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春夏秋冬  作者: 倉辻菜央子
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春・山菜のうどん



『山菜のうどん』


 冬から春への移行は割と静かにやって来る。暖かくなってきたと思えば、それはほんの一時的な春の訪れであることが多く、また急激に冷え込むのである。そんなことをいくらか繰り返しているとそのうち、急激な冷え込みは少しずつ緩み、暖かい日が長くなり、ようやく春を迎えることができる。体力的にも精神的にもひどく消耗した期末テストが終わり、消化試合のようなテスト後の授業を何となく受け、先日やっと終業式を迎えた。春は草木が芽生え、動物たちが冬眠から目を覚ますシーズンなのであるが、一方人間の俺はというと、いくら寝ても寝足りず、春休みは毎日二度寝をむさぼっていた。そういえば俺がまだ小さい頃、冬から春になり、日が長くなったことをいいことに遅くまで遊んで帰ると、ばあちゃんに、こんな遅くまで遊んでいると冬眠から目覚めた熊に食べられるぞ!、と怒られたことがある。この町で何年も育ってきた今はそんなわけねえだろ、と思えるのだが、まだ経験値の低い小学生そこらだった俺はとんでもなく怯えたものだ。冬眠明け、というのがすごくお腹を空かせてそうでまた怖かった。山に囲まれたこの田舎町には、クマやイノシシなどの物騒な動物はいない。なので畑を荒らされる心配もないし、近くの竹林ではそろそろ立派な筍が今年も生えるのだろう。

 今日も一瞬目を覚ましたものの、重い上まぶたの意に逆らうつもりはさらさらなかったので、二度目の眠りに落ちていると、

「こら健吾!そろそろ起きな!」

と、夢と現実の狭間に、現実の声が響いた。まふだは開けず、口だけ動かす。

「母さん…。休みくらい寝かせてよ…」

「馬鹿ねぇ、あんた今毎日春休みでしょうが」

と、言いながら母さんは俺の布団をめくった。そうは言っても眠いものは眠いのだ。母さんは俺に呆れたのかそのままどこかへ行ってしまった。俺は勝ったな、と心の中で弱弱しくガッツポーズして、布団にすっぽりくるまった。ここ数日、俺の寝床は三階の自室から一階の茶の間に移動している。うちは昔ながらの古民家で、元々平屋だったものを、俺が生まれる少し前に大工さんに頼んで二階建てに改造したらしい。その為、子供部屋は俺が生まれる前の三人兄弟の分しかない。小学生ぐらいになると、一人部屋に強い憧れを抱いた俺はじいちゃんに駄々をこねると、うちには屋根裏部屋があるからそこを使えと言われた。最初は暗くて狭い屋根裏に渋ったが、ないよりマシかと使ううちにその狭さと暗さが逆に気に入って、いつしか一番落ち着く空間になった。だから、三階というよりは屋根裏部屋なのだが、つい先日、俺の部屋の大事な天井とも言える屋根が雨漏りし始めた。雨漏りは初めてのことではなく、俺はいつもそういう時には茶の間に布団を敷いて寝ている。今は春休みなので、できれば朝はゆっくりしたい。しかし一階で寝ると、母さんは躊躇なく起こしに来る。学校のある平日だとこれが助かるのだが、春休みとなれば話は別だ。

「健吾!あんたの魚、もう焼いてるからね!冷めるよ!後でチンするなんて許さないよ、臭くなるから!」

と、台所の方から母の声が聞こえた。今日の朝ご飯はご飯と味噌汁と焼き魚か。すると、昨日の晩ご飯だったおでんの匂いがしてきた。朝からおでんとは何とも嬉しい。合わせて焼き魚の香ばしい匂いも漂ってきた。この匂いと、大根おろし、醤油、そしてすだちが絶妙に合うんだよなぁ。焼き魚は焼き立てに尽きると俺は思う。カリッとした表面と、ホクホクの身が味わえるのは焼き終わり後の数分しかない。俺は重いまぶたを何度か上下運動させた後、のっそり起き上がった。


 春休みの俺の毎日は大体変わらないが、天気やその日の気分によって少しずつ違う。天気が良ければ畑の手伝いをするし、雨が降れば家で漫画を読み漁ったりする。平日は区民プールが開放されているので、二、三時間泳ぐようにしている。春になると水泳部の活動は少しずつ活発化し始め、夏のシーズンに向けて準備する。新学期早々水泳を再開すると全身筋肉痛になるのは目に見えているので、春休み中に慣らしておくのだ。ど田舎にも関わらず、区民プールは意外にもお金をかけて室内にもあり、春休み頃から夏休み手前と、夏休み後から冬休み前まで天気や気温を気にせず泳ぐことができる。夏休み中は室内のプールは閉鎖し、同じ敷地内にある屋外プールが開放される。ちなみに、冬はどちらも閉まってしまって泳ぐことはできない。

 朝ご飯を食べながら見た今日の天気予報は、昨日の雨雲がまだ残っているので午前中は雨が降ったり止んだりだが、午後からは晴れると言っていた。なので俺は、午前中は天気を気にしなくていいプールへ行き、午後からは畑を手伝うことにした。台所に茶碗を持って行くと、

「あんた、今日どうするの?」

と、母さんが洗い物をしながら聞いてきた。

「午前はプール、午後は畑」

「あんた好きねぇ…土遊び」

「あのさぁ、畑仕事って言ってくれる?」

「はいはい。じゃあ昼前に帰って来るのね?気をつけてね」

「行ってきまーす」

 そう言って台所を出ようとすると、

「あっ!そうそう!」

と、母さんが急に何かを思い出した。

「リコちゃん!隣の!今日越してくるらしいのよ」

 正直、リコのことを今の今まで忘れていた。リコが来ることが分かった日から1ヶ月ほどしか経ってないが、期末テストに苦しめられたり、嬉しい春休みが始まったりと割とバタバタしていたようだ。

「今日?今日のいつ?」

「昼頃じゃない?町から出てくるんだから」

「ふーん…」

「楽しみねぇ」

 だから俺は素直に喜べないんだって。ちょうどそこへ、朝ご飯を食べ終わったらしいじいちゃんが茶碗を持ってやって来た。

「お粗末様でした」

「はい、ありがとう…ってお父さん!また魚の骨食べちゃったの!?」

 じいちゃんが母さんに渡した皿には皮も骨も、もちろん身も全く残っていなかった。今日の焼き魚は小骨だけではなく、どう考えても胃では消化できないであろう太い背骨もあったはずだ。じいちゃんは硬い食べ物を食べるのが好きで、よくボリボリ食べている。芋けんぴやせんべいなどであればいいのだが、困ったことに魚の骨なんかも食べてしまう。

「喉に刺さったりしたら危ないから、せめて大きい骨は残してって前も言ったじゃない…」

 すると、じいちゃんは、こうべを垂れて言い訳をするように言った。

「わしはな、カルシウムを取っただけなんだよ、身体に良かれと思ってな…」

「逆効果だから」

 母の強めの返しは、じいちゃんだけでなく俺にも少し効いた。


 ひと泳ぎして家に帰って来る頃には、雲の間から光が差し、午後からの天気の回復を告げていた。庭から玄関に入ろうとすると、

「よく来たね、荷物重いでしょう」

などと言う、益村のおばあちゃんの声が聞こえてきた。ふと声のする方に目をやると、庭の向こうに益村のおばあちゃんと、小さい少女が歩いている姿が垣根越しに見えた。ついに来たか、と嫌悪でもなく嬉しさでもない複雑な気持ちに襲われながら、注意深く庭の先に見える少女を観察した。益村の家とうちは同じ敷地とはいっても、さすがに庭と庭の境目には一応の垣根がある。垣根のそばまで行けばはっきり見えるであろうが、覗きをするつもりもないし、あくまで見えてしまった体を貫きたい。

 垣根の間から見えた少女は、俺が思ったよりもずいぶん小さかった。髪は肩にかかる長さで、ピンクのトレーナーにデニムスカートを履いている。体のサイズからすると大きすぎるリュックを背負って、おばあちゃんがこれまた大きいボストンバッグを持っている。少女の表情は、前髪が少し長いのと、垣根がちょうど顔の部分を覆っているせいでよく見えないが、口元は笑っているようだ。あれがリコ…なのだろう。すると、おばあちゃんが、俺が聴こえるか聴こえないかギリギリの声で言った。

「ありゃ、けんちゃんかね?」

 やばい。俺はあくまでプール帰りで見えてしまった体なのだ。聴こえないふりをして家に入った。

「おかえり。昼ご飯うどんよー」

と、母さんが台所から顔を出した。

「ただいま。リコ…が来てる」

「あら!本当!どんなだった?リコちゃん」

「どうって…」

「ちゃんと挨拶したんでしょうね」

「チラッと見えただけだから!でも…ずいぶん小さかった」

「そう、隼さんがあんまり大きくないからかね。まぁ、その内挨拶に来てくれるでしょ。昼ご飯もうすぐだから手洗ってきな」

 うちは、挨拶というものに大変厳しい家だと思う。各家庭にそれぞれ教訓、というか、大事にしてるものがあると思うが、うちでは挨拶することと年寄りや子供に対して親切にすることを小さい時から嫌というほど言い聞かせられる。町で誰とすれ違っても、初めて誰かに会っても、挨拶をするよううちでは教えられる。年寄りに優しくするのは、周りの大人たちを見て育つと自然と分かってくるし、家でも母さんや父さんに、うちのじいちゃんやばあちゃんだけでなく近所の年寄りも大事にするよう言われる。ちなみに、小さい子に優しくすることは兄弟や近所の子どもたちと遊ぶ時に自分より小さい子を可愛がることによって育まれる心なのであろうが、俺は兄弟の中でも末っ子で可愛がられることばかり覚えてしまい、正直年下の子の面倒を見ることには不慣れである。

 手を洗い、座布団に座ると、母さんがばあちゃんと一緒にうどんをおぼんに載せて居間に入ってきた。食卓に並んだのは、菜の花のおひたし、近所のスーパーで買ってきたと思われる野菜のかき揚げ、そして山菜のうどんだ。何日か前に俺とばあちゃんと一緒に近所の山に行き、山菜をどっさり採ってきたのでその消費なのだろう。ばあちゃんがそろそろ引き上げよう、と言ったのに山菜摘みに異常な情熱を燃やした俺は、あとちょっと…と言いながら黙々と採り続けた。結果として、山菜の下処理をするのに数時間を要することになり、母さんとばあちゃんに程々という言葉を覚えろ!とたしなめられた。俺としては、山菜は好きだし、もう一度採りに行くのは面倒なので、あまり反省してない。味がシンプルで食感もいいし、料理のバラエティーにも幅があるので春になると食べたくなる。採ってきたのはわらびやぜんまい、菜の花などだが、うどんの具材として採用されたのはわらびだけらしい。

「春休みの昼ご飯って、高確率で麺類だよね…」

と、俺がこぼすと、ばあちゃんがよっこらしょと腰掛けながら答えた。

「早く作れるし、めんどくさくないからねえ」

「いいじゃないか。じいちゃんは好きだぞ、うどんも素麺も。あと、あれだな…ス、スパ、スパゲチーも好きだな」

 じいちゃんが便乗して言う。俺がいる春休みだけとかならまだしも、年寄りが二人もいる家の昼ご飯に麺類が多いのは珍しいと思う。これはじいちゃんの麺好きも大きいのだろう。

 誰もツッコまないスパゲチーをばあちゃんが訂正した。

「違うわよ、スパゲッチーよ」

 あ、ばあちゃんも言えないのか。


その日、リコが益村のおばあちゃんと一緒にうちにやって来たのは夕方になってからだった。

「こんばんはぁ、かずちゃんいますかいねぇ?」

という声と共に、勝手口の扉が開いた。余談だが、この辺でうちをよく知っている人は玄関ではなく、勝手口を使う人が多い。おすそ分けなんかをする時に、台所が近い勝手口の方が都合がいいのだろう。そして、チャイムなんて可愛いものは勝手口には付いてないので、来た人はバンバンとドアを叩くか、とりあえず勝手に開けてしまう。これを物騒だと考える人もいるかもしれないが、これが普通なのだ。ちなみに益村のおばあちゃんは、母さんやじいちゃんに用があったとしてもなぜかばあちゃんの名前を呼んで勝手口を開ける。

今日もいつものように勝手口から入って来たのだが、俺たちはちょうど畑から帰って来たところで収穫したばかりの野菜を台所で洗っていたところだった。

「あら、えみちゃん。それから…おやおや」

と、普段より穏やかなばあちゃんの声の向こうに小さな少女が見えた。益村のおばあちゃんの後ろで隠れるように立っている姿は、恥ずかしそう、というよりは少し警戒しているようだった。昼間に見たピンクのパーカーには、近くで見ると国民的なネズミのキャラクターがプリントされていた。大きなリボンをつけたそのネズミが、大きな口を開けて笑っているのに対し、少女の口はぎゅっと閉じられ、目には相手を伺うような感じが見られた。

「ほら、リコ。みんなにご挨拶は?」

益村のおばあちゃんがそう促すと、少女は小さくうなづいた。そして、これぞ鈴のような声、と思えるほど小さな声で、

三枝さえぐさ莉子りこです。小学三年生です。えっと…お世話になります」

と言った。

「まぁ~、しっかりしてるのねぇ。よろしくね、リコちゃん。おばちゃんはね、島之内のどかっていうのよ。もう普通に島ノ内のおばちゃんって呼んでいいからね」

 母さんも穏やかな声で話した。

「それからね、こっちが…うちのおじいちゃんと、おばあちゃん。おばちゃんのお父さんとお母さんね」

と、じいちゃんとばあちゃんの紹介に続いた。ばあちゃんはニコニコとリコを見つめている。一方じいちゃんはというと、一度は野菜を洗う手を止めたものの、チラッとリコを見た後再びかぶを洗い始めた。おいおい、何か言ってやれよ。

「ごめんねぇ、うちのおじいちゃんは照れ屋さんなのよ。…それから、これがうちの息子の健吾。リコちゃんが来るのすごーく楽しみにしてたのよ!」

なんてこと言うんだ、母さん。だが、右手には洗い立てのキャベツを、左手にはザルとボウルを持っていた為、何の照れ隠しも出来ず、頭だけでペコっとお辞儀した。

「けんちゃんの照れ屋は、じいちゃん譲りなのかねぇ」

と、ばあちゃんが言った。絶対違うと信じたい。じいちゃんをチラッと見ると、俺に向かってニヤッと笑った。

「リコちゃんが学校を終わってお家に帰って来た時に、リコちゃんのおじいちゃんもおばあちゃんもいない時は、うちにいらっしゃい」

 母さんが話を戻す。

「うちは農家だから、誰かは家か畑にいるし、リコちゃんも一人じゃ寂しいでしょう?健吾もいるからね」

 そう母さんが言うと、リコは一瞬おばあちゃんを見たりして戸惑っているようだったが、こっくりと頷いた。

「あぁ良かった!じゃあ、リコちゃんの歓迎会やらなきゃねえ」

「そうだねえ」

「まぁ~そんなそんな!」

「いいじゃない、ちらし寿司でも作ろうか?」

「いいねぇ、じゃあ酢飯用のおけ出さないとねえ」

「あ!じゃあ私、小野おのさんにお魚注文しに行くわぁ」

「小野さんの所の魚、いつも美味しいわよね~」

「白ごま炒らないとねぇ、切らしてるわぁ」

「あら、かずちゃん。炒りごまうちにあるわよ」

 そこそこ年季の入った主婦が三人集まると、このように一瞬で物事決まってしまう。リコをちらっと見ると、三人を見上げながら様子を伺っていた。挨拶にきたリコを見て思ったことがある。それは、終始ギュッと閉じられた口が緩むことがなかったことだ。まだまだ小学生盛りの女の子が、一瞬も笑わなかったことは逆に違和感で、少し気になった。やはり、亡くなったお母さんや倒れたお父さんの存在は、この小さすぎる背中に重荷として乗っているのか。

 そんなことを考えていると、今日は準備も間に合わないから、リコの歓迎会は週末に持ち越されるということで話がまとまったようだった。山菜と洗いたてのかぶをおすそ分けすると、益村のおばあちゃんとリコは帰って行った。リコはやはり、笑わなかった。











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