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自走する監獄  作者: 日下鉄男
本文
19/30

刺青


 自走する監獄の歩行に伴う浮遊感を味わいながら、

 オリヴィアはシャワーを浴びていた。

 

 監獄の三層フロアには身体を清める広い浴場がある。


 トイレもある。


 水洗だ。


 一つ下の二層フロアには貯水タンクが設置されており、

 雨水や旅の途中で発見した川の水をそこに貯めることができた。

 

 さらに監獄は自走時の運動エネルギーを電力に変換することも可能だった。

 

 蓄えた電力は監獄内の電球に明かりを灯し、貯水タンクの水をお湯に変える。


 生活排水は監獄備え付けの排水口から外に垂れ流す。


 排水口は人間の身体でいうところのお尻の位置にあった。


 無駄に高性能なそれらの機能によって、オリヴィアは監獄内で身体を洗うことができていた。


 浴場は男女兼用。使用時間は男女毎にタイムテーブルで割り振られている。


 基本は男の団員が先に入り、女の団員はその後。


 金色のミディアムヘアについた石鹸の泡をシャワーで洗い流しながら、彼女は思案に暮れていた。


 先の砂漠の国での一件。


 ――ミリア王国が許しているんですよ。馬車で運んでいる最中のレベル憑きの《販売》を。


 ヨハン王が横流しを許可しているなどと、とんでもない大嘘だ。あの聡明で優しい父がそんな残酷なことを許すはずはない――彼女は何度も頭の中で、あの憲兵の言葉を否定する。


 ムキになって否定する。


 それは逆説的に憲兵の発言を認めているようなものだった。


 養父を信じきれていない。それだけの絆を彼女は育めていない。


 ともかく、国に戻ったら父に確認せねば。


 怖いけど、やらねば。


 だが――もし、父が憲兵の発言を認めたら、自分はどうすれば良いのか。


 そこまで考えて彼女は頭を振り、お湯に濡れた髪を乱暴に擦った。


 直後、浴場出入り口の引き戸が、がらら、と音を立てて開く。


「ダンチョー発見!」


 中に入って早々に元気の良い第一声を上げたスノウが、浴場のシャワースペースにいるオリヴィアを指さした。

 

 オリヴィアは急ぎタオルを巻いて身体を隠す。

 

 四十平米の浴場を駆け足で横断したスノウが、オリヴィアに抱きつく。


「ダンチョー、一緒にお風呂入ろうぜ!」


「ちょ、ちょっと! スノウさん、抱きつかないでくださいまし! 暑苦しいですわ!」


 発育のよいスノウの胸で窒息するオリヴィア。女として一から十まで負けているその圧倒的な質量を前にロリ団長は心の中で泣いた。


「スノウ、団長が困っている。あと浴場は走らない。マナー違反」


 一緒に浴場に入室したパープルがスノウを咎める。


 他の女性団員は既に上がった後。

 

 浴場にはオリヴィア、スノウ、パープルの三人しかいない。


 シャワーで身体を洗い終えると三人は石造りの湯船に浸かった。


 オリヴィアは湯船の中でもバスタオルを外さない。


「……今度は団長がマナー違反」


 口元まで湯船に浸かり、お湯をブクブクさせながらパープルはオリヴィアに指摘する。


「パープルさんのブクブクも十分マナー違反ですわよ」


「……ブクブク、みんなマナー違反。ブクブク」


「ですからそのブクブクをおやめなさいな」


「ていうか団長ってお風呂入るときいっつもバスタオル巻いてるよね。入るタイミングも他の団員がいない時間を見計らってるし。なぜに?」


「は、肌をさらしたくありませんの」


「……団長、気持ちはわかる。パーさんも目前の浮袋を前に自分のを見せるのは、抵抗を感じている」


 パープルがジト目で水面に浮かぶスノウの巨乳を凝視する。


「スノウさんのお胸も大変に小憎らしいですが、そ、それだけが理由ではありませんの……」


 一瞬、言葉に詰まるオリヴィア。


 しかし、スノウの好奇の眼差しに観念し、口を開いた。


「レベルが八十三もあるレベル憑きの身体は……おふたりが思っているより、気味の悪いものですから」


 レベル八十三のオリヴィアの刺青はすでに肩にまで達している。


 間もなく首筋、そして顔にも侵食するであろう。


 どんな化粧を用いても隠しきれないスティグマ。


 柔肌に刻まれた奇怪な刺青を彼女は他者に見せたくなかった。


 こんなのは淑女の身体ではない。隠すべき恥部である、と自己規定していた。


 それは仲間であるはずの団員に対しても同様に。


 オリヴィアの言葉を聞いたスノウは、にやりと口角を上げる。


「せいや!」


 盛大な掛け声とともに、彼女はオリヴィアのバスタオルを勢いよく引っ張った。


 その身を隠していた白いバスタオルが簡単に剥かれ、彼女の子ども肌があらわになる。


「こ、こら! 返してくださいまし!」


 裸身となった彼女は大慌てでスノウに飛びかかった。


「いたた! ダンチョー、顔引っかかないで!」


「あなたのせいですわよ!」


 全裸で取っ組み合う二人。しかし体格差には勝てない。オリヴィアはスノウに羽交い締めにされてしまう。スノウはそのまま団長の身体に刻まれた刺青を指でつついたり撫でたりを繰り返した。


「や、やめ、く、くすぐったいですわ……!」


 皮膚を刺激されたオリヴィアがピクピクと身悶える。


「へえ、団長の刺青ってこんな感じなんだ。アタシのと文字の形、微妙に違うね」


「パーさんのとも違う」


 いつの間にかパープルも身を乗り出し、オリヴィアの刺青を覗き込んでいた。


「い、刺青の文字はレベル憑きによって細部が異なりますの……」


「嘘!? 知らなかったよ!」


「パーさんも右に同じ」


 二人が大仰に驚いた。


「あ、あなた達、自分の身体について不勉強過ぎませんこと?」


「パーさん、他人の刺青をこんなに近くで見たことがない」


「ええ、わたくしもできれば見せたくありませんでしたわ!」

 

 非難の眼差しをオリヴィアはスノウに向けた。


「じゃあせっかくだから見せあいっこしようぜ!」


「は、はい?」


 目を丸くするオリヴィアに構わず、

 スノウとパープルは右腕を湯船から出す。


 そして各々が他の二人に見えるように腕を掲げた。


「確かに。スノウの文字はパーさんとは微妙に差異がある」


「パーちんやダンチョーの刺青の方がアタシのよりシャキッと感あるね」


「スノウの刺青は文字の角が少し丸い」


 刺青批評を勝手に始める二人を前にオリヴィアは呆れ果てた。


 しかし、オリヴィアもオリヴィアで他人の刺青を至近距離から見るのは初めてのこと。


 最初は抵抗があったが、好奇心がまさった。


 オリヴィアも二人の刺青に目を向け、その批評に混ざる。


「パープルさんのはわたくしのより、一文字の画数が多いですわね」


「パーさん、画数の多い女」


「画数が多いと魔物化へのタイムリミットが伸びるとかって特典があったり?」


「手相の生命線じゃないんですから、ありませんわよそんなの」


 その内にオリヴィアは、他の二人に刺青を晒すことへの抵抗がなくなっている自分に気づいた。


「でも、やっぱ団長の刺青はすごいね。肩までびっしりだ」


「……き、気持ち悪くありませんか?」


 オリヴィアは恐る恐るスノウに尋ねる。


「なんで? かっこいいじゃん」


「お、お世辞も過ぎれば嫌味ですわよ」


「お世辞じゃないってば。ていうかアタシもレベルが上がったら団長とどっこいの濃い刺青になるんだから、人の見てキモがってどうすんのって話だよ」


 言われてみればそうだ、とオリヴィアは気づく。ここにいるのは皆レベル憑きなのだから、遅かれ早かれ、誰もがオリヴィアと同様かそれ以上に刺青は成長する。


「……スノウさんはご自身の刺青をどう思っていらっしゃるのですか?」


「好きだよ」


 即答だった。


「ちょっとかっこよくない? 肌に刺青が描かれてるって。選ばれし者感があるよね」


 オリヴィアは衝撃を受けた。スノウの言葉に強がりは感じられない。このムードメーカーは自分を愛することが出来すぎていると思った。レベル憑きに生まれるなど、本来なら罰ゲーム以外の何物でもないはずなのに。


「スノウさんはお強いですわね」


 彼女を見ていると、仲間である団員たちにすら刺青を隠そうとしてきた自分が、ひどく矮小に見えてしまう。


「え、ええ? なんかいきなり褒められてびっくりだ。てか、ダンチョーのほうが強いよ。レベルいちばん高いし」


「スノウ。団長の発言はそういう意図のものではないと思う」


 団のリーダーからの突然の称賛に戸惑うスノウ。そんな彼女に突っ込みを入れるパープル。


 凸凹コンビのやり取りを湯船の中から眺めるオリヴィアは、口元に手を当てて吹き出した。


 砂漠の国を引き上げてから今日にかけてずっと悩んでばかりいたけれども。


 彼女たちとのやりとりの中で、少しだけ気持ちを楽にしたオリヴィアだった。



◇◆◇



 監獄の一層フロア。

 

 砂漠の国で入手した《強化素材》の魔物が収められている檻の前には、レッドがいた。


 パイプが全身に突き刺さり、身体を小刻みに動かすことすら叶わないB型の魔物を、檻の外からレッドは無表情に見つめる。

 

 そこに人影が現れた。


「言っとくけどな。オレは間違ったことはしてねえぞ」


 後ろの影――グレイへと、レッドは信念を以て伝えた。


「てめえの――」


「やろうとしたことは人殺しだ。ならば相手が誰であろうと自分は止めないといけない」


 グレイはレッドの発言を遮って彼の言葉をわざとらしく代弁する。


【OGYAA……】


 ハコの中の魔物が弱々しく泣いた。


「オレをぶん殴りにきたのか?」


 いいや、とグレイは首を振る。


「お前に聞きたいことがあった」


「あ?」


「お前は何を信じている?」


 薄闇の一層フロアで二人のレベル憑きは睨み合う。


 先に視線をそらしたほうが負けだとばかりに。


「正義だ」


 レッドは答えた。


「それは誰にとってのだ?」


「人だぜ」


「そこにレベル憑きは含まれないのか?」


「…………」


 レッドは答えられなかった。


 グレイはそれ以上は何も聞かず、レッドに背を向ける。


 去り際。


「そういうてめえは、いったい何を信じてんだ?」


 その背中に今度はレッドが問いかけた。


「憎悪だ」


 グレイは顔だけで振り返り、無感情に答えた。



 ◇◆◇



 三日後。自走する監獄はミリア王国に到着した。


 成果報告と強化素材の受け渡しのためにハウンド城へと訪れたオリヴィアたちは、正門前で止められる。


「うひょひょ! 犬とレベル憑き、入るべからず、ですネ!」


 同所には道化師兼国務大臣のフール・モリタがいた。


 ご自慢のピエロ衣装を着込み、目前のオリヴィアに差別的な諧謔を飛ばす。


「殺すぞ?」


 前回と同じく成果報告の付き添いでオリヴィアのそばに控えていたグレイは、不愉快なピエロを前に殺意を漲らせる。今にも斬りかかりそうな彼をオリヴィアは手で制した。


「フールさん、ここを通して頂けますか?」


「無理だネ」


「なぜですの?」


「ゴキブリを人の住処に招き入れる馬鹿はいないヨ」


 オリヴィアが眉をひそめた。犬からゴキブリに格下げである。


「公民権法違反ですわ。今の発言はお父様に報告しておきます」


 彼女の抗議を受けてもフールは「うひょひょ」と笑うばかり。


 グレイがピエロを殺そうと動きかけたところで、


「オリヴィア」


 正門の向こうから透き通るような女性の声が団長を呼んだ。


「お、お母様!?」


 ヨハン王の妻、マリアがオリヴィアたちの前に現れる。


 彼女は戸惑う門兵に命じて門を開けさせ、オリヴィアたちの元に歩み出た。


 王妃を前にピエロは沈黙する。


 マリアは民族衣装で隠れたその腕で娘を胸の中に抱き寄せた。


「た、大変申し訳ありません! お母様にこんなところまでご足労をいただくなんて……!」


「いいの、いいのよ。あなたの無事な顔を少しでも早く見たかったのだから」


「……っ」


 その言葉は、義理の両親からの承認と愛情に飢えるオリヴィアにとっては、何よりも嬉しいものだった。


 母の腕の中で頭を撫でられるオリヴィア。


 小さな団長は幸福とともに母の温もりを全身で感じる。


 その横では王都の騎士たちが二匹の強化素材を監獄から降ろし、城の中に運び入れていた。


 再開の抱擁を終えると、マリアはヨハン王の件を謝罪する。フールが正門を通してくれない理由は、単に本日はヨハン王が別件で成果報告を受ける時間がないからだとオリヴィアたちに伝えた。


 報告会は明日に延期にしてほしい。団員たちには前回と同じく王都最高級ホテルを用意してあるから今日はそこで休んでほしいとマリアは言う。


 オリヴィアは首肯し、団員たちを伴ってハウンド城を後にした。


 王都のホテルへ向かうノアの繭の団員。


 そんな彼らを正門から見送るマリア。


 若き王妃の目頭が涙で濡れていることに気づいたものは、誰もいなかった。

投稿時に書けなかった部分の書き下ろしは今回で完了です。

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