204号室にはハイスペック霊子さんが棲み着いている。
良いことしかしない幽霊がいたっていいじゃない
幹線道路沿いにあるいつもは客足が途絶えないコンビニも、今日のこの時間は閑散としていた。
おれは暇をもてあまし、レジカウンター近くにパイプ椅子を寄せて雑誌を捲っている。
近くで引っ越しをしてるらしく、先程から忙しない音や声に混じり、雨がひっきりなしにアスファルトを叩いている音がする。
……生憎、本日は土砂降り。全身ずぶ濡れで頑張っているであろうお兄さん方に是非とも駄賃を弾んであげてほしい。と、涼しい室内でそっと応援しておく。
裏のマンションかな?あそこなら204号室かな。
つい最近、前の入居者が退去の挨拶に来てくれたから、いまは空室のはず。
前の入居者……小田さんは、来たばかりの頃は明るい傷んだ髪に、センスがイマイチな田舎からきた女のコだったんだけど。越してきてから幾ばくもしない内にどんどん綺麗になり、見た目も中身も洗練されていって。終いにはすごい良縁に恵まれてお嫁にいきます!って、マニュキアが綺麗に塗られた指にキラキラした石嵌めて嬉しそうに旅立ってったな。
その魔法204号室を出たあとに解けなきゃいいね。なんてとっておきの笑顔でおめでとうございます、って言いながら、心の中で皮肉っといたのはご愛敬。
【204号室にはハイスペック幽霊の霊子さんが棲んでいる】
……まぁ、204号室ってピンポイントで知ってンのはうちの家族くらいだけど。
204号室の入居者は必ず幸せになる。
それもこれも全て霊子さんのお陰だ。あ、霊子さんの名付け親はうちの母ちゃんで、渾名である。本名は知らないし、彼女の経歴等も全て不明である。
なによりマンション自体がまだ築10年程であり、その前までは長いこと更地だったらしい。なので霊子さんは地縛霊とは考えにくいし、寧ろ良いことしか起こらない。うちの家族は勝手に座敷童子だと崇めている。
霊子さんが何をできるかって?そうだな例えば……まず入居者は入居してからすぐに、徹底的に健康管理されるらしい。肌艶がよくなり、髪は女性ならシャンプーのCMのように光り輝く。あとは体つきも変わるらしい。ここまでは、地盤が良いと2週間くらいで出来上がる。
メンタルに問題を抱えてても、1ヶ月もあれば改善の兆しがみえる。
更に、趣味でやっていたことが大賞をとったり、良縁に恵まれたり。大体は大成して退去していく。
但し、その後の消息は知らない。本が売れた人もいたけど、退去後にとんと名前を見かけなくなった。
おれが高校からバイトをはじめてまだ5年だけど、実家がコンビニの上にあるし、霊子さんとの付き合いはかれこれ10年くらいになる。
その間に何人見送ったか覚えてないけど、皆さん元気だろうかとどうでもいい感慨にふける。
外の雨音が聞こえる程度に調整された店内のBGMに、カラカラカラとこちらに近付いてくる音がハモり、おれは瞑想から帰還し雑誌を片付ける。随分軽そうなスーツケースだな、とひとりごちてお客様を迎えるために愛想笑いを貼りつけて立ち上がる。
のんきなドアベルとともに自動ドアが開き、おれの爽やかないらっしゃいませが、外の熱気と湿気の不快感に押し負ける。くそぅ。
お客さんはどこか陰のある少し線の細い綺麗な女性だ。傘では守りきれなかった濡れた身体が店内の冷気に晒され、寒そうに腕を擦り合わせた。すぐにカウンター横のホットコーナーでお茶を3本手にして、レジに持ってくる。
「○○マンションどこかわかりますか?」
話し掛けられて驚いたが、気合いで態度に出さないように努める。
「はい。このコンビニの裏ですよ。」
「そうなんですか。有難うございます。」
おれの必死の冷静さを繕う態度に、色々察しないよう気配りをしてくれるお姉さん。すみません。まだまだ若輩者でして。
「お引っ越しですか?」
ついでに好奇心の塊でもある。
「そうです。もしかして業者さん作業お待たせしてるかしら……」
「ついさっきまで作業されてたみたいですよ。」
あら、有難う、とお姉さんがお釣りを受取りながら微笑んだ。おれのおせっかい虫が騒ぎだす。
「もし2階でしたらラッキーですよ。あそこは座敷童子が住んでるって噂がありますから。」
お姉さんがちょっと驚いた顔をする。
しまった理系か?幽霊はプラズマとか言われたらどうしよう。
「……そうなの。愉しい同居人がいるのね。」
くすり、とお姉さんが呟いた。あぶない。その悪そうな綺麗な笑顔におれ堕ちそう。多感な時期なめんなよ。
遠山です、これからお願いします、と頭をさげてマンションに向かったお姉さんの背中を見送る。先程までの土砂降りが嘘のように雨が弱まり、狐の嫁入りかってくらい晴れ間がでてた。西日に少し目を眇め、親父と母ちゃんに報告をしようと携帯をいじる。
遠山さん、綺麗だったな。霊子さんに気に入られて、長く住んでほしいなぁ。
引っ越し業者さん達に少し多目に料金を支払い、お夕飯の足しにして下さいと挨拶をする。
204号室は角部屋なので、挨拶は隣だけでいいが、長年の都会での生活で不要だろうと判断する。
先程のコンビニの店員さん曰く、同居人がいるらしいのでこちらに先に挨拶をすべきだろう。
作法などがわからないので、玄関先で正座をし、遠山優子です。これからお願いしますと一声かける。
瞬間、部屋の空気がすこぅし暖かくなった気がした。
まずは冷えてしまった身体をシャワー温めて、それから片付け。今日はコンビニご飯でいいかと予定を立てて浴室へ向かう。
わたしはまだ知らない。わたしが挨拶したことが彼女をどれほど歓ばせたかを。ここに棲んでいる霊子さんが、どれだけハイスペックかを。
深夜……俗に言う丑三つ時。ふわりと店内の空気が変わった。例えるなら、春の陽気のようでとても心地がいい。
「霊子さん。いらっしゃいませ。」
因みにここのコンビニがブラック企業で、1日12時間労働な訳ではない。単純に家族経営で、今夜は中休みを挟んで志願した。通常はこの時間は親父が立ってる。
今日は新入居者もきたし、この時間に霊子さんが来るだろうなと予測してたのだ。
あー。ついでにうちの家族は誰も視えないぞ。声も聴こえない。でも感じる、としか言えないけど意思疏通はできる。
「いい人ですね。新しい人。」
声を掛ければ嬉しそうな雰囲気が伝わってくる。お姉さんのことをお気に召したようだ。
「おう。霊子ちゃん来てンのか。疲れが抜けてくぜ。」
「ノルアルがうまいわー。」
「癒される。」
ついでにうちの店は丑三つ時もそこそこお客さんがいる。主に近所だったり場所柄トラックの運ちゃんが多くて、みなさんいかついし黒い。
入口左にある5席のカウンターは、この時間でも満員御礼である。もちろん皆が飲み食いしているのはうちの商品だ。
「来てますよ。照れ屋だから堪忍してあげてください。」
苦笑しながら皆さんをたしなめる。
誰が言ったか誰が喚んだか癒しのコンビニとはうちのことだ。なんせ空気が違う。
霊子さんは浮遊する空気清浄機だ。しかもプラズマクラスターつき。いや、なに言ってンのって思うだろ?マジだから。
204号室はいつも隅々まで綺麗らしいし、霊子さんが通ってるうちのコンビニも例外ではない。勿論掃除はおれ達もちゃんとしているよ?
どこかの映画館で空気が綺麗なことを謳い文句にしてるところがあるけど、うちは天然でその状態なのだ。通い続けると効果があるっていうか、常連の皆さんはすごく元気だ。
ついでに霊子さんは料理好きらしい。だから来ている時に料理本を読んでいると、ずっと近くに気配がある。
そんで大体近い内に入居者がそれを食べるそうな。
入居者さんが言うには、初めて作るのに買い物から調理から手が勝手に動くんだって。しかも激うま。
そして我がコンビニにも丁度よく使用する野菜がいい状態で入荷されるという、これぞwin-win。
「よーす。翔太君。唐揚げいいかい?」
「いらっしゃいませ。田中さん。5分くらいいいですか?皆さんは?」
またお客さんがきた。田中さんは常連の長距離トラックの運ちゃんだ。いつも頭にタオルを巻いてる、50代くらいで日に焼けて真っ黒なおっちゃん。なんか今日はいつもに比べて覇気がない気がする。
この時間帯は、唐揚げは置いていないが注文が入れば揚げる。ついでに皆に声を掛ければちらほら手が挙がった。うむ。営業大事。
揚げたての唐揚げを席に持っていったら、突然躯ずしっと重くなった。思わずたたらを踏むが……
ヤバい。これは……
……霊子さんがおれに降霊しようとしてるな。
たぶん、この中で何かを伝えなきゃいけない人がいるんだろう。
既に何度も経験があるし身体を貸すのは吝かではないけど、所詮素人。毎回事後は失神するのだ。
いまは店員がおれだけだから、倒れる訳には……。
「待って。霊子さん待って。せめて親父がきてから……ぐぅッ!」
突然おれの様子がおかしくなり、脂汗がとまらず痙攣しはじめる。皆に動揺が走ったのを薄れる視界の端にとらえる。
「待っ……ゥ。れ……だ…メ……。」
意識が途切れ途切れになる。ダメだ聴いてくれない。店どうしよう…………ぐらっと傾いだ身体を誰かに掴まれた気がしたところで、おれはブラックアウトした。
「……霊子ちゃん。」
意識のないおれの身体を膝に乗せて、がたいのいい兄さんが声をかける。
うっすらと開けた瞼から透き通る黒目が覗き、お兄さんを映す。
「コレ見るの2度目だけど、容物は翔太君なのにどうしてこうも美しく視えるんだろうかね。」
「翔太君だって綺麗系の顔はしてますよ。」
「神聖さが違わぁ」
「最近、癒しの空気は纏っちゃってるけどねぇ。」
「唐揚げ旨ェな。」
霊子さんが、緩慢な動きでおれの身体を動かす。
誰かを探しているようにゆっくり視線をさまよわせる。おれを抱き抱えてるお兄さんを見て、唐揚げをもぐもぐしてた田中さんを見て……じぃっと動きを止めた。それこそ瞬きもせず、穴が開くほど見つめる。
視線に気付いた田中さんが、目を反らすこともできず、唐揚げを呑み込むこともできず、汗を拭いたり、赤くなったり青くなったりしても見続ける。
「霊子ちゃん。そろそろ勘弁して。おじさん胃に穴が空きそう……」
田中さんから本気の泣きがはいったところで、ようやくおれの口が開く。
「おなか……おくいたい?」
その瞬間、田中さんがはっとする。それから嬉しそうに笑いだした。
「ははっ。霊子ちゃん有難う。気になってたんだよね。次の休みにちゃんと病院行くから。」
「なおる。」
「大した病気じゃないのか。ん?いや、ちゃんと病院は行くからね!?目をうるうるさせないで霊子ちゃんっ!」
田中さんがおれの頭を撫でながら安堵のコメントをすると、霊子さんがだめ押しの泣き落としにかかる。
「霊子ちゃん泣かせんなよ。」
「泣いてるのは翔太君のはずなんだけどねぇ。なんだろう、罪悪感がすごいね。」
「金払え。」
「唐揚げ旨ェな。」
皆にやいやいからかわれて弱りきった田中さんは、携帯を取り出して切り札をだす。
「……もしもし和さん?助けてくれ。」
しばしやり取りをした後、裏手から50台前後と思われる痩せ型の頼りない風貌の男が眠そうにでてきた。
「田中さんどうしたんですか?あれ?翔太は……?あー……。まさか秀くんに絡みついてるのがうちの息子?」
親父が眼鏡をかけ直してるみたいだけど、間違いないです。秀さんに絡みついてるのがおれです。
因みに秀さんはイケメン消防士。身体もがっしりしてるし、性格もいい。さぞかしモテるに違いない。
このコンビニの中では古株で、おれも仲がいい。
この時間にコンビニで呑んでるのは金が無いわけではなく、ここの空気が筋肉疲労に効くんだって。まじかいな。
「あ。霊子ちゃんか。」
すげー。おやじエスパー……ンなわけないわ。
仕事放り出してお客さんにかじりついてりゃわかるか。
親父が霊子ちゃん……てか、おれの頭を撫でて優しく問う。
「今日は田中さんに良いことをしたのかな?ご褒美は何が良い?」
「だっこ。」
「おんぶじゃダメ?」
「だっこ。」
「そう。僕じゃなくてもいい?」
「うん。」
「秀くん。」「うーす。」
おれ退場。俵持ちじゃないよ。お姫様だっこだよ。これには深い理由があるのだよ。泣。
おれをベッドに寝かせると同時に、霊子さんはおれの躯から抜け意気揚々と店内へ戻る。
降霊をはじめたのはおれが高校生くらいからで、それ以来時々必要に応じて降りてくる。
おれ以外に降りないのは相性が合わないってことらしい。
そんで降霊イベントは秀さんが居る時が多い。
いつだったか降霊中容物のおれごとお姫様だっこされたら、興奮していままでより簡単におれの躯から抜けられたらしい。それ依頼毎回ご褒美と称してオネダリがくる、と親父が言ってた。
秀さんが居ない時は他の人が抱えているそうなので、たぶんおれ常連さんには全員抱っこされてると思う……。
親父がおんぶを提案するのは、前におれを抱っこしたらぎっくり腰になったからだ。
しかしながら、何分霊媒体質ではないので、コレをやられた次の日は半日ベッドの住人になる。たった数分でこのリバウンドは割りに合わない。早いところ依代を見つけないとおれの躯がもたなくなる日がきそうで恐い。
……なんて思ってた日もありました。
神はいた!!
大学の飲み会で行った居酒屋で、おれは嫁候補を見つけた。
店内は薄暗く、30人ほど集まったそこかしこで一気コールが聞こえる。酒類は安いが質が悪い。すでに何人か床と廊下とトイレに転がっている。
そんな中に片隅で居場所を見つけられず、居るのがバレないように、ちびちび嘗めるようにソフトドリンクを飲んでるコがいた。
おれはそのコが席を立ったのを見計り、居酒屋の外へと続くトイレの近くで声をかける。
「ねぇ、あんまり具合良くないでしょ?無理しちゃダメだよ。」
「っ!?」
話し掛けられると思ってなかったのか、体がびくんっ!てなった。トトロを思い出すわ。
「おれ2年の斉藤。君は?」
「……1年の成田です。」
ビクビクしながら振り返る彼女は、さながら小動物のようだ。
「そう。成田さんね。ね、このあとおれに付き合わない?コンビニバイト興味ない?」
「アルバイトですか?探してますけど……?なんで…?」
「じゃあ決まり。すぐ荷物持ってきて。下で待ってる。金は誰がか払うからそのまま降りてきていいよ。」
そう言い残し手をひらひら振って階段を降りる。上で彼女が何かまだ言っていたが無視する。
10分待って降りてこなかったら、拾いに行こう。ひとつしかない出口の前に立ち、厳戒態勢をしく。絶対に逃がさない。
彼女はおれがこれから生きていくうえで、喉から手を出してもいいほど運命の人だ。
どんより暗い雰囲気。重そうな身体。病気勝ちそうな白い肌。つまりはそう……
彼女はほぼ確実に憑 か れ や す い。
待ってました。探してました。欲してました。霊子さんに捧げる霊媒様。
この際嫁の見た目なんて関係……なくはない。でも憑き物落ちたら可愛いんじゃないかな?顔が印象に残ってないが。
彼女はすぐに降りてきた。大して気にもされなかったようだ。
良く良く見てみれば黒目勝ちな可愛い顔をしている。痩せているけど、スタイルも悪くないし、洋服のセンスも工夫されていて可愛い。でもこのまま別れたら忘れてしまいそうな、印象がとても薄い。こりゃ憑きモンのせいかも。
「それじゃあ成田さん。行こうか。」
優しく微笑みかけて、ぎゅっと手を握る。眼に見えない手錠完成。微笑みが深くなる。相手の顔が赤くなったので見てない振りをしてあげた。
たまには役立てないとなこの顔。そこそこのモン持ってるし。
「あ、あの。何故アタシなんでしょうか……!」
何故って?もうそりゃ運命としか……さすがにひかれるか。ここは必殺の着いてくればわかるよってウィンクして乗りきっとこ。
握っていない手を挙げてタクシーを停める。彼女の躊躇いを華麗にスルーして車内へ誘導する。あかん。おれ普段被ってる紳士の皮が悪い方向に暴走してるわ。
飲み屋からほど遠くないコンビニまでおれ達は一言も話さなかった。流れる景色を見るともなしに眺める。
おれはわくわくしてるけど、彼女は……たぶんど緊張してるんだろうな。握ったままの掌が汗で湿ってるし。
大丈夫。いきなりとって喰わないよ?
店の前でタクシーの運ちゃんに礼を言いながら車を降りると、彼女は一瞬立ち竦む。
既に霊子さんのテリトリーに入っているから、憑きモンが剥がれたかもしれない。ぎこちない動きをする彼女の手をひいて、腰に手を添えて店内へエスコートする。
コンビニに入るなり、彼女が不思議そうに眼を瞬く。握った手に力がはいった。
身体にのし掛かってた重みも消えたようで、「??」が透けて見える。やっぱり可愛い。そしておれの予感が的中したことに内心ニンマリする。
「ただい……「翔君!良かった帰ってきて!」ま?」
店にいる母ちゃん、田中さん、秀さんに最近仲間入りした優子さんの熱い視線が突き刺さる。
「霊子ちゃんの様子がおかしいのよ。どうしても優子ちゃんを家に帰したくないみたいで。」
「何度トライしてもお店から出れないの。」
優子さんは最近かなり綺麗になった。前の憂いのある表情もそそられたけど、いまの活発さが本来の持ち味なんだろう。
「霊子ちゃん何か言いたいみたいで……あら。お友達?にしては親密そうね?」
「あぁ。先に紹介するよ母さん。こちら成田さん。おれの嫁候補。」
「へ!?」
「霊子さん。どうかな彼女。降りられそう?」
「は!?」
「先輩なに言っ……ぐ…うぅ」
「大丈夫だよ。逆らわないで受け入れて。怖くないから。」
「な……に…を?」
おれは満面の鬼畜な笑みを浮かべたまま、次第に力を喪っていく彼女と眼を合わせ続ける。
カウンターに座ったおれの膝に彼女を座らせて止めをさす。
「終わったら教えてあげる。」
周りから呆れとはらはらと嫉妬が入り雑じったの眼差しがとんでくるが、どこ吹く風の如くうけ流す。てか嫉妬は誰じゃい。
成田さんの意識が落ちたのを確認して声をかける。
「はじめまして霊子さん。」
成田さんの目がうっすらと開く。あぁ。なんて綺麗な瞳なんだろう。自分と同じ黒目のはずなのに、吸い込まれそうだ。
彼女の手がおれの頬を撫でる。その手を掴んで見つめあう。
「ゆうこにかえっちゃだめっていって。こわいひとがくるから。」
「恐い人?」借金とりか?
「ゆうことあわせたらだめ。」
カカってヒールの音が静まり返った店内に響く。
「霊子さん、その人……どんな人……?」
優子さんが軽く焦点の合わない目でこちらを見ながら訊いてくる。両腕で自分を守るように抱きしめ、必死に震えまいとしているように見える。呼吸が浅く早くなってる。あれ、ヤバくね?
「ゆうこをずっとおいかけてるひと。」
「っ……!」
優子さんの身体が大きく傾いで、近くにあった飴やガム類の棚にぶつかって崩れ落ちる。
幸い近くにいた秀さんが抱き留め、自分に凭れかけさせるように座らせる。そしたら田中さんがレジのビニール袋持ってきて口に充ててやってた。母ちゃんは棚から落ちた商品拾ってる。
あぁ、過呼吸か。てか、連携すげーな?
「皆できるわよ。あんたが昔酷かったから。」
おれ?
「ご褒美を覚える前の霊子ちゃんはやんちゃだったから。」
はぁ?
「毎回痙攣と過呼吸おこしてねぇ。」
ぅおぉぉい!?よく生き抜いたなおれ!?そしておれグッジョブ!生贄万歳!!でもすまねぇ!!
軽く涙ぐんだおれを見て、霊子さんがどこか痛い?って聞いてきた。
おれと母ちゃんの会話はアイコンタクトだったから、目の前で急に泣きそうになったら心配もするか。
「平気。有難う。それより依代どうですか?」
おれ、頬に添えてある手に頬擦りし、今更ながら成田さんの心配をする。おれのなけなしの良心が先程の会話でチクチクしてきた。
「うん。ちょうどいい。しょうたはあわせるのがたいへん。だからしょうたにもふたんかかる。」
「なるほど。」クッバイ良心。
「しょうたのからだだとごふんしかもたないし、ながくはなせないからもどかしかった。」
「それは5年も身体を捧げてた僕に言う必要はありますでしょうか。」
「そうだね。ごめん。」
おれと霊子さんがいちゃこらしている間に、あちらも落ち着いたらしい。
優子さんはまだ忙しない呼吸をしているものの、会話はできそうだ。
「取り乱してご免なさい。そう。もうばれちゃったんだ……」
そこから長い話がはじまるかと思ったら、元恋人が重度のストーカーってすげー簡単に説明されて、緊張してた場におれの溜め息が落ちる。
今日日個人情報なんて需要と金さえあればいくらでも手にはいる。
2ヶ月が長いか短いかはわからないけど、優子さんもいつかは来るって覚悟してたみたいだ。
優子さんがこんなに震えてるのに、誰も動かない。口も開かない。ストーカー対策は相手と物理的に距離をとるしか解決策がないって知ってるから。そいつが来てしまったなら、また逃げるしかない。
「みなには迷惑かけな…「ゆうこ。そいつこわしてもいい?」
霊子さん……成田さんか?全身が黒く染みだす。だ、大丈夫なんですよね?容物。てか黒いのおれにも染みてますよ霊子さん。
「え?」「は?」「ちょっ、霊子ちゃん」「……」
「構いません。」
優子さんが射るような眼差しで答える。
「よるのあいだそいつとこもりたい。」
「場所に条件はいるか?うちの倉庫でよけりゃ空いてるぞ。」
田中さんが、共犯に名乗りを挙げる。
「まどがないほうがいい。」
「窓はねぇな。車で30分くらい離れるけどいいか?」
「もんだいない。ばしょだけわかればひとりでつれていける。こんやはみなだれかといっしょにいて。」わかりました。鶴様の機織りは絶対に覗きません。
「じゃあ、優子ちゃんはうちに泊まりなさいな。女ふたりで呑みあかしましょう。」
母ちゃんが優子さんの背中を撫でながら言う。
優子さんは涙が堪えきれなくなったみたいで、顔を覆って蹲ってしまっている。
ん?優子さんが我が家にお泊まり?湯上がりの優子さんがみられるだと!?けしからん!だが大歓迎だ!!母ちゃん息子に産んでくれてあり「翔太、アンタ秀くん家に泊めて貰いなさい。」「ホヮッツ!?」
「当たり前でしょう。アンタの部屋に……えーと、彼女の名前なんだっけ?」
「成田さん。今日が初対面だし、まだ下の名前聞くイベントこなしてない。」
「よくそれで嫁候補なんて言ったわね……。まぁいいわ。成田さんにアンタの部屋使って貰うから。」
嫁候補だから同じ部屋でいいじゃん!秀さん引っ張らないで!おれも混ざるんだ!って抵抗も虚しく外に連れ出される。
途端に言い表せない不快感に全身が於曾毛立つ。温い風が身体にまとわりつく。街灯が力なくチカッチカッと音を立ててるのが不気味な空間に響く。
普段気にならない草木やアスファルトまで牙を剥いているような、不穏な空気に肺が押し潰されそうで呼吸ができない。
秀さんが掴んでいる手もじっとり汗に濡れる。恐怖で足がすくんで秀さんにすがりつく。
いつのまにか田中さんが軽トラのエンジンかけて、霊子さんに声をかけてる。心なしか田中さんの声もハンドルを持つ手も震えてる。
誰もがはじめて霊子さんの怒りに触れ、巻き添えをくらったおれ達3人に関しては暫く夢見が悪そうだ。
自動ドアが閉まる前に、倒れこむ成田さんの姿が見えた。
おれと秀さんは夜通し酒を呑み、2人仲良く浅い眠りに魘されては起きるを繰り返した。
朝になりぐったりした秀さんをなんとか仕事に送り出し、眠さをこらえつつ家に戻ると、リビングで成田さんが寛いでいてびっくりした。
曰く、普通に目覚めたらしく、どこにも不調はないと言う。風呂にも入ったがどこも問題はないそうだ……という話を左頬に紅葉一発おみまいされたあとで聞き出した。見た目に寄らず結構力あるのね……。
その後無事に「かな」の名前も教えてもらい、嫁候補と出逢いのイベントは消化したと思う。しかしすっかり好感度が低くなってしまった彼女に、渾名で呼んでもらえるまでの道は長そうだ……。
泣き腫らした顔の優子さんから、全て終わったそうですと報告をうけ安堵の溜め息がでる。
キラキラと瞳を輝かせる彼女の、未来がこれから幸多いものになればいいと願う。
この事件に事後報告をひとつ付け加えるならば、田中さんからこの件に関する記憶が全て無くなっていたことだろう。
あの夜、霊子さんを連れて行ったまま携帯が繋がらなくなったので、朝方電話をしたら隣県の道の駅にいた。
彼に墓場まで秘密を持って行かせる必要はないと、霊子さんが言っていたらしい。
霊子さん、男前すぎて眩しいッス。
梅雨があけてじきに蒸し暑い夏がくる。
幹線道路沿いのコンビニの外は陽炎がみえるほど暑い。
そんななか、今日も今日とて常連さん達で賑わう店内は、いつも以上に熱い舌戦が交わされている。
「だーかーらー。翔君のお嫁さんにはあたしがなるってば。ねぇ、秀さん?」
「翔太は俺が嫁に貰うから他をあたってくれ。」
「どちらも遠慮しますよ。おれこうみえて嫁一筋なんで。」
「先輩、アタシ恋人ができましたぁ。」
「なんと!?」
驚いて振り返ると、裏からバイトの制服に着替えたかなちゃんが店に入ってきた。
どや顔で胸を反らせて鼻を膨らませても可愛く見える。これぞ嫁フィルター。
いや実際うちでバイトはじめてから悪いモノに憑かれないから、ぐんぐん可愛くなってるんだけど。肉付きもいいし。
「だって先輩アタシの躯が目当てじゃないですかぁ。だったら心は他の人に捧げようかなぁってー。」
「色々チガウし誤解があるよ!?」
「じゃあお姉さんがココロをあ げ ち ゃ う♪」
優子さんの綺麗な指が頬に添えられ、紅い唇が悩ましく動く。そのまま口元にほど近い場所にちゅっと吸い付かれた。
一瞬場が凍る。
おもむろにぶっとい腕に引寄せられて、そのままぶちゅっと人工呼吸された。……断じてキスではない。
解放されたあと、恐る恐るかなちゃんを見れば腐った目をキラキラさせて涎を拭いてた。
キミ、さては恋人は2次元だな?
おれの唇を奪った2人は、また愉しそうに口喧嘩をはじめた。
ヤメテ、おれのために争わないで??え?なんでこーなったの?
実は2人の謎の行動は霊子さんの指示であり、曰くかなちゃんとのシンクロ率がまだ安定しない。なのですぐにオンナに成ってしまうと、依代として使えなくなると夢見枕に立たれたらしい。
どこの初号機だよ!?
てか夢見枕に立てるなら、依代とかいらな……うぉっ。首筋がヒヤッとするぅ!
おれがこの話を教えてもらうのは暫く先で。
ひょんなことから弐号機を見つけたあとになる。
ありがとうございました!