オリヴィアの追憶、グレイの記憶
自走する監獄。
魔物狩り専門の傭兵団、ノアの繭が所持している住居兼用の乗り物。
監獄という名は通称だ。
この摩訶不思議な乗り物に正式な名前はない。
乗り心地は、あまりよくない。
三半規管の弱い者は、まず間違いなくゲロを撒き散らすだろう。
ずしん、ずしん、と建物が《歩く》毎につき上がるような浮遊感が搭乗者に負荷を与える。
まるで、巨人の腹の中にいるかのようだった。
無論、ノアの繭の団員は全員、この揺れに慣れているが。
全身で味わう浮遊感に心地よさすら感じている始末だ。
監獄最上階の部屋(土偶の頭)に、団長オリヴィア・エアバッハの姿があった。
着ているものは白のショーツ一枚。裸同然の格好で姿見の前に立っていた。
少女から女に変わる途中の膨らみかけの胸。成人よりも体温が高いその子ども肌は陶器のように白かった。
【ふむ。また、数が増えたな】
先のラクマ村での戦闘によって、レベル83になったオリヴィア。
右手の甲から生まれた刺青は今や首元にまで迫っていた。
白い素肌に刻まれた烙印に指で触れると、鏡の向こうの自分も同じ動作を行う。
「レベルが99になったときには、この刺青も消えてくれると良いのですけれども」
【痕が残れば乙女には辛かろうよ】
「まったくですわね」
ドレスを着直しスティグマを隠す。
そのまま彼女は操縦桿である石版のところへと向かった。
「ミリア王国までもうすぐですわ」
【両親が恋しいか?】
「まさか。わたくしはそれほど子どもではありませんわ、マーレイ」
明らかな強がりを《声の主》に向けて、オリヴィアは放つ。
【吾から見れば主はまだお子様なのだがな。いや主だけに限らん。吾の船に乗りし半魔の子らは、皆、おしなべて稚児よ】
くぐもった少女のような《監獄の声》は、契約者であるオリヴィアにしか聞こえない。
「記憶はないのに、自分がどれだけ長く生きているかは理解していらっしゃいますのね」
監獄は生きている。
自我があり、思考と思想を持ち、万の知識を宿している。
だが、自身に対する記憶は喪失していた。
監獄として生まれたのはいつなのか、自分を作ったレベル憑きとは誰なのか、なぜレベル憑きと魔物を閉じ込めるための監獄が必要だったのか。
空洞の歴史。穴だらけの年表。
把握しているのは――マーレイ・フーガという名前のみ。
監獄は語る。
マーレイ、これが自分の本名だと。
◇◆◇
マーレイとオリヴィアの出会いは今を遡ること三年前。
オリヴィアがまだ、収容区にいた頃のお話だ。
三年前の夏、彼女は収容区からの脱出を試みた。
区内のレベル憑きが立ち入ることを禁じられている王都に行ってみたくなったのだ。
警備の目を盗んで区を抜け出し王都に侵入したオリヴィアは、そこで迷子になった。
王都は広すぎた。どこに向かえばいいかわからず、レベル憑きであることを悟られないために人目を避けて歩いていたらば、いつの間にか彼女は王城の裏門まで来ていた。
付近は豊かな森林で覆われ、立ち並ぶ大小の針葉樹が陽の光を遮っていた。
森の中に隠されるようにして、巨大な寸胴の監獄は置かれていた。
硬くて大きくて、まるで肥満体型の巨人のようなそれを前に、ほへー、とオリヴィアは息を漏らした。
眼前のでかさに圧倒されながら、監獄を見上げる。
首が痛くなる。
何を食べたらこんなザマになるのだろうと、オリヴィアは内心で思った。
「なにをたべたらそんなザマになるっていうんだ!?」
実際に口に出してみる。
監獄側からは何の反応も返ってこなかった。
「むしか」
当時のオリヴィア(九歳)は今のような淑女気取りではなく、もっと快活で、行動派。
冒険心に溢れていた。
――そして、お嬢様口調でもなかった。
性格も喋り方も男勝りで、汚い言葉も平気で使えて、炭酸飲料水が好きだった。
恐れ知らずのオリヴィア(九歳)は、監獄にずんずんと近づく。
カラフルな外壁の前に立つと、一層フロアの入り口扉が開き、中から梯子が落ちてきた。
「よういがいいじゃないか」
腕を組みながら上から目線で褒めると、彼女はそれに手をかけ、中に入る。
吹き抜けの巨大な内部空間に彼女は圧倒された。
同時にワクワクもしていた。
監獄の内階段を上り(途中で疲れて何度も休憩した)、最上階の土偶の頭に入る。
そこには、石版あった。
「おりゃ」
と掛け声を上げて、オリヴィアは容赦なく石版を殴った。
刻まれた古代文字が輝き始める。
【心地よい……心音が聞こえる】
《声》がオリヴィアに届く。
「おわ、しゃべった!」
頭の中に直接響くようなその声を前に、さしものオリヴィアもたじろいだ。
【……これは主の心臓か】
「な、なんだ!? あたしのしんぞうをかるくぬきとるつもりか!? そ、それはだめだ! だめ! しんぞうはかえがきかないやつだからな!」
両腕で胸元をかばいながら、オリヴィアは後ずさる。
【案ずるな。半魔の子よ。何もせんよ】
「そ、そうか……」
オリヴィアが、ほっと胸をなでおろす。
「にんげんのことばをしゃべるってことは、おまえ、にんげんか?」
【人ではない】
「じゃあ、なんだよ?」
【わからん。記憶がない】
「きおくがないのに、にんげんじゃないってことはわかるんだな」
【無論だ。人はこれほど巨大でなければ空洞でもないからな】
「ま、まあな」
【だが、ひとつだけ理解していることもある】
監獄は語った。
自身が、契約者を要することで動く乗り物だという事実を。
オリヴィアが石版に触れる一年前――
ノアの繭の団長を務めていた少女(四人目の契約者)と、当時、監獄に乗っていた団員全員が、大規模な魔物との戦闘で命を落とした。
契約者と団員不在の監獄は、自走することを止めた。
レベル憑きなら誰でも良いというわけではない。
監獄にも好みはある。
監獄が認めたレベル憑き者のみが、契約を結ぶことができたのだ。
前団長の死後、そのお眼鏡に叶う者は現れず、ノアの繭は一年もの間、活動の休止を余儀なくされた。
【吾は主が気にいった。だから主に語りかけたのだ】
どこが気に入られたかは、当のオリヴィアにもわからない。
だが、結果として三年前のその日、オリヴィアは監獄と契約を交わした。
そして、監獄は彼女に対してのみ、言葉を持つようになった。
◇◆◇
【時折思うのだが】
「なんですの?」
【吾は出会った頃の主の喋り方の方が好きだった】
「……反応に困りますわね」
十二歳のオリヴィアはマーレイの軽口にかぶりを振る。
青い薔薇の刺繍が施された豪奢なドレスを着込んだ彼女に、当時の野生児然とした面影は見られない。
上流階級の姿格好とお嬢様言葉で過去は覆い隠されている。
【今の主の所作は、サイズの合わない借り物の服に無理に袖を通すような、そんな危うさを感ずる】
「マーレイ」
監獄の声をオリヴィアは、ぴしゃりと遮る。
「昔のわたくしは死にましたの。今のわたくしはエアバッハ家の一人娘。王族に相応しい立ち居振る舞いが求められますのよ」
不愉快さを湛えた調子で話すオリヴィアの様子は、
第三者からは、彼女が独り言をいっているようにしか映らない。
監獄の声が聞こえるという主観情報をオリヴィアは他人に漏らしたことはない。
オリヴィア自身、未だにこの声が本物なのか幻聴なのか判然としないのだ。自分以外には聞こえないから声の有無を証明する術がない。もし誰かに話せば、異常者扱いされるかもしれない。
ゆえにこの土偶の頭に一人でいる時のみ、オリヴィアは監獄と言葉を交わす。幻聴であったとしても、時折意見の食い違いで言い合いになるとしても――やけに老獪な喋り方をするこのマーレイという存在は彼女の良き話し相手であった。
もちろんそれだけではない。監獄はオリヴィアの目的達成のための最短距離を示してくれた。
監獄を使った魔物の一斉討伐。これに伴う大量の経験値獲得という恩恵を彼女に与えてくれた。
オリヴィアは一息つくと、
ドレスの上から、もう一度、右腕の烙印に触れる。
「レベル99まであと、16……必ずたどり着いて見せますわ」
【レベル99。それが主に何をもたらす? 力か? 幸福か?】
そんなの決まっています、と言って、大きな友人に向かってオリヴィアは宣告する。
「過去の自分との決別ですわ」
◇◆◇
グレイ・メンデルスゾーンの見る夢には、時折、一人の女がゲストとして現れる。
ブルー・シャミナード。
栗色髪が美しい、グレイの育ての親だ。
大陸最南端の農村で生まれたグレイは、レベル憑きゆえに親から捨てられた。
彼を拾ったのが隣村に住むブルーだった。
名前すらない彼に、ブルーは《グレイ》という名を与えた。
レベル憑きの赤ん坊を育てると言い出したブルーに対し、村人たちの迫害は凄まじかった。
婚約者との関係は壊れ、両親には勘当され、ブルーとグレイは村を追いやられる。
村は三方を山に囲まれており、ブルーは山腹に掘っ立て小屋を作った。
そこで二人の生活は始まる。自給自足の毎日であったが、幼いグレイにとって、その暮らしは幸福なものだった。
無論、嫌なこともある。
麓の村に行くと彼はいつも罵倒され、殴られ、石を投げられた。
どうしてという疑問はやがて憎しみへと変わる。
自分とブルーを迫害する村人たちを彼は憎んだ。
そんな彼に、ブルーは指抜きの手袋を編んであげた。
「これは魔法の手袋なんですよ。使いますとね、グレイの青い数字を隠してくれるのです。これさえあれば、グレイは何も気にせず村を歩けます。大丈夫、私が保証しますよ」
そう言って八重歯を見せて笑いながら、ブルーは幼い彼の両手に手袋をはめた。
村の人間はグレイの顔を覚えていたので、手袋があっても意味などなかったが。
だが、その手袋をつけていると、
村人から迫害を受けても耐えられる自分がいることに、グレイは気づいた。
聖母のような育ての親。でもどこか抜けているところもある。
そんなブルーが彼は大好きだった。
自分が生きてこれたのは一から十までブルーのおかげだと、
幼いながらも理解し、彼女に心の底から感謝していた。
そんなブルーは、
グレイが十二歳の時に魔物に殺された。
その魔物どもは、まず、麓の村を狙った。
数は四匹だったが、魔物襲来から二時間で村は壊滅した。
次に、魔物は山腹に住むグレイたちへ牙を向けた。
「逃げてください! グレイ!」
叫んだブルーの右足をB型魔物の黒い手が握りつぶす。激痛にもがき、絶叫するブルーを持ち上げると、B型は大きく口を開け――やめろ――腹から上の部分を上手に引きちぎり――やめろ――下半身はA型魔物に――やめろ――残り物として、くれてやった。
グレイは逃げ出した。ブルーの望むとおりに。
ただがむしゃらに。恥も外聞もなく大泣きしながら。
ブルーを見捨て無様に生き残った自分。
後悔は復讐心となる。
グレイは魔物を一匹残らず殺すことを誓った。
十二歳の彼は様々な街をめぐり、盗みを働いて飢えをしのぎながら魔物を殺す方法を探った。
その過程で魔物狩り専門の傭兵団と出会う。三人組で年上の男たち。全員がレベル憑きだった。
グレイは彼らと行動を共にし、レベル憑きや魔物に対する正しい知識を教わった。
いずれ自分もあの魔物と同じになるという事実を知っても、グレイは動じなかった。
そんなことよりも、自分が魔物を殺せる力を持っていたことに、強い喜びを覚えた。
初めて魔物を殺したのはブルーの死から半年後。
胸を切り開き、コアが剥き出した瀕死のA型魔物がグレイの前に置かれた。
魔物を運んできた傭兵の男は言った。
「トイレは済ませとけ。初めて魔物を殺す時、大抵のレベル憑きはビビって漏らすからな」
結論から言えば、グレイは漏らさなかった。
小も大も守りきった。
傭兵の男から手渡されたヒノキの棒(強化魔法を付呪済)でコアを殴り壊すと、幼いグレイはただひたすら笑っていた。頭によぎるのは手袋をくれた彼女の顔。
三ヶ月後、傭兵の男たちは魔物討伐にしくじり、皆、魔物化した。
当時レベル22だったグレイは、
自分に力を与えてくれた彼らへと感謝を口にしながら、その生命を断ち切ってやった。
それから七年間。ノアの繭という別の傭兵団に拾われるまで彼は一人で魔物を狩り続けた。
人を殺したこともある。
彼にとっては、魔物を殺すのと同程度に、人を殺すことに対する躊躇はない。
なぜなら人類は彼を差別するから。
事実、どの国に行ってもグレイに好意的な人間はいなかった。白い目で見られる。刺青を隠さねば飯も食えない。そのくせ、自分を差別する連中は魔物すら殺せない。
彼はレベル憑きを差別する人間を憎んだ。魔物と同様に憎んだ。
グレイは人間を救わない。
正義の味方であり続けるには、彼は嫌なものを見すぎた。
『皆様、おはようございます。当監獄は間もなくミリア王国に到着しますわ。どなた様もお忘れ物なきよう下監獄くださいまし』
夢から覚めた寝起きのグレイの頭に、オリヴィアの念話が響いた。
グレイは指ぬきの手袋をはめたまま起き上がる。
彼は寝る時もそれを外さない。
毛糸の手袋は魔物の返り血を浴び続けた結果、貰った当初の柔らかさはもうなかった。
そして彼は、そのまま本棚の上に眠る翡翠の髪飾りを手に取り、
夢に見たブルーの死と、数日前のニコの死を頭の中に交互に思い浮かべながら、
魔物への憎悪を示すように、その髪飾りを強く握りしめた。
*******************
【オリヴィア・エアバッハ】
Lv83
体力:721
物理攻撃力:734
魔力攻撃:848
素早さ:773
魔力防御:856
魔力移送:832
知力:811
獲得済魔法
・ヒール Rank5
・グラウンド・ヒール Rank5
・クリア Rank10
・ガイカク Rank5
・シロ・クマ
・念話




