雨音の鎮魂歌
吾輩は雨が嫌いだ。
毛並みが濡れると痩せっぽちに見え、吾輩の貴重な体温を奪い取る。全身を震わせると水滴は落ちるけど、止まない雨にキリがないことくらい、吾輩にもわかる。
雨特有の匂いだって嫌いだ。
まとわりつく匂いのせいで、毛づくろいにも精が出る。きっと、落ち着かせるために舐めあげて、吾輩だけの世界を作り上げたいのだろう。
心細いのは今に始まったことではないが、こんなとき人肌とやらが恋しいのかもしれない。ご主人愛用のスリッパを噛みつつ、ごろんと寝返りを打った。そしてうつらうつらと、考える。
捨て猫だった吾輩はすぐに死ぬはずだった。でも先輩猫が母乳を与えてくれたので、かろうじて生き残れることができたんだろう。
『あたしがあんたを一人前にしてあげる』
『ミー……』
『猫の根性見せてみなさい。死ぬのは許さないわよ』
母と思って甘えると叱られるけれど、乳だけはしっかりと飲ませてもらえたし、排せつを促すように舌で器用にお尻を舐められる。よちよちと前足と後ろ足で歩けるようになると、満足げに微笑む先輩猫に誇らしい気持ちになった。
母じゃない先輩猫に、吾輩は愛情を見出すのはしょうがないことだと思う。おかーさんとは呼ばせてもらえないけれど、先輩猫のお尻を追ってどこまでもついていった気がする。
物事の善悪を知らずのほほんと生きていた吾輩は、車の存在をしらなくて歩道を歩いていた。先輩猫からは口を酸っぱくして、横切るときは車や自転車、人間に気を付けろと言われていたのに。
気づいた時には車のタイヤが迫ってきていた。時間が一瞬止まったかと思うと、体が強引に外へと押し出されていた。
『くそっ、動物轢いちまった!』
『ニャー、ニャー!』
『なんだ、猫かよ。人じゃなくて助かったぜ』
(――猫で助かった?)
『動物病院に連れて行こうよ!』
『知るか、ほら、行くぞ』
(何があったの? あ――……)
道路脇に転げたあと振り返ってみると絶句した。
大好きな先輩猫の、ぐったりと横たわる姿がそこにあったからだ。
『ニャー、ニャー……』
もうあのツンツンした声で喋ってはくれない。
ボールで遊んでもらうことも叶わなくなった。
吾輩は、このときから人間が大嫌いになった。
ザァァァー……
あの時も雨が降っていた。
何の因果か、吾輩は救急隊員の男の手により溺愛されて、メロンという名前まで拝命された。
少しのくすぐったさを感じる。
人間を好きになりかけた吾輩を、先輩猫は恨むだろうか。それとも、死ぬのは許さないと……ついでに幸せになれと激励するだろうか。
吾輩はいま、心身ともに苦しいのである。
「メロン~~、ただいま~~!」
「!」
夕方の決まった時間になるとご主人が帰ってくる。いつもはお出迎えするんだけど、今日は無理だ。雨音が吾輩のテンションを下げまくっているのだ。
キャットタワーの横にある吾輩専用のクッションにて、体を丸めて縮こまる。
今日だけは静かにさせてほしい。
そんな気持ちを込めて吾輩は、ご主人に背を向けた。
「メロン、メロン……! 具合が悪いのか、どうした、大丈夫か!」
「にゃ~」
「熱は、寒気は、それとも食あたりか。メロン、動物病院に行こう!」
ニャンと!
それはご免こうむりたいのである。
栄養剤と銘打ってお注射されるのはもっとイヤだ。
吾輩はシャキンと体を動かして、元気さをアピールした。
「メロン、もしかして」
なんだ
「さみしかったんだな!」
ニャンともおめでたい頭をしておる。
でも、そうか。それなら図星かもしれないと、吾輩はない頭でせいいっぱい考えた。恐る恐る、前足をご主人の膝へと肉球を押し当ててみる。ご主人の顔が恍惚として瞳が潤みだした。ご主人はもしや、オトメンか。
「ぐは~~、メ、メ、メロン! 一人にしてごめんよ! 俺が、俺が悪かった!」
「ニャ~オ!」
激しく抱き上げられて頬ずり頬ずり、ご主人は狂ったように泣き出した。どうしたらこんなに泣く要素があるのだろう。吾輩が泣くならまだしも、ご主人が泣くのはおかしすぎる。
「一緒に寝ような、メロン……」
「ミャオン……」
今夜だけは優しくしてあげよう。
明日になったら吾輩は、またツンツンするのだ。そういうわけで、おやすみご主人。
***
あったかい。
このぬくもりはなんだろう。
とんでもなく気持ちが良いから頬ずりした。
「ふふっ」
「ニャー……?」
硬いけど大きい何かに毛並みを撫でられる。
とってもとっても心地いい。
眠たいけどその何かが知りたくて、目を開けた。
ご主人の優しい漆黒の瞳と目が合う。こんなに目元を緩めて、だれを見つめているのだ――吾輩が、ご主人をそうさせているのか。ニャンとも照れくさいではないか。
顔を逸らすも、魔法の指が吾輩を捉えて離さない。おでこや頭、下あごを撫でられて気持ちいい。そうそう、吾輩にとって下あごは気持ちいいポイントだ。ご主人わかってるぅ。
「おはようメロン」
「ごろごろごろ……」
「メロン可愛いなぁ……」
下あごを触られながらチャリンと音がした。
なんだこれ。
おや、ご主人の目が若干血走ってるように見える。
「首輪だよ。メロンがさらに可愛くなる魔法のアイテム。さ、大人しくしてね」
「フシャー!」
ベッドから飛び上がって逃げ惑うも、体力が尽きた吾輩はご主人の魔の手により、首輪なるものを装着させられたのである。
吾輩はペットではない。
メロンである。