冬・里芋の煮物
家族という存在についてたまに考えることがある。
同じ親から生まれただけなのに、同じ家にいるだけなのに、
家族の中には無上の愛が存在し、絆で固く結ばれる。
世界中が敵になっても、家族だけは味方でいる。
今いる場所にいられなくなっても、家族がきっと迎えてくれる。
遠く離れていても、近くに住んでいても、きっと繋がっている。
そんな家族が、心から欲しいと思ったんだ。
冬
『里芋の煮物』
冬は嫌いだ。まず、道路が凍ったりなんかしてとても危ない。前に学校に遅刻しそうになった時猛ダッシュで走ったところ、凍った道の上で派手に転び、手のつき方も悪かったせいか手首の骨にひびが入ったことがある。あれ以来どんなに急いでいても冬の道を走ることはできないし、転んだ時は手をつくのではなく上半身で受け身を取るようになってしまった。とんでもない後遺症である。そして何より、冬は寒い。寒いと布団から出るのも辛いし、外に出るのも気が進まない。何とかこたつや布団から這い出て学校に行くのだが、うちの高校は貧乏でお金もないので夏のクーラーもなければ冬のヒーターもない。もっと小さいころは雪を見て大喜びしていたものだが、小学校高学年にもなると通学の邪魔者だとしか思わなくなってしまった。
今日も今日とて寒い。まだ布団から出てはいないが、さっき目覚まし時計を止めるために布団から出した手がその寒さを訴えていた。カーテンのほんのわずかな隙間から見える外の様子も、朝だというのにもの寂しい。天気のいい日はそこから眩しい朝日が入ってくるのだが、今日はどうか。どんよりと曇った空とチラチラ舞う白い雪しか見えない。これは学校に行く気分が下がるのも納得がいく。
「こら!健吾!早く起きないと遅刻するよ!」
それは一階にいる母さんの声で、俺がいるのは三階。朝からとんでもない声量である。俺は起きていないわけではない。単に、布団から出ていないだけだ。
「布団からとっとと出て来なさい!」
一階から聞こえてきたのは、先ほどと同じ声量の母さんの声だ。母親というのは、何でもお見通しな部分が少なからずあると思う。
今日は平日。何も特別なことはない、ただの平日なのだ。だからこそ学校には何となく行きたくないし、だからこそ何となく行ってしまう。というのも、こんな普通の日に学校に行かないと家にいたって暇だし、何か特別嫌なことがある日に学校を心置きなく休むためにはやっぱり普通の日には登校しておこうかなと考えるのだ。きっと俺は、案外真面目なんだと思う。でも、何もない平凡な日に学校へ行っても昨日と同じような日が繰り返されることは目に見えているので、行きたくないことには変わらない。行きたくないが、行くしかない。行くとなればそろそろ起きないと、朝ご飯抜きで登校しないといけなくなる。それは勘弁だ。
「あぁ」
どう考えても一階、いや二階にも届いてないであろう声量で一応母さんに返事をし、布団からやっとの思いで這い出た。起きたての声、朝の声っていうのはこんなもんだろ、普通。
「おはよう。」
制服に着替えて居間に降り、食卓のいつもの席に着くと、
「おはよう。起きたら返事ぐらいしなさいよ、起こしに行こうかと思うじゃない」
と、朝ご飯を並べながら母さんが文句を垂らした。
「したよ、返事。」
「どうせぼそっと言ったんでしょうが。聞こえないとしてないのと同じだからね」
「結局起こしに来なかったじゃないか」
「それとこれとは話が別!バタバタしてたんだから。あのね、遅刻が嫌なら自分で起きなさい」
「へいへい。」
言いたいことはあるが朝から母さんと討論している時間はない。
今日の朝ご飯は、大根と油揚げの味噌汁、白菜の漬物、昨晩の里芋の煮物の残り。絶対これ今日のお弁当にも入ってるな…。どうでもいいが、うちは家の畑を持っていてじいちゃんとばあちゃんと母さんが世話をしている。漬物の白菜や味噌汁の大根はみんなうちで採れたものだろう。里芋は近所の村中さんあたりが育ててるから白菜の漬物と代えてもらったのか。ばあちゃんが漬ける白菜の漬物は近所でも有名になるほど美味しいのだ。俺は味噌汁をすすりながら、テレビに映し出されたニュース番組に目をやった。
これが、ここ約一年の変わらない日常風景である。俺の席はテレビが見やすい位置になっている。テレビの横、つまり全くテレビが見えないであろう席にはじいちゃんが座り、角を挟んで隣にはばあちゃんが座っている。長方形の食卓のいわゆる誕生日席には親父がいつも座っているが、この時間になるともう出勤していてこの時間にはいない。父と角を挟んで隣に座るのは母さんだが、朝は俺が学校に行くまで洗濯やらお弁当作りやらで忙しそうである。うちの家系では夫婦は角を挟んで隣に座ることはあっても、隣に並んで座ることはどうもないらしい。俺は四人兄弟の末っ子で、上に姉が二人と兄が一人いる。が、一番上の姉ちゃんはとっくの前に就職して一人暮らしをしているし、下の姉ちゃんも大学入学を機に家を出た。その二人の姉ちゃんの間に兄ちゃんがいるわけだが、兄ちゃんは去年大学を卒業した後、父さんと同じ土木会社に就職した。このまま実家暮らしかと思っていると、新人研修とやらで遠方に飛ばされ早一年が経とうとしている。こんな早々に飛ばされて、俺は兄ちゃんが早速仕事で何かやらかしたのかと思ったが、どうやら実の父親と同じ職場にすぐに配置することが問題だったようで、その内帰ってくると前に父さんが言っていた。したがって、ほんの何年か前までは四人の兄弟と両親、そして祖父母の八人でこの食卓を囲んでいたが今はたったの三人しかいない。晩ご飯の時間になると、父さんと母さんも一緒に食べるので二人増えるが、やはり八人でわいわいと食べていたものが、五人になるのは少し賑わいに欠ける。
「けんちゃん、おみかん剥いてあげようねえ」
と、ばあちゃんが食卓の上のみかんを手に取った。ばあちゃんのみかんは食べてあげたいが、そろそろ出ないと遅刻する。
「ばあちゃん、ごめん。俺、遅刻するから…。じいちゃんに剥いてあげなよ」
そう言って、俺はごちそうさま、と手を合わし、食卓を離れた。ばあちゃんは、聞こえているのか聞こえていないのかそのままみかんを剥き始めた。
歯磨きをして、朝ご飯を食べ終わった茶碗を台所に持って行き、そのまま母さんに弁当をもらう。これも日常なのだ。
「あんた、いつまで三学期あんの?」
「再来週期末テスト」
「じゃあお弁当は来週まで?」
「そう…なるかな」
「はいはい。もうすぐ高校二年になるのねー。早いわねー」
「行ってきます!」
母さんとまったり話している時間はとうになくなっている。多少強引だが、話を打ち切った。
「じいちゃん、ばあちゃん、行ってきます」
そう言いながら廊下から居間に顔だけ出すと、ばあちゃんは自分で剥いたみかんを自分で頬張っていた。じいちゃんにあげて、というのはどうやら聞こえなかったらしい。
外は朝俺が睨んだとおり、薄暗い空が寒さを増していた。よく冷える日こそ晴れてほしいものだ。朝ちらついていた雪は止んでいるものの寒いことには変わりない。マフラーに顔をうずめ、ポケットに手を突っ込んでのそのそと通学路を歩く。見慣れた通学路は、道というよりあぜ道である。田んぼと畑の間にあるこの道を歩いて通学するのは、幼稚園の時から変わらない。梅雨のシーズンになると土がゆるくなって靴は泥まみれになるし、冬になると水を帯びた土の表面が凍って見た目は土のままのくせにつるつる滑って危ないしで、悪いことも少なくないが長く親しんだこの道に俺はいつの間にか愛着を抱いていた。目に映る景色も目新しいものは何もない。毎日変わらない。でもそれがいいのだ。あそこのおじいさんは俺がここを通る時に外で薪を割っている、あそこの奥さんはいつもこの時間になると洗濯物を干している、そんな何気ない日常を見ながら学校に行くことに俺は何だか安心感を抱くようになった。田舎町のじじばばに囲まれて育った俺は考え方まで年寄り臭くなってしまったようだ。
「あらけんちゃん。おはようさん」
三軒隣の山本さんの家の奥さんだ。
「おはよう、山本さん」
「けんちゃんとこのおばあちゃんの漬物、今年ももらったわぁ。今年の出来も良かったねえ」
「ありがとう。ばあちゃん喜ぶよ」
「お礼言うといてちょうだいねえ。今度うちの家のみかん持って行くわ」
「やった!山本さんのところのみかん、甘くて毎年楽しみにしてるんだよ。もちろん俺も」
「ありがとうねえ、いってらっしゃい」
山本さんはみかん農家なのだ。サイズは小さいが、その分甘さが凝縮していて我が家でも人気である。市内の市場へ売りに出すほど本格的なみかん農家だ。
俺の家の周りは家、田んぼ、畑、そして山で出来ている。市内からは遠く離れたへんぴな場所で、子どもは経る一方、年寄りは増える一方の典型的な少子高齢化地域、または過疎地域と呼べるであろう。そんな小さな町でも何とかやっていけているのは、この町で生まれ育った人でそのまま就職する人が割といることと、何年か前に出来た農業組合の新しい取り組みも関わっていると思う。無農薬や有機野菜などにこだわりたい市内の人のために、この町で採れた新鮮な野菜や果物を産地直送で届けるというものだ。もちろん配送などは業者がやってくれるし、収穫なども手伝ってくれたりするらしい。儲けも結構な割合で生産側にやって来るようで、町の財政も潤っている。俺の家の畑はあまり大きくないので、自分の家で食べる分と近所におすそ分けする分でちょうど良いくらいなのだが、俺は畑仕事の手伝いをするうちにいつのころからか畑を少し大きくして売りに出したいなあと考えるようになっていった。父さんも兄ちゃんも土木会社で、俺はこのままいくと農家になって…。俺の家系の男はみな土から離れて生きることはできないらしい。
あぜ道を抜けると、商店街に出る。このあたりから同じ学校に向かう友達とようやく会うことができる。早速、後頭部に寝癖をつけたままの友達を発見。
「お前いつも寝相同じなのか?今日も昨日と同じような寝癖ついてるぞ」
そう声をかけると、振り返ったのは友達の橋沢充樹、通称みっつーである。かれこれ幼稚園の時から友達なので、初めて会った時のことなど覚えていない。友達という意味を頭できちんと理解できるようになる小学生の頃には、お互いのことをみっつー、けんちゃんと呼び合っていた。ちなみに、俺の地元の幼稚園、小学校、中学校は一個しかないので幼稚園で同じ学年になった瞬間それからの約十年間共に過ごすことが決定する。高校は同じような近くのへんぴな地域二つが合体した、それでも小さな公立高校である。俺のことを地元のみんなはけんちゃんと呼んでいたので、高校の友達の半分は俺のことをけんちゃんと呼ぶ。島ノ内君、と呼んでくる人は高校ではじめましてをした人なのだ。
「あぁけんちゃんか。おはようー…」
と言いながら大きなあくびを一つした。やめろよ、つられるじゃないか。
二人で大きなあくびを何度もしながら、これまたいつもの通学路を二人で歩いた。
学校の終わりを告げるチャイムが聞こえる中、予想通りの平凡な一日の疲労を感じながら俺は早々に帰る支度をして帰路に就いた。俺は水泳部に入っているが、冬の間はプールなんて入れたものではないので休部になる。そのへんもゆるい部活なので大助かりだ。寒くなければ、みっつーや他の友達を誘って寄り道して帰りたいのだが、家のこたつへの恋しさが勝ってしまったので家に真っすぐ帰ることにした。行きに通ったあぜ道を通り、家に着くと誰もいない。きっと母さんたちは畑にいるのだろう。自室に上がり、制服を脱いでそのへんのトレーナーとズボンに着替えると、弁当箱を洗うために下へ降りた。途中居間のこたつに手を突っ込んでみると、電源が切られていたので中が温かくなるにはしばしかかるだろう。だったら少し畑を手伝おうか…などと考えながら台所へ降りると、
「カズちゃーん?いるー?」
という声が台所の横にある勝手口から聞こえた。戸を開けるとそこには隣に住む益村のおばあちゃんが立っていた。
「あぁけんちゃん。ごめんねぇ勝手口から。カズちゃんか、のんちゃんいる?」
「どっちも…。多分畑かな」
カズちゃんというのは俺のばあちゃんで、のんちゃんは俺の母さん。俺のばあちゃんは益村のおばあちゃんのことをえみちゃんと呼んでいる。近所では大体これで通る。ばあちゃんの名前は一江だからカズちゃん、母さんの名前はのどかだからのんちゃんなのだが、田舎というのは、どうしてこうも下の名前にちゃん付けで呼ぶことが多いのか。かく言う俺も健吾だからけんちゃんで通っている。余談だが、みっつーと呼ぶのはみっつーの同級生だけで近所で通っている名前はみっちゃんである。
益村のおばあちゃんは手ぶらで来ているがポケットから何かを出しかねないので、
「渡すものがあるなら預かるよ」
と、一応尋ねてみた。
「あらそうかね?じゃあこれ…」
ほらきた。何かの種か、液体肥料の試作品か。すると、おばあちゃんはポケットの中から一枚の紙切れを出した。紙?何だろう。
「あれ益村のおばあちゃんじゃないの」
何ともタイミング良くそこに母さんたちが畑から帰って来た。じいちゃんとばあちゃんも一緒のようだ。
「ちょうど良かったわあ、おばあちゃん。これ、今日採れた大根。持って帰ってね」
と、母さんが採れたての大根を台所でそのままゆすいでいると、
「のんちゃんありがとうねえ、助かるわ。いやあのね、今日はちょっと話があって来たのよ」
「そうそう。どうしたのよ、えみちゃん」
「それがねえ、うちの孫のリコって覚えてる?美智子の娘の…」
「あぁ、リコちゃんね、最後に会ったのはもう何年か前になるかねえ」
「そうねえ、こないだの七回忌に来てたんやけど熱出してて部屋に籠りっぱなしやってね」
俺は、リコという名前を聞いただけではすぐに思い出せなかった。益村のおばあちゃんの娘だった美智子さんは、もう何年も前に他界している。こないだ七回忌をしたってことは、六年前になるのか。リコと最後に会ったのは美智子さんの三回忌のはずだから四年前。俺はまだ小学生、リコもまだ小さかった記憶が少しずつ戻ってきた。あんなに小さいのに母親を亡くすなんてどんなに寂しいだろうかと幼心に思ったものだ。
「それで、リコちゃんがどうしたの?」
「美智子が亡くなった後、隼さんが子供の面倒は全部自分が見ますからって四人全員引き取ったでしょう?上三人は就職なり大学なりでもう巣立っていったのやけど、リコだけほら、上三人と年が離れてたから、まだ小学生なのよねえ。それなのにこの間隼さんが、仕事先で倒れたのよ」
隼さんというのは、美智子さんの旦那さん、つまりリコのお父さんってことだ。俺はこの時点で絶対この話は長くなると確信したが、自分だけこたつのある居間に行くのは何となく違うし、かと言って黙って立って聞くのも手持無沙汰なのでお茶を沸かし始めた。するとじいちゃんがぼそっと濃いめで、と俺に言った。
「まぁ…大事には至らんかったのよね?」
「うん、でもねえ、あまり良くないらしくて、そのすぐに死ぬとかそういう悪さじゃないのやけど半年は入院して治療がいるってなってねえ」
「じゃあ、それでリコちゃんをおばあちゃん家で預かるっていうの?」
「そうなのよ。実はね、元々長女の愛実が預かるっていう話にまとまって、ここ何週間かは一人暮らししてる愛実の家から小学校に通ってたらしいのやけど、愛実も教師として独り立ちしたばっかりで忙しいし、リコが小学校から帰って来ても一人で留守番ずっとさせて教育上良くないのじゃないかってなったらしくて」
「愛実ちゃん大学卒業したんだっけね?早いねえ」
「そうよお、三番目はまだ大学生だけど、一番上なんて立派なお医者さんだからねえ。早いわね、本当に。どっちにしてもその二人にはリコは預けられないけどねえ」
「男の子だしねえ。けど、良かったじゃないの。隼さんもそうやって頼ってくれて」
「本当は倒れる前に言って欲しかったけど…。まぁ起こってしまったことにはとやかく言えないから。」
「いつから来るの?」
「春休みの間に荷物とか運んで引っ越し済ませて、新学期からこっちの小学校に転校させようかって。それでね、これ…」
そう言いながらおばあちゃんが母さんに渡していたのは、電話番号が書かれた紙切れだった。
「リコが帰って来た時に自分らがいなくてこちらさんへ来た時に、ここへ電話してもらえないろうかと思ってねえ。これだけ隣やと絶対こっちへ来ると思うのよ。上が私の携帯番号、下が農業組合の電話番号」
益村のおばあちゃんは農業組合で仕事をしている。おじいちゃんも自分の畑だけではなくよその畑や田んぼの面倒を見ているから忙しいのだろう。うちの家と益村の家は同じ敷地の中にあり、はたから見ると同じ家かと思われるくらい家が近い、というか隣接している。俺が小さい時には兄ちゃんも姉ちゃんもいたから家で一人になるなんてことはなかったけど、一番上の姉ちゃんが小さい頃家に誰もいない日なんかはよく益村の家に行っていたらしい。益村のおばあちゃんには美智子さん以外にも子どもはいたらしいが、みんなもう独立して家にはいない。今はおじいちゃんとの二人暮らしだ。
そうこうしているうちにお茶が沸いてきた。おじいちゃんのは濃いめ、と。
「それは全然ええんやけど、うちで預かってもええのよ、夕方」
「そうよお、えみちゃんみたいに外へ働きに出てないし、家か畑にあたしらはいるし…。それにほらあ、健吾もいるのよお」
「え!?」
俺はあやうく急須をひっくり返しそうになった。
「そうよ、ちょうどいいわ」
「そんな、遊び盛りのけんちゃんに子守みたいなのさせて…」
「いいのよ、どうせ暇なんだから」
「そう?そうなるとありがたいわあ」
「俺の意見は!?」
聞かないの!?母さんとおばあちゃんが話を勝手に進めることは初めてじゃないが、今回は少し危険だ。
「何よあんたの意見って。良かったじゃない、妹が欲しいって言ってたでしょうが」
「何年前の話だよ…」
「ま、そういうことだから。気にしないでね、おばあちゃん。お隣っていうか家族みたいなもんだから」
「そう言ってもらえて嬉しいわあ、じゃあまたね。大根ありがとう」
大根を片手に、益村のおばあちゃんは帰って行った。
「そういや、母さん。うちって益村のおばあちゃんの携帯番号って知らなかったの?」
「そりゃ教えてもらったかもしれないけど、これだけ近いと電話する必要ないでしょう」
「なるほど」
そんな会話をしながら俺の淹れたお茶と共に、居間に入った。電源を入れておいたこたつは十分ぬくもっていた。
「春から少しにぎやかになるかしらねえ」
と、ばあちゃんがお茶をすすりながら言った。
「可愛がってあげないさいね、健吾」
母が戸棚の煎餅を出し、こたつに入りながらそれに続くように俺に言った。
「俺別に面倒見るなんて言ってないけどね」
「それで今度リコちゃんが来て本当に何もしないことはないだろうって踏んでるのよ」
「けんちゃんは何だかんだ優しいからねえ」
…。ばあちゃんにそう言われると何も言えない。この家で頼まれたことは必ずやるのは、俺のそういう性格からきているのだと自分でも分かっているし、それを家族もみんな知っている。そんな俺は時に都合よく使われ、時に面倒を頼まれるのだ。四人兄弟の末っ子のくせに要領は良くない。俺は黙って煎餅をバリバリ齧った。すると母さんも煎餅を手に取って、
「リコちゃんってどんな女の子だったかねえ…」
と、呟いた。幼い頃に母親を亡くし、父親も倒れ、祖母の家に一人で預けられるリコ。見知らぬ環境に不安だろうか、新天地にワクワクしているだろうか、全く読めない。だが、仮にもし俺が四年前のリコを覚えていたとしても当時のリコからはずいぶんと変わっているだろう。さっき母さんも言っていたが、俺が妹を欲しがっていたのは事実だ。上に三人も兄と姉を持つと、自分も妹か弟が欲しいと思うのはよくあることだと思う。俺は小学生の頃、みっつーがよく弟とけんかしているのは知っていたので、妹が欲しいと結構思っていた。ただそれはもう何年も前の話で、今は突然現れると予告された年下の女の子の存在を素直に喜べず、どう接したらいいものかという不安が勝ってしまうのだった。
春になったら、リコが来る。もうすぐリコが来る。それは、冬が終わることも同時に指している。長いように感じていた冬が終わるのはすごく嬉しいことのはずなのに、待ち望んでいたはずなのに、俺は心のどこかにちょっとした不安のようなものがあるのを感じた。居間から見える外の景色はやはり寒そうで、葉をつけていない丸裸の木々がその寒さを演出していた。
「渋いな、今日の茶は」
自分で濃いめがいいと頼んだくせに、お茶をすすったじいちゃんがそう呟いた。