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春夏秋冬  作者: 倉辻菜央子
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夏・夏みかんの味



『夏みかんの味』


 最近妙に晴れの日が続くなぁと思っていた矢先のことだった。晩ご飯を囲みながら流し聞きしていたニュースで、梅雨入りが近づいているとアナウンサーが困ったように笑いながら話していた。雨が毎日のように降るシーズンの訪れを、このアナウンサーも内心嫌がっているのだろう。俺も他人事とは思えない。冬も嫌いだが、梅雨も同じくらい嫌っている。だいたい梅雨を好む人がどれぐらいいるのか気になるところだ。来る日も来る日も雨が降り続き、湿気で部屋はじめじめしていて、洗濯物も部屋干しになり湿気を増加させる上に干した洗濯物が乾いたのか乾いてないのかよく分からない生乾きときたものだ。学校へ行く道も最悪だ。あぜ道はぬかるみ、靴に泥がつき、雨の量にもよるが靴の中に水が浸入してくるという、その日一日のモチベーションを下げることもあり得る。リュックに水が入ってきた日には、教科書やプリントが湿り、濡れがひどいと文字が滲み、もう勉強する気を一気になくす。そんな俺の大敵、梅雨が今年もやってくるらしい。毎年やってくるのも少し腹立たしいところだ。オリンピックのように四年に一度ぐらいにしてくれたら、少しは俺も梅雨に対して寛容になれるのかもしれない。

「そろそろ来るのか、梅雨」

 ニュースを聞いて、最初に口を開いたのは父さんだった。俺は味噌汁をずずっと吸って、

「俺、梅雨嫌いなんだよなぁ…」

ともらした。今日の味噌汁は、玉ねぎ多めの味噌汁だ。なんでも、父さんが職場でもらってきたオニオンスープを気に入ったじいちゃんが、今日の晩ご飯はオニオンスープがいい、とばあちゃんに言ったらしい。残念ながら、じいちゃんの言うオニオンスープはコンソメ味だったのだが、よく分かっていなかったばあちゃんが精一杯考えて作ったオニオンスープは玉ねぎ多めの味噌汁だった。斬新だが、これはこれで美味しいし、じいちゃんも特に何も言っていないからいいのだろう。

「父さんは嫌いとかじゃないぞ、健吾。仕事に支障が出るんだ」

「知ってるよ」

 父さんは土木関係の仕事なので、雨が降ると仕事の進みが悪くなるのだ。すると、すりおろした山芋をご飯にかけて、山かけご飯にしながら母さんが言った。

「けど母さんも畑に出にくくなるし、洗濯物は乾かないしで梅雨は好きじゃないわぁ」

「水やりの手間は省けるんだけどねぇ。収穫の時期にかぶろうものなら泥まみれになるからねぇ」

 ばあちゃんが続ける。その隣ではじいちゃんが母さんの食べている山かけご飯を物欲しそうに見ていた。食べたかったら自分も作って食べたらいいのに。

 今日の晩ご飯は、茄子やらピーマンやら夏野菜をふんだんに使った酢豚、水菜とトマトのサラダ、すりおろした山芋にめんつゆをかけたもの、味噌汁だ。酢豚にパイナップルを入れるかどうかは家庭によって変わると思うが、我が家は入れないことが多い。それは父さんを筆頭にした我が家の男勢の、パイナップルは果物であり、料理に入れる食材ではない、という意見があるからだ。無論、ポテトサラダにりんごを入れるのもあまり好きではない。ちなみに男勢の一人であるじいちゃんは、何が入っていても基本的には気にならない人なのであまりこの話には関係がない。

「まぁ、梅雨が過ぎれば、ぐっと暑くなって夏が来るからなぁ。それまでの辛抱だ」

「洗濯物がよく乾く季節ね」

「トマトとかきゅうりとか、夏のお野菜がたくさん採れるようになるねぇ」

 そうだ、憂うつな梅雨が終われば夏がやって来る。今年の夏が、始まろうとしているのか。

「のぉ、あれ…」

 じいちゃんがばあちゃんに、口をもごもごしながら何か言っている。指差す先は、母さんの山かけご飯だ。そんなに食べたかったのか。

「あぁ、はいはい」

 ばあちゃんも優しいな。山芋をご飯の上にかけるだけなのだから、じいちゃんにやらせたらいい。ばあちゃんは、じいちゃんのお茶碗を持って腰を上げた。

「ご飯おかわりね?」

 今日のじいちゃんとばあちゃんは、あまり言いたいことが伝わっていないようだ。


 梅雨入りが近づいているとテレビで聞いてから約一週間後、予報通り梅雨がやって来た。ここ数日雨が降り続き、気分は憂うつそのものだ。朝起きて学校に行くことも少し嫌になる。だが、あまり支度が遅くなるとリコが、

「けんちゃーん、まだー?」

と、家に迎えに来る。玄関で座って待ってくれるのだが、あまり待たせるのも良くないのでやはりそれなりの時間には起きて準備をしなければならない。

 今日も朝から大雨で、俺は憂うつさを引きずったままノロノロ準備をしていたら、待ちきれないリコが家に来る時間になった。玄関で座って足をバタバタさせながら待っているリコに、おはようと声をかけ靴を履く。雨の日のリコは、いちご柄のカッパをすっぽり被り、長靴を履いて傘を持つ最強タイプだ。俺はというと傘一本だけなので、レベル的に言うとリコには劣る。

「おはよう…」

 いつもならおはよう!、と元気に言うはずが、今朝のリコはどことなく力がない。

「リコ、どうした?」

「なんか…眠いのかな」

「昨日夜更かししたのか~?」

「してないよ~」

 話しているうちに、何となく元気になったような気がしたのであまり気にしないことした。

 だが、学校に向かう途中、明らかにリコはおかしかった。いつもなら、カッパ着てるから平気だもーん!、とか何とか言って傘を上に持ち上げたりしながら歩いくのだが、今日はというと傘を持ち上げることはなく、逆によろよろと重そうに持ち、終いには傘を何度か地面に落としていた。口数も普段より少ない。顔色は悪くないし、表情も暗くないので、何をどう心配したらいいのか分からない。いろいろ考えるうちに、リコの小学校に着いてしまった。俺はリコと向かい合って、腰を落として言った。

「リコ、何かあったのか?」

「何もないよ…」

「今日、なんか元気ないぞ」

「うん、元気はないかも」

「体調が悪いんだったらいつでも先生に言って、早退しなよ」

「…分かった」

「よし、行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 リコは、やはりよろよろと傘を持ちながら学校へ歩き始めた。少し心配だが、学校へ行けば先生もいるし、保健室もある。何かあっても大丈夫だろう。

 高校に着いて、下駄箱で靴を履き替えていると、

「おはよう、島ノ内君」

と、声をかけられた。声の主は、滝本さんだ。おはようと返すと、滝本さんは傘をたたみながら、すごい雨だね、と苦笑いしながら言った。笑った顔も勿論可愛いのだが、美人はこういう少し困ったような表情をするとぐっと惹かれるものがある。リコとは大違いだ。笑う時、驚く時、警戒している時、全て顔に出る。俺はあれはあれですごく好きだ。

「濡れちゃったね」

「だいぶ濡れたなぁ」

「良かったらこれ、使って」

 そう言いながら、滝本さんが差し出したのはハンカチだった。

「いや、でも…」

「私、今日は二枚持って来てるから。大丈夫、気にしないで」

「じゃあ…ありがたく」

 ハンカチを受け取ると、

「今日、私日直だから職員室寄らないと。またね」

と、滝本さんは歩いて行った。せっかく滝本さんが貸してくれたので派手に濡れてしまったカバンを拭きながら教室に入ると、みっつーはもう席に着いた。

「おはよう、けんちゃん。…お?可愛いの持ってんじゃん」

 早速みっつーがハンカチを指差しながら言った。滝本さんから貸してもらったのは事実だが、ここで俺が何か言ってしまうと変な噂が出回るかもしれない。そうなると俺ではなく、滝本さんがかわいそうだ。

「あぁ…。そう言えば、今日の数学の課題やった?」

と、話題を変えさせてもらった。みっつーは切り替えは早いので、手を口に当てて言った。

「はっ…!?やってない!」

 早くも前の話題を忘れているようで助かった。


 その日の俺は部活の練習日にも関わらず、割と早い時間に帰り道を歩いていた。水泳部の大会が近いというのに、雷が鳴り始め、今日の予定されていた練習はなくなってしまったのだ。雨は降り止まない。小学校の前を通ると、リコと同じぐらいの年の子がランドセルを背負って門から出てきていたので帰りに会うかもしれないなぁと思いながら歩いていた。今日は俺は部活だから一緒に帰れないことは知っているはずなので、きっと俺を見たら驚くだろう。

 しかし、朝に見た元気のないリコが気になってしょうがない。そしてその嫌な予感は的中した。あぜ道を歩いていると、少し先の道の脇の草むらに、見覚えのある柄が落ちているのに気付いた。いちご柄だ。俺はそれをどこで何を見た時に見たものなのか思い出すのに少し時間がかかった。最近よく見る、いやここ数日は毎日見る、リコが頭からすっぽり被るカッパの柄である。それに気付いた瞬間、走り出した。ぬかるむ道に足を取られながら、リコの元へ急ぐ。いちご柄のカッパを着たリコが、草むらにぐったり横たわっていた。

「リコ!大丈夫か、リコ!」

 そう大きな声で呼びかけながら身体を起こす。カッパは泥まみれで、顔にも泥がついてる。リコは少し顔を歪めながら、

「うん…」

と、返事をした。口元についている泥を落とそうとポケットに手を入れると、今朝滝本さんが貸してくれたハンカチがあった。迷わず手に取り、リコの口の周りを拭いてやると、

「…泥で滑って転んじゃった」

と、リコは少し苦笑いをしながらそう言った。

「起きようと思ったんだけどね、力がね、入らなくってね…それで」

「分かったから」

 とりあえずこの雨の中話す必要はないので、リコをおぶって、傘を差して家へと歩き出した。

「ごめんねけんちゃん…。冷たいよね」

「大丈夫だよ」

 背中に感じるのは、泥の冷たさだけではない。リコの温かさをしっかり感じる。だが、濡れたリコは子犬のように震えている。

 リコを背負って歩いていると、なぜか急に今の自分を不思議に思った。一応水泳部ではあるが特別体力に自信があるわけでもないので、小学生のリコを背負って歩くだけで息が切れそうになる。傘をさしているものの体はほとんど濡れている。おまけに泥まみれで、服の重さは二倍に感じる。心底へとへとになり、もう正直真っ直ぐ家に帰って風呂に入りたいところだ。背中にはリコがいて、ずっしり水と泥とリコの重さがかかっていて、でもそれをただの重さと感じていない自分がいる。普段であれば苦と感じることを感じない、一見面倒に見えることに手を貸してしまう、そんな不思議さを感じながら今歩いている。

 俺はもう目の前に見えている家へと急いだ。


 たまに俺の部屋になる和室で、リコは寝息を立てて寝ている。息は少し荒いが、顔を歪めることはなく終始穏やかだ。

 リコを背負って家に着いたのは一時間ほど前のことになる。ただいま、と俺が言ったのになかなか居間に入ってこない俺を玄関まで見に来た母さんはやはり驚いたようだった。だが、そこからの母さんの行動は早かった。服を脱がせ、身体を拭き、二階から姉ちゃんたちの小さい頃の服を持って来てリコに着せた。そして、和室に布団を敷いてやり、そこにリコを寝かせた。そこまでの一連の流れをぼーっと見ていると、

「あんたもさっさと服脱いで、もうお風呂入っちゃいな」

と、母さんが言った。泥まみれのシャツは脱いでいたが、流石に肌着一枚でいると風邪を引いてしまうか。そんなこんなでさっと風呂に入ることにした。脱衣所でポケットの中に泥まみれのハンカチがあることに気付いた。滝本さんから貸してもらった以上、泥が付いた状態で返すわけにはいかない。俺は洗面台の流しで軽くすすいでから洗濯カゴに放り込んだ。

 そんなこんなで、俺は部屋着に着替え、リコの眠る布団の脇で今は座っている。益村のおばあちゃんには連絡済みで、目が覚めたら家に返すということで落ち着いたようだ。すると、リコが口を開いた。

「ん、こ…ここ、家じゃ、ない」

「リコ?大丈夫か?」

「…けんちゃん?」

「あぁ。ここはうちだよ」

「ふぅん…」

「調子はどうだ?」

「体がだるい」

「母さんが、多分風邪だろうって」

「おばあちゃんに言わなきゃ」

「連絡してあるから。大丈夫」

「そっか…ありがとう」

「もう少し寝てな、後で起こすよ」

「うん」

 そう言うと、リコはまた目をつぶり、寝息を立て始めた。するとそこへ、母さんがこっそり入って来た。手にはお盆を持っている。

「リコちゃん、起きた?」

「起きたけどまた寝たよ」

「声がしたから起きたかと思ったわ~。夏みかん剥いたんだけど…。あ、ここに置いていくから、起きたら食べさせてあげて」

「分かった」

 母さんはお盆ごと置いて部屋を出た。夏みかんは、普通のみかんよりも酸味があってさっぱりしている。風邪を引いている時は甘い普通のみかんよりも、こういうあっさりしたみかんが食べたくなる。夏みかんという割に旬は本番の夏が来る前に終わってしまうので、次に食べるのは来年になりそうだ。

 夏みかんを一つ口に放り込んでリコを見ていると、ふと思い出したことがある。

「けんちゃんは、何お願いする?」

 リコがくれた四つ葉のクローバーだ。クローバーをもらったあの日、リコにそう尋ねられたものの、そうだなぁと言葉を濁していた。あの時には正直漠然としていたが、今日何となく分かった気がする。俺の今の願いは、リコがこうやって穏やかに寝られること。健やかに育つこと。親心を語るには正直早いかもしれないが、俺はもうリコをただの隣の家の子どもとは思えない。きっとそれ以上の存在になっていると今日分かった。


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