朝に想う夜のこと
ふんわりと、柔らかく綺麗な笑顔を浮かべてシャル王子がエースとあたしを部屋の中へとうながした。
思わず見とれてしまいそうだけど、あんまり見るのも失礼かも。だってこの国の王子なんだから。
「えっと、はじめましてだね。僕はシャル。あ……知ってるよね」
ここ何年か姿を見せなかったとはいえ、王子なのだ。この国に住む者なら、みんな名前くらいは知っている。そんな方に、今話しかけられているなんてすごいことだ。
「お会いできて光栄、です。シャル王子! あたしは、日向明日花っていいますっ」
「よろしく、明日花ちゃん。気は遣わなくていいよ」
「で、でも……せめて敬語だけ」
こくんとシャル王子がうなずく。エースとは似てない雰囲気だけど、とても綺麗な人だ。
「なんかシャル、変わったじゃん」
呼び捨てするくらい、仲が良いんだ。
エースはあたしも見たことがない、屋敷ではしない表情だった。いつもが気まぐれな風だとしたら、今は波紋一つない水面。光を反射して、きらきら輝いているような。
だけどそれは自分の光じゃないから、綺麗なのにどこか――。
「明日花、座って待ってよう。シャルが飲み物とお菓子持ってくるってさ」
「あ、うん」
ぽんぽん叩いて示された、エースの隣に座る。
ソファは柔らかくて、ちょっと身体が沈むほどだ。やっぱり王子様の部屋の物だから、高級品なんだろう。
じゃない! 王子に給仕なんかさせてる今の状況はおかしい。あちらがホスト側とはいえ、あたしが行くか、シャル王子が使用人を呼ぶのが普通のはずだ。
手伝いに行こうか。迷いだした頃、部屋のドアが開いた。
「二人とも、お待たせ」
シャル王子の後ろに、もう一人の姿があった。使用人じゃない。無愛想な表情の、あたしたちと同じくらいの年の少女。
「シャルが友達と会うなら、邪魔になるから下がってようと思ったんだけど、誘われたから。お邪魔します」
表情と同様にとっつきにくい言葉遣いの少女は、テーブルの上に自分が持ってきた方のお菓子を置くと、シャル王子と共に反対側のソファに座った。
彼女もまた、シャル王子とは親しいらしい。
「あ、この子は僕の友達で」
「月渡 旅。よろしく」
リョウと名乗ったその少女は、ぺこりと丁寧な動作で一礼した。顔を上げた時に、ちょうどあたしと目があった。
深い深い青色。新月の夜空の、光がまったくない闇のような。
「旅の名前と明日花ちゃんの名前って、似てるね」
「ほんとだ、出身地が近いのかな。ああ、でも明日花はこの国出身だっけ」
似た名前。近い出身地。
あたしが朝陽の迷子だと先生に教わった時に聞いた。名前をつけてくれたのは先生だけど、あちらの世界風にしたと。
「宵闇の……迷子?」
あたしは、あたしと取り替えられてしまった子供の名前を知っている。『リョウ』というその名を。
「……! それ知ってる人は……」
この国にはいないはずなのに。声にならなかったその言葉を、あたしは確かに聞いた。
それは、あたしたちの間に特別なつながりがあるからわかったことだ。
旅の夜色の瞳があたしを映す。あたしも朝の空色の目でリョウを見つめ返した。
魔力の気配が溶け込んだ瞳。旅は力を持って、あちらの世界へ行ってしまったらしい。そして、何度かその力を使っている。
あちらの世界には魔法がないという。だからあたしのような存在が取り替えられるのだ。
きっと、旅も苦労したのだろう。その目が色のせいだけでなく闇に馴染んでいるのは、自分のいた場所を憎んでいるから。
「……何」
「何もしないよ。あたしは、あなたのこと知ってるだけ」
「信用しろって?」
真逆なんだなぁ、あたしたちは。あたしじゃ言わないだろうことを、旅はあっさり口にする。逆だから、取り替えられたのかもね。
「うん。リョウならわかるんじゃない? それにあたし、もっとリョウのこと知りたい」
「…………。なら、いい」
旅は、きっと今の方が良いんだ。さっきもあたしを警戒しながら、シャル王子を気にかけてた。ここでなら、居場所をみつけられたのかもしれない。
「旅?」
「明日花、どうかした?」
エースとシャル王子が、それぞれ問いかけてくる。急に二人も黙り込んだから、不思議に思ったのだろう。あたしたちのしていた話は、どうやら聞いていなかったようだ。
「なんでもないよ」
笑顔で、あたしは答える。
今のは、旅がシャル王子には知られたくないことなのだろう。だったらあたしは、黙っているのが正しい。
旅が宵闇の迷子であることと、旅とシャル王子が友達であることに直接の関係はないのだから。
その後は、四人でも話をした。みんな全然違うのに、何の違和感もなく一緒にここにいる。
光があるところには影があるのと同じように、あたりまえみたいに。
気づけば、オレンジの光が部屋に差し込んでいた。距離から考えて、そろそろ帰る時間だ。
「エース」
「ん、そんな時間かぁ。じゃあシャル、またね」
一歩だけ部屋のドアへと進んだエースは、くるりと振り返った。
「よかったじゃん。いい出会いがあって」
それだけ言うと、今度こそ外へ歩いていった。そんなエースの背に、シャル王子が淡く微笑んで「エースも」と告げた。
あたしもついていかなきゃ。だけど、一つだけ。
「リョウ、会えて良かった! 今度また会いたいかな!」
「……考えておく」
それを聞いて、あたしはにっと笑ってみせてから駆け出す。先を行くエースのところへ。
「エース」
「何? 明日花」
来た時よりは、近くを許してくれた。
「帰ろっか」
「うん」
また、隣に戻れる日も近いといいな。