王都崩壊 一
ハウンド城最上階の一室。
そこは庶民が十年働いても買えないほどの豪奢な装飾で満たされていた。
部屋に備え付けの天蓋ベッドの上で眠っている女性がいた。
王妃のマリアだ。
悪夢でも見ているのか、瞑った目の端から涙が溢れている。
彼女のそばに立つヨハンは、マリアの涙を指で拭い、右手を取って口づけをした。
寝室で素肌を晒したマリアの手の甲と腕、そして顔の右半分には、青い刺青が刻まれていた。
「ああ、僕のマリア。間もなく、君はこの呪いから解放される。もう苦しむ必要はないんだ」
もう一度、刺青の刻まれた手の甲に口づけをすると、ヨハンは寝室を出て鎧戸のついた篭に乗り込んだ。
篭が降下する。
辿り着くはハウンド城の地下。
そこはドーム状の広い空間だった。
地下には二つの檻が無造作に置かれ、両方とも中身は溶けていた。
地下の空間にて待機していた一人の道化師が、篭から降りてきたヨハンを前に頭を垂れる。
「うひょひょ、王よ。お待ちしておりましたがネ。仕込みは上々。完璧ですネ」
道化師兼国務大臣のフール・モリタは、白塗りの顔を悪魔的な笑みに歪めた。
「強化素材はあと一個でいい。僕の言ってることはわかるね? 決行は今夜だ」
自分に仕える道化師に命じると、王はまた篭に乗って血なまぐさい地下の世界を後にする。
宮廷道化師は地下空間の檻が置かれている一帯を抜け、とある小部屋に入った。
その部屋では一人の男が椅子に座らされ、手錠と足錠をかけられていた。
「頼む……食べものを……くれ」
「食べもの? 食べものなら三食キッチリ与えているがネ」
「違う。魔物だ。魔物をくれ」
荒い呼吸を繰り返す男の身体に、黄金色の蛇が現れた。
「明日で、お、おれ、二十歳になるんだ!」
椅子の背に回され、手錠で繋がれた腕を解こうと男は必死にもがく。
男の膝の上に、道化師はバースデーケーキを置いた。
ろうそくが二十本灯っている。その淡い光が薄暗い地下室を照らし、恐怖を滲ませた男の顔を浮かび上がらせる。
男の右手には青い刺青が刻まれていた。
「王様からの誕生日ケーキだヨ」
ケーキのスポンジには誕生日カードが刺さっている。
カードには《ハッピーバースデー》と直筆の文字が書かれていた。その下にはヨハン・エアバッハというサインもある。
道化師が白い手袋をはめた手で男を指さす。
「消セ」
「お、俺に魔物を、このままじゃ」
「消セ」
抵抗はできなかった。男は――収容区から数か月前に拉致されたレベル憑きの彼は、震える唇を舌で湿らせながら、火を吹き消した。
辺りが闇に満ちる。
そして、時計の針が重なり、日付が変わった。直後、彼の身体に浮かんだ黄金色の蛇が立体化し、皮膚を突き破った。
喉が裂けるほどの男の悲鳴。
やがてそれは、赤ん坊の鳴き声へと変わりゆく。
道化師は右横にあった大きなヒモを掴んで引いた。
男の身体が椅子ごと持ち上がり、地上へと射出された。
◇◆◇
最初に目を覚ましたのはグレイだった。
「……どうしたんですの? こんな夜中に」
グレイの物音が、一緒のベッドで寝ていたオリヴィアの意識も覚醒させる。
今回の帰省でもグレイはオリヴィアと同じ部屋をあてがわれていた。
ロリ団長は目をこすりながらベッドサイドテーブルのランプを灯す。
「気配だ」
「はい?」
「魔物がいる」
オリヴィアの目が一瞬で覚めた。
「そんな! 中西部に魔物が出たなどという報告は!」
一刹那――爆発音と赤ん坊の鳴き声の混声合唱が、ふたりの耳をつんざく。
「っ! グレイさん! あれ!」
窓の外をオリヴィアは指さす。グレイはそれをひと目見た瞬間、コートハンガーにかけてある赤いロングコートを引っ掴んで部屋を出ていった。
「ま、待ちなさい!」
オリヴィアも寝間着のままグレイの後を追う。
真夜中だが、外の世界は明るい。
人工的な光源ではなく、自然発生的な灯火。
燃えていた。
川向こうの住民区が。王都の民たちが暮らしているその場所が。
住民区の中央には影があった。昼間には無かった物。高さは目視で十二メートル。
グレイに追いついたオリヴィアが、彼の服の裾を掴んで動きを止める。
「単独行動はいけませんわ! わたくしの指示に従いなさい!」
爆発音と魔物の声で目を覚ました他の団員たちが、ホテルの廊下へとまばらに現れる。
「だったら今すぐ全員を念話で叩き起こして命令を出せ」
背を向けたまま、緊張を孕んだ低い声でグレイは言った。
「命令は一つでいい。魔物狩りだ」
◇◆◇
白い石柱があった。
石柱の真上に人間の顔がついている。
顔の周りをタテガミが覆っている。
それは、元は白い石柱ではなく巨大な黒の球体だった。
球体は《鱗》で構成されていた。
黒い鱗が《魔物》の身体に密集していたのだ。
しかし、王都に現れて一分も経たないうちに弾け、鱗が辺りに飛び散った。
大量の黒い鱗を残らず放出した魔物は、石柱へとその姿を変えた。
鱗は地面に落ちると蜘蛛のような手足を生やし、一つ目の頭が現れ、走り出す。
八本の足で。人間とは比べ物にならない速さで。
住民区に大挙した鱗どもは一つ目から高温のビームを発射。辺りが火の海に包まれる。建物が倒壊し住民たちを押しつぶす。外に逃げた者は鱗のビーム兵器の直射で溶解した。
自身が撒き散らした鱗の成果を見下ろしながら、白い石柱は表情のない顔で赤い涙を流す。
そんな地獄絵図となった住民区を――
「フェニックス・バスタアアアアアアアア!」
赤毛の絶叫が引き裂いた。
不死鳥を纏った赤毛――レッドの刀剣が鱗の軍隊の二割を炭化させる。
「鳴け、テスラ!」
レッドの後に到着したグレイも、ランク四の雷撃魔法で多数の鱗を雷光の餌食にする。次いで、レッドと背中合わせで両手に霧状の大剣を構えた。
鱗と石柱が闖入者の両名へと一斉に目を向ける。
「ちっ、どうなってんだ! こいつら全員魔物かよ!」
鱗の大群を睨みつけ、レッドは怒鳴り散らす。
「いや、魔物はあいつだけだ」
グレイは前方の石柱を指さした。
「あれはO型種。O型は常に俺たちの想像の斜め上を行く。いいか、本体はあの石柱だ。周りで暴れている蜘蛛は奴の武器に過ぎん」
長年培ってきたグレイの魔物殺しのスキルが、短時間の内にO型のキテレツな性質を見抜く。
グレイは幻影の大剣を振る。剣閃を象った衝撃波が石柱に向けて放たれた。
しかし、石柱に届く前に、見えない壁に弾かれて霧散する。
「なるほど。絶対防壁というわけか。攻撃は蜘蛛どもに任せて本体は守りに徹しているな」
グレイは近くの鱗――彼が言うところの蜘蛛に視線を向けると、右手を掲げ再度「テスラ」と唱えた。
魔法陣より吹き上がる黒い稲妻が、数十体の鱗を破壊。
彼は続けざまにもう一度、衝撃波を石柱にぶつけた。
また弾かれたが、一度目よりも衝撃波の届く位置が敵に近づいていることに気づいた。
グレイは得心した。
防壁が徐々にだが、弱まっている。
「辺りの蜘蛛を一つ残らず壊せ。それで奴の盾は解ける」
その言葉を伝えた相手は、レッドだけではなかった。
振り返り、後ろに立つオリヴィアと総勢二十名の団員をグレイは見る。
「わかったな、団長」
オリヴィアがこくりと頷いた。彼女は血が出るほど強く拳を握りしめていた。
目の前に広がるミリア人たちの亡骸が、燃える街が、彼女の精神のバランスを著しく崩す。
曲がりなりにも、自分は王女なのだ。国民が大量に殺された。その現場を見て、冷静でいられるわけがない。破裂しそうな程の殺意が命令文となってオリヴィアの口から飛び出た。
「全軍突撃! ケダモノどもを慈悲なく駆除なさい!」
命令を言い終わるか終わらないかのうちに、レベル憑きたちは動く。
「氷拳!」
「時/使役/天使」
スノウとパープルが年季の入った絶妙のコンビネーションで獲物を粉砕し、
「解くべきものを解くべき――シロ・クマ!」
オリヴィアの放った白色に光るカマが鱗を斬り裂き、体液を撒き散らす。
団員たちの魔法が、地獄絵図の王都の光景にカウンターの一撃を食らわせる。
戦いの最中。レッドはぬいぐるみを抱いて死んでいる王都の子どもと、その子どもを庇うように抱いて死んでいる母親を発見した。
「きっと痛かった。きっと苦しかった。きっと助かりたかった」
親子の死体をレッドは悔しそうに見下ろしながら、もの言わぬ躯の感情を代弁する。
正義の心がレッドの内側を怒りの炎に染め上げた。
「おい、グレイ!」
背中合わせに立つ犬猿の仲の名を叫ぶ。
「一時休戦だ。あの魔物、ぶっ殺すぞ!」
「もとより、お前と戦ってなどいない」
鱗の一つ目がレッドとグレイをターゲットに捉え――高温の一線が放たれた。
「ダルバサ!」
「コード・ウォール!」
橙色と赤色の防壁を双方が瞬時に展開。ビーム兵器の猛攻を遮断。
第二波は撃たせない。
「ヴォルテック・バスタアアアアアアアアア!」
「グラビティ・エンジン!」
猛炎の渦が敵を溶かし、円状の魔法陣が敵を圧殺する。
スノウ&パープルの凸凹コンビとは違い、コンビネーションもへったくれもない。二人とも競い合うように魔法を好き勝手ぶっ放しているだけだ。が、その競争心が、ある種の相乗効果を生んだ。
団員たちの活躍により、鱗の数がまたたく間に減少する。
最後の一匹はオリヴィアの手で、その活動を停止させた。
本体の防壁が解除される。
誰よりも早く動いたのはレッドだった。
跳躍し、ジャスティス丸を振り上げ、盾のない石柱へと飛びかかる。
「ばか! 軽率だ!」
グレイの警告は耳に入らず。
「魔物野郎め! 人の命の重みをこの一撃にうけやがれ!」
刀を振り下ろそうとしたその瞬間、石柱の血の涙が止まり、目が見開かれた。
一つ目の鱗が使ったのと同じビーム兵器が、石柱の両目から撃たれる。
「っ! なっ!?」
防壁が間に合わない。直撃必至。
「レッド! だめ!」
パープルが叫び声を上げた瞬間、
グレイが空中でレッドを蹴り飛ばした。
レッドがひとつ先の民家の屋根まで吹き飛び、敵のビームの射線上から外れる。
――あの馬鹿を足蹴にするのはこれで二度目だな。
代わりに射線上に身を晒したのはグレイ。彼は事前に発動させた防壁で放射の一線を防ぐ。
そこに小さな金色の少女が現れた。
「――ガイカク!」
オリヴィアがグレイの防壁と重ねるように、自前の魔法を起動。
ガイカクは中級防壁魔法。グレイのコード・ウォールよりも効果範囲が広く耐久値も高い。
魔法を展開しながら二人は手を重ねる。裂帛の声を共鳴させ、敵の攻撃を押し返す。
五秒、七秒、十二秒経過。敵の放射が終わる。グレイとオリヴィアに怪我はない。
ビーム兵器を撃ちきった反動で石柱の魔物がバランスを崩す。瞬間、オリヴィアは目を凝らして、発見する。
よく見れば、その石柱の身体は複数の薄い円柱が積み重なってできていたのだ。
「スノウさん! ダルマ落としの時間ですわよ!」
「あいあいさ!」
指名されたスノウが一足飛びで敵の懐へと迫る。
まずは真下。石柱の一段目を氷雪の魔法で覆われた右拳でスノウは殴り抜いた。
石柱を構成していた円柱の一つが、ダルマ落としの要領で抜き取られる。
魔物の全長が一段分下がった。
「氷蹴撃!」
今度は氷雪魔法の蹴り技で二段目も抜き取る。
三段目。四段目。五段目。殴打技と足技のコンボで敵の身体を次々とバラしていく。
「これで、ラストおおおおおお!」
スノウが最後の円柱を胴体から追放した。
顔だけになった敵を彼女の両拳が打ち砕く。
敵の顔面の右半分が割れ、中から魔物のコアが露出した。
殴打の衝撃が内部にまで達していたのか、露出したコアはすでにひび割れている。
「うわ、めずらし! この子、頭ん中にコアついてるんだ。さっすがO型! へんなやつ!」
スノウの氷雪魔法の状態異常効果によって、石柱の顔は瞬きすらできないほどに、凍りついていた。
「みんなどうする? アタシが経験値、もらっちゃってもいい?」
彼女は周囲の団員たちに尋ねた。あと一撃でコアは完全に砕かれる。
経験値は全取りだ。
「構いませんわ。スノウさんの餌にしてあげなさい!」
団長のオリヴィアが許可を与えた。では、と一言断りを入れてからスノウは拳を振り上げる。
「待ってくれ」
だが、馬と人の足音、そして男の声がスノウの攻撃を中断させた。
「っ! お、お父様!?」
後ろに撫で付けた黒髪。碧眼。燕尾服を纏ったヨハン王の姿が娘の視界に入る。
夜闇に輝く街の炎に横顔を照らされながら、馬に乗った父は娘のオリヴィアに言った。
「その魔物は、僕たちが預かるよ」




