春・アスパラガスのベーコン巻き
春
『アスパラガスのベーコン巻き』
新年度のお楽しみと言えば、やはり新しいクラスと担任の発表だと俺は思っている。これからの一年間という決して短くはない期間をいかに快適に過ごせるかは、この二つにかかっていると言っても過言ではないだろう。別に大げさに言っているわけではない。どんな大人もここを通過しているので、思い出すのに多少時間はかかっても、当時の緊張感やちょっとした興奮は分かってもらえるのではないか。まず、クラス。これには二つの観点がある。一つはメンバー、つまりクラスメイトだ。仲のいい友達がいるかは勿論大事なのだが、一年間を共に過ごすとなると学年に必ず何人かいる問題児が何人ほど自分のクラスにいるのか、どの程度の問題児なのかは把握しておきたいところだ。例えば忘れ物が多いやつがいたとする。そしてそいつの出席番号が俺と近かった場合、最初の数ヶ月は落ち着かない日々が続くだろう。最初の席替えまでは出席番号順に席が決まるのである。授業の度に教科書を見せたり、プリントを貸したりと、落ち着いてゆったり学校生活を送りたい俺としては出来れば避けて通りたい役目を担う必要がある可能性が出てくる。ここがまず一つ目のチェックポイントだ。もう一つは、クラスのメンバーではなく、クラスの位置だ。ここに関してはあまりワガママを言えないが、自分の通っている高校はなぜか学年ごとではなく、縦割りで階が振り分けられる。すなわち、一年から三年までの一組は一階、二組は二階、という風に四組までが割り当てられる。毎朝登らなければならない階段の数を考えると一組と四組では雲泥の差だ。昨年の自分のクラスは三組で、四組ほどではないが一組や二組の友人を羨ましく思うことも多々あった。ちなみに、音楽室や理科室などは教室とは別の校舎にあるが、それぞれの階に渡り廊下があるので、そこは学校側に感謝している。移動教室の度に上の階の生徒がいちいち下に降りてくるなんてことにならなくて本当に良かった。
さて、これからの一年を左右する担任についてだが、これについては思うことがありすぎる。どうせ時間だけが無駄に長い始業式が数時間後に控えているので、担任について考えるのはその時の眠気覚ましにするとしよう。
お花見から何日か経った今日は始業式だ。どこの小学校も中学校も高校も、午前中に入学式、午後に在校生向けの始業式を迎える。春休みの間にしっかり着いてしまった起床時間はすぐには変えることはできず、俺は父さんが会社へ行った後、じいちゃんやばあちゃんがゆったり朝ご飯を食べ終える時間に起きてきた。
「ちょっと健吾!あんた今日から学校でしょ!?いつも起こしてくれるなんて思わないでよ、今日みたいにバタバタする日もあるんだから!目覚まし時計は!設定してなかったの!?」
俺が上から降りてくるのを確認した母さんが、外で洗濯物を干しながらそうまくし立てた。俺は今居間にいる。この声は、窓から聞こえているのだ。毎度のことながら、朝の母さんの声量には驚かされるというよりは、ほーっと感心のため息が出る。
食卓には、空のお茶碗とお椀の他に、きゅうりの酢の物、シラスをかけた大根おろし、きんぴらごぼうが並んでいる。俺が白ご飯をよそっていると、ばあちゃんがお茶を飲んでいた手を止めてみそ汁を温め始めてくれた。台所の隅のテーブルを見ると、俺のお弁当箱が包みに既に包まれた状態で置かれていた。バタバタと居間に戻って来た母さんに尋ねる。
「この弁当、誰の?」
「それあんたのお弁当箱でしょ!あんたのお弁当に決まってるじゃない!」
母さんの言葉には、俺がお弁当を持って行かない理由はないというニュアンスが含まれているようだった。だが、
「母さん…今日俺昼から学校だから、お弁当いらない」
と、一応申し訳ないという気持ちも出して伝えてみた。母さんは動きを止め、俺を見た。その目は、まじで?、と尋ねていると直感で思った。そこで俺は出来る最大限の、まじです、という目で見つめ返した。静寂を破ったのは、カチッとコンロの火を消して、
「けんちゃん、お味噌汁出来たよぉ」
と言ったばあちゃんだった。
俺はリコを小学校まで送って行く約束をしていた。本当は前日に練習がてら登校する道を確認しに行く予定だったのだが、まだ雨も残っていて気温も低かったのでやめにした。どうせリコが通う小学校は俺の通学路、というか向かい側にある。田舎にはよくある話であると思うが、まず小学校と中学校は同じ敷地にある。つまり、教室は別として音楽室や理科室などの特別教室をはじめ、体育館や運動場を共有で使う。そして、道路挟んで反対側に高校が建っている。通算九年間通った学校がすぐ前にあると、毎年入学シーズン直後に何人かそのまま小学校、中学校の門を朝くぐってしまう現象が起きる。俺はやったことはないが、天然混じりの友人、みっつーは一度やらかした。その時のみっつーの言い訳は、
「いや、男って学ラン同じの使うだろ?俺の気分的には変わってないんだよな」
だった。そして、
「門通ったらさ、女子のセーラー服が見えてさ。そのタイが赤なんだよ。そん時やべ!って思った」
と、笑いながらみっつーは続けた。中学も高校も女子はセーラー服なのだが、タイの色を中学は赤、高校は紺、と分けている。確かにそうなのだが、間違った理由も制服、気付いたきっかけも制服、と言うみっつーはやはりどこか変わっていると思う。
母さんがせっかく作ってくれたので、昼ご飯は家で弁当を温めて食べることにした。母さんは用事で出かけたようなので、家にはじいちゃんとばあちゃんしかいない。二人は急にいなり寿司が食べたい、と言い出して、二人でいそいそと支度をして黙々と食べていた。
「いなり寿司って何でいなりって言うんだろうな」
と、何となく尋ねると、じいちゃんは、
「はて…何でだろうな」
と少し考え始めた。
「お揚げが入ったうどんはきつねうどんよねぇ、きつねと何かあるんじゃない?」
ばあちゃんが続けた。
「まぁ、あれだな。名前はどうでも、美味しいなぁ」
いや、それ言ったら話終わるだろ。
自分たちで作ったいなり寿司を美味しい美味しいと食べる二人を見ながら、俺もお弁当箱の蓋を開けた。朝食べたきんぴらごぼうは、こちらにもしっかり入っていた。うちでは、鍋などの汁物や、餃子などの匂いの気になるもの、それから生ものを除いて、前の日の晩ご飯が次の日のお弁当のおかずになることがよくある。一度、紅白なますが弁当に入っていたことがあるが、あれは次から入れないようにお願いした。弁当箱を開けた時の匂いが強烈だったことと、その匂いが他のおかずに付いてしまっていたからだ。きんぴらごぼうの他に、一口分のパスタや玉子焼きが詰められていたのに加えて、アスパラガスのベーコン巻きが入っていた。最近アスパラガスがよく食卓に並ぶ。年中食べられている感じはしていたが、一応春が旬の食材であるようだ。みずみずしく、シャキッとした食感のアスパラガスは、簡単に塩コショウしたベーコンと相性がいい。いつもは、学校で一定時間経ったお弁当を食べながら、冷えても美味しいおかずだなと思っていたが、こうやって温まったお弁当も悪くないなと感じた。
洗い物はばあちゃんのついでに頼んで、久しぶりの制服に袖を通した。春先といえどもまだシャツ一枚で過ごせる時季ではないので、学ランも羽織った。学ラン生活も五年目。今さら何を思うわけでもないが、久々に着た学ランは何だか身が締まる。
そろそろ行くか、と玄関で靴を履いていると、じいちゃんがひょこひょこと歩いてきた。
「じゃあじいちゃん、行ってくるよ」
「どこへ?」
俺は本当にじいちゃんがとうとうボケてしまったのではないかと疑った。
「学校だよ、制服着てるだろ」
「遅刻か?」
どうやら、昼間にご飯を食べた後学校へ行くというのがじいちゃんにとって違和感だったようだ。じいちゃんは、
「のぉ、遅刻だろ、健吾。そうだろう。遅刻した時は、教室に入る時に後ろから入らないとダメだぞ。前から入ると皆んなに見られて恥ずかしいからなぁ」
と、ニヤニヤしながらご丁寧にアドバイスをくれた。否定してもいいが、面倒なので、
「ありがとう、そうするよ」
と返しておいた。じゃあ、と家を出る寸前、
「父さんと母さんには内緒にしといてやるからなぁ」
と言うじいちゃんの声が聞こえたが、それを遮るように、俺はピシャッと玄関の引き戸を閉めた。
「じゃあ、行こうか」
リコを益村のおばあちゃんから預かり、いつもの通学路を歩き出した。行ってらっしゃい、と見送りに来たおばあちゃんに対してリコは、
「行ってきます」
と、少し緊張した面持ちで応えた。うちの小学校は自由服登校だが、黄色い帽子を頭にかぶることが唯一決まっている。俺の目線の下には、真新しい黄色の頭と、身体の小さいリコにはまだ少し大きいランドセルが背中でカタカタ揺れている。
「ランドセル、間に合って良かったな」
数日前のお花見の時には、まだランドセルがない、とリコは言っていた。
「昨日着いたの。パパがお姉ちゃんに言うの忘れてたんだって。お姉ちゃん、慌てて送ったって電話で言ってた」
そう言うと、リコはクスクス笑った。こういう笑い方もするようになったんだなぁと、改めて初じめて会った時のリコと比べて思う。
「けんちゃんは、ランドセルもう使わないの?」
「俺はもう高校生だからね」
「高校生はランドセル使っちゃダメなの?」
「うーん…ダメじゃないだろうけど、誰も使ってないから恥ずかしいだろ?」
「ふーん」
「しかも、俺の高校は鞄はこれです、って決まってるから」
そう言いながら、俺は持っていた通学鞄を見せた。どこにでもある、黒の革鞄である。
「服も決まってるの?」
「うん、これが制服」
「真っ黒…」
「え?」
「どうして真っ黒なの?」
確かに、どうして黒なんだ。ズボンも黒、鞄も黒、学ランを羽織れば全身黒だ。少し考えていると、
「保護色なのかな」
と、驚きの考えがリコの口から出た。
「保護色!?」
「うん、去年習った。敵から隠れるために、周りの色とか地味な色になる昆虫の話」
「俺は昆虫じゃないから」
「そっか」
リコは納得したようだが、俺はどこか引っかかる。とりあえず、リコの中で俺が昆虫ではなくなったことで良しとしよう。
いつもの通学路のはずなのに、感じることがずいぶん違う。隣でリコが歩いていること、会話していることで、こんなにも違うのか。近所の奥さんが洗濯物を干しているかや、いつも同じ時間に薪を割っているおじいさんのことを、こんなにも気に留めなかったのは、久々である。リコは始めて通るあぜ道に少し興奮しているようだった。田んぼのおたまじゃくしをじっと見つめたり、畑から顔を出したミミズに驚いたり、少なくとも俺から見る限り楽しんでいるようだ。これから一年かけて、季節折々の植物や生き物なんかをこうやって楽しんでいけるはずだ。俺にとっての日常は、リコにとっては非日常で、新鮮なのだろう。でも、興奮気味のリコを見ていると、こちらはそれが新鮮で、十分楽しめた。
あぜ道を抜けて出た商店街の道を歩いていると、道の脇に桜の花びらが寄せられていた。ほんの何日か前のお花見の時はギリギリ満開を保ってくれた桜だが、その後の雨でほぼ散ってしまった。入学式の桜が咲いていないのを近所の人たちは少し残念がっていて、どういうわけか散ってしまった桜を掃除せずにそっとしておくことにしたらしい。
「花びら綺麗!」
リコはしゃがんで、花びらを何枚か拾ってきて俺に見せてきた。
「綺麗だね」
「ね!」
「これどうするの?」
「持って帰る」
そう言うと、スカートのポケットに花びらを入れた。俺も小学生の時よくポケットに何でも入れてたな…。ティッシュ入れっぱなしにして母さんによく怒られたっけ。
「リコ、今日はどうするか知ってるのか?」
「始まりの式と、お掃除」
「始まりの式…?あぁ、始業式か」
「けんちゃんもある?」
「あるよ、だるいな」
そう言った後、俺は少し考えた。リコの前では、だるいなんて言葉使うのはよくない…のか?しかし、リコの頭の中はだんだん近付いて来た小学校でいっぱいのようだ。
「緊張してるのか?」
「…ちょっと」
「そういや、今日家出る時から緊張してたな」
「あれは、違う」
「どういうこと?」
「行ってらっしゃい、って言われたの久しぶりだったから」
お母さんは幼い頃亡くなり、お父さんは過労で倒れるくらい働き、兄弟たちは家を出ているとなると、そうなるのか。
「久しぶりすぎて、何て返したらいいのかちょっと迷っちゃった」
「笑って行ってきます、って言っておけばいいんだよ」
「うん!」
そんな話をしていると、リコの通う小学校が見えてきた。小学生らしい、わいわいやっている声が聞こえてくる。
門の前で立ち止まり、
「じゃあな」
と、リコに向かい、頑張れの意味も込めて黄色の帽子の上に手を二回置いた。リコはキュッと帽子を被りなおして、大きく頷き返した。
カタカタとランドセルを揺らしながら学校に歩き出したリコに何か声をかけてやりたくて、
「行ってらっしゃい!」
と、大きな声で言ってしまった。周りには人もいるのに、我ながら恥ずかしいことをしてしまったな、と思っていると、
「行ってきます!」
と、リコが笑顔で応えた。今のリコなら心配ない。楽しかったと言って帰ってくるに違いない。俺は安心して、自分の高校へと歩き出した。
新しいクラスは、良くもなければ悪くもなかった。みっつーと同じクラスになれたのは良かったのだが、心配していたクラスの場所がハズレであった。二年四組をズバリ引いてしまった俺とみっつーは、足腰を鍛えるつもりで頑張ろうと互いを慰めた。クラスのメンバーの内の半分は基本的に中学が同じだった人、半分が隣町から来た人たちという感じだ。その中でも去年同じクラスだった人もいるので、実質全く知らない人の方が少ない。他の水泳部とは別のクラスになったのだが、クラス分けの貼り出しを見ている時に、水泳部の小野達也、通称たっちゃんが、俺の背中を叩いてきた。
「なんだよ」
「けんちゃん、四組だろ?」
「だからなんだよ」
「滝本さんがいるクラスだぞ、おい!」
と、また肩をバシバシ叩いた。痛えな、おい。滝本さんというのは、うちの学年で一番美人と噂の滝本紫織さんのことだ。隣町出身で、俺やみっつーと同じ中学から来た男子は勿論滝本さんと呼び、入学当初から隣町から来た子の中に美人な子がいると噂にはなっていた。水泳部の中で一番女ったらしなたっちゃんは、そういうことにも詳しい。たっちゃんを軽くあしらい、教室に入ると、すぐに始業式を知らせるチャイムが鳴った。
始業式のメインは、校長先生の長ったらしい挨拶ではなく、クラス担任の発表だ。周りの生徒も考えていることは同じのようで、校長先生が話している間もずっとそわそわしていた。その他諸々の先生の話も終わり、いよいよクラス担任の発表の時間になると、各学年ごとに先生が何人かずつ出てくる。一年生は午前中に入学式があって、今ここにはいないので、二年の担任発表が最初だ。学年主任、一組担任、一組副担任、二組担任…と辿っていくと、四組担任は去年に引き続き古賀先生だった。古賀先生は、古典の先生で、枯れたおじいちゃん先生である。うちの学年ではマシな方だと言えるだろう。俺は去年の担任も古賀先生で、楽だなと思っていたので助かった。良く捉えると余計なことには口出ししない、悪く捉えると生徒に熱意がなさそうな先生である。俺としては、ネチネチうるさい先生は英語なら英語、歴史なら歴史というように一つの教科だけで充分なのだ。担任までうるさいのはうんざりだ。今年の二年の先生は、一組は口うるさい社会科のおばさん先生、二組は気の強い女の英語教師、三組は枯れた数学のおっさん先生というラインナップになった。三、四組の担任が枯れているのがすごく気になったが、まぁ結果オーライと言えるだろう。一、二組の方に目をやると、これからの未来を案じてなのか少し重い空気が流れている。まったくもってご愁傷様である。
始業式を終え、大掃除も終えると、二年生としての一日目は早くも終わろうとしていた。帰りのホームルームで、
「えー…みなさん今日はお疲れ様でした。明日からこのクラスで一年間頑張りましょうか。勉強も部活も私生活も、程々に頑張って下さい。それでは…今日は終わりましょうかね」
と、古賀先生はやる気があるのかないのかよく分からない挨拶で締めた。
帰りは特にリコのことを頼まれていたわけではないが、時間が合えば帰りがてら送ろうと思っていた。門を抜けると、向かい側の小学校の前で朝見た黄色の帽子がぴょんぴょん飛び跳ねている。リコだ。軽く手を挙げて応えると、
「けんちゃーん!だるい始業式終わったのー!」
と、道路挟んで大きな声でリコが言った。朝俺が言ったことをちゃっかり聞いていたんだな。やっぱり言葉遣いには少し気をつけよう。
道路を渡って合流すると、朝来た道を二人で戻り始めた。最初に俺は少したしなめた。
「リコ、みんなの前でだるい、なんて言葉使っちゃダメだぞ」
「なんで?」
「リコは女の子だから。もっと可愛い言葉使わないと」
「じゃあ、だるいって女の子の言葉でなんて言うの?」
「そうだな…疲れちゃう、とか?」
「えー!そんなの疲れちゃう!」
なかなか早い応用である。リコは楽しそうに話を続けた。帰り道、リコの口はよく動いていたように思う。クラスに早くも新しい友達ができたこと、担任の先生は優しそうな女の先生だったこと、花見の時に知り合ったみのりちゃんとは同じクラスになれなかったことなど、それはそれは楽しそうに話してくれた。
家が近付くと、リコは少し声のトーンを落として、こちらを伺うように聞いてきた。
「けんちゃん、明日も学校一緒に行ってくれる?」
もう初めて会った時のリコの面影はない。こんなに俺に心を開いてくれて、素直に嬉しい。フッと力を抜いて笑い、
「いいよ、当たり前だろ」
と、また黄色の帽子の上に手を置いた。リコはまた、帽子をきゅっとかぶり直して、えへへ、と朗らかに笑った。




