スノウ
スノウと分かれたグレイは、西ブロックを走る。
しかしそこには死体と暴徒しかおらず、団員の一人とすら会えなかった。
結局、袋小路までたどり着いてもパープルとレッドを見つけられなかった彼は、西ブロックに見切りをつけ、踵を返し、スノウが向かった東ブロックへと駆け戻る。
東ブロックの路地まで行くと――
中年男性らしき二人の会話がグレイの耳に入ってきた。
「……おい、こ、こいつら、女の子だぞ。レベル憑きだけど女の子だぞ」
「小さい方の子はもう死んでるけど、このおっぱいでけえ子はまだ生きてるっぽいな」
「や、やっちまうぞ。まだあったかいうちにな」
「でもよぉ、レベル憑きとやったら、おれらもめっちゃ偏見の目で見られねえか?」
「い、今はこの現場、おれら以外、だ、だれもいねえ、ばれなきゃ平気だ。このデカパイ銀髪女もどーせすぐ冷たくなってなんもいえなくなるしな」
中年男の一人がスノウの胸を乱暴に掴んで、揉みしだく。もう一人の中年は、ズボンのベルトをガチャガチャしだした。
ベルトガチャガチャ中年の胴体をグレイは真っ二つにした。
分離した下半身から吹き上がる仲間の血しぶきを唖然と眺めるもう一人の中年の首も、グレイは幻影剣で即座に切断する。路地に転がっている死体が五つに増えた。
パープルが死んでることは、ひと目でわかった。砕かれた頭蓋の形を見るに、凶器はハリネズミの針状に打ち込んだ打撃武器であることも、すぐに推測できた。
スノウはまだ生きていた。
グレイは、生ぬるい血に身を浸す彼女へと駆け寄った。
それからの動きはほとんど無意識に近かった。
自動化された脳みそが最適解を導き出す。
グレイはスノウを背負い上げ、背中に担ぎながら跳躍した。
バラック小屋の屋根に着地し、そのまま屋根から屋根へと飛び移り、一目散に駆け抜ける。
最短距離で、最速で、収容区の出口に向かって。
目指すはあの監獄。
監獄内には救急用の医療道具がある。
こんな貧民街では治療もままならない。王都は混乱状態で薬局に立ち寄るには妨害が多すぎる。回復魔法持ちのオリヴィアはハウンド城のどこにいるか不明。回復魔法が使える別の団員の死体はさっき見つけた。
収容区の出口付近にパープルの麻痺効果が解けた六名のミリア人がいて、先程と同じように再び収容区の門を塞ごうとしていた。
――邪魔だ。
断末魔を上げる暇すら与えず、そこにいた全員をグレイは幻影剣で斬り殺した。
門を出ると街道の途中で左に曲がり、王都には戻らず付近の森林地帯に入る。
ハウンド城の裏門、つまり、自走する監獄が置かれている場所までは、このルートが近道だった。
空を覆うほどに大きな針葉樹が立ち並ぶ獣道を、スノウを担いだままグレイは前進する。獣道は近道だが、足場が悪いために走ることができず、早歩きの状態で進まざるを得なかった。
「グレちゃん……痛い」
スノウがようやく目を覚ました。
「……てか……アタシ、グレちゃんにおんぶされてた……びっくり」
痛いと訴える彼女に配慮し、グレイは歩く速度を落とした。
「スノウ。誰にやられた? お前をこんな状態にしたのは、どこのどいつだ?」
暫しの沈黙の後、スノウは答えた。
「…………ころんだだけだよ」
血が、傷口からとめどなく溢れる。
心臓は外れているが、それでも致命傷に変わりはない。
「ごめん、グレちゃんの服、よごしちゃうね」
「気にするな」
「……あのね、グレちゃん」
「なんだ?」
「もう、おろして」
「断る」
「自分のからだは自分がいちばんよくわかってるから。この怪我、もう助からないやつだよ」
「監獄にいけば薬も包帯も縫合針や糸だってある。何だってある。助かるさ、お前は、助かる」
スノウの身体から次第に活力のようなものが失われていくのをグレイは背中越しに感じた。
――どうして、俺は回復魔法を覚えなかったんだ。
グレイは内心で己に吐いた。
――なぜ、大半が攻撃系の魔法ばかりなんだ。ヒールの一つでも覚えていれば、あるいは。
「でも、やっぱりもう手遅れだよ。時間のむだだからさ、もうこのお荷物、おろそうよ」
「断る」
「おろさないと、首、噛む」
「勝手にしろ」
かぷ。
首を噛まれた。
痛みはまったくなかった。
「死ぬほど痛い」
「うそつき」
グレイの右の頬をスノウは引っ張る。
弱々しく、引っ張る。
「でも良かった。アタシも女の子だからさ、やっぱり……綺麗な身体のままで、いたいからさ」
一言一言が間延びし、途切れがちになる。
「死ぬ時は……せめて……魔物にならずに……死にたいなって……思って……たんだよ……」
大好きな人の前で、グロテスクな怪物に変わるのはごめんだ。
「ねえ、グレちゃん……パーちんは……苦しまずにいけたかな?」
「いや、死体の損壊状態からいって、あれはだいぶ、痛がって死んだはずだ」
「ばか……そこは……うそつこうよ」
「すまん」
「うん」
「不器用、なんだ」
「しってる……」
「すまん」
「きょうは、いっぱい、謝るね」
「すまん」
「ねえ、グレちゃん」
「なんだ?」
「こうかい、しないでね?」
「…………」
後悔。
それは、レッドとパープルを探すために、スノウとT字路で分かれてしまったこと。
もっと遡れば、グレイが、スノウをノアの繭に誘ってしまったこと。
その結果が今に繋がってしまったこと。
「…………グレちゃん、なんでも、じぶんのせいにしちゃうところ、あるから」
育ての親のブルーの死も。
ラクマ村のニコの死も。
俺が悪い。
何もかも俺が悪い。
「グレちゃんは、わるくない」
「…………」
「なにも、わるくない」
「…………」
「へんじ、して」
「ああ」
「ふくしょう」
「俺は、悪くない」
「もっかい」
「俺は、悪くない」
「よく、できました」
グレイは自分の足が震えていることに気づく。
どうして震えているかはよくわからなかった。
「でもそっか……パーちん……いたがりながら、しんじゃったんだ……かわいそう……あっちにいったら……なぐさめてあげない……と」
あっちとは、どっちのことだろう、とグレイは混乱した。
あっちが指す意味を理解できなかった。
理解したくなかった。
「でもきっと、あっちいったら……アタシ、パーちんに怒られちゃうな……スノウはパーさんに比べて、うんがよすぎだって……言われちゃうよ……」
さっき、かぷ、と噛んだグレイの首筋に、スノウは、今度はキスを落とす。
「アタシ……うんがよかった……よ……だって」
風が吹き、辺りの針葉樹の枝葉とスノウの三つ編みの銀髪を揺らす。
「すきな……人に……おんぶされて……いけるんだから……」
南部の小国で彼女と出会ったあの日を、グレイは思い出す。
「グレちゃん」
「ああ」
「だいすき」
拒絶されるの覚悟で差し出した左手を、刺青が刻まれた右手でしっかりと握り返してくれた浮浪児の少女。
あの日、グレイに向けられた彼女の笑顔は――今と変わらず、太陽のように眩しかった。
「だから」
眩しすぎた。
「また、ね」
静寂。
「スノウ?」
グレイは歩く。
「スノウ、起きろ」
歩きながら、ゆすり、声をかける。
「スノウ、おいスノウ。もうすぐ監獄だぞ。なあ、まだ寝るな。どうした? いつもはあんなに、こっちが引くくらい、よく喋るじゃないか。話しかけてくれるじゃないか」
どんなにゆすっても声をかけても返事がないので。
グレイは森のなかで立ち止まった。
「なんで、お前なんだ?」
目と鼻の先には巨大な監獄がそびえ立ち、彼らを見守っていた。
「他にいくらでもいるだろ。死んだほうがいいやつは」
さっきまで首に回していたスノウの腕は、力を失い、だらりと垂れていた。
グレイはその場で膝をつき、
「けほ」
咳き込んだ。
「けほ、こほ、かは、はぁ、かは」
止まらなかった。
喘息の発作のような咳きを繰り返す。
涙を流せるほど彼は無垢ではない。
「こほ、くっ、はぁ、かは、ああ、こほっ、くはっ、かあ、ああ、かはぁ」
涙のかわりに咳をした。
絶叫のかわりに咳をした。
世を呪うかわりに咳をした。
呼吸が落ち着くと、スノウの死体を背中から下ろし、近くの大木の根に頭をのせて横たえる。
まだ生前と同様の艶やかさを保つその美しい銀の髪を、彼はそっと撫でた。
「……死体が……笑うなよ」
安らかな死に顔に震える声でささやかな文句をいう。
死体は見慣れていた。
仲間の死にも慣れていた。
だが、一人の仲間が――魔物化する前に別の仲間に殺されるという経験は、さしもの彼も初めてのことだった。
深呼吸し、固まってしまった膝を叩いて、グレイは無理やりに立ち上がる。
「スノウは、嘘が下手だな」
胸に穿たれた彼女の傷をグレイは目に焼き付けた。
「傷の形で、わかる――これはあいつの武器だ」
◇◆◇
篭で降りた先。
地下。
そこには、巨大なドーム状の空間が広がっていた。
オリヴィアも知らなかった。
ハウンド城の地下にこんなに大きな部屋があったなんてことは。
薄闇の中、硬質な床に三つの檻が置かれていた。
この檻は、監獄の……一層フロアにあったもののはず。なぜ、こんなところに運ばれているのだろう、とオリヴィアは疑問を抱く。
オリヴィアの疑問はしかし、檻の向こうから現れた一人の女性を視界に捉えた瞬間、意識から追い出された。
「お、お母様!?」
スカーフのような藍色の民族衣装を被って、全身の肌を隠したオリヴィアの義母。
王妃マリア・エアバッハの濃褐色の瞳がオリヴィアに向けられた。
思考が乱れる。
――お母様がどうしてこんな場所に?
二の句をつげずオリヴィアは固まる。
――な、何か話さないと。わたくしの母親なのだから。
でも、とオリヴィアは思う。
そもそも自分はこの人と、どんな言葉を交わしたことがあるのだろうか?
三年前に養子になってから今まで、親子らしいコミュニケーションを取ったことはあったか?
思い出せない。
「ああ、僕のマリア。会いたかったよ」
感極まって彼女の名を呼び、その腕で抱きしめるヨハンとは対象的に、マリアは無表情だった。
三つの檻のうちの一台から、がん、がん、という何かがぶつかる音が地下に鳴り響く。
音がする檻の方へ、オリヴィアは目を移す。
そこには魔物がいた。
あの石柱の魔物だった。
国王が裏で糸を引いて王都を焼かせた、元収容区のレベル憑き。
コアが露出した石柱の魔物の《頭部》が鉄格子に体当たりを続けていた。
凍結状態だったが、時間経過で氷が溶解し、動けるようになっていたのだ。
しかし胴体を失い弱りきった肉体では、檻から抜け出すことはできなかった。
「ご覧、マリア」
片腕を広げ、魔物を閉じ込めた檻をヨハンは指し示す。
「あれが、君の最後の経験値だ」
経験値。オリヴィアにとっては聞き慣れた単語。
「オリヴィア」
マリアに名を呼ばれて、オリヴィアは思わず直立不動の姿勢になった。
優しい眼差しが娘に向けられる。
特注の銀の靴を履いた足を前に進め、マリアはオリヴィアの方へと一歩ずつ近づいていく。
丁度、ヨハンとオリヴィアの間の位置まで行くと彼女は立ち止まり、
「オリヴィアは私のこと、好き?」
気さくに問うた。
「は、はい、お母様」
嘘ではなかった。
ほとんど赤の他人同然だけど、それでも。
母と初めて対面した時、彼女が自分に向けてくれた表情は。
生まれたばかりの我が子を胸に抱きしめて微笑む母親のそれだったから。
いたずらっぽく笑った後、頭に被った民族衣装をマリアは手で掴む。
次の瞬間、躊躇なく脱ぎ捨てた。
烏の濡羽色の長髪が、下に着ていた袖なしの浅緑のドレスが、色白の素肌があらわになる。
オリヴィアは息を呑んだ。
右手の甲から始まった刺青は、腕を這い肩を侵食し首を犯し、顔の右半分にまで達していた。
古代の象形文字のようなデザインの青い刺青。憑き物を象徴するスティグマ。
マリアの素肌に刻まれた刺青の数字は《98》だった。
◇◆◇
スノウを森の中に寝かせたグレイはその足で収容区へと戻り区内のミリア人を片っ端から細切れにしていった。勝利の天秤は暴徒と騎士、つまり王都のミリア人側へと傾き、すでに区内のレベル憑きの七割近くが殺されていた。生き残ったものも戦意を喪失し、涙を流して助けを請いながら逃げ惑っていたところを後ろから前から右から左から暴徒と騎士に襲われて命を引きちぎられる始末で、しかしそこに乱入したグレイはミリア人を見つけると進行に邪魔な木を切り倒すように剣の軽い一振りで以って彼らを血だまりに眠る鉄臭い人間割符に変えていった。
レベル憑き側がここまで劣勢になったのには理由があった。
その理由と、グレイは対面した。
「よぉ、グレイ」
広小路にて。
今、グレイが最も斬り倒したい赤毛の男が薄笑いを浮かべた。
「スノウを殺したな?」
彼の挨拶を無視し、単刀直入にグレイは問う。
「てめえこそ、人を殺しやがったな」
グレイの背後には、彼が斬り捨てたミリア人たちの死体が無造作に捨て置かれていた。
虚ろでありながらどこか血走った目で、レッドはグレイを睨みつけた。
「殺すなよ。人を殺したら今よりもっとバケモノ扱いされちまうだろうが。噂は世界中に広がるぜ。レベル憑きが集団で人を襲ったって尾ひれがついて広がるぜ。そしたらこの世界に散らばる大多数のレベル憑きはどうなっちまうか、わかんねえのか?」
「質問に答えろ。お前は、スノウを、殺した。そうだな?」
「人を救ったんだよ! あいつは人を殺そうとしてたんだぜ!」
血脂がべったりと染み付いたジャスティス丸を、癇癪を起こしたようにレッドは振り回す。
スノウだけではなかった。
あれからレッドは収容区をまわり、ミリア人に攻撃しようとするレベル憑きを手当たり次第行動不能にし、時に命を奪っていった。
「レベル憑きは魔物から人間を守る存在だぜ。その力を人殺しに向ける野郎は、オレが許さねえ!」
レッドは、人類の側についたのだ。
結果、彼の活躍のおかげで、レベル憑きの勢力は急速に削られていった。
「ここにくるまでによ、レベル憑きに襲われたミリア人を助けたら、何度も感謝されたんだ。お前は違う。他とは違う。お前は味方だって。お前だけは人類と認めていいって。認められたんだぜレベル憑きのオレがよ。長期的に見て、レベル憑きのイメージを回復させてるのはどっちだ? レベル憑きと人との間から差別を無くせるのは誰だ? なあ、答えろグレイ!」
「ラクマ村でお前が燃やしたO型魔物のことを覚えているか?」
突然の逆質問に面食らったが、レッドは思い出す。
――ああ、罪もない村の人たちを虐殺していたあの魔物のことか。
――確か、手足が針みたいに細くて背中から大量の骨を生やしてたっけか。しかも顔が女の子みたいで、キモチワルイ外見してたぜ。
「それがどうしたってんだよ」
「あれは子どもだった。元はまだ十三の少女だった。盲目のレベル憑きだった。村の連中は彼女を迫害していた。つばを吐き、石を投げ、時に暴力すら厭わず、日々の鬱憤と差別心を少女で満足させていた」
枝毛だらけのセミロングヘアの少女。
ニコ・ノクターン。
その姿がグレイの脳裏に浮かび上がる。
「あの村で弱い存在だったのは、人間どもじゃない。一番弱かったのはあの子だ」
「何がいいてえんだ、てめえ」
「なぁ、教えてくれよ正義の味方。レベル憑きは、どんなに差別されても、生き物としての最低限の尊厳すら奪われても、やり返してはいけないと、お前は本気で思っているのか?」
グレイの質問にレッドは答える。
間髪を入れず、躊躇いなく。
当然だろ、と。
「オレから言わせりゃあよぉ、そのニコって子は努力したのか? 村の人たちは怯えていただけかもしんねえだろ。本心じゃきっとそのニコって子を受け入れたかった。けど、魔物になったらどうしようかって、その恐怖心が邪魔をして歩み寄れなかったかもしんねえ。だからよぉ、たぶんニコって子も悪かったと思うぜ。自分からアピールすべきだった。怖がらないで。自分はみんなを魔物から守ることができる存在だって、そうやって誤解を解いて村の輪に飛び込むべきだった」
「……本気で言っているのか?」
「ああ。どっちもどっちだ。村の人たちも、そのニコちゃんにも、両方に落ち度があるぜ」
生まれて初めて、グレイは魔物化する前のレベル憑きに対し――正真正銘の殺意を抱いた。
「お前は自己を正義の味方と規定しているようだが、笑止だ。俺から言わせればお前は、承認欲求丸出しのクズだよ。お前は、本当は、マジョリティに認められたかっただけだ。レベル憑きと人間の共生なんてどうでもいい。お前自身が『他のレベル憑きとあなたは違う。信頼できる存在だ』と思われたかっただけだ」
「黙れ人殺し!」
「口を閉じろ仲間殺し」
グレイは右腕を上げ、手に持った幻影剣をレッドに突きつける。
「お前はスノウを殺した。魔物化する前に仲間を殺した。何の罪もないあいつを殺した。だが俺は別にスノウの弔い合戦をしたいわけじゃない。俺は俺の敵を殺す。それだけだ。魔物は俺の敵だ。差別主義者も俺の敵だ。差別主義者のケツ穴を舐めるお前も、等しく俺の敵だ」
レッドも右手のジャスティス丸の切っ先をグレイに突きつける。
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ。てめえはオレの敵で人類の敵だ。人を守らず、あまつさえ簡単に人の命を奪うてめえは魔物と変わらねえ。オレの討伐対象だ!」
利き手に持った得物を互いに、はすに構え直し――
「――レッドオオオオオオオオオオオオオオ――!!」
「――グレエエエエエエエエエエエエエエエ――!!」
収容区に二人の怒号が撒き散らされる。
地を蹴り矢のように走り抜け、懐に潜り込み、二秒後。
グレイの剣とレッドの刀が交叉し、剣戟音と魔力の嵐が迸った。




