⑤
「権助さん」
睦は絶叫しました。
すっかりやつれ果てた権助が、虚ろな目で振り返ります。
「おお睦じゃないか。おめえさんには悪いが、俺はこのお菊さんと一緒になるから」
「権助さん、何を言っているの?」
「おおあまりのべっぴんで驚いたか」
「よくも権助さんを。そこから退きなさいこの化け物めが」
そうです。権助が可愛いと頭を撫でているのは、大蛇です。
「フン。うるさい女だね」
権助の体に巻き付いていた女が、シュルシュルと舌を出して、睦に襲い掛かって来ました。
睦は必死で、抵抗しますが、容赦ない攻撃に追い詰められ、ついに大蛇の牙が睦を目がけて迫って来ます。
睦は懐に忍ばせていた剣を思い出しましたが、もう間に合いません。もうダメだと目を瞑った瞬間です。
「うわっ」
一体どうしたことでしょう。大蛇の動きが止まったではありませんか。その隙に睦は懐にあった剣を取りだし、大蛇に向かって振りかざしました。
「どうしてお前がそれを」
睦の足元ではきらきらと何かが光っていました。
そうです。あの鏡が追い詰められた拍子に落ち、光を反射させたのです。
とにかくにもこの隙を逃しては、権助を助ける機会はありません。
「なんじゃなんじゃ。美しいのぅ」
腑抜けになってしまった権助が鏡を拾い上げ、自分の顔を覗き込みます。その途端、ぎろりと大蛇の目が睦を睨みました。
生唾を飲みんだ睦は権助の手を握り、必死で表へと飛び出します。
振り返ると、大蛇が牙を剥きもうそこまで来ているではありませんか。
一貫の終わりです。身を屈めた拍子に鏡が権助の手から落ち、大蛇の姿を映しだします。
「止せ、私を映すな」
「権助さん、早く逃げましょ」
睦の叫び声も虚しく、ものすごい形相の大蛇の顔がそこまで迫って来ています。
権助を庇うように、睦は鏡を大蛇に向け、剣を振り回わします。
怒り狂った大蛇にはもうその手は通用しません。
長い尻尾で鏡が振り落とされ、真っ二つに割れてしまいました。
大きな口を開けた大蛇に足を竦ませ、睦は剣を無我夢中で振り回します。
目の前が真っ暗になり、手から剣が落ちてしまい、恐怖で身が動きません。
あっと思った瞬間です。
それまで腑抜けになってしまっていたはずの権助が、剣を握り自ら大蛇の腹の中へ飛び込んで行きました。
大蛇は躰をのたうちまわり苦しがりはじめ、やがて動かなくなってしまいました。
「権助さん」
睦は泣き叫びながら大蛇の体に追いすがります。
お天道様はもう真上まで上り、大蛇の躰の下で何かが光っているのを見つけた睦は、それを引っ張り出しました。
「鏡?」
二つに割れた鏡の片割れです。
鋭利になった縁を見て、睦はそれを大蛇の腹へと当て、一気に引きました。
大蛇の躰はあっという間になくなり、ぐったりした権助が現れたじゃありませんか。
睦は大急ぎで汲んできた小川の水を、一口飲ませました。
さて、正気を取り戻した権助は、首を傾げます。
なぜ自分があやかしにあったのか、さっぱり見当がつきません。あのお菊という者の正体もです。
睦が静かにお茶を淹れ、微笑みます。
遠い遠い昔、遥か古の話です。