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自走する監獄  作者: 日下鉄男
本文
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王都崩壊 四


 王の間では、オリヴィアが二名の近衛兵にサーベルを突きつけられていた。


「レディに対して無礼ですわよ」


 赤い鎧の近衛兵たちを交互に見渡し、彼女は気丈に振る舞う。


 が、内心は恐怖でいっぱいだった。


「そう来るとは思わなかったよ、オリヴィア。君はあの収容区が嫌いだったんじゃないのかい?」


 ああ、その通りだ。あの汚くて不潔な最下層空間から逃げたくて、ここまで来たんだ。


「お父様。わたくし、これ以上自分を嫌いになりたくありませんの」


「命令の撤回は?」


「死んだって、ありえませんわ」


 ヨハンは肩をすくめる。


「じゃあ、君はおしまいだ」


「わたくしをどうするつもりですの? お父様」


「もうあんまり僕のことを父って呼んでほしくないんだけどね。よっこらせ」


 ジジ臭い掛け声を上げながら、ヨハンは立ち上がりオリヴィアに背を向けて歩き出した。


「ついておいで。君に見せたいものがあるんだ」


 近衛兵に拘束されたまま、オリヴィアは後を追う。


 王の間の暗がりを抜けると、奥に大きな篭があった。


 これは? と、オリヴィアは尋ねる。


 エレベーターだよ、とヨハンは答えた。


 鎧戸式の引き戸が開く。中に入ると、篭は四名を乗せて下に降りていった。



◇◆◇



 同時刻。見張りを沈黙させたグレイたちは、檻から脱出し、監獄の一層フロアから外に出た。


 監獄が置かれているハウンド城の裏門には、総勢十七名の騎士が重厚な鎧を着込み、槍やサーベルを携えて待ち構えていた。


「観念しろ、バケモノども。もう逃げられんぞ」


「こらあ! バケモノって呼ぶな! 公民権法違反でスノウちゃん訴えるよ!」


「くくく、そんなザル法、もう意味を成さんさ」


 スノウの抗議に、騎士の一人が心底馬鹿にした調子で答える。


 この国の化けの皮が気持ち良いくらい剥がれていくな、とグレイは感心した。


 グレイとスノウと他五名の団員が、前に出た。


「収容区出身の奴らは先にいけ」


「ここはアタシたちが食い止めるよ!」


 この七名はノアの繭の旅先でオリヴィアに勧誘された現地加入組。故郷は収容区ではない。


 ゆえに、ここで騎士どもを食い止める役割に徹するのが適任だと判断した。


 収容区出身者は区内に家族や友人がいる。一刻も早く助けに向かいたいはずだ。


「グレイ……殺すんじゃねえぞ」


 忠言が投げられる。


「ここでこいつらを殺っちまったら、それこそオレらの正当性が無くなっちまう」


「俺に指図するな、理想主義者」


「指図じゃねえよ、お願いだ」


 普段と違い、グレイに向き合うレッドの声に敵意はない。


「……チャーリーが斬られた時、てめえ、真っ先にあいつに駆け寄ったよな。団長よりも早く、チャーリーを助けようとした。そこは素直に尊敬するぜ、案外、仲間思いなんだな」


「突然どうした? 気味が悪いな」


「仲間を思うその気持ちをさ、レベル憑き以外にも向けてほしい。あんたが本気を出せば、たくさんの人間を魔物から救えるはずだぜ」


 返答は無かった。


 レッドも求めてはいなかった。


「さっきは、魔物からオレを助けてくれて、あんがとな。ま、ちと蹴りは痛かったが」


 感謝の言葉。


 今度は本人の口から直接聞いた。


「早くいけ」


 グレイはぶっきらぼうに言った。


 レッドら収容区出身メンバーは、現地勧誘組に守られながらその場を離脱し、収容区の方角へと走った。


 追いかけようとする騎士団の前にグレイたちは回り込み、敵の歩みを止める。


「グレちゃん、どうする? 殺さないでいく?」


「どちらが好ましい?」


「んー、あんま人の死体は見たくないかな。みんなはどう?」


 スノウに質問を振られた五名の団員は皆、彼女と同意見だった。


「なら、善処してやる」


 鬨の声を上げて突っ込んでくる十七の騎士を前に、不殺の心構えで、グレイたちは応戦した。


 

◇◆◇



 魔物の王都襲撃時は夜中だったため、区内の住民の大半は夢路を漂っていた。


 ラジオがあれば彼らの耳にも情報は届いていたであろうが、配給品で生活している住民の中で、そんな高価な代物を所持している者など皆無。フールがいくらゴキブリなどと煽っても、その放送を聞けるレベル憑きはいない。


 必然、逃げる準備などできるはずもなく。


 収容区に多数の人影が踏み込む。その先頭には反レベル憑き団体である憂国新和会の連中がここぞとばかりに陣取っていた。


 痩身で三白眼の会長――ネオ・キガリが最前列に立つ。不健康そうな青白い顔だが目だけはやたらとギラついている。彼は脆弱な身体に不釣り合いな棍棒(多数の釘を打ちつけてある)をある種のシンボルとして、国旗のように高々と掲げていた。


 集団心理に毒された民衆は暴徒へと進化する。


 国政における扇動者がフールであるならば、現場における先導者はこのネオであった。


「レベル憑きを炙り出せ!」


 ネオは叫ぶ。それを合図に親和会の会員が石塊をバラック小屋に投げつけた。窓ガラスが割れる。彼らの行動に勇気づけられた王都の一般市民も、親和会の真似をしてそこらの石塊を拾い、レベル憑きたちの住処にぶつけ、攻撃的な言動を言い放つ。


 出てこいレベル憑き! 八つ裂きにしてやる! 


 収容区の面々は何が起きたかわからず大いに慌てた。


 が、小屋から出てくるものはいなかった。


 割れた窓から外を見る。自分たちに向けられた群衆の視線。吐き出される言語の質。それらは憎悪の色で満ちており、今出ていけば、何かしらの危害を加えられることは明白であった。


 ――出てこないなら、炙り出してやる。


 ネオが部下から火炎瓶を受け取り、バラック小屋の一つに投げ入れる。


 窓から部屋に落ちた火炎瓶が割れ、火が燃え移った。


 燃え盛る火の手から逃れようと、中から子どもが二名、外に出てきた。まだこの収容区に来たばかりの、十にも満たない兄妹だ。


 彼らへと、ネオは手に持っていた釘棍棒を振り下ろした。


 まずは兄。次は妹に。


 ネオは過去に、レベル憑きに融和的な発言を繰り返す街の人権活動家の頭をツルハシで殴り殺したことがある。あの時殴った男よりも、このガキどもの頭は柔らかいな、とネオは思った。


 頭蓋が陥没した兄妹二人の死骸が出来上がる。ネオは棍棒についた血を服で拭った。


 ミリア人の中にも、今のネオの行動に拒否反応を示す者はいた。


 子どもを殺すなんて……。


 ネオは民衆の列へと振り返り、兄妹を手に掛けた両腕を広げて声を張る。


「皆さん! 弱さを見せてはなりません! 今は子どもでも、あと十年もすればこれらは魔物になるのです! ここで甘えを見せればまた昨晩の悲劇が繰り返されるでしょう! ここは心を鬼にしなければなりません! 老若男女関係なく、命乞いされようとも殺す勇気が――」


 演説の途中に邪魔が入った。一連の光景を小屋の中から見守っていたレベル憑きの青年が義憤に駆られ外に飛び出し、雄叫びを上げながらミリア人の列へと全速力で向かってきたのだ。


「光輝なる稲妻を我が手に宿せ――ライジン!」


 呪文詠唱。青年の右手から攻撃魔法が放たれた。魔力で作られた電撃の蛇がネオに向かっていく。


 ネオは咄嗟に右に飛んで躱す。代わりに電撃はネオの真後ろにいた親和会の女性幹部に当たる。二千万ボルトの電圧が彼女を襲った。


 断末魔の悲鳴を上げる余裕もなく女性は黒焦げになって事切れた。


 一連の光景を見たネオは、口の端をゆがめて、嘲笑った。


 黒焦げの死体を見た親和会メンバーや民衆は半ば恐慌状態に陥り、もう一度魔法を撃とうとする青年に一斉に飛びかかり、山刀で力任せに滅多斬りにした。


 両者の陣営から死者が出たことによって、憎しみが雪崩式に膨れ上がる。


 後に待つのは、どちらかが全滅するまで続く簡潔な――殺し合いだった。



◇◆◇



「レッド、あれ!」


 パープルが前方を指さす。


 街道の向こう。収容区の入り口には六名のミリア人がおり、全員で鉄製の門を塞いでいた。


 区内は四方を壁に囲まれている。出入り口はあそこしかない。中にいるレベル憑きを逃がさないための、策であった。


「パープル、麻痺で頼む。命は奪うんじゃねえぞ」


「諒解――知覚死亡!」


 パープルが水晶の杖を振ると、六名のミリア人の身体に電流が走り、その場に倒れて動かなくなった。


 あくまでデバフ魔法。命に別状はない。一時間もすれば効果は解けるであろう。


 麻痺状態のミリア人を飛び越え、彼らは封鎖されていた門を開ける。


 ここに来る前、レッドは、レベル憑きたちがミリア人から一方的に暴力を振るわれている様を想像していた。


 であるならば話は簡単。


 我々は被害者であるのだから、自分たちの力を正当防衛として使い、殺さずに場を収めて話し合いのテーブルを設ける。


 だが、現実は違った。


 そこは紛争地帯であった。


 レベル憑きをミリア人が山刀で殺す。そのミリア人を別のレベル憑きが魔法で殺す。色とりどりの攻撃魔法が飛び交う。魔法を食らったミリア人の身体が絞った雑巾のようになって弾ける。棍棒を持った複数のミリア人がレベル憑きを囲み、魔法を使われる前に集団で叩き殺す。


 レッドは争いの中に飛び出した。


「やめろ! 殺すな!」


 それは、収容区のレベル憑きに向けての叫びだった。


 ――殺しちゃだめだ。反撃しちゃだめだ。ここでやり返したら、オレらの正当性がなくなる。一方的な加害者にされちまう。オレらは人間を殺しちゃいけないんだ。どんなことがあっても。殺せば殺すだけオレらの居場所はなくなる。だから殺すな! 殺すな! 殺すな!


 声は届かない。


 それどころかパープルを除いた他の団員も、その《正当防衛》に加わってしまう。


 収容区は彼らの故郷だ。故郷の仲間や家族が殺されている。許せるはずもない。


 レッドは必死に止める。人殺しに参加しようとする団員を。


 「お前はどっちの味方だ!」と団員に問われれば「冷静になれ!」と怒鳴る。


 レッドの説得に同調できない団員たちは彼の頭上を飛び越え、もっとも混戦し、荒れている広小路の一帯に向かってしまう。


 レッドが団員を追いかける。


 だが、その背後から人影が現れた。


 それはネオだった。


 彼は棍棒でレッドの頭を殴った。


 衝撃が彼の脳を揺らし視界がブラックアウトする。


 レッドに駆け寄ろうとするパープルの頭上にも、ネオの部下の親和会メンバーが持った鉄パイプが振り下ろされた。


 後頭部を打たれてパープルがうつ伏せに倒れる。


 気絶した二人を、ネオは見下ろす。


「この男は……」


 レッドの顔を、ネオは知っていた。


「どうします? 殺しますか?」


「いや、待て。まだ殺るな。路地まで連れて行け」


 ネオは部下の会員に命じ、二人を指定の場所まで運ばせた。



◇◆◇



「あー、サイアク。殺っちゃったよ」


 胸焼けのような不快感を抱きながら、スノウはため息をつく。


 辺りには五名の団員と十九名の騎士の死体が転がっていた。


 殺さないつもりだった。


 でも、それは甘い考えだった。


 敵は思った以上に殺しに長けていたのだ。


 こちらが動く前に五名の団員が、騎士の槍の早技で絶命した。


 殺さずに終わるのは無理だと判断したグレイは、構わず幻影剣で彼らの身体をバラした。


 監獄の一層フロア内でグレイが気絶させた二名の騎士も、よせばいいのに起き上がって加勢に来たため、まとめて屠った。


 スノウも初めて、人を殺した。


 氷を纏った拳で心臓を凍らせたのだ。


「本当はね、殺すつもり、なかったんだよ……でも、魔物と戦う要領でやったら、だめだった」


 一人の人間の命を葬った右拳を、スノウは呆然と見つめる。


「グレちゃん……人間って、魔物よりやわらかい命なんだね」


「泣くか?」


「ううん、まだ泣かない」


 スノウがグレイに向き直る。


「パーちんたちと、合流しよっか」

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