それぞれの夜
スノウの希望で服飾店を冷やかしていたら、いつの間にか日が傾いていた。
グレイ、オリヴィア、スノウの三名は帰路を歩く。
するとその帰り道、通りの階段から落ちて右足を挫き、往生している女性を見つけた。
挫いた右足は靴が脱げ、踵の部分が出血している。
「た、大変ですわ」
オリヴィアが急ぎ女性に駆け寄った。
「お待ち下さい、いま……」
女性の右足の傷口に手をかざす。軽率だとグレイは思ったが、指摘する前に終わった。
「痛苦を涅槃へ。再生を現世へ。汝の傷を溶かせ――ヒール」
ランク五の単体回復魔法を唱える。たちどころに足の傷がふさがり、痛みも消えた。
回復魔法はオリヴィアの得意系統だ。
「ふぅ、これで大丈夫ですわ」
サングラスの向こうの赤い瞳が、怪我をした女性を優しく見つめる。
その女性は治った右足の踵をまじまじと見つめ、
刹那、ブチ切れた。
「何してくれてんのよ!」
物凄い剣幕でオリヴィアを怒鳴りつけると、右足を持ちあげて彼女に見せつける。
治療は成功した。
しかし、レベル憑きの回復魔法には一つだけ欠点があった。
治った傷口の部分が、日焼けしたように茶色く変色するのだ。
レベル憑きによって治されたことが、もろバレであった。
女性は胸元の空いたドレスを来ており、脚衣は足のラインを強調するものをつけていた。
グレイは感づく。
――こいつ、娼婦か。
「これじゃお客取れないじゃない! レベル憑きに肌を弄くられたなんて知れたらさ!」
激昂した娼婦の女は、呆然とするオリヴィアの頬を引っ叩いた。
拍子に、金髪ロリのサングラスと帽子が落ちる。
娼婦が目を丸くして、剥き出しになったオリヴィアの紅玉と金髪を凝視した。
「っ!? あ、あんたっ! 誰かと思ったらレベル憑きの王女さまじゃないか。い、言っとくけどね、 アタシ、あんたのことなんか認めないよ。王族の血にレベル憑きを入れるなんて、あの王様も何を考えているんだか」
言葉の暴力が浴びせられる。
突然の悪意を前にオリヴィアは為す術もなく、
額から大粒の汗を垂らし、顔を伏せて下唇を噛んだ。
「その辺にしておけ」
グレイが娼婦の前に立つ。
オリヴィアを自分の背に隠しながら。
「あ、あんたもレベル憑きかい」
「この国じゃ、名誉人類という立場らしいぞ」
「はっ! せいぜい、うちの国に感謝しなよ! 他国じゃこんな綺麗な場所、憑き物が歩けるわけないんだからね!」
「お前は感謝しないのか?」
「は? なんであたしが――ぎゃ!」
先程オリヴィアが治した右足の踵をグレイは躊躇せずに踏みつけた。
「そうだ。お前は感謝する必要はない。なぜならお前は、たまたまミリア人に生まれることができたからだ。何の努力もせずに生まれ持った属性だけで多数派につけたからだ」
ぐりぐりと、足に力を込める。娼婦が苦痛に呻く。
「それほど傷を治されたのが嫌なら、階段で転んだ時と同じ状態に戻してやろうか?」
――やばっ!
スノウが大慌てで止めに入ろうと動く。
「……グレイさん、おやめなさい」
先にグレイを制止させたのはオリヴィアだった。
踏みつけていたグレイの足をどかし、オリヴィアは娼婦へと深々と頭を下げた。
「差し出がましい真似をして申し訳ありませんでした。回復魔法による治療の色は二週間で消えます。もしその間にお仕事に差し障りがあった場合は損害分のお金は全額お支払いしますわ」
王女に頭を下げられた娼婦は、それ以上は何も言わず、ばつが悪そうに通りを去っていった。
◇◆◇
その後、オリヴィアはずっと無口だった。
部屋に戻ってもグレイと一言も口を聞かず、ようやく彼女が口を開いたのは、シャワーを浴びてダブルベッドに潜り込んだ後――
「わたくしは、レベル99にならないとだめなのです」
それはまるで自分に言い聞かせているようだった。
「レベル憑きは誰でもそうだろ。皆、レベル99を目指している」
「グレイさんはあまり頓着していないような気がしますが」
そうかもしれないな、とグレイは思った。
事実、グレイは魔物を殺すのが第一優先で、魔物化を防ぐという目的にはあまり興味がない。
入れ墨の刻まれた右腕をオリヴィアは天井に掲げる。
「レベル99になれば、わたくしは《本当の人間》になれますわ。そうすればお父様とお母様、そして国民の皆さんも、わたくしを認めてくれるはずです」
直後、毛布の中で細くて白い手が、グレイの指ぬき手袋に重ねられた。
「その手袋、寝るときも外しませんのね」
「不衛生か?」
「いえ、お好きにどうぞ」
ベッドの中で手を繋いだまま、オリヴィアがグレイの方に振り返る。
「グレイさんが魔物と戦う理由は、昔大切な人を魔物に殺されたから、ですわよね?」
過去の俺を殴りたいとは、グレイの内に湧いた寸感だ。
――いつだ? こいつに漏らしたのは?
「出会ったばかりの頃に教えてくれましたわ。ブルーさんという方があなたの育ての親。グレイさんは彼女の仇を討つために、魔物を……」
「死にかけていた男のたわ言だ、忘れろ」
二年前にオリヴィアと初めて会った時、彼の命は尽きかけていた。
相手は魔物ではなかった。だからグレイは油断していた。
とある街で知り合った盗賊の男たちと揉めて、彼らから闇討ちに遭い、重症を負ったのだ。
血まみれで息も絶え絶えだったグレイは裏路地に逃げ込み、そこでオリヴィアと出くわした。
たまたま魔物討伐のためにその街を訪れていたオリヴィアが、回復魔法で彼を救ったのだった。
「あの時のあなたは、まるで雨に濡れて震える子犬のようでしたわ」
からかうような口調で言いながら、オリヴィアは微笑む。
「今日はありがとうございました……わたくしをかばってくれて」
「俺はお前に助けられたからここにいる。その借りはできるだけ返すつもりだ」
「あら、あなたがわたくしに恩義を感じてくれているとは思いませんでしたわ」
「それに……差別主義者は嫌いだからな。見かけたらできるだけ殴るようにしているんだ」
「野蛮人」
「好きにいえ」
「でも……時折、あなたの生き方が羨ましいと感じることがありますわ」
握られたオリヴィアの手に力が込められた。
「グレイさん」
「どうした?」
見上げるような彼女の視線を受けて、グレイは首をかしげる。
「あなたを二年前に裏路地で見つけることができて本当に良かった」
◇◆◇
ホテル二階。二〇七号室。
そこはスノウとパープルの部屋だった。
「パーちん、里帰りどうだった?」
ごろんと、行儀悪くベッドに寝っ転がりながらスノウはパープルに何気なく尋ねる。
「……極めて最悪」
「まじか」
「……レッドが疲れていた」
「レッドちゃん、いつも無理してる感あるもんね」
しばしの沈黙の後、少ししんみりした調子でスノウは言った。
「ダンチョーもグレちゃんもレッドちゃんも、みーんな、答えの出ない問題をずうっと解いているみたいな感じがするよ、大変だこりゃ」
「……スノウは悩まない?」
「うん。悩まない。アタシは、今、毎日が楽しいから。みんな同じだもん。同じレベル憑き。遠慮しなくていい。肩身が狭くない。だからね、それ以上は望まないよ」
「……ほんとうに?」
「ん?」
「……それ以上、望まない?」
何かを見透かすような口調でパープルは言う。
「……スノウはグレイのことが好き」
がば、と、虫にでも刺されたような調子でスノウはベッドから起き上がる。
「パーちん、イマ、ナンテ?」
「……隠しきれていない」
「いやいや」
「……グレイと恋人になりたいと思っている」
「ち、違うってば! グレちゃんとは、もっとこう、ふらっとな感じで……」
スノウが珍しく口ごもる。
「パーちん、アタシなんか口の中めっちゃかわいてきた。水飲んでいい?」
「はっきりとした気持ちをパーさんに教えてくれたら、飲んでいい」
「鬼だ。鬼がおる」
――イヤだなあ。自分のこと話すの、苦手なのに。
「そ、そういうパーちんこそ、どうなの? レッドちゃんとの関係は進展してるの?」
攻撃は最大の防御。
パープルに詰められたスノウは、一転攻勢に出た。
「……てい」
「痛っ! パーちん痛い! あとちょっとくすぐったい! 脇腹ソフトにつつかないで!」
「……レッドにとって……パーさんは、妹。それ以上でもそれ以下でもない」
抗議の脇腹パンチをかましつつ、パープルは素直に答えた。
「はは~ん」
悪戯を思いついた悪ガキのように目を細めるスノウ。
彼女はパープルの手を取ると寝間着のまま部屋を出た。
「す、スノウ?」
「いまからパーちんをいーところに拉致ったげる☆」
階段を駆け足で降りた。
一階下のフロアは団の男連中が泊まっている。
たまたま廊下に出ていた複数人の男団員たちが、ぎょっと目を見開いた。
「おい、スノウ。ここ、女子禁制ゾーンなんだが」
団員の一人が慌てて声を掛ける。
「とかなんとかいって、アタシたちが来てくれて嬉しいくせに~。あ、でもごめんね。今は君らの相手をしている暇はないんだぜ。お詫びにアタシたちがここを移動したあとの残り香を嗅ぐ権利を与えよう。パーちんとか嗅ぐだけでご飯が三杯おかわりできるくらい良い匂いだよ」
失礼な物言いで断って団員たちの間を通り、奥の一室へ。
「たのもー」
扉をドンドンと叩く。
中から人が出てくる。部屋の住民である赤毛の男は右手に刀剣を握りしめていた。
「うわ! なんでレッドちゃん武器構えてんの? こわ!」
「これは日課の素振りだっつの。つか、オマエラなにしにきたの?」
「レッドちゃんって一人部屋だよね?」
「ああ、基本、二人一部屋なんだが、今って団員数は二十三だろ。オレだけ奇数で余ったんだよ」
「実は団内のみんながレッドちゃんと相部屋になるのを嫌がってたり?」
「冗談でも勘弁してくれ。今日さっそく顔なじみたちに嫌われてきたばかりなんだぜ?」
レッドの抗議の声を流しつつ、状況を理解できないでいるパープルをぐいっと前に出す。
「じゃ、この子、引き取って」
「す、スノウ!? なにを!」
冷静沈着なパープルが珍しくもあたふたと慌てた。
「なんかパーちんが、アタシよりレッドちゃんと一緒の部屋で寝たいんだってさ」
「い、いってな……」
スノウがパープルに顔を近づけ、彼女の否定の声を耳打ちで遮った。
「ほら、パーちん。お膳立てしてあげたんだからここはグッと勇気を出そうぜ☆」
「こ、心の準備、準備期間……」
答えあぐねるパープルに代わり、
「いや、パープルがいいならオレは構わねえけどさ」
何だそんなことかという感じで、レッドは気軽に言った。
――まあ、まだ姉さんが生きてた頃は、いつも三人で川の字になって寝てたしな。
「決まり!」
スノウはパープルの背中を押した。
パープルがバランスを崩して倒れこむようにレッドの部屋に入室。転びそうになった彼女をレッドが抱きとめた。
「じゃ、あとはお二人でごゆるりと~」
スノウが手を振りながら、扉を勢い良く閉めた。
「はは、スノウのやつ、相変わらず嵐みてえな女だぜ」
「う、うん……パーさんも、同意見」
「どうしたオマエ、顔真っ赤だぞ?」
耳たぶまで赤く染まっていたパープルのおでこに、レッドが手を当てる。
「熱でもあんのか? 常備薬が机の引き出しにあっから、必要なら持ってくるぞ?」
「い、いい。問題ない。パーさん健康優良児」
おでこに乗せられた彼の大きな手をパープルは押し戻した。
「ん、そっか。まあでもきつそうなら無理せず言ってくれよな」
「う、うん」
――どうしよう。さっきスノウに変なことを言われたせいで無駄に緊張してしまっている。
「その……あの……れ、レッドに聞きたいことが、ある」
「なんだ?」
「パーさんのこと、ど、どう思っている?」
「どうって……」
「パーさんのこと、嫌い?」
「んなわけねえだろ。大事な幼馴染だよ、オマエは」
「で、では……お、お」
――女としては? デートとかしたいのか? キスとかしたいのか? ぶっちゃけ抱きたい気持ちはあるのか? そういう結びつきを欲しているのか? いずれは結婚して子どもを作りたいと思っているのか?
パープルの頭の中で聞きたいことの段階が一足飛びに上がっていき、収集がつかなくなってくる。
レベル憑き同士が子どもを作るという事例は、少なくともパープルが知っている範囲においては聞いたことがない。
団員同士でそういう関係になるものはいるし、時折、監獄内の鉄格子の部屋から喘ぎ声が聞こえてきたりもするが、ノアの繭の歴史において、着床した個体はまだいない。
だが仮にもし子どもが生まれたとしても、レベル憑きは遺伝するものではないので、生まれる子がレベル憑きになる可能性は低いだろうとパープルは考える。
だから彼に、レッドと子をなしても、生まれた子は不幸にはならないはずだとパープルは考える。
――でも。
「パープル?」
「ね、寝る」
「え? お前、風呂は?」
「は、はいった。スノウの部屋で」
「そっか。歯もちゃんと磨いたか?」
「み、磨いた! おやすみ!」
上ずった声を上げながら、パープルはベッドにもぐり込んだ。
そのまま頭から毛布をかぶる。
パープルは怖くなった。
そう、いないのだ。
聞いたことがないのだ。
レベル憑き同士で結婚して子をなして、幸せに生きて死んだ者にパープルは出会ったことがないのだ。
それも当然だ。
レベル憑きには明確なリミットがあるのだから。
恋人関係になった団員が、二人仲良く魔物化するなんてことはザラだった。
――だから、無意味。
――この恋心が成就しても、待っているのは、破滅だけ。
「パープル」
最愛の人から名を呼ばれた。
「オレさ、オマエのこと、好きだぞ」
レッドは鈍感なレベル憑きではなかった。
ましてやパープルは幼馴染だ。
自分に向けられた感情がどういう類のものか、気づかないわけがない。
「将来さ、魔物を全滅させて世界を救ったらさ、きっとオレもパープルもレベル99になれるからよ。そうすりゃあもう魔物化の足音とはおさらばできっからさ……」
いったん言葉を置くと、ジャスティス丸を一振りする。
「その時は、オレ、オマエと一緒に収まるべきところに収まりてえなって、思ってっから」
ベッドシーツを、皺ができるほど強く、強く、強く、パープルは握りしめた。
「はは、夢みてえな話だけどな」
包まった毛布の中からパープルは顔を出せなくなった。
目尻に溜まった水たまりを彼に見せたくなかった。
「レッド………パーさんもその夢、乗る」
ぼそりと、そう、つぶやく。
今はそれが精一杯。
だけども、今の彼女はとても幸せだった。
◇◆◇
スノウは自室に帰らず上階廊下の東側に行く。
角部屋の一室はあの二人の部屋だ。昼間突撃した時と違って忍び足で向かう。
扉の前に立つと、ドアノブに手をかけた。少し押すと、何の抵抗もなく扉が開いた。
――昼の時も思ったけど、鍵を掛けないのは不用心だよ。
――ま、こっちからしたら好都合だけどね。このまま部屋に押し入って二人を脅かしたる。
悪戯心満載でドアを全開まで押し開けようとしたスノウの耳に、声が届く。
「あなたを二年前に裏路地で見つけることができて本当に良かった」
オリヴィアのものだった。
平素のお嬢様口調ではない。
それはよくいえば男に甘えるような、
悪く言えば媚びるような声色で――
スノウはそっと、扉を閉めた。
そのまま早足で部屋に戻り、ベッドにダイブする。
大の字で横たわり天井を見上げた。
「グレちゃんの馬鹿」
吐き出すものを吐き出す。
「ロリコン。チビ。童顔。若白髪。大嫌い!」
天井のシミをグレイの顔に見立てて罵倒してやる。
「嘘。大好き」
スノウはぎゅっと、高級羽毛布団を胸の中に抱いて、頭を埋めた。
自分を拾ってくれたのはグレイだったけれども、それにはとても感謝しているけれども、入団後に把握した彼の性格は感情抑制の聞かない、それこそ暴走する魔物みたいなものだった。
危なっかしい彼の暴走を何度も止めた。
いつの間にかグレイから目が離せなくなっている自分がいた。
実質的なお守役のつもりだった。
そうやって彼のそばにいる内に、出会った当初の感謝とはまた別の感情が生まれていることにスノウは気づいた。
単純接触効果と人間的相性。
それらが、好意というカタチを取るのに時間はかからなかった。
――あー、でも、お守役ならアタシよりダンチョーの方が実は適任なんだよね。
「ダンチョーも、グレちゃんのこと、好きなのかなあ……」
もし、それが事実だったとしても――
スノウは握り拳を作り、振り抜いた。
「どかん。はい。お人好しで恋愛ベタなアタシ撲殺」
高級羽毛布団を殴った拳を、ベッドに投げ出す。
「ダンチョー。アタシ、負けないかんね」
◇◆◇
ホテルで眠る団員たち。収容区で眠る住民たち。
レベル憑きは皆、寝具の上で様々な感情を抱く。
あと何日人として生きられるかを考えて怯える。
魔物化する夢を見るのはざらだ。
ある者は生まれたことすら後悔する。
開き直る者もいる。
大義に殉じようとする者もいる。
楽しいことだけを考えようとする者もいる。
マイノリティーたちは常に自分の立ち位置を見つけようとする。
多数派になれない彼らは自分を受け入れてくれる場所や人を得ようとする。
マイノリティーたちは考える。
答えの出ない問いを。
夜は更けていき、彼らはまた一日歳を取って。
また一歩、魔物に近づく。




