表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自走する監獄  作者: 日下鉄男
本文
27/30

レベル憑き 二

 

「なぜだ! なぜ、人間に成らない!」


 ハウンド城の地下に反響するヨハンの絶叫。


 繭となった母を前にオリヴィアは言葉を失う。


 巨大な白い繭が一瞬、心臓のようにどくんと跳ねた。


 次いで、覆われた糸の一部が海月の足のように伸びはじめる。


 伸びた糸の束は、迷うことなくオリヴィアに向かっていき、彼女の手足に巻き付いた。


 オリヴィアに触れた糸が、何も描かれていないキャンバスを絵の具で染めあげるように彼女の身体を侵食していく。


 最初、オリヴィアは身の危険を抱いて糸から逃れようとした。


 しかし、それが身体に触れると、生理的に――この糸が、安心できるものだと感じた。


 人肌のように温かく、まるで――母の胎内に直接触れているみたいだ。


 マリアを覆った繭は意思を持ち、オリヴィアを取り込もうとしていた。


 オリヴィアは、もう恐れなかった。


温かな母の糸に包まれることに心地よさを抱く。


【オリ……ヴィァ】


 母の声が頭の中に直接響く。


オリヴィアは目を閉じ、身を任せた。


 ――このままお母様の糸に取り込まれよう……。


 ――そうすればわたくしはお母様と一緒に……。


「返せ!」


 直後のヨハンの行動は、娘を助けようとしたわけではない。


 鬼のような形相でヨハンは繭に駆け寄り、袋状の糸を千切り始めた。


「返せ返せ返せ! 僕のマリアを返せ!」


 オリヴィアに伸びた糸がヨハンの力技で断ち切られる。


 母とのつながりを失ったオリヴィアは、ごほ、けほ、と咳をしながら、その場に蹲った。


「八年だ! 八年も頑張ったんだぞ! マリアを人の子に変えようとしたのに!」


 ――『レベル憑き・魔物解体新書』の四百七十一から四百七十二ページにかけて書かれていた内容がでたらめだとでも言うのか! レベル99にすればレベル憑きは人に成れるんじゃなかったのか! なんだこの蚕が作ったような繭は! 本の記述にこんなもの言及されてなかったぞ! 気色悪い! 気味が悪い! おぞましい!


 正夢となった悪夢を払拭するような叫び声を上げながら、一心不乱に繭を引き抜くヨハン。


【――オリヴィア】


 最初、それが誰で、何の声なのか、オリヴィアは認識できなかった。


【オリヴィア、吾の声を聞き入れろ】


 オリヴィアがはっと、目を見開く。


『マーレイ!?』


 口を閉じたまま、受け取った《念話》をオリヴィアも返す。


 間違いない。このくぐもった少女のような声は。


 自走する監獄に宿る自我。


 マーレイ・フーガのものだ。


『どういうことですの? わたくし、操縦桿に触れていないのに。あなた一人で起動を?』


【説明は後だ】


 マーレイはオリヴィアの言葉をぴしゃりと遮る。


【今すぐぬしの父を止めろ。繭を破かせるな。取り返しがつかなくなるぞ】


 オリヴィア(契約者)の目を通して、マーレイは地下の状況を正確に把握していた。


『取り返しがつかなくなる? マーレイ、何を言って――』


【完全変態が不完全な状態で羽化するということだ!】


 繭の裂け目――ヨハンが引き千切った一部分がぱっくりと割れる。


 繭の内部が輝きだし、高温に熱せられる。あまりの熱さにヨハンは思わず手を離した。


 どくんどくんどくん。心臓が早鐘を打つように繭が脈動する。


【……遅かったか。オリヴィア、今すぐ逃げろ。生まれてはいけないものが生まれる前に】


 割れた繭から血と羊水のような液体が噴水となって迸った。


 腐った腸のような臭いが地下に充満した。


 近くで待機していた二人の近衛兵がヨハンを繭から引き離そうとした。


 だが、ヨハンは聞き入れず、近衛兵二人を怒鳴りつけた。


 繭を突き破って、肢体が――生まれ出づる。


 それは、裸のマリアだった。


 血まみれの顔は虚ろで何も捉えていない。現れたのは上半身だけで下半身は未だ繭の中であった。素肌も血の赤に染まっていたが、刺青は綺麗に消えていた。


 刺青のない彼女の裸身を捉え、ヨハンはようやく確信を抱く。


 ――成功、だ。


 恍惚を顔面に張り付かせ、ヨハンは両手を広げた。血にまみれた彼女の身体はどこか性的で、彼は自分の下半身の一点が否応なく膨張していくことに気づいた。


「ああ……マリア……僕のマリア。ようやく会えたね、人としての君に」


 ――もうどうだっていい。国も民もレベル憑きも何もかも知ったことか。今の僕には、マリア。君だけでいいんだ。君がいるだけで僕は生を実感できる。


 血と羊水のような液体が服に着くのも構わず、マリアの上半身を、ヨハンは抱きしめた。


「これでやっと君を抱けるね」


 マリアの――虚ろの顔に笑みが生まれた。


 笑みはヨハンに向けられたものではない。


 それは、地下世界でへたり込む愛娘にのみ注がれていた。


 自分へと笑いかけてくれる母を見て、オリヴィアは妙な胸騒ぎを覚える。


 胸騒ぎが、最悪の確信へ至るのに、時間はかからなかった。


「お母様、だめ!」


 制止の声は聞き届けられず。


 繭を破り、マリアの下腹部から黄金色の有刺鉄線が現れた。


「ぱごぉ」


 ヨハンがキテレツな声を上げた。


 二本の有刺鉄線が彼の尻穴から体内に入り込んだのだ。


 鉄線は臓器を掘りながら上半身へと登っていき――最後は頭蓋を突き抜けた。


 控えていた近衛兵の二人がサーベルを抜き、ヨハン王を助け出そうと動いたらば――


 新たに繭から出現した六本の有刺鉄線がしなり、鉄兜の上から彼らの首を跳ね飛ばした。


 ヨハンを串刺しにした鉄線は左右に曲がり始め、めきめきと彼の身体を力任せに引っ張る。


「あ、あ、お、お、お、お」


 それが、ヨハン王の最後の言葉となった。


 彼の身体は真ん中から綺麗に、ぱっくりと割れた。


 オリヴィアはあらん限りのショックを絶叫で押し出した。左と右の断面から血と贓物を土石流のごとく撒き散らす人間の無残な姿を前にまともでいられる十二歳の娘などいるはずもなく。


【ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア】


 マリアがマリアの声帯そのままに、異常なほどの大声量で鳴いた。


 それはまるで野生の狼が仲間を呼ぶ時に発する遠吠えのよう。


 マリアは身体の半分を繭に入れたまま、進化を始める。


 酸の蒸気を発した肉体は全身の骨格が肥大化し、色白の肌は溶解し、代わりに彼女の肉体に無数の有刺鉄線が集まり、密集し、結ばれ、巨大な黄金色の肉のドレスを形作った――


【半魔の子よ、逃げろ。そこから】


「あ、で、でも、ま、マーレイ、お、お、お母様が」


【あれは、もう主の知る母ではない】


「いや、いや、わ、わたくし、こ、こ、こんなのって、し、しんじられ……」


【吃るでない。恐怖に怯えて動かぬ足でも、殴って動かせ。死にたくなければ!】


「――くっ!」


 がむしゃらに、オリヴィアは殴った。固まった自分の両足を。


 活を入れ、無理やり立ち上がる。


 いつの間にか、母の身長は、五倍ほどに膨れあがっていた。


 口が裂け、サメのような歯が上下に生え揃う。


 手足の爪は全て鉤爪に変わる。


 舞踏会に使われるような銀色の仮面ハーフマスクが、彼女の顔の上半分を覆った。


 変わり果てた母に背を向け、オリヴィアは走り出す。


 マリアの巨大化は終わらない。神の国にも届かんばかりの勢いで、その御身を引き伸ばす。


 マリアの身体が膨れ上がれば上がるほど、王城の地下空間は崩壊を加速させていく。


 崩れる天井。地下を形作っていた煉瓦の雨に当たらぬよう防壁魔法を張りながら、オリヴィアはエレベーターに乗り込んだ。蛇腹の引き戸を勢いよく閉め、上階へのボタンを押す。


 グレイさん――死を覚悟したオリヴィアが最初に心の中で呼んだ男は、そいつだった。



◇◆◇



 同時刻。


 グレイは目を瞬かせる。


「馬鹿な。なぜ潰れない? なぜ耐える? なぜ起き上がろうとする? 百五十三倍の重力だぞ???」


 超重力で肉が潰れ、骨がひしゃげ、血管が破裂し、血反吐を吐きながらも、


 レッドは屈さなかった。


「ひゃくごじゅうさんばいだろうが、いっせんごひゃくばいだろうが、しったことか。たつんだよ。オレはたつんだ。てめえなんかにまけてたまるかえんちゃんとおおおおおおおお!」


 エンチャントを重ねがけし累積でステータスを向上させる。


 それは麻薬のようなものだ。


 重症を負った状態でバフ魔法を短期間のうちにこれだけ重ねたら、いざ魔法の効果が切れたときに取り返しのつかないことになる。


 無論レッドは知っている。


 これが前借りに過ぎないことを。


 ――心配、すんな。借りた分はあとで利子つけてきっちり返してやっからよ。


 ――今は――今だけ持てばいいんだよ――オレの身体――


「グレイいいいいいいいいいあああああああああああ!」


 レッドは、限界を超えた力で、戒めを断ち切り、立ち上がった。


 足元の魔法陣が消えてなくなり、重力波が消滅する。


 ――こいつ――打ち消したのか! 俺のグラビティ・エンジンを!


 レッドの左腕はもう折れて使えない。


 やったぜとレッドは思った。


 ――利き腕は生きてんじゃねえか。


 ジャスティス丸を再び掴み、レッドは刃に鳥の翼を象った炎を作り上げる。


「ふぇにっくす……ばすたあああああああああああああ!」


 グレイは迫りくる不死鳥の翼を避けるべく、防壁を張った。



◇◆◇



 同時刻。


 城の最上階。篭を使って王の間に上がったオリヴィアを、青紫の突風が襲った。


 次いで、質量を持った物体――地下を突き抜け地上へと現れ、馬の背状に伸びた崖の上に立つ王城の煉瓦を積み木崩しのように落としながら、一挙に巨大化したマリアは、オリヴィアのいる王の間すらも無残な瓦礫に変えて、最後はハウンド城の尖塔よりも大きくなって、


 ようやく成長を止めた。


 そして、王城を半壊させたマリアは、その体躯に似合わぬ動作で、ふわりと舞い上がった。



◇◆◇



 同時刻。


 不死鳥の刀の直撃を受け止めたグレイの防壁は、しかし、レッドの全力を防ぎきれず、あっけなく破ける。レッドの刀尖が、がら空きとなったグレイの胸部へと一直線に向かった。


 ――あと一歩踏み込めば、こいつを刺し貫ける!


 そうはならなかった。


 超巨大な質量が収容区に着地したのだ。


 真下にいた者は即死であった。


 着地の衝撃で大地が割れ、バラック小屋がバラバラになって舞い上がり、横殴りの大風がレッドとグレイを吹き飛ばした。


 何が起きたかもわからず二人はあらぬ方向へと落ちて頭を強打し、そのまま仲良く気絶した。


 土煙が辺りを覆い、収容区内のミリア人とレベル憑きの視界を塞ぐ。


 視界がようやく晴れた頃、皆は気づいた。


 世界が一変していることに。


 最初、区内の者はそれを蜃気楼かと見間違えた。


 やがて誰もが認めた。


 これは実物だと。


 屹立するは全長五十メートル。体重二トン。巨大な黄金色の有刺鉄線肉ゆうしてっせんにくのドレスを纏い、銀の仮面を顔につけた生き物。


 まごうことなき、超巨大魔物。


 ただしそれはABO、どの型にも属さない。


 この魔物は淘汰圧を経て正当に進化を重ね、完成された生命体のように見える。


 もっとも異なるのは色味であった。


 他の型の魔物は全てモノクロ。しかし、この超巨大魔物の体色は黄金である。


 魔物の背から光のカーテンが生える。ひらひらと《赤色》に発光するそれは――翼。


 超巨大魔物が翼を広げて空へと飛翔する。


【OGYAA】【OGYAA】【OGYAA】【OGYAA】【OGYAA】【OGYAA】【OGYAA】


 入れ替わるように雲の切れ間から大量の、赤子の泣き声が降ってきた。


 ミリア王国の全住人が、上を見上げ、絶句する。


 二対四枚の翅を生やした魔物、B型の大群が空を覆っていたのだ。


 一体何匹いるのか、数える気にもなれないほどの、大軍勢。


 しかもB型は背中にA型やO型を乗せていた。


「嘘だ!」


 一人のミリア人がわめく。


「中西部にこんな大量の魔物が出てくるなんて!」


 超巨大魔物――マリアは雲海の上へ飛び立ち、それ以外の魔物は収容区や王都へと降り立つ。


 地獄が地上に現れる。


 王都はパニックに陥った。逃げ惑う老若男女をB型の猿の腕が潰し、A型の蟻の顎が噛み砕く。O型のキテレツなビーム兵器が地上を一掃し多数のミリア人を一挙に殺す。


 魔物の脅威から人々を守れるものはいない。ノアの繭も王国の騎士も今は皆収容区だ。


 収容区も魔物の襲撃で大混乱だった。


 最悪なことに区内には多数のレベル憑きがいる。


 暴徒から逃れ生き残ったレベル憑きたちを魔物が攻撃した。すると、魔物の概念が傷口から流れ込み、忽ち、彼らも魔物化して襲う側に回った。


 騎士団が槍衾やりぶすまを作って魔物に対抗しようとするが、歯が立たずに蹂躙される。


「助けてえええ、ママー、ぐぎゃ」


 一人の騎士はB型に掴まれて上半身を齧りつぶされた。


 区内にいるノアの繭の団員も魔物退治に加勢した。


 彼らは今まで紛争に参加し、暴徒(人間)どもと戦っていたのだ。


 とある団員が言った。


「やっぱさ、俺らこっち(魔物狩り)の方が性に合ってるわ。人間と戦うより、よっぽど気が楽だな」


 彼らは武器を構え呪文を唱え、敵を潰していき――


 しかし、最後には、魔物の数の暴力に押し切られて全滅した。


 団員たちの大半が魔物化した頃、ようやく一人のレベル憑きが目を覚ます。


「早く、地下水路へ避難しろ!」


 成人男性らしきミリア人の声を、起きたばかりのレッドの耳が捉えた。


 痛む身体にムチ打って立ち上がる。


 大量の魔物と、そいつらに殺された人々の死体を視界に入れた瞬間、レッドは憤激した。


 襲ってくる魔物どもをジャスティス丸で薙ぎ払うと、レッドは収容区の正門から外に出る。


 多数の足跡が街道にはあった。


 足跡は街道の途中で逸れて王都ではなく森林地帯に向かっていた。


 ――このルートは地下水路か。そういや、さっき誰かがそこに逃げろって叫んでたな。


 レッドは前に聞いたことがあった。


 ミリア王国の地下水路はいざ魔物が出た時には避難経路として利用できるようになっており、その広大な水路は隣国の国境検問所にまで繋がっている、と。


 つまり今、王都や収容区から多数のミリア人が水路へと逃げ出しているはずだ。


「いかねえと」


 レッドは呟いた。


 ――地下水路へ、オレも。逃げる人たちの手助けを、するんだ。



◇◆◇



 巨大化したマリアが王の間を壊す直前。発生した青紫の突風によって、オリヴィアは城の崩落に巻き込まれる前に――王の間のバルコニーから外へと吹き飛ばされていた。


 そのまま森林地帯に落下したオリヴィアは、針葉樹の枝に引っかかって一命を取り留めた。


 目を覚まし細かな傷をヒールで治すと、オリヴィアは針葉樹から降りる。枝がドレススカートに引っかかっていたので仕方なく裾の一部を破いた。お気に入りだが背に腹は代えられない。


 森林地帯の地面に立つ。


 一瞬ふらつき、後ろに一歩下がると、何かを踏んだ。


 柔らかい肉の感触が足裏に伝わる。


 振り返るオリヴィア。


「スノウ……さん?」


 確認するまでもなく、それはスノウホワイト・アリア本人であり。


 ヒールをかけるまでもなく、彼女は死んでいた。


 オリヴィアは両手で口を押さえた。


「そんな、スノウさんが……っ!」


 綺麗な死体。先程の父の無残なあれとは大違い。でも死体には変わりなくて――


 森の外から、多数の悲鳴が聞こえた。


 オリヴィアは走った。


 スノウを放っておくのは気が引けたが、悲鳴の正体をまずは確かめるべきだと判じた。


 明らかにこの悲鳴の発生源は、王都だ。


 森を抜け、門をくぐり王都へと入る。


 メインストリートを二分するヴァスト川は血の池に変わっていた。


 澄んでいた商業区の空気は、死臭に汚染されていた。


 千切れた子どもの頭部がオリヴィアの足元に転がってくる。


 それを見た瞬間、オリヴィアは崩れて吐いた。


 内容物を吐き終えると震える足をまた殴り、彼女はそのまま魔物を避けて収容区へと走る。


 区に向かう途中で彼女は念話を飛ばした。


 ――パープルさん、レッドさん、グレイさん、マーレイ――誰でもいいですわ! 出てくださいまし!


 応答はない。さっきはあれほどコンタクトをかけてきたマーレイすらも、沈黙している。


 収容区に到着する。何年ぶりに帰ってきたのだろうかとオリヴィアは思った。


 ――ずっと避けていましたの。過去の自分には戻りたくなくて。


 ――でも、こんな理由で帰ってくるくらいなら、もっと早く……。


 中は王都の惨状と何ら変わらない。もっとひどいくらいだ。落ちてる死体に、知り合いが多すぎた。暴徒に殺された区の顔なじみの子どもたち。そしてノアの繭の団員たち。


 ここで暴れている魔物の中に、元レベル憑きの気配を何度も感じた。


 進行を邪魔する魔物は攻撃魔法のシロ・クマで切断した。元レベル憑きかどうか関係なく。


 すり減り、今にも挫けそうな心を責任感で無理やり奮い立たせる。


 ――ここでへこたれたら、駄目ですわ。わたくしはノアの繭の団長なのだから。

 

 東ブロックの行き止まりに着いた。


 ミリア人等の死体に混じって、撲殺されたパープルの骸を見つけた。


 ぷつん、と。


 オリヴィアの中の最後の糸が切れた。


 オリヴィアはその場にへたり込むと、声を上げて泣き始める。


「もうやだぁ、こわいよぉー」


 現実逃避。退行。


 オリヴィアの口調が収容区にいた頃のものに戻る。


 お嬢様言葉じゃなかった頃。汚い言葉も平気で使えていた――あの、決別したかった過去の自分。


「いやだいやだいやだいやだ」


 目を閉じ、頭を振ってこの地獄を否定しようとする。


 でも、そんなの無意味。頭の片隅に残った一欠片の理性が俯瞰から声をかける。


 最悪の現実は視界から消しても、世界からは消えない。


 オリヴィアは目を開けた。


 いつの間にか彼女の後ろに二匹のA型魔物がいた。


 逃げねば。あるいは殺さねば。


 だが身体は動かなかった。口も動かなかった。


 いっそこのまま魔物になっちゃった方が良い気もする。


 最悪な思考。自殺と同じ。でも、気が楽になった。


 二匹のA型は同時にオリヴィアに飛びかかった。


 そういえば、A型魔物は連携して狩りをする習性があったなと、彼女は他人事のように分析し、これから来る運命に身を任せた。


 敵の顎はオリヴィアに食い込まなかった。


 代わりに銀灰色の大剣が、二匹の胴体に食い込み、コアごと真っ二つにする。


 液状化した魔物の死体を踏みしめるは刺繍入りの黒いロングブーツ。


 じわりと、オリヴィアの目にさっきの逃避とは違う涙が溜まる。


「どうして……念話に出てくださらなかったの?」


 口調を戻して、ふらふらと立った。


 彼の前ではまだ立派な団長でいたかった。


「悪い。魔物を殺すのに夢中だった」


 自分よりも一回り大きいグレイの腰に、オリヴィアは力いっぱい抱きついた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ