春・花見の宴
春
『花見の宴』
お花見に対して、俺は少々思うことがある。多分、桜を見上げて綺麗だと言いながら、外でご飯を食べるこの行事があまり好きではないのだと思う。大体、桜を見ながら外で食べるのが風情だと言うのなら、夏はひまわり、秋はすすき、冬は椿でも見ながらご飯を食べればいいじゃないか。それを、夏は暑すぎる、冬は寒すぎるなどという大人な都合で回避し、気温的にもベストな春を勝手に選出し、桜という理由を後付けしたようにしか思えない。要するに、いい歳の大人たちも遠足気分を味わいたいのだろう、と俺は解釈している。ただ、小学生のようにおやつの金額が三百円までと決められているわけでもなければ、お酒も飲むことができるという子ども時代とは程遠い大人な遠足である。こんなにもお花見に対して散々言うのには、何か特別な理由があるわけではなく、ただ単に元々アウトドアな行事が好きではないからだろう。にも関わらず、我が家では、桜が満開のシーズンになるとお花見に行くのが恒例行事である。じいちゃんたちが行くのはもちろんのこと、子どもの俺たちは有無を言わさず強制参加である。行く日取りは近所で合わせてから行くので、お花見当日にその場所へ行くと周りは知った顔ばかりだ。各家のブルーシートの仕切りはいつの間にかなくなり、持ち寄った料理を食べ、乾杯を交わす。ここまで言うと聞こえは楽しそうでいいが、春の夜はまだまだ寒いし、近所の酔いどれには絡まれるしで大変なのだ。近所の飲み会は定期的に開催されるが、誰かの家でやるので酔っ払いの絡みから逃げたい時も、寝たいと思った時も帰りたくなれば帰れる。この強制される感じといい、外ゆえの融通の効かなさといい、俺は総じて花見があまり好きではない。しかし、そんな俺の気持ちとは関係なく、春はやって来るし、桜は勝手に咲き始めるしで、いつお花見の呼びかけがかかってもおかしくない時季になってしまった。
そしてそれは、後一週間足らずで学校が始まる、という話をしていた晩ご飯の最中にやって来た。
「そういえば今年は花見はやらないのか」
切り出したのは父さんだ。余計なことを…と俺は内心思いながらみそ汁をすすった。今日のみそ汁の具は、豆腐、えのき、しめじ、しいたけ、なめこ、ときのこづくしである。食卓には、菜の花のごま和え、付け合わせに千切りキャベツを添えた豚の生姜焼き、昨日の残り物であるイカと大根の煮物、そしてそれぞれに玉子豆腐が並んでいる。
「そうよね~、毎年誰かが言い出すから放ってたんだけど…」
母さんがそう返す。すると、ばあちゃんが口をはさんだ。
「早くしないと散ってしまうねぇ。今もずいぶん枝が重そうよぉ」
「じゃあ、明日とりあえず益村のおばあちゃんに話してみようか」
あぁ…今年もやって来るのか。このまま誰も思い出さずお花見シーズンが終わるかと少し期待していたが、その期待は今散ったも同然だろう。
「姉ちゃんとか兄ちゃんとか帰って来ないの、お花見に」
「社会人たちの春は忙しいのよ」
姉ちゃんたちが帰ってくれば少しマシかと思ったが、やはり無理か。
「凰貴は上手くやっておるのか」
「あぁ、向こうの支社の同期は真面目に働いてるってよ」
「兄ちゃん今年もこっちの職場には帰って来れないんだな」
「母さん的には洗濯物が増えないから助かるなぁ」
しばらくそんな話をしていると、ばあちゃんが呟いた。
「…えみちゃんとこの、リコは来るかねぇ」
「…」
全員何も言わずそれぞれの箸を動かす。先日、リコの歓迎会と称して開かれたちらし寿司パーティーだが、結果的に言うとあまり歓迎にならなかった。まず、うちへ挨拶に来た時と同じように、リコの警戒心がとんでもなく厚かった。近所の人たちも誘っていたので結構な人数が集まってしまい、大人に囲まれたリコは明らかすぎる愛想笑いを浮かべながらしばらく座っていたが、その内周りの大人たちが盛り上がってくるとそっと席を離れ、自室にこもってしまった。
「この間は、来たばっかりのリコちゃんに少し悪いことしたかしらね」
「あれはメンバーが悪かったんだろ」
近所には子どももいなくはないのだが、少し距離があるうえに先日の歓迎会には来ていなかった。
「父さんは行ってないから詳しいことは知らんが、どうせ周りの大人が勝手に盛り上がったんだろ」
「まぁ、それがここら辺では普通なんだけど…やっぱり子どもが健吾以外いなかったことも大きいわね」
「じゃあ、西口んとこに声かけとくわ、花見」
「西口さんって、職場の?」
「あぁ。確か娘がまだ小学生だったはずだ」
そう言って父さんがみそ汁をすする。すると母さんが、ごま和えにごまを足しながら言った。
「健吾ももう少し話しかけてあげないから…。こないだもあんたが一番年が近かったのよ」
「そんなこと言われても」
年が近いと言っても子ども自体、俺とリコしかいなかった。次に若いとなると親世代になってしまう。
各々が箸を動かす地味な静寂の中、玉子豆腐をずるっとすすったじいちゃんが俺に向かって、ニヤっとしながら言った。
「男は黙って語る、だな?」
違うから、と俺がツッコむべきところだったと思うが、ここはスルーで流させてもらった。
イベントに関するご近所の連携プレーは流石なもので、花見が今週末開催されることはすぐ決まった。お花見を数日後に控え、今日は父さんも仕事が休みだとかで家の中はゆったりしている。天気予報が今週末は絶好の花見日和と言っていて、母さんとばあちゃんは年に何回かしか使わない重箱を出し、当日のお弁当の中身について話し始めていた。父さんとじいちゃんは、これまた年に数回しか出番のないブルーシートを納屋に探しに行ったらしい。俺はというと、午前中はいつものように泳ぎに行き、午後からの予定は特になく、未だ自室の代わりを続けている茶の間でダラダラ過ごしていた。
「健吾、ちょっといい?」
と、母さんが入って来た。
「ったく、あと何日かで学校が始まるっていうのに…準備はちゃんとしてるでしょうね?」
「あとちょっとで終わる」
何もしていなくても、準備物のプリントすら見ていなくても、とりあえずこう答えておけばいい。
「それよりあんたさ、いつまでここを拠点にしておくわけ?雨漏り、直しちゃいなさいよ」
「えぇー」
「茶の間が使えないじゃない」
「誰も使わないだろ」
「母さんが使いたいの」
「何に?」
「何にって…洗濯物たたむ時に!」
我が家の茶の間は何のためにあるのか。
「とにかく!いつまでも父さんが手伝ってくれると思えば大間違いよ。もう一通りできるんでしょう?学校始まる前にちゃっちゃとやってしまいなさいよ」
「へいへい」
やらないという選択肢はなさそうなので、俺は重い腰を上げた。
ハシゴと工具箱は納屋にあるので向かうと、中からじいちゃんと父さんの声が聞こえた。
「最後にブルーシート使ったのいつだったっけなぁ」
「さぁ…覚えてないなぁ」
「父さん一度老人会で使わなかったか?」
「はてなぁ…」
どうやらまだブルーシートを探しているらしい。すると父さんが俺に気づいた。
「おぉ、健吾。どうしたんだ?」
「屋根裏の雨漏り、直せって母さんが」
「そういえばだいぶ前からだったなぁ。もう一人で出来るか?」
「うん」
小さい頃から高い所が好きだった俺は、父さんやじいちゃんが雨漏りの修理をするために立てたハシゴをよく登り、遊んでいたものだ。いつの頃からか屋根の修理の仕方を教えてもらうようになり、雨漏りぐらいなら一人でどうにかできる。未だブルーシートが見つからない父さんとじいちゃんを置いて、俺は雨漏り修理の道具を一式持って納屋から出た。
雲がある割に外は明るく、春の陽気な空気が漂っていた。屋根にハシゴをかけ、瓦の上によじ登ると、益村のおばあちゃんの家の庭で洗濯物を干す小さな影を見つけた。踏み台に上ってシーツを干している姿は、上から見るとより小さく見える。リコに違いない。
ちょうどその時、強い風がぶわっと吹き、シーツがバタバタとめくれ上がった。そして、シーツの向こう側にいたリコとバッチリ目が合ってしまった。春の嵐を思わせる風が吹く中、俺は一瞬考え、ここ最近では一番大きい声で、
「こんにちはぁ!お手伝い?」
と聞いてみた。この間の歓迎会で全く話しかけられなかった罪滅ぼしのつもりである。外の方が何となく話しやすいし、これぐらい距離がある方が俺は嬉しい。
リコは一瞬置いて、頷きながら返してくれた。
「そうだよ」
俺が聞いたリコの声の中で一番大きな声だ。俺もそこそこ大きな声で返す。
「そっか!偉いね!」
するとリコは少し照れた様子でうつむいた。遠くてよく見えないが、口元は少し緩んでいるように思われる。顔を上げたリコは、
「そこで何してるの?」
と聞いてきた。俺にはそれが少し意外で、一瞬間が空いたが、
「雨漏り直してる!」
と答えた。
「怖くないの?」
「ここ?」
「うん」
「全然!高いところ、苦手?」
「分かんない」
そう言うと、リコは困ったよう顔をした。
「来てみる?」
来るかどうかは微妙だが聞いてみた。すると、リコの口が動いた気がした。行きたい、と言っているようにも見えたが、残念ながらその声は俺には届いてない。
「どう?」
「行きたい!」
今度は大きな返事が返ってきた。この短い会話の間に、リコの声はずいぶんと大きくなった。最初に聞いた鈴のような声の原型は留めながらも、芯のあるいい声だ。
門に回っておいでよ、と声をかける前に、リコは庭にある一応の垣根の下を潜ってこちら側にやって来た。意外と大胆な子である。この場面は、森の奥に昔から住んでるあの不思議な生き物が出てくる映画のワンシーンを思い出させた。ガサッと垣根から出てきたリコの頭には葉っぱが何枚か付いている。自分でそれに気が付いたリコは手で払った後、ハシゴを登ってきた。
「どう?怖い?」
屋根に上がったリコにそう尋ねると、
「思ったよりも高くない」
と、少し驚いたように言った。
「だろ?好きにしていいよ、降りたくなったら降りたらいいし。もう少しいたかったら、まだいたらいいよ」
俺は雨漏り修理を再開した。リコは何をするでもなく、俺の作業を眺めていたが、しばらくすると屋根の上に寝そべった。目を閉じ、ふーっと深い息を吐いたリコは、
「気持ちいい…」
と呟いた。そのリコの表情には、警戒の色はなく、リラックスした感じが見られる。会話はないが、俺は何となく安心して、作業を済ませた。俺には、今のリコが何を考えているかは分からない。今の表情は穏やかでも、心の奥底には言葉では言えないようなモヤモヤした悩みがあるのかもしれない。ただ俺は、リコの悩みの聞き役にはなれないし、気の利いた言葉を言ってやることもできない。それができるのは、リコが俺を頼った時だ。大人ばかりの周りに言えないことを、俺に言う日が来るかもしれない。それは、その時考えよう。今は、正直こうやって安心したように見えるリコを見ているだけで満たされている。
穏やかなひと時を過ごし、雨漏り修理も無事終了した。そろそろ降りようか、と声をかけると、リコはスッキリしたような面持ちで体を起こした。
「リコ、葉っぱ付いてる」
起き上がったリコの頭には、垣根をくぐった時に付いたであろう葉っぱが一枚、残っていた。手を伸ばして取り、ほら、と見せる。すると、
「ありがとう、けんちゃん」
と言う、リコの笑顔が見えた。春の陽だまりの中で、リコはふんわり笑っている。この柔らかさは作り物ではないと、俺は確信した。それにけんちゃんなんてリコの口から呼ばれたことないし、むしろリコに名前を呼ばれたこと自体初めてだ。そういえば俺も自然にリコ、と、名前を呼んでいた。今更ながらその照れくささが出てくる。初めて笑顔を見た嬉しさに、初めて名前を呼ばれた嬉しさが重なり、感動が大きくて、俺の顔からも力がふっと抜け、俺らしくない笑みが顔に浮かんだ。そんな俺を見て、リコも安心したように笑った。
「お天気、夜も良さそうよ」
「カメラ最後に使ったのいつだ?」
「良かったねぇ、雨が降ったら困るからねぇ」
「お酒足りるかしら…」
「お正月かの?」
「おみかん持って行こうかねぇ」
「うちってイベント少ないんだな」
「酒屋の大将が来るから酒は心配いらないだろ」
「そういや、ブルーシートあったの?」
「夜の照明って山本さんが持ってくるんだっけ?」
「あったぞ、玄関に置いてる」
「お弁当美味しそうだなぁ」
「今年は山本さんじゃなくて戸田さんのお家じゃなかったかねぇ」
「そっかそっか、ってお父さん!お弁当つまみ食いしたらダメ!」
花見当日の午前中の我が家は、それぞれがそれぞれの動きたいように準備をしていた。会話が飛び交い、話題もコロコロ変わる。父さんはカメラの充電を始め、母さんはつまみ食いをしようとしていたじいちゃんをたしなめながら重箱を包み始めた。ばあちゃんは荷物を入れる風呂敷を出している。俺は弁当の残りのおかずを口に放り込みながら家族の様子をぼーっと見ていた。そうだ、トランプでも持って行けば盛り上がるかもしれない。俺は手ぶらで行きたかったので、母さんが包んだばかりの弁当の風呂敷の中にそっとトランプを押し込んだ。
「よーし、そろそろ行くかー」
父さんの声で、俺たちは出発した。
うちには車が三台ある。一台は軽トラック、一台は五人乗り、そしてもう一台は七人乗りである。姉ちゃんたちがいなくなってからは七人乗りどころか五人乗りで事足りるのたが、花見の時だけはなぜか軽トラックで行く。桜が毎年綺麗に咲く公園は歩いて行ける距離なのだが、荷物が多いので軽トラックで行くらしい。もちろん運転手と、助手席にしかちゃんとした椅子は付いてない。残りは荷台に乗ってしまうのだ。法律的にはアウトだと思うが、父さん曰く国道じゃないからバレなければセーフらしい。
今日は父さんが運転、車酔いするばあちゃんが助手席のようだ。荷台に乗った母さん、じいちゃん、俺は風をもろに浴びながら座っていた。
「健吾ぉ」
とじいちゃんが言ってる風の中俺を呼んだ。
「風が…風が強いなぁ!じいちゃんの髪の毛、ちゃんと残ってるかぁ?」
「「ブホッ」」
俺と同時に、母さんも吹き出した。残念ながら髪の毛はあまり生き残ってない。
花見は例年と大して変わらなかった。一つ変わったことと言えば、リコが来たことだ。俺の姉ちゃんたちを含め、独り立ちして家を出て行く人は少なくないので、人数が減ることはよくあるが、増えることはあまりない。リコは益村のおばあちゃんとおじいちゃんに連れられ、また少し緊張した様子で現れた。
「えみちゃん!こっちこっち!」
と、俺のばあちゃんが呼んだ。そういえば、うちのお弁当を益村の家と分けるって言ってたっけな。
「いやいや、すまんのぉ。お弁当一緒にもらって」
と、益村のおじいちゃんが座りながら言った。母さんが取り皿を配りながら応える。
「いいのよぉ、うちのタケノコの煮物、いつ食べてもらおうかってなってたんだから。リコちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
表情は変えず、リコが答えた。
「この間の歓迎会にも来てなかったんだけどね、このおじさんはね、健吾のお父さん。おじちゃんって呼んであげて」
「はじめまして」
ニコっと、父さんが挨拶をすると、リコはペコッと軽くお辞儀した。
「じゃあ、いただこうかね」
とばあちゃんが声をかけて、弁当を皆がつつき始めた。お重に入っているとどうしてもおせち感が出てしまうのだが、そこはさすが母さんとばあちゃんだ。一段目は、シンプルに海苔を巻いたものや鮭をまぶしたものなどバリエーション豊富なおにぎり、二段目には筑前煮やタケノコの煮物など、どちらかというとじじばばに受けそうなおかず、三段目には海老フライやポテトなど子供受けのいいおかずがぎっしり詰まっている。お重とは別にしたタッパーには、大学芋やようかんが入っていた。
隣に座ったリコに、何が欲しいか聞くと、少し悩んだ後で海老フライ、と言った。母さんに頼んで取ってもらうと、海老フライだけでなくポテトサラダやおにぎり、そしてタケノコの煮物も皿に乗せて渡した。
「リコちゃん、そのタケノコね、うちで煮たやつなんだけど、ちょっと食べてみて」
と母さんが付け足す。
いただきます、と言ってリコがタケノコを一口食べた。
「美味しい、です」
「あー本当!良かった!また何か取って欲しかったら言ってねー」
ほんのり笑いながらこくりと頷く。この間といい、今日といい、リコは愛想笑いをしていない。それが何だか嬉しくて、リコに話しかけた。
「タケノコ、美味しいだろ」
リコも普通に答えてきた。
「うん、優しい味がする…。これ、本物?」
「どういうこと?」
「炊き込みご飯に入ってるやつは、偽物って聞いたことある」
「炊き込みご飯の素に入ってるやつ?」
「そう」
「カニカマみたいに明らかな偽物ではないだろうけど…。でもこれは裏山で採れたやつだから、まぁ本物かな」
「カニカマって偽物なの?」
「あれは本物の蟹じゃないよ」
ちょうどポテトサラダに偶然入っていたカニカマを見つけたリコが、カニカマだけを抜き取って食べた。
「蟹の味、する気がする」
「そうか。カニカマの方が安いんだよ」
「けんちゃん本物の蟹食べたことある?」
「あるよ」
「どんな味?」
「カニカマの味」
そう言うと、リコがクスクスと笑った。
そこへ、父さんの会社の人と思われる人たちがやって来た。本格的に宴会が始まるようだ。その大人たちに混じって、リコより少し年上に見える小学生くらいの女の子がいた。真っすぐにリコの方に駆け寄り、
「あたし、西口みのり!よろしくね!」
と、笑顔で言った。俺はその子を見て、本来抱いていた小学生の女の子のイメージを思い出した。一目で分かる明るさと、子どもらしさがある、可愛らしい子だ。
「三枝莉子です」
「リコちゃん!ねぇねぇ、一緒に遊ぼうよ!」
「うん」
リコの即答に、俺は少し驚いた。子ども同士だとこんなにもすんなり受け入れるのか。
「あっ!そうだ、リコ!」
と、リコを呼び止め、お重を包んでいた風呂敷を引き寄せた。
「これ、トランプ。使っていいよ」
「ありがとう、けんちゃん」
そう言うと、リコはみのりちゃんと二人で走って行った。良かった良かった、と一息つくと、
「ありがとうねぇ、けんちゃん」
と、益村のおばあちゃんにお礼を言われた。おにぎりを食べながら、何のこと?と首をかしげると、こう続けた。
「リコと仲良くしてくれて…。この間も屋根の上に登ったよって、嬉しそうに話しててねぇ」
「あぁ、いや俺は何もしてないよ」
「これからもよろしくねぇ」
リコがあまり愛想笑いをしなくなったのは、俺も嬉しいことだ。面倒を見てやろうとか、笑顔が見たいとか、そういう変な建前ではなく、単純にリコと過ごす時間を苦であると感じないだけである。
その後、周りの人は次第に多くなり、例年の花見らしく盛り上がり始めた。酔い始めたどこかの親父の話を生返事で聞いていると、
「けんちゃん」
と、リコが帰って来た。
「どうした?」
「トランプ一緒にやろう」
トランプを有効活用してくれているのは嬉しいが、自分も一緒にやるとなると少し話が変わってくる。
「いやでも…」
「いいでしょ?」
と、俺の前にしゃがみ込み、真っ直ぐな目で見つめてきた。こんな瞳で見つめられたら敵わない。
「しょうがないなぁ」
立ち上がり、靴を履く。
「けんちゃん、早く早く!」
とリコが俺を急かした。楽しそうに待つリコの表情には、当初の固さはない。普通の小学生の女の子だ。よし、行こうか、とリコに声をかけ、二人で他の子どもたちが待っているブルーシートへ向かう。見上げると、当たり前だが桜が咲き誇っている。日没直前の空は、藍色に染まり、桜はピンクというよりは白く浮き出ている。あちこちから聞こえる喧騒、涼しい夜風、そして舞い散る桜を感じていると、花見も悪くないな、と俺は感じていた。