第41話 気遣いの輪
引っ越してから、善次郎の生活は一変した。
美千代は、毎晩のように善次郎の部屋を訪れるのを申し訳なく思っているのか、このところ、来る度に食事を持ってきてくれるようになった。
二人分作るのも三人分作るのも一緒という美千代の弁だが、それでも、善次郎にとってはありがたかった。
スーパーの惣菜やコンビニ弁当には飽き飽きしていたのだ。
結婚前は一人暮らしをしていたこともあり、料理は作れないことはなかった。
しかし、誰かと一緒に食べるのなら作り甲斐もあるが、自分一人だと面倒くさくて、ついつい出来合いのもので済ましてしまう。
美千代が初めて晩飯を持ってきてくれた時、久々の妻の手料理に、善次郎はいたく感激した。
味などわからなかった。
毎晩だとさすがに悪い気がして、食事代として月五万円を渡すように提案した。
もちろん、養育費とは別にだ。
洋平の塾代に結構かかっているらしく、美千代は喜んで受け取ると言った。
今では洋平は、善次郎の部屋で宿題をやっている。
活と夏に囲まれている方が捗るというのだ。
そうなると、美千代が一人で取り残されることになり寂しいということで、必然的に洋平がいるあいだは、美千代も善次郎の部屋に居座ることになる。
家族のようでいて、家族ではない。
まことに、奇妙な関係だった。
この二人と、再び家族に戻れる日がくるのだろうか?
ふと、思うときがある。
自分の力で二人を幸せにしたいと目標を立てたものの、また家族に戻るということを、自分が望んでいるのかどうかはわからない。
「お前たちはどうだ、美千代と洋平と一緒に暮らしたいか?」
問いかけても、活と夏から返事が返ってくることはない。
もしそうなったら、自分は夫として、そして父親としてきちんとやっていけるのだろうか?
また、前のようになりはしないだろうか?
善次郎には自信がなかったが、今から先のことを心配していても仕方がないので、極力考えないようにしていた。
それに、まだ美千代と洋平の気持ちがわかっていない。
二人が善次郎の部屋に毎晩来ているのは、ひとえに活と夏に会いたいからだろう。
このところ美千代は、ちょくちょくお土産を買ってくる。
もちろん、活と夏にだ。
ささみだったり、鰹節だったり、煮干しだったりする。
ペットショップで売られている、猫用のやつだ。
一度マタタビを買ってきたことがあるが、活と夏にはきかなかった。
善次郎は、活に利かなかったので、夏には試したことがない。
活が特別かもしれないと思っていたが、やはり世間で言うほど、猫にマタタビは利かないのではないかと思った。
時には、猫じゃらしを買ってくることもある。
そんな時は、汗を出しながら二匹と遊んでいる。
二匹と遊ぶ美千代の顔は、子供のように無邪気だった。
勉強をしている洋平に怒られることも、しばしばだ。
そんな時は舌を出し、ごめんと謝るのだが、また直ぐに忘れたように、二匹と戯れるのに夢中になる。
洋平も、本気で怒っているわけではない。
ある時、洋平が、善次郎にそっと耳打ちしたことがある。
「お母さんの、あんな嬉しそうな顔を見るのは初めてだよ。僕も、嬉しいな。お父さんが、活と夏を連れて越してきてくれてよかった」
また、こう言ったことも。
「早く、元に戻ったら」
どうやら、洋平が善次郎の部屋で勉強しているのは、美千代のためらしかった。
夫婦の縒りを戻そうと、洋平なりに気を遣っているのだろう。
見かけだけではなく、中身も大人になっている。
子供は、いつまでも子供ではない。
親が知らぬ間に、成長していっている。
俺も、もっと大人にならなければ。
洋平を見て、つくづくと考えさせられる。
とはいうものの、これまで三年半、一人で生きてきた善次郎にとって、この生活は心地よくもあり、また息苦しくもあった。
二人が帰っていくと、ほっとする時がある。
それは、活と夏も同じみたいだ。
二人が帰ってしまうと、思い思いに好きなところで寝転んだり、部屋中を駆け回ったりしている。
二人のことは好きみたいだが、二匹にとって、まだ家族とまではいっていないようだ。
それでも、二匹は気を遣ってくれている。
それは、美千代と洋平を、善次郎の大切なお客さんと思っているからだ。
善次郎には、痛いほどそれがわかっていた。
猫は、敏感な生き物だ。
飼い主の心を読み、行動する。
自分勝手な生き物のように思われているが、そんなことはない。
それに半分は、美千代が買ってくるお土産も利いているに違いない。
そういった意味では、美千代の作戦はまんまと成功しているわけだ。
もっとも、美千代がそこまで考えているとは思えない。
純粋に、活と夏の喜ぶ姿が見たいだけだろう。
毎晩、食事を作ってくれる美千代。
活と夏のお土産を買ってきてくれる美千代。
善次郎と美千代に気を遣ってくれる洋平。
その二人に気を遣ってくれる活と夏。
それぞれが、人を、猫を、気遣っている。
善次郎は、みんなにお疲れさんと言いたかった。




