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妖姫  作者: kikuna
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 公園の片隅。そこだけがひんやりとした涼しい場所になっていた。

 美千代が大きく深呼吸をする。

 土肌を撫でるように、チョロチョロと湧き出る水。

 美千代は呼吸を整える。

 伸ばした手に伝わる冷たさ。

 「冷たい」

 はしゃぎ声を上げる美千代を、引き攣った笑顔で洋平が見ている。

 もうそれほどまでに醒めてしまっているのかと、美千代は思い知らされる。

 湿気た場所。

 洋平にはそう思えるのだろう。

 態度に出す洋平を横目に美千代は、一度目を瞑る。

 「何だこれ、全然役に立ってないし」

 洋平が看板を見てせせら笑う。

 「早く行こうぜ」

 「待って」

 叫ぶように言う美千代を、驚いた顔で洋平が見る。

 大事な目的。

 どうしてかな、無性にあなたとここへやって来たかった。

 初めて会った時、運命的なものを感じたのも本当。そしてやがて訪れるだろう別れも予知していた。

 すべて承知の上で始められた恋。

 そうだずっと分かっていたんだ。

 「私、ここに何が書かれているのか知っている」

 目が上げられないまま言う美千代に、洋平が半笑いで返す。

 「嘘つけ」

 「嘘じゃないもん。ちゃんとばあちゃんから教えてもらったもん」

 「はいはい」

 相手にしてくれない洋平を無視して、美千代は勝手に語り始める。

 

 だってすべてわかってしまったから。理屈じゃない。だけど美千代には確信があった。


 これは、遠い遠い昔の話です。


 道は草花が生い茂り、人も虫も動物も自由に生きていた頃、たいそう働き者の権助という若者がおりました。

 権助は、母一人子一人の身。貧しくその日に食べるのがやっとの暮らしをしていました。

 朝は畑仕事に、夜は藁を編み、少しでも暮らしの足しになるようにと、時々村へそれを売りに行くのです。


 その頃同じくして、一里ほど離れた村に、むつという娘が住んでおりました。

 睦はあまり器量はよくはありませんでしたが、権助に負けないくらいの働き者で、人里離れた小川へ何往復もして、皆の為、水を汲みにやって来ます。


 ゆるりと流れるせせらぎに合わせ、睦が水を汲んでおりますと、「気持ちがいい」という声が聞こえ、かおをあげます。

 驚くことに、滅多に人など来ない場所です。それがどうでしょう。向こう岸で男の人が、気持ちよさそうに顔を洗っているではありませんか。


 それは、村まで藁で拵えたものを売りに行った帰りの権助です。


 いつもなら山道を上がって戻って行くのですが、村で小川の水は良薬と聞かされ、体がめっきり弱ってきた母親の為に、汲みに寄ったのです。

 向こう岸で、睦が同じように水を汲んでいることを、権助は全く気が付いておりません。それどころか、散々歩いて来て火照ってしまった体を冷やそうと、上半身着物をはだけ、ジャブジャブと浴びるように顔を洗い出す有様でした。


 睦はもう何年も通っておりましたが、ここで人に会うのは初めてのことです。目を大きく開き、その光景に見入ってしまいます。


 「ひゃっけい、ひゃっけい」

 ぶるっと頭を振った権助は、腰にぶら下げてあった手拭いで顔を拭ったところで、初めて対岸に睦がいることに気が付いたのです。


 睦は権助と目が合ってしまい、大慌てでその場から離れようと、大急ぎで水を一杯張った桶を肩に掛けた拍子に、足を滑らせひっくり返ってしまいました。


 さぁ大変です。

 その水音は、鳥も魚も大騒ぎにさせます。


 慌てた睦は手足をばたつかせ立ち上がろうとしましたが、足が滑って上手く行きません。

 さてさて、それを目の当たりにした権助は、着物が濡れるのも構わず川を渡り、睦をひょいと抱き上げ岸へと上げてやったのです。

 わずかな言葉を交わした二人に、静けさを取り戻した小川のせせらぎが、恋の歌を奏でます。それに合わせ鳥がさえずり、草花が彩って行きます。


 それからというもの、月にいっぺん会うこの日を、二人は待ち遠しくしておりました。


 そんなある日のことです。


 いつものように権助が藁を編んでいますと、戸口を叩く音がし、母親と権助は顔を見合わせました。

 こんな夜更け、ましてや山深い場所を訪ねて来るものなど想像が付きます。

 息を飲み母親が見守る中、権助は鉈を構え、そっと戸を開けました。


 「お助け下さい」

 流れ込むように倒れ込んだできた女は、権助の胸で小さく震えているではありませんか。

 「わたくしは決して怪しいものではありません。人に追われ、ここまで逃げて参りました」

 胸元に顔を沈めていた女が、救いを求めるように権助を見上げます。


 なんとも言えぬ美しさでしょう。

 色が白く、一糸乱れた黒々とした髪に真っ赤な唇。怪しい光を持つ瞳が、権助を虜にするのに、数分もかかりませんでした。


 「分かった。事情はよく分からんが、あなたが気が済むまでここで暮らせばいい」

 権助は、あっさりと女を家へ招き入れてしまったのです。


 一呼吸を置いて洋平を見る。

 まるで無関心で、携帯に目を落としている洋平に構わず、美千代は語り続ける。

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