惚れた惚れぬは惚れぬが負けか[side明人](i)
ツンとすましたトラ猫は女王様然として優雅に歩く。その後ろをちょこちょこと歩く、可愛いミケネコに自然と目で追っていた。
あぁ、子猫が道につまずいた。慌てて近寄ろうとすれば、母猫と思わしきトラネコに威嚇される。あわよくが保護しようなんて思っちゃいな……いや、下心があったので、表立って動くことを憚れる。
大木のところでトラネコと子猫が毛づくろいしている。毛色が違うのか、やはり実の子ではない。でも、愛情をたっぷりと注ごうとしていることは傍目からみても分かりやすい。ザラザラした舌で子猫の全身を舐めていた。
俺も猫になりたいなと思ったのは内緒だ。
小田先輩に知られるとバカにされるので、猫を凝視するのはやめた……が、彼も俺と同じく二匹へと熱い眼差しを送っている。
俺がごほんと咳払いすると、顔を赤くした小田先輩が正気を取り戻す。
「やっと暖かくなってきたよな~」
(小田先輩、春の陽気のせいにしようとしてるな……)
「ですね。あの子たちも日向ぼっこしてる」
桜のつぼみが膨らんできた。
もうそんな季節かと、同僚らと一緒に車に乗り込む。願わくば、毎日あの子の姿を見れますようにと後ろ足引かれながら車を発進させた。
あの子のことが頭の中から離れない。
せめて仕事のときは集中しないと……交通事故での被害者らを、ストレッチャーに乗せて搬送させた。
***
突然の雨が降る。
天気予報では春の嵐と揶揄されて、天候にご注意くださいと注意されていた。
「明人、業務は終わりだ。帰るか」
「はい、先輩……その、失礼します!」
小田先輩と飲みに行こうかと思っていたが、胸にしこりが残る。トラネコとミケネコは、ちゃんと雨宿りしているだろうか。もし見かけることができたなら、二匹とも保護してもいいかなと軽く考えて車を急がせる。
「いない……」
車窓に激しく雨粒が叩きつけられる。
俺は、あの猫たちがどこへ行ったのかとそればかり考えていた。すると、道の端に見知った猫が横たわっている。そこには、ミケネコもいた。
ニャーニャーと鳴いて震えている。
痛々しくて胸を抉られた。
あの子だけでも暖かい腕の中で休ませてあげたい。
俺が近づくとミケネコは逃げ出した。
君を保護したいのに、体は動いてくれない。なぜならば、母猫代わりのトラネコがぐったりして動かなかったからだ。
(死んでるのか。可哀想に……)
近くに丘がある。
埋葬地もかねてあるので、そこへ骸を持っていくと埋葬代を受付の人に渡す。せめて最期は成仏してくれと願い、布に包まれた骸に再び視線を落とすと、光の粒子が現れて消え去った。
受付の人もまぶたを何度も瞬いて、俺と同じく顔を見合わせて無言だった。そのあと、埋葬代を返金されて車に乗り込む。
たぬきに化かされたような感覚に陥った。
トラネコだったけど――
***
あれから、小さなミケネコは現れず。
毎日あの子を見るのが楽しみだっただけに残念でいっぱいだ。こんな後悔をするくらいなら、普段から餌付けでもして保護して自分のうちの子としておけばよかったと思う。
早朝、もうあの親子を見ることも叶わない。そう思い、救急施設から門外へ視線を向けるとあの子がいた。少し大きくなったかな。しっかりとした足取りで、救急施設を横切ろうとしている。これが業務外なら、俺はすぐさま彼女を誘拐していただろう。
チャンスは廻って来るだろうか。
あの子が周辺をねぐらにしているなら、また会える日が来るかもしれない。仕事が終わったら探してみようと、少年のように心が躍った。
大体めぼしはついている。
あの子は日向ぼっこするのに、病院内にある大木に寄り添うのだ。俺が走り向かうとやはりいた。眠気まなこだが、顔を傾けてこちらを見ている。
「か、かわいい……」
「……」
「よしよし」
可愛いを連発しない俺をだれか褒めてほしい。
そしていつやるの、今でしょうと自分を奮い立たせて、ミケネコを自分の腕の中へおさめた。
子猫のときよりは大きくなってはいるが、痩せてガリガリだ。毛並みが汚れている。ノミがあるかもしれない――ノミと虫よけを兼ねた首輪を買っておいて正解だ。
あとは風呂だ。一緒に入ってきれいにしてやろうと算段しながら、車の中のゲージにミケネコを丁寧に入れてみる。
「きみって首輪がないだろ。だったら、俺の家の子になるといい」
早口でまくし立ててしまった。
猫にはわからないか……いやでも、コミュニケーションは大切だ。愛情たっぷりにしゃべり続ける。
俺は確か、他人には喋らない堅物として普段は通ってるんだぞ。それを覆すミケネコは偉大じゃないか。へんちくりんな名前を付けるなんてもっての外だぞ。考えろ、俺――そうだ、ゲームの主人公の名前なら……
「名前どうしようか。ルークとかどう」
「フシャーッ!」
男名のルークでは本気で嫌がってる。
この子は賢い。俺の言ってることを理解しているのではと考える。
ではどうするか。
尊大で可愛くて、可愛いだけじゃ物足りない。
そんな意味を込めて――
「怒った。女の子か。メロンとかどう」
「ニャ……」
「フルーツの王様って意味らしい。きにみあうんじゃないかな」
メロンがニャ~ンと嬉しそうにひと鳴きした。
俺の心がずきゅんと撃ち抜かれる。
猫に恋した瞬間だった。
青天の霹靂、雷が全身を掛けめぐる。
体も脳も痺れて、口はわななく。
これは、ありかもしれないなんて。
メス猫だから、俺だけに懐くだろなんて。
なんてあざとい下心、もう止まらなくて顔の表情筋が崩れっぱなしだった。
幸せな気持ちのまま車を走行していたからか、縁石にぶつかりそのままこすりつけていた。ガガガガ、ゴゴゴッと音がしたが、気にしない。むしろ無粋だ。まだ、降りて車の様子を見ることはしたくない。
この幸せな気持ちを引きずったまま、俺はメロンと家路についた。
****
お風呂タイムは一筋縄じゃいかない。
メロンが暴れるから、首根っこを掴ませてもらった。ぷらーんと大人しくぶらさがる様が少しおかしくてぷっと噴き出すと、メロンにじとりと睨まれる。
本当にこの子は賢すぎる。ともあれ、お風呂は欠かせないのでワシャワシャと泡立てて汚れを落とした。
見違えるような美ネコに、こちらが驚愕する。
今はガリガリだけど、すぐに上品なメス猫になる。
雄ネコはメロンを見ると、襲い掛かる危険がある。
現に人間の俺でも、メロンの魅力にやられたくらいだ。そのくらい、色気と可愛さ、上品さを兼ね備えたパーフェクト猫だった。
「そうだ、首輪……は、明日にするか」
猫に嫉妬し、他人にメロンを奪われてなるものかと必死になる。どこぞの若者か、俺はすっかりメロン無しではいられなくなった。