていた。


 薄汚れた灰色の毛糸の手袋。指ぬきであった。ところどころ赤い血のような跡が残っている。


「お客さん、わりぃけんどぉ、その手袋、外してくれや」


「不躾だな」


「この村じゃあなァ、誰も手袋なんてつけね。レベル憑きと間違えられたくねえからなァ」


 レベル憑きという単語が出た瞬間、ニコが「え?」と疑問符を口に出して、顔を上げた。


 拒否はしなかった。


 グレイは言われたとおり、右手の手袋を外す。


 素肌を晒した彼の手の甲には――


 ニコと同じ、青い《数字》の刺青が刻まれていた。


 グレイはさらにロングコートの袖をまくる。


 右手の甲を出発点としたその刺青は、前腕から上腕、腕の付け根の部分までびっしりと虫が這うように広がっていた。


「ほら、これで満足か?」


 袖をおろし手袋をつけなおす。


 気がつけば、店にいる客の大半が彼から距離をとっていた。


 レベル憑き。


 それは人類の宿敵である《魔物》と同じ程に人々から嫌われ憎まれている存在。


 青い刺青はレベル憑きを示すスティグマ。


 レベル憑きの右手の甲に生まれつき刻まれた呪い。


「やっぱお前さんにも飯は出せねェ。憑き物やろーに食わせるメシは、この村にはねえんだァ。えんがちょ。お前さんやそのガキの身体には、どろっとした血が流れてる。不吉の象徴だァ」


「不吉の象徴?」


 グレイがぴくりと、眉根を寄せる。


「聞きたいんだが。レベル憑きがどういうたぐいのものなのか、お前、正しく理解しているか?」


「知ってったさ。村のみんながこう言ってる。レベル憑きは、魔物が産んだ子どもだってなァ。気持ちわりいよなァ」


「なるほど、その程度の認識なのか……」


 ドンッ。挑発するようにわざとテーブルに足をのせ、グレイは店の西側を顎で示す。


「この先の湿地帯に魔物が出たらしいな」


「ああ。村長が腕の立つ傭兵団をそこに送ったみてえだなァ。今日中には害虫のように、さささっと駆除されてっさ」


 ――害虫か。魔物も甘く見られたものだ。


 一連の店主の発言を聞いて、グレイは察する。


 ――こいつや、おそらく村の連中の大半が、レベル憑きや魔物について何もわかっちゃいない。田舎の村だ。外からまともな情報を仕入れることもできないのだろう。


 グレイの想像通りだった。


 ラクマ村の住人はレベル憑きへの偏見が人一倍強い。だがその実、村人のレベル憑きや魔物に対する知識量は皆無に等しかった。


「レベル憑きだろうと、飯を食う権利はあると思うが?」


 グレイは店主に尚も食い下がる。


「ぶふっ。おもしろ。レベル憑きごときがァ、いっちょ前に権利を主張してらァ」


 《魔物モドキが》《立場をわきまえろ》――店主の発言に呼応するように、陰口が客の間から漏れ聞こえる。


 グレイは判断した。


 もう遠慮はいらないな、と


 対象を見切ってからの彼の行動は早い。


 真後ろの席に座っている夫婦らしき二人組のところに、ラクマピラフが運ばれた。


 グレイは即座に立ち上がり、夫婦のピラフと水の入ったコップを勝手に奪って自席に持っていく。


 次に彼は懐から一ラズベリー札を二枚取り出し、唖然とする夫婦のテーブルに叩きつけた。


「釣りはいらん。この金でまた注文してくれ。お前らなら一時間も待たされないだろうからな」


 ピラフ皿の一つをニコの手前まで持っていき、皿の上にのったスプーンを彼女に持たせる。


 炊きたての米と羊肉、ニンジンとタマネギの匂いがニコのお腹をくすぐった。


「食え。冷めるぞ」


「あの、でも、これって……」


「料理が来たんだ。ありがたく頂けばいい」


「お、おいィ! あ、あんたなにしてんだァ!」


 狼藉を働いたグレイの肩を、店主は怒り顔で掴み、吠える。


「あ?」


 振り返ったグレイは店主を一睨みした。

 

 淡褐色の瞳の奥には黒い光が宿る。


(こいつ、な、なんて目をしやがる。殺し屋かよォ)


 店主は心内で震えた。


 グレイの目力だけで彼は黙らせられた。


「うまいな、これ」


 店主ではなくニコに伝える。飯に罪はない。濃縮された肉の旨味成分がグレイの口の中に広がった。


 ニコも恐る恐る、小さな口に含む。


 一口目でびくっと、その背中が震えた。


 二口目からはスプーンを持つ手が止まらなかった。


 ――温かい。ご飯が冷たくない。お肉を食べたのいつ以来だろう。泣きそうなほど美味しい。


 事実、ニコの目元には水たまりが出来ていた。


 二人とも待たされて腹を空かせていたので、ものの五分で平らげ、最後は水で締めた。


「ごちそうさま」


 と言ってグレイは席を立つ。


「飯は良かった。星五つつけてやる。誰にでも料理を出してくれるならもっといい店になるぞ」


 グレイの皮肉に答える人間は誰もいない。


 ニコをのぞく、店内の村人全員が、ただ無言でグレイを熟視する。


 好意的な視線の人間は皆無。


 不快、嫌悪、敵対、侮蔑。


 目が口以上にものを訴える。


 レベル憑き、人類の敵、悪魔の子、近づくな、消えろ、死ね――


「に、二度と来んじゃねえェ! つきものふぜいがァアアア!」


 恐怖を怒りに置換させることに成功した店主が、震える唇でヒステリックに吐き出した。


 グレイは意に介さず、ニコを立たせる。


 ニコがぺこりと、店主や店の客たちに向かって頭を下げた。


「す、すごく。美味しかったです。あ、ありがとうございました……!」


 あれだけの仕打ちをされたというのに、律儀な少女だった。


 ニコの手を引いてグレイは店の入り口に向かう。


 そして木製のスイングドアに手をかけたところで、後ろを振り向いた。


 彼は、自分とニコに注がれる混ぜっけなしの悪意の視線を受け止めながら、


「あとで文句をつけられたくないので、先に伝えておく」

 

 正真正銘の警告を発した。


「ここで俺たちを嫌うのは勝手だが、いざという時に助けてもらおうだなんて虫のいいことはほざくなよ、頼むから」

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