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呪術師と桎梏の病  作者: たーく
第四章【古き王】
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追憶の獅子5

 

「何と……今、何と申されたのか」


 ガイウス・マクスウェルの屋敷にて、師の言葉に、オーネスは我が耳を疑った。


「私は退(しりぞ)くと、そう言ったのだ」


 淡々と、もはや決まったことのように、そう口にした師の顔は、酷く憔悴していた。

 ここ数ヶ月、師は以前にも増して、おかしな行動を取るようになった。その最たるものが、聖騎士参列への回答である。

 帝国有数の誉れある称号を、師は蹴った。

 練兵場にも顔を出さなくなり、ふらりと姿を消すことが多くなった。そしてついには、軍を退くときた。


「我輩、今度ばかりは師のお考えがわかりかねます。一体何があったというのです」


「ヴァンは……奴とは、顔を合わせているか?」


 脈絡もなくそう問われ、オーネスは思わず口を閉ざした。こんな時にまで、とそう思った。

 それ故か、口から出た言葉には、わずかばかりの硬さがあった。


「……お言葉ですが、奴とはここ一年ほど、顔を合わせてはおりませぬ。式典でちらりと顔を見たのが最後。言葉も交わしておりませぬ」


 師はただ、そうか、とのみ答えた。

 それっきり、師が口を開くことはなかった。

 オーネスは、一年前の式典で聖騎士の称号《獅子》を得た。

 南部クルセニス、北部ホウガとの連戦に次ぐ連戦に、それこそ獅子奮迅の活躍を見せたのが、グラリエス家の落ちこぼれであったオーネスである。

 《天聖》ことセロオン・ヴァン・クリスティオン。《グラリエスの法剣》ことオーネス・グラリエス。戦場では、無敗を誇る両名であったが、ある日を境に、その勇名は片方だけに傾く。

 ヴァンが、聖域に籠ったのである。

 戦場に出ることはもはやなく、オーネス・グラリエスの名ばかりが、敵味方に知れ渡ることとなった。

 そして、近年。ついにはガイウス・マクスウェルの名も、地へと転がり落ちつつある。

 悔しくてならなかった。

 何度、オーネスが説得したところで、師は腑抜けたように、首を縦には振らなかった。聖騎士たり得る器ではない、と。


「……師よ」


 声をかけるも、返ってくる言葉はない。

 オーネスは、踵を返した。これ以上、ここにいたところで意味はない。


「オーネス・グラリエス」


 背に投げられた声に、足を止める。


「お前の目指す剣は」


 久しく耳にしていなかった問答に、それでもオーネスは答えた。力強く、ただ一言。


「愚問なり」






 その日から丸一月。

 《獅子》たる聖騎士オーネス・グラリエスに、勅が下った。

 内容は、いたって簡素。

 ──逆賊、討つべし。

 しかし、討つべき者の名を目にした途端、オーネスは全身の力が抜けるのを感じた。

 逆賊、セロオン・ヴァン・クリスティオン。かの者、生死問わず。可能ならば、これを生け捕りにし、拷問の後、極刑に処する。

 何かの間違いであって欲しかった。

 その日の内に、オーネスは師の元へ走った。だが、屋敷に師の姿はなく、小間使いも行方は知らないという。家の力を使い、密偵を放つも、ついぞ、その行方は露と知れず、そうこうしている内に、進軍の日が訪れた。


「こんな日がくるとはな、グラリエス」


「いかにも。我輩とて、いまだ信じ切れぬ思いであります」


 並び立つゼル・ドーラムの沈んだ声に、オーネスも暗く淀んだ声を返した。

 進軍地点は聖域。たった一人の聖騎士相手に、こちらは八千にも及ぶ大軍。さらに、指揮を任されたのは、《獅子》オーネス・グラリエス、《烈火》ゼル・ドーラム。そして、いまだ姿の見えぬ《死神》。聖騎士三名による、過剰とも思える戦力であった。


「グラリエス。先陣は私に任せろ。貴様には、酷な話だ」


 気遣うゼル・ドーラムに、否定の言葉を探すオーネス。


「気に病むな。私とて確かめたいこともある故、な」


 途端、凍てつくような殺気に包まれたゼル・ドーラムを前に、オーネスは返答に窮した。この男が、ここまで感情を剥き出しにするなど、いまだかつてない。


「グラリエス。これより幾年の後、術師シャルマンが台頭してくるだろう」


 ふと、身にまとう殺気をそのまま舌に乗せたかのごとく、ゼル・ドーラムが言う。


「隙を見せてはならぬぞ。貴様は、よく言えば実直。悪くすれば愚直。真っ直ぐなものほど、折れやすい」


 シャルマン・ロゼ。宮廷術師の一人である。

 若くして、二級術師の階級を得た天才。

 史上初の特一級術師にもっとも近い男と目されている。


「ドーラム卿……貴殿は何を──」


 問うも、答えはない。

 代わりとばかりに、ゼル・ドーラムが進み出る。

 それが、オーネスの見た《烈火》聖騎士ゼル・ドーラムの最後であった。

 この日こそ、レンダール帝国においてもっとも忌むべき日。後に聖域の大虐殺と呼ばれる、悪夢のような一日であった。

 八千余からなる討伐軍は、早朝から聖域に向かって行軍。逆賊、セロオン・ヴァン・クリスティオンこそ捕らえたものの、生き残りはわずかに二名。《獅子》オーネス・グラリエスと、《死神》のみであった。


 オーネスは、この日を、この決別の日を一生忘れることはない。


「……何を、しておるのか」


 聖域。古来より、そこにある巨木を背に、血に濡れた長剣を携え、おびただしい返り血にまみれた男が佇んでいた。

 辺りには、物言わぬ骸の山。それを一人で築き上げたであろう男に、オーネスは、


「答えよ! セロオン・ヴァン・クリスティオン!」


 獅子の怒号が、聖域に轟いた。


「何だよ、おっさん」


 剣にまとわりついた、かつての仲間の血を振るい落とし、かつての友が笑う。

 悲しげな、山犬には似合わぬ疲れた笑みであった。


「何で、きたんだよ」


「我輩が剣であるからだ。祖国を護ると誓った──」


 胸が痛かった。

 戦場で、剣握る手が震えたのは、初めてだった。


「お前という友に誓った──剣で、あるからだ」


 剣を構える。


「こい! セロオン・ヴァン・クリスティオン。我輩がその性根を今一度叩き直してやる!」


 裂帛の気合いと共に、ヴァンを見据えるオーネス。

 しかし、友は何を思ったのか、握った剣をあっさりと捨ててみせた。


「その名は捨てた。剣も、もう必要ねえ。さっさと捕まえてくれや」


 ──もう、疲れちまった。そう呟く友に、かつての輝きはない。

 護るべき仲間を手にかけた男だ。もはや、かける言葉もない。

 オーネスはヴァンを拘束し、帝都へ戻った。

 拷問の後、極刑。そう聞かされていたにも関わらず、一月の監禁の後に、ヴァンは釈放された。

 聖騎士の称号は剥奪され、彼の養父であった師も裁判にかけられた。

 師は、北部国境警備隊。一度、落ちれば、這い上がること叶わぬ嫌われ者の巣窟へと送り出されることが決まった。

 国民は、オーネス・グラリエスを英雄として称賛し、ゼル・ドーラムの死を悼んだ。明暗共に訪れた祖国の空気に、しかし、当事者たるオーネスの胸中は、泥沼に沈んでゆくばかりであった。


 その年の暮れ、オーネスは北部国境警備隊の宿舎を訪れた。

 友との決別から半年。師と顔を合わすのも、半年ぶりであった。


「久しいですな、《獅子》殿」


 久しく目にしていなかった師の顔には、幾筋にも渡って深いしわが刻まれ、目尻は好好爺のごとく緩んでいた。まるで、孫を見る祖父のように。

 かつての覇気など見る影もない。そんな姿が、酷く哀れに思えた。


「何故です」


「ん?」


 思わず口から出た疑問に、小さく首を傾げる師。

 その仕草が、オーネスの腹の底に火をつけた。いや、火はすでにあった。あの日、友と決別したその日から、ずっと。


「何故、何も言ってはくださらぬのですか!」


 くすぶり続けていた火種が、腹の底から全身へと燃え広がっていく。火は、怒り。火は、悲しみ。全身を巡り、怒号となって気炎を揚げる。


「我輩は、師を信じて参りましたっ! 友を──ヴァンを信じ、信じたが故に、納得いかぬのです。おかしいではないですか。何故、奴が逆賊なのです。何故、奴が剣を捨てるのです。何故、貴方が……貴方が、こんなところにいるのですか……」


 悔しさに滲む視界で、師が笑った。


「馬鹿者が……」


 その拳が、とん、とオーネスの胸を叩く。小さく、力なく。


「お前の目指す剣は」


「護る剣であります。祖国とその民すべてを」


 幾度となく繰り返された問答。

 それも、今日が最後なのだろう。


「で、あろうが。そこにはいまだ、私もヴァンもいるか?」


「無論」


 短く答えたオーネスに、師は満面の笑みでそうか、と満足げに頷いた。


「ゲイル・リインフォード」


 ふと、師は笑みを消し、真剣な口調で聞き慣れぬ名を口にした。

 続く言葉を、オーネスは生涯胸に刻むこととなる。


「この名を持つ男とその娘を……生涯、お前の剣の側へ。師の最後の頼みだ」


「……承知」


 その後、師とは顔を合わすことなく、オーネスは職務に邁進した。

 数年後、ゲイルと名乗る男が、オーネスの元を訪ねてくる。幼く、しかし、瞳に確たる輝きを宿した少女を連れて──



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