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自走する監獄  作者: 日下鉄男
本文
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王都崩壊 二

 

 O型魔物の王都襲来による犠牲者数は――死者百二十一名。負傷者は四百名以上にのぼった。


 敵のビームで蒸発した者は死体すら見つからないため、行方不明か死亡か判ずるのに時間がかかった。


 火の消化や瓦礫の撤去、死体の片付けは騎士団と生き残った王都の住民によって行われた。


 オリヴィア率いるノアの繭もそれらの作業に参加しようとしたが、できなかった。

 

 身内の死体をレベル憑きに触らせることを住民たちが拒否したためだ。

 

 彼らの頭にこびりついていたのは、生まれて初めて見た魔物の恐怖。


 改めて実感する。


 傭兵団も収容区の連中も、いずれはアレになるのだと。


 成長すると必ず飼い主に牙をむく獣がいたとして、なぜ、そんなものを我が国で飼っている? 


 経済のため? 貨幣価値は人が生きてこそ、だ。


 住民区を破壊した元凶であるO型魔物をヨハン王は見下ろした。


 王の足元に転がるO型に残されたのは、氷漬けとなった頭部のみ。


 しかし、まだ生きている。


 ヨハンはノアの繭に頼んで、自走する監獄の《檻》へと魔物を閉じ込めさせた。


「こいつがどこから湧いたのか調査するため、一度こちらで預かって城に持って帰るよ」


 ノアの繭の団員たちにそう伝えると、ヨハンはO型を閉じ込めた檻を騎士団に運ばせてハウンド城へ送った。


 その後、団員たちはヨハンの命令でホテルに戻された。


 ホテルの自室に着くと、皆、寝間着からいつもの私服に着替えて待機する。そのまま一眠りしても良かったが、誰一人横にならずに朝を待った。


 誰もが先の戦闘の光景が頭にこびりつき、目が冴えて眠れなかったのだ。


 薄明を迎えた頃、オリヴィアの元へハウンド城からの伝令がやってきて、こう言った。


「王のご命令です。傭兵団を商業区の広場に集めてください。一人残らず」



◇◆◇



 広場の中央には、前王ルドヴィゴ・エアバッハの銅像が建てられている。


 朝は人気が少ないこの場所に、ノアの繭の団員総勢二十三名が集合した。


「グレちゃん、アタシたち、囲まれてない?」


 スノウは首を傾げ、ありのままの事実を述べる。


 集められた団員たちの周りを、王都の騎士団の面々が丸く取り囲んでいたのだ。


 見れば全員がサーベルを腰に帯びており、すぐにでも鞘から抜かんばかりの勢いで柄を握りしめていた。


 演習の類ではない。鎧姿の騎士たちは緊張と殺意を孕んだ双眸を団員へと向けている。


 なにかがおかしい、とオリヴィアは思った。


 ヨハン王を乗せた幌馬車が広場に到着し、石畳の上に王は降り立つ。


「やあ、オリヴィア」


「お、お父様、どうなさったのですか?」


「どうって?」


「い、いえ、その……警備が物々しいと言いますか……なぜわたくしたちをここに?」


 うひょひょという捻くれた笑い声が耳朶を打つ。


 見れば王の横に、あのピエロが立っていた。


「まさに蜘蛛の巣に捕らわれた蛾ですネエ。爆笑ですネエ。うひょ! うひょひょひょひょ!」


「なあ、道化は人を笑わせるのが仕事だろ? 自分だけ楽しく笑うなよ八流クソピエロ」


 グレイが心底うんざりした様子で、道化師フールを罵倒する。


 ヨハンはオリヴィアの疑問には答えず、広場に聳え立つ前王の銅像を見上げた。


「即位した後にね、父の横に、僕の銅像も作ろうかって話が持ち上がったんだ。でも僕は断った。こういう類のものは、個人崇拝につながる悪しき習慣だと思ってたからね」


 形として残された父の幻影から目を離し、碧眼の双眸をヨハンは娘に向ける。


「僕は平等な王でありたかった」


 ヨハンは懐から丸めた紙を取り出し、空に放り投げた。それを合図に周りの騎士やピエロもまったく同じ紙を空中へ投擲する。空に舞い踊る大量の白いわら半紙をグレイたちは手に取った。


「複写紙だよ。原本は僕が持っている」


 紙に書かれた内容を見て、ノアの繭のメンバーは目を瞬かせる。


『我区内ノ不平等ヲ許サヌ者。此ノ魂魄ヲ濁ラセ、怪物ニナリテ王都ノ特権階級ヲ粉砕ス』


 古風な字体で書かれているが、間違いなく――犯行声明文であった。


「あの石柱の魔物の正体は収容区に暮らしていたレベル憑きの男だよ。名は、アハト・オウガ。数ヶ月前に区を抜け出し、それからずっと王都の空き家に隠れ潜んでいた。見つけた彼の隠れ家には一冊の日記帳があった。君らに渡した紙はその日記の最後のページの写しだよ」


 わら半紙を持つオリヴィアの手が震える。


 怪物ニナリテ王都ノ特権階級ニ物申ス。つまり、日記の主は故意に魔物になったのだ。王都を襲うため。収容区と王都の不平等の是正を暴力で成し遂げようと、自らを犠牲にした。


「テロリズムだね」


 いつもの温和な調子ではない。明瞭な嫌悪を含んだ発音で王は言った。


「ルール違反だ。僕は悲しいよ。確かに収容区と王都の関係はまだまだ改善の余地があった……しかしね、これはダメだ。どんな理由があっても、主張のために人を殺すのは許されない」


 ヨハンがこの後何を言うつもりなのか、オリヴィアは先んじて理解した。


「関係ありませんわ!」


 だから、先んじて否定した。


「わたくしも、収容区の者たちも、そのテロリストに一切関与しておりません!」


 ヨハンが右手を上げた。


 瞬間、騎士たちが一糸乱れぬ動きで一斉にサーベルを引き抜く。


「エビデンスの問題だよこれは。真偽はこれから明らかになるだろう。でも僕は王だから、常に最悪の想定をしないといけない。今回の事件は単独犯か、それともこれが氷山の一角なのか」


「ヨハン」


 王を無礼に呼び捨てながら、一人の団員が前に出た。


 グレイだ。


「回りくどい言い方はやめろ。単刀直入を心がけて喋れ」


 その淡褐色の両眼でヨハンを睨みつける。


「あんたは、俺たちをどうしたい?」


「ノアの繭の活動は凍結。君らは拘束する。テロリストの仲間がいないことを証明するまでね」


 ヨハンの解答。


 それに強い反発を示したのは、グレイではなかった。


「……ふざけてないっスか?」


 新米団員のチャーリーだ。


「おれら、魔物が出た時、この街を救ったんスけど? 人の言い分も聞かずに捕まえるってなんスか? 恩を仇で返すなって感じッスわ。おい、なんとかいえや!」


 スラム出身の悪癖が顔を出した。本人はただの抗議のつもりだったが、傍から見るとチンピラの威圧にしか見えない。


 新米団員の彼なりに、自らが属する傭兵団を守ろうとしたのかもしれない。


 憧れであるレッドたちに、良いところを見せようとしたのかもしれない。


 無論、ただ単に頭に血が上っただけという面もある。


 チャーリーは自分たちを囲っている騎士の一人に距離を詰めた。


 オリヴィアたちが止めるのも聞かずに。


 彼は、この騎士を眼前で威嚇してやろうと思った。


 スラム流の脅しをするだけのつもりだった。


 だが――


「――あっ――がっ――」


 一刹那、血の噴水が放物線を描いた。


 騎士のサーベルが、目の前に迫ったチャーリーの喉を掻き切ったのだ。


 その場に倒れ、もがき苦しむチャーリーに、オリヴィアとグレイが駆け寄った。


 傷口を指で押さえ、チャーリーの気道を確保しようとグレイは首を持ち上げる。


「オリヴィア、回復魔法を使え!」


「は、はい!」


 喉から吹き出した大量の血潮で顔を赤く染めたオリヴィアが傷口に手を触れた。


「痛苦を涅槃へ。再生を現世へ。汝の傷を」


「オリヴィア」


 大急ぎで呪文を唱える彼女の背後から、父の声が降ってくる。


「その男を治療したら、ノアの繭は全員、王都を襲った魔物の仲間と見なすから、そのつもりでね」


 オリヴィアの口が固まり、詠唱が止まった。


「君も、君の団員たちも《名誉人類》としての立場を失うことになるよ」


 保身は数ある人の振る舞いの中で最も醜悪であることは、オリヴィアにだってわかっている。


 でも、ずっとあの収容区から逃げたくてここまで来たのに。名誉人類の地位を追われたら、きっと王族でもなくなって、ただのオリヴィアに戻って……大嫌いだった頃の自分にまた……。


 グレイがオリヴィアの胸ぐらを掴んだ。


「ごちゃごちゃ悩むな、治せ。もしこいつを見捨てたら、俺がお前を殺す」


 チャーリーがごぼ、という音とともに、血のあぶくを吐きだす。


「――っ!」


 オリヴィアは目を見開いた。


「っ! 汝の傷を溶かせ――ヒール!」


 口が勝手に動いた。


 回復魔法が発動し、傷口に治癒の光が灯る。


「ヒール! ヒール! ヒール!」


 何度も、何度も、何度も、彼女はかけ続けた。


 魔力をどれだけ傷口に注ぎ込んでも彼の身体が完治しなかったから。


 単体回復魔法で血管を塞いでも、すでに体内から溢れた血が元に戻るわけではない。


 彼は血を流しすぎていた。


 オリヴィアが逡巡している間にも。


 結果、回復効果が追いつかないほどに急速に衰弱していった。


 治療の甲斐なくチャーリーは三十秒間苦しみ抜いて、最後はうまく呼吸ができずに窒息死した。


「ヒールヒールヒールヒールヒールヒールヒールヒールヒールヒール!!!」


 スノウが、錯乱したオリヴィアを死体から引き剥がす。


「ダンチョー! もういいよ! もういいから!」


「どうしてどうしてどうしてもっとはやく、ばか、ばか、ばかああああああああああ!」


 血溜まりの死体のそばで、後悔の念に押しつぶされながら蹲り叫び散らすオリヴィア。


 グレイは立ち上がり、顔についたチャーリーの血を拭うと、火花放電のような光を手に走らせた。


 光が止むと、彼の右手には銀灰色の大剣が在った。


 幻影剣を水平に構え、グレイは地を蹴る。


 固定された視線の先には、血のついたサーベルを持つ騎士の男。


 チャーリーを殺した張本人。


 ガキンッ! 


 騎士の首を斬り落とす直前、実体を持った刀がグレイの幻影剣を弾き返した。


 殺人を阻止したレッドが、愛刀ジャスティス丸の切っ先をグレイに向ける。


「またか。何度俺の邪魔をすれば気が済むんだ、お前は?」


「状況を悪化させんな、ばか! 今やり返しても、何も解決しねえだろ!」


「仲間を殺された。解決なんでどうだっていい。殺されたら、殺し返す。それが俺のやり方だ」


「感情に任せてぶっ殺しちまったら、居場所が無くなるのはオレらの方だぜ!」


「だったら先に皆殺しにすればいい。レベル憑きの居場所を奪う人間どもを一匹残らずな」


「てめえの幼稚な破壊願望を押し付けんな! んなやり方でうまくいくわけねえだろ!」


「冷たいな」


「あ?」


「この期に及んで、なぜ、お前は人の味方でいられる?」


「っ! お、オレは正義を」


「チャーリーは!」


 レッドの物言いをグレイの怒鳴り声が遮った。


「チャーリーは……お前を慕っていたはずだ」


 グレイの発言にレッドは唇を噛んで、沈黙する。


 首をかき切られて死んでいる後輩を、レッドは呆然と見つめた。


 パチンという指を鳴らす音が、対立する両者に冷水を浴びせる。


「ああ、こほん。そろそろいいかな?」


「ヨハン。あんたは何も喋るな」


「どうしたんだい? グレイくん。怖い顔をして」


 手に持ったわら半紙をグレイは幻影剣で真っ二つに斬り裂く。


「前提が間違っている場合もある」


「というと?」


「王国の調査網は優秀だな。魔物襲撃から短時間でこんなわかりやすい物証が見つかるとは」


「何が言いたいのかな?」


「捏造だろ、これ」


「…………」


「俺たちや収容区のレベル憑きを陥れるために、あんたがでっち上げた代物だ。区内から二十歳を迎えそうな奴を拉致して、魔物化したら街に放つ。そういう芸当はあんたの立場なら簡単にできる」


「ノアの繭に不利な状況を作ることが、団の管理者である僕に何の益があるんだい? それに僕はレベル憑き融和派。区の方々の立場を悪くするような真似、できるわけないじゃないか」


「……聞きたいんだが」


 真実を探るような半眼をグレイは王へ向けた。


「あんた、本当はレベル憑きを差別したくてたまらないんじゃないのか?」


 それは、この国に住民登録をしてから今日まで、グレイの中でわだかまっていた疑問。


「へえ面白い質問だね……もしそれが事実なら、君はどうするつもりだい?」


 決まっている――グレイは霧状の剣身を肩で担いで一歩前に踏み込んだ。


 すかさず、王を守るようにグレイの前へ立ちはだかるレッド。


「どけ」


「どかねえ」


「どけ」


「武器を捨てねえなら、てめえをたたっ斬ってやる」


「邪魔をするのなら、斬り捨てられるのはお前だ」


「お、お待ちなさい!」


 対峙する両者の間にオリヴィアが飛び込む。


 彼女はグレイの腰に抱きつき、彼の進行を止めた。グレイがロリ団長を振り払おうとして、その小柄な肩に手を伸ばす。


 彼女の震えが手のひら越しにグレイへと伝わった。


「…………」


「グレイさん……お願いです。こ、ここは、こらえてくださいまし」


「お前は……我が身可愛さに仲間を見捨てようとしたクズだ。そんな奴の頼み事など、俺が聞くと思うか?」


「わかっています。後でわたくしを八つ裂きにして構いません。でも、今は……今だけは……」


 いくら魔法が使えても、相手は王国の精鋭部隊で人殺しのプロだ。


 グレイ以外の団員たちは、魔物は殺せても人殺しの経験はない。ここで全面戦争になればノアの繭もただでは済まない。


 殺人という禁忌が団員の刃を鈍らせ、その弱さに付け込まれて殺されてしまうだろう。


「わたくしが必ずお父様を説得してみますから、どうか……」


 オリヴィアは、ノアの繭という《全体》を守ろうとしていた。


「もう誰にも死んでほしくありませんの。本当に、死んでほしくないから、だから……」


 それはグレイにだってわかっている。


 わかっているが、それでも感情は許さない。


 右手の幻影剣に力を込める。


 一振りすればオリヴィアの身体など簡単に斬り裂けるだろう。


 彼は、ギリリ、と奥歯を噛んだ。


「勝手にしろ」


 柄から手を離した。


 主を失った幻影の剣は地面に落ちる前に粒子となって消滅する。


 一つ大きく深呼吸して、グレイは気持ちを落ち着けた。


「今だけは、お前に任せてやる」


「ありがとうございます。ありがとうございます」


 グレイに頭を下げたオリヴィアは、それから他の団員たちへと向き直る。


「皆さんお願いです。ここは、父に従ってください」


 グレイが団長の説得に応じた今、その意見に反対するものは、皆無。


 ノアの繭が濡れ衣を着せられているという、この、わけのわからない状況において。


 誰もが、自分たちの行き先を定められずにいた。

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